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シキ  作者: 現野翔子
銀朱の章
134/192

杉浦友幸視点:追憶

 今夜もまた、懐かしい思い出が蘇る。いよいよ初めて皇都の舞台に立ち、そして終わった時のことから始まった。




 貴族向け公演の後は、事前に予約してくれた人に会い、特別な報酬が渡される。しかし、平民向け公演の後にはそれがない。ないと聞かされていたのに、予約もなく舞台裏に会いに来た子がいた。


「こんにちわー!」


 珊瑚色の髪と瞳の幼い男の子。幼いのに、質の良い衣服を身に着けていた。


「また来たんですか。いい加減、怒られますよ。」


 幼い子どもに向けた敬語。当時でさえ、その子どもが貴族であることは察しがついた。


「今日はちゃんと自分でお金も持って来たから!」

「そういう問題ではありませんが。」


 その子どもは元気に袋を掲げて示した。冷たく返す大人の役者の言葉に怯むこともなく、子どもは周囲を見渡す。そして、その視線は何人もの大人を素通りし、俺の所で止まった。真っすぐに指で差され、発せられた言葉に心臓が止まりそうになる。


「なあ、あの子は?」

「話すと良いですよ。では、私は失礼します。」


 俺のほうへ向いたその子の背を少し見て、相手をしていた人は素早くその場を立ち去った。よく見れば、周りにいたはずの他の人たちもいなくなっており、止める人が誰もいない中、その子どもは駆け寄って来る。


「初めまして、有栖秋人です!」


 全力での自己紹介に押されつつ自分も名乗れば、穴が空きそうなほどの視線に不安になった。貴族の相手なんて、俺は任されたことがなかった。傍で見ていた記憶だけを頼りに、この時は対応しようとした。


「なあ、いつからここにいんの?どこから来たの?今何歳?」


 矢継ぎ早に繰り出される質問に、俺は戸惑った。それでも、大陸にいた頃に触れることのないよう、慎重に答えを探した。


「今年来たばかりです。皇国の南東の国に、以前はいました。今は十歳です。」

「皇国じゃないんだ。学園には通ってるの?」


 その存在自体は知っていた。知識を得るための場所だが、俺には縁のない場所だと思っていた。そのための費用も時間も、何もかも不足していた。


「行ってません。」

「じゃあ、教えたげる。俺は今度の春から通うんだ。」


 そこで得られる知識には興味があった。しかし、対価は持っていなかった。


「ですが、支払えるものは何も、」

「何言ってんの?払うのはこっちなのに。俺が会いに来た時に話してくれるだろ?今日は前いた場所の話が聞きたい。」


 手を引かれて、〔虹蜺〕の建物に連れて行かれた。慣れた様子で受付の人に部屋まで案内され、ソファに座る。わくわくした様子で見つめられたが、何も言えず、ただ黙って見つめ返した。すると徐々に不思議そうな表情に変わっていった。


「してくれねえの?」

「え、と。」

「早く!」


 何から話せば良いか分からなかった。書物から得られる知識を俺から得ようとすることが不思議だった。


「何があるのか、とか、どんな所なのか、とかさ。」


 俺にとっての初めての外で、全てが初めてのものだった。何もかも、未知のものだった。


「人が、いました。」

「当たり前だろ。」

「それから、大きい木が生えていて、冷たかったです。あの、秋人様。」

「あ、それはダメ。様って言うの。呼び捨てでいいし、敬語もいらない。」


 忘れられない景色を、一つずつ思い返した。しかし、人に話すことの意味は分からず、聞きたいと思う気持ちも分からなかった。自分は見られず、触れないというのに。


「えと、じゃあ、秋人。この話、楽しい?」

「うん!もっと皇国にはない物の話が聞きたい。」


 皇国に何があるかなんて知らなかった。全てが初めてだった。それを伝えることにも、勇気が必要だった。


「皇国に、何があるか、知らない、から。」

「そっかそうだよな。来たとこなら知らないよな。」


 そこから秋人は皇国について教えてくれた。この日だけではなく、それからもずっと。他にも話したり遊んだりする楽しさも。

 話し始めてしばらく経った頃、秋人は話を切り上げた。


「じゃ、今日はありがとう。」


 持っていた袋を差し出される。中身は銀貨が何枚も、それからパン。きつね色の表面に、白い断面。割るというよりも毟るというような感触。ふんわりと柔らかく、甘さが口の中に広がっていく。この日はパンだったけれど、その後は菓子類のことも多かった。

 秋人に会えば甘味が得られると学んだ俺は、公演の度に合うようにした。二人目の友人だと認識できるようにもなり、自分から声をかけるようにもなっていった。

 しかしそれは、身分の違いを考えれば間違った行動だった。




「幼いのに国外からこんな所に来られるってのは、やっぱり普通じゃないんだね。」

「人に取り入るのが随分とお上手だ。」

「無邪気な顔して、欺くのが得意なんて。」

「自分の身分と立場をよーく考えたほうが良いだろうね。」


 そんな風に言う人は少なくなかった。言葉だけで済めばまだ良いほうだった。その経験から、いくら本人が許しても貴族と親しくし過ぎるのは危険だ、と学べた。

 だからある公演の後、俺は秋人が見えていたのに、気付かなかったふりをした。視界の端には捉えても、決して真っ直ぐ見ないように。ちらちらと確認しても、目を合わせないように。そうしたことがばれていないと思っていたのに、面会室に着いた途端、それを指摘されてしまう。


