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シキ  作者: 現野翔子
紅の章
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エミリオ視点:翠の少女

 アリシアからの命でバルデス女王の殺害へ向かう。隠密行動に特別長けるわけではないが、それが将軍であり王女であるアリシアの命なら従うだけだ。以前、自ら前線で戦っていたことを思えば、命じるようになった分、成長したと言えるだろう。



 サントス本軍がもうバルデスの首都に迫っている。女王の視線は首都に、城に近づいてくるサントスの大軍に向いているはずだ。それに対応するために、兵の多くを割かざるを得ない。


 それを横目に、俺はバルデスの城を目指す。アリシアから聞かされた隠し通路は、城下町の屋敷から繋がる道。


 だだっ広い平原の奥のほう、ぽつんぽつんと存在するバルデス農民の住居を避けて、サントス軍は拠点を築いている。その中央部の天幕に、アリシアは構えているはずだ。


 まだ明るいが、多くの兵が展開する平原で、衝突は起こっていない。どちらも機を伺っている。

 サントスとしては攻め込むことも可能だ。しかし、制圧したとて維持が困難になり、反発も大きくなる。独立したバルデスを再び支配したとしても、民に犠牲を強いるやり方では反サントスの人間を増やすだけだ。

 アリシア個人としても、俺に女王の殺害を命じたことから、軍同士の衝突は不要と考えているのだろう。俺ならやれるとの信頼の証でもある。


 バルデスとしても目の前のサントス軍に攻め込むのは困難だ。そのために城下町や城の防衛を薄くせざるを得なくなるからだ。

 現女王への支持は薄く、兵の士気は低い。バルデス軍が自ら動くことはないだろう。道中のバルデスの村や町に被害が少ないとなれば、兵たち自身はより戦う理由を無くす。自分たちを苦しめる原因がサントス軍よりバルデス女王に見えるからだ。


 そうなれば、やるべきことは一つ。密かにバルデス城内に侵入し、確実に女王を討つこと。

 その場合の最大の障害は、城下町前に展開されたバルデス軍。彼らに見つかることなく、侵入を果たさなければ。




 さて、どうしようかと張りつめた空気の平原を見つめていると、動きがあった。


 アリシアが兵たちの間に歩を進めたのだ。


「バルデス兵よ!我々はこれ以上の戦いを望まない!」


 護衛も傍につけず、両軍の間に立つ。一発でも撃たれれば、無事では済まないだろう。

 バルデス側からも一人だけ進み出る。それ以降の会話は聞こえないが、何かしらの成果はあったようで、アリシアは城下町へ入って行き、慌ただしいバルデス兵にも攻撃の動作は見えない。


 兵の視線はアリシアとその周辺。侵入するなら、今だ。



 細い路地を選んで進む。そこには少し前までは人で賑わっていただろう施設が並んでいる。

 酒場であったのだろう瓶の絵が描かれた看板が下げられた建物や、鍋の絵の看板が下げられた建物。その周辺には空の木箱も散乱していて、隠れるには都合が良い。

 一部の見回りの兵も、人数は大したことなく、時折すれ違う程度。このくらいならやり過ごせる。


 貴族の屋敷が集まる区画に入ると、それぞれが雇ったのであろう傭兵がちらほらと見える。正面から入り込むのはまず不可能だろう。


 裏手に回り、低い壁を乗り越える。人の身長を少し超える程度の石垣など、鍛え上げたサントス兵には何の障害にもならない。

 敷地内に入り込む。窓から見られる可能性もあったが、今のところ人影はない。ただし、使用人までいないはずはないため、警戒は怠れない。


 それでも主一家のいない屋敷は、目の前で軍が展開していてもどこか穏やかだ。使用人たちの動きも落ち着いており、隙を突いて通用口から入り込むことならできるだろう。

 気配を読むなどという都合の良い能力はない。話声、足音、衣擦れの音、それらから人の存在を感じ取るのだ。今も扉の向こうを通り過ぎる足音を聞き、遠ざかったことを確認して速やかに侵入し、物陰に隠れる。