「なあ、なんで目が合ったのにすぐ逸らしてどっか行っちゃったんだ?」

「え?別に。そんなこと、してない、けど。」


 覗き込むその瞳に、心の中まで見透かされる気がして、恐ろしくなった。これだけ楽しみにしてくれている秋人に、親しくしないでと言うのが怖くなった。また、要らないと手を離されてしまう気がして、泣きそうになった。


「何かあったの?」

「別に。」

「言ってくれないと分かんないだろ!」


 胸倉を掴まれる。他の人にされたものとは違い、痛みはなく、首が締まるようなこともなかった。体は何の異常も訴えていなかったのに、なぜか苦しくて、目を見られなかった。


「なあ、何があったんだよ。」


 何かあったと確信し、強引に目を合わせてくる。透き通ったその珊瑚色の瞳が、俺に嘘も誤魔化しも許してはくれなかった。


「身分と立場が、違うだろ。」

「俺がいつ、そんなことを問題にしたんだよ。」


 秋人は一度だって問題にしていない。敬語も敬称も禁じていた。しかし、当人同士の関係など、他人にはどうでも良いことだった。国外の人間で、経歴も浅く、年齢も幼い俺が、貴族との繋がりを持つことが許せなかっただけ。秋人もすぐ飽きるという自分たちの予想が外されたことに、腹を立てただけ。


「どう思っていても、お互いの身分と立場はあるんだから。」


 どんなに否定しても、事実はそこにある。嫌でも、なかったことにしても、それらは生涯ついて回る。どこかで、誰かが、気付いてしまう。触れずになんていてくれない。


「誰かに何か言われた?」


 嘘は吐けなくて、代わりに無言を返した。舞台の上の綺麗な世界を信じている秋人に、裏の汚い部分なんて教えたくなかった。

 だけど回答を拒否することさえ、許してもらえなかった。


「誰に、なんて、言われたんだ?」


 貫くような瞳に負けて、一言一句違わず覚えているそれらを伝えれば、聞いている秋人のほうが泣きそうになっていた。


「そんなの大人の勝手だろ!俺たちには関係ない。取り入るなんて言われるなら、友達として会えばいい。正面から堂々と!」


 そう言える強さが俺にもあれば良かった。だけど、その時の俺には、もうそこしか居場所はなかった。もう、自由のまま死ねるならと言えるほど、外の世界を知らないわけではなくなっていた。

 生きていたいから、既に涙の滲んでいる秋人に、さらに突き放す言葉を返した。


「俺にはここしかないんだよ。だから、もう、あんまり、会うのは、さ。」


 仕事上の関係が悪化するのは生活や命に直結する。一人なんて慣れているという言葉で自分を騙して、数少ない友人の手を自ら離そうとした。だけど秋人はそれを拒否してくれた。当時の俺が認められなかった感情に気付いていたように、会おうとしてくれた。


「ばれなきゃいいだろ!毎回じゃなかったら!他の貴族ともちょっとずつ会うようになれば、特別何かを言われるようなことだってなくなるだろ!」


 他の貴族とも。この時の俺には遠い未来の話に思えた。少し先の楽しみを頼りに生きる日々が、遠い希望を見る生活に変わると、感じられた。

 言葉遣いや互いの呼び方に関しては人目がなくても気を付けるようにして。面会室を利用して会うことも大きく減って。それでも全く会えないなんてことはなくて。秋人と会うその時間も、日々を戦うには必要な時間だった。


 慶司と秋人とたまに会う息抜きの日のおかげで、心ない言葉にも耐えられた。友人同士の距離感も、関わり方も、彼らから学んだ。慣れない場所での慣れない交流も、少しずつ覚えて行った。

 知識を得るためではない会話も、友達との遊びも教えてもらった。外遊びもカードゲームも、花冠の作り方も、鳥や蝶との話し方だって、二人から教わった。




 また場面が切り替わる。今度は愛良が気に入っていた花畑だ。だけど、そこにいるのは今よりずいぶん小さい慶司と俺だ。


「友幸は鳥とどうやって話すか知ってる?」

「知らない。」

「こうするんだよ。」


 慶司がチチチと小さく舌を打てば、小鳥が寄って来る。手の上のパンくずを食べさせているのを、俺も間近で眺められた。


「今は何を言ったの?」

「どうぞ召し上がれ、って。」


 パンくずがなくなれば、小鳥たちはそれぞれの鳴き声を発する。


「これは?」

「おいしかった、って言ってるね。」


 いつものように適当なことを言っているだけ。だけどこの時の俺は何も知らなかったから、皇国には分かる子もいるのだと信じていた。

 小鳥が離れれば、蝶がひらひらと舞い寄ってくる。


「この子たちは友幸が来てくれて嬉しいって言ってるね。」

「話してたの?」


 飛んでいる音は聞こえなかったけど、慶司がそう言うならと信じていた。

 この日は鳥や蝶の言葉を教えてもらい、また別の日には花冠を着けられて、というふうに定番の遊び場になっていった。

 俺にとってもそこは、お気に入りの場所になった。


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