 階段裏の隠し階段らしきもの。上に物が置かれることもなく、床板を開けるための取っ手がこれほど分かりやすく放置されているなど、信じられない。


 明かりもなく、手探りで降りて行く。曲がりくねる道も手の感覚を頼りに歩く。足元は意外にもきちんと整備されているのか、躓くようなことはない。


 行き止まりだ。強く押せば、ギィと動き、そこが扉であったことに気付く。


 誰もいない廊下。薄暗く本当にここが女王のいる城なのか不安になる。アリシアの指示でこの通路を使ったのだから、間違いはないはずなのだが。罠か、それほどまでに女王の人望がないのか。

 女王の居場所までは分からない。検討を付けて、陽が昇るまでに見つける必要がある。指示は、陽が沈んでからの殺害だ。



 牢屋でもない限り、鍵が外側に付けられることはない。では、王族の私室と思しき部屋が並ぶ区画にある、この部屋は誰のためのものなのか。

 女王に閉じ込められている人間か、反女王勢力に閉じ込められている人間か。前者なら見つかっても構わない。味方に付けられる可能性すらある。後者なら、どんな方法を使ってでも女王の居場所を聞き出そう。



 意を決し、扉を開く。暗い部屋の中央には、一人の女の子が座り込んでいる。焦げ茶色の長い髪を垂らし、俯いている。寒いこの時期に簡素なワンピース一枚だけで、細い手足が痛々しい。


「こんばんは。」

 声をかけて、上着を掛けてやる。

「お兄さん、誰?」

 ゆっくりと顔を上げる少女。明るい翠の目で、不思議そうな表情が愛らしい。寒さを感じていないのか、慣れているだけか。

「俺はエミリオ。君は?」

「モニカっていうの。最近何だか人が少ないみたいなの。どうしてか知ってる?」


 小さいから事実が伏せられているのか。女王派でも反女王派でも、今何が起きているかくらい知っているはずだ。


「このお家の人が忙しくて、お友達を呼べなくなったんだよ。」

「そうなの?そういえば、アルセリアもベアトリスも会いに来てくれないの。特にベアトリスはね、ずっとずーっと、来てくれないの。」


 アルセリアは現バルデス女王、ベアトリスは前バルデス女王の名だ。前女王は二年前に死亡している。このモニカという少女は、名前を呼び捨てにするほど親しいにも関わらず、それを知らされていないのか


「その人たちとはどんな関係なのかな。」

「お話に来てくれるの。でもお外には出ちゃダメって言うの。それなのに来てくれないんだよ。お庭もね、前は綺麗なお花がいっぱい咲いてたのに、今はみんな枯れちゃってるの。」


 小さな部屋に一人閉じ込められたまま、か。

 低めの机と椅子、大きな寝台、上段がモニカには開けられそうにない棚、風呂場と手洗い場に繋がっていそうな扉。食事を用意する人間さえいれば、生活自体は可能かもしれないが。


「他の人は来るのかな。」

「ご飯持ってきてくれる人と、お着換えくれる人。でも、何にもお話してくれないの。話しかけても、なーんにも。アルセリアとベアトリスも、お喋りしちゃダメって。」


 女王たちと親しいが、他との接触は断たれている。彼女らにとって大事な立場の少女なのか。しかし、関係性が全く見えない。


「ねえ、エミリオ。お散歩しよ。会いに来てくれないんだから、出てもいいよね?」


 服を裾を摘まんでくるモニカ。俯き加減に視線だけをこちらに向け、必死にお願いしてくる。

 彼女が女王に大切にされているのか、ただ隠されているだけか。どちらにせよ、女王に遭遇した際、彼女存在はこちらに有利に働くだろう。


「そうだな。じゃあ、おいで。」

 モニカの手を引き、部屋から出る。一応鍵を掛け直すが、中まで確認されれば意味はない。



「わぁ。初めてお外に出たの!」

 まだ城内。そこですら、モニカは「外」と表現した。

「良かったな。」

「うん!ねえ、エミリオは何をしに来たの?」

「アルセリアを探しに。」


 見つけたとして、自分はどうするつもりなのか。この小さなモニカの前で殺すつもりか。アリシアの指示を最優先にするならそうなるし、そうすべきなのだが。


「私もアルセリアに会いたい!手伝うから、ベアトリスも探すの手伝って!あのね、ベアトリスはね、よく絵本を読んでくれたの。」

「そっか。じゃあ、一緒に探そうか。」

 ここで本当のことを教えて、騒がれると困る。彼女が受け入れられると分かってから、伝えれば良い。



 城内を大胆に歩いていく俺とモニカ。その間、誰ともすれ違わず、それどころか人の痕跡すら見当たらない。監禁されていたモニカは無邪気にきょろきょろと頭を動かし、アルセリアとベアトリスが来た時のことを延々と話してくれた。


 ベアトリス、前女王はよく絵本を読んでくれた。ぬいぐるみなど玩具も持ってきてくれて、絵を描くことも教えてくれた。

 アルセリア、現女王はよく外の話を聞かせてくれた。庭から花などを持ってきてくれることもあったと言う。


 前女王はともかく、現女王に関する話は興味深い。民を圧迫し、使い潰す女王の印象からは程遠い話だ。



 城内を進み、幾つもの部屋を見て行く。


「あっ、これアルセリアのだ!」

 部屋の一つに入った途端、モニカが声を上げた。


 モニカが指した先にあった物は、厳選された物が並ぶ部屋の中で、異様に目立つ。少々埃っぽいが、高貴な人間が住むに相応しい上質で、繊細な意匠の物が配置された部屋の中央。その机の上に、不思議な物が置かれている。


「私があげたの!上手に描けてるでしょ?」

 白い画用紙に黒い線と緑の色鉛筆だけで描かれた人の顔。

「そうだな。今はいないのか。」


 夜は既に更けている。戦いになっていたとしても、もう終わっているだろう。それならば女王が私室に戻っていてもおかしくはないのだが。


「すっごく喜んでくれたんだよ。自分を描いてくれて嬉しいって。」

 これがバルデス女王アルセリアか。

「そっか。」


 棚の上には白く細い瓶。そこには小さな花が枯れている。女王が一輪だけ、それも小さな花を生けていたのか。

 残すは寝室。しかし、そこにも女王はいない。


「モニカ、他にアルセリアがいそうな場所は分かるかな。」

 何とかして明日の朝までに見つけたいのだが。

「うーん、とね。お仕事する部屋もあるって言ってたよ。でも、夜はちゃんと寝なきゃダメって言ってたのに、アルセリアはまだお仕事してるの?」


 執務室の近くで仮眠でも取っているのか、隠れ家でも用意したか。現女王の母は何者かに殺されていたはずだ。同じようになることを恐れているのか。


「後は、お客さんとお話する小さいお部屋とか、大事な人とお話しする大きいお部屋とか、いっぱいの人と話し合うお部屋とか、色々あるんだって。あのね、大事な人とお話しする一番大きいお部屋は「えっけんのま」って言うんだって。」

「行ってみようか。」

 どれも今いるとは思えないが。


 モニカの手を引いて女王の部屋から出て行く。

 私室が集まる空間から、会議室などが集まる空間へ。そのいずれも、最近使った形跡がない。議会が解体されて久しいことを考えれば、当然のことだ。



 最後に向かったのは謁見の間。

「モニカ、ここが謁見の」


 玉座の上に倒れた人影。アリシアより暗い、モニカとよく似た茶色の髪。


「エミリオ?」

「ちょっと、外で待っててくれるかな。」

「うん。」

 モニカはまだ中を見ていないはず。


 玉座の人物へ近づく。胸元に紅い染みがあり、近づくほどにそれがまだ流れていることが分かる。

 女性は目を閉じているが、モニカの描いた絵によく似た顔をしている。その彼女は死を受け入れるように、仰向けに両腕を広げて事切れている。

 その足元には紅の耳飾りが片方だけ。雫型のそれは、アリシアが成人してからいつも着けている物と非常に似ている。

 その女性の瞼を上げると、出てくるのは緑の瞳。彼女が、アルセリアだろう。



「お待たせ、モニカ。」

「お帰り!」


 任務は女王の殺害。既に死亡していた以上、ここに留まる理由はない。

 前女王と現女王に保護されていたようなモニカをここに置いていくわけにもいかない。最低限の世話をする人間が今はいるようだが、現女王がいなくなればどうなるか分からない。この正体不明の、現女王の庇護下にあった少女に対して、戦後の人々が良い反応をするとも思えないのだから。


「アルセリアはもうここにいない。一緒に行こう。」

「誰かに聞いたの?」

「ああ。」

 死んでいたとは伝えられない。隠し続けることができなくとも、せめて落ち着くまでは。

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