最後の夜会
今回が今季最後の夜会だ。正式にサントス王女と身分を明らかにしているため、以前ほど皇国内の問題に巻き込まれることはなく、こちらからの手出しも控えることになっている。しかし、それでも対立を煽ってくる輩はいる。
ただし、その問題も夜会の会場に着いてからだ。目下の問題は馬車内で対面に座る、不機嫌顔を隠さない友幸になる。
「今日で最後だ。しばらくは夜会も茶会もないよ。」
無駄に話すつもりはないと言わんばかりの沈黙。これでいて、馬車を降りれば完璧なパートナーを演じて見せるのだから不思議なものだ。
今日は不機嫌の理由の一つであるヒールを私は履いていない。友幸がブーツで密かに身長を盛っているのは、以前の私の不用意な言葉が原因だろう。付け入る隙もないほど完璧にしても構わないが、そうすればするほど、小さな傷を探そうとする者は現れる。多少見栄えしないのはむしろ都合が良いとも捉えられるが、友幸にとっては不本意だったようだ。
「離れないようにはするが、何かあれば私の許可が必要だと言えば良い。他国の王女のお気に入りに手を出せる者などそうそういない。」
そういった仕事を好んでいないことは把握している。大部分からの誘いは減ったようだが、一部あきらめの悪い輩もいるようだ。そんな輩が相手でも、私が傍にいれば直接睨むことができる。私に睨まれながら本人が断れば、それ以上食い下がれはしないはずだ。離れていても口実に使われれば、無理に誘うことはできない。
「少しだけだ。体調が優れないと言って、途中で帰っても構わない。」
これは聞き入れられた試しがない。本人の矜持が許さないようだ。馬車から降りて、再び私と馬車に戻るまでは、微笑みの下に全ての感情を押し隠している。
馬車が止まり、外から扉が開けられれば、もう完璧な貴公子の笑みだ。平民とは思えないほど洗練された動きで馬車から降り、私に手を差し出す。
「アリシア様、お手をどうぞ。」
「ありがとう。」
私を誘っているようでいて、私の目的に合わせてくれている。今日は皇族が参加しない夜会のため、私たちが最後だ。挨拶に向かうのではなく、やって来る貴族たちの相手をすることとなる。
今夜の参加者は全体的に若い。当主ではなくその子ども世代の参加が主となっているようだ。例外的に橋本法恵公爵が参加しているくらいか。彼女は当主であるにも関わらず、未だ結婚も婚約もしていない。弟が二人いるため、いざとなれば彼らの子でも良いという考えかもしれない。
主催者と挨拶すれば、身分の高い順に挨拶に来てくれる。
「こんばんは、アリシア様。」
最初に来たのは私に次いで身分の高い橋本公爵だ。先代の時の野心が嘘だったように、目立った動きを見せていない。
「法恵さん。あら、パートナーはどうされたのかしら。」
「ちょっと知り合いにね。アリシア様のおかげで、こうやって気軽に夜会に参加できて、パートナーも見つかるようになったのだけれど。なかなか良い相手は見つからなくて。」
アリシア・サントスであると身分を明らかにした際、橋本法恵との間にも何ら蟠りはないと宣言している。それでもリージョン教徒に簡単に利用されたことになっている公爵家と繋がりを持とうとする者は少ない。大半の貴族は事実とされたことが実際と違うことも分かっているだろう。
そのため、公爵家を継ぐ身としてはかなり遅い、三十手前にして未だ相手が見つからない事態となっている。
「大変ね、貴女も。」
「アリシア様も考えなければならない年頃でしょう?」
「私は貴女ほど相手の身分を考えなくて良いもの。それこそ国に帰らないのであれば、友幸でも構わないわ。」
正式な伴侶に平民は選びにくい。子爵家や伯爵家の子であっても、最低限貴族として必要な礼儀作法や規則を学んでいるが、平民の場合、一から学ばせる必要があるからだ。もっとも、友幸の場合はバルデス共和国との関係上、国に連れ帰ることはできない。
「選択の幅が広くて羨ましいわ。あら、話しすぎてしまったわね。挨拶がまだの人も多いでしょうから、ひとまずここで失礼するわ。」
「ええ。良い相手が見つかると良いわね。」
政治的な戦いもあるが、夜会の季節は後半になるにつれて、男女の駆け引きや友人との親睦が増えてくる。伴侶候補を見つけるなら、今夜は比較的適しているだろう。
次に挨拶に来たのは穂波輝文。たびたび愛良を見舞うという名目で口説きに来た男だ。
「アリシア様。先日はそちらの愛良殿に大変お世話になりました。」
「あれは愛良の判断よ。貴方の感謝は伝えておくわ。」
「非常に愛らしく、勇敢な女性ですね。どこで見出されたのですか。」
適当に誤魔化すが、愛良を褒め称える言葉は続く。秋人からも要求意人物である旨は聞かされているが、愛良本人の態度を見ても諦めないとは根気強い人間だ。求婚された瞬間に別人からの贈り物を身に着けていると返事されれば、多くはその男と関係があると判断し、身を引くだろう。
皇国における愛良の立場は、サントス王女アリシアに雇われているだけの平民だ。そこに特別なものは何もない。
「輝文、私はまだ挨拶も終わっていないの。お話はまたいずれ。」
「ええ、申し訳ありません。後ほど、お話しさせてください。」
そうやって何人もと挨拶を交わしていく中で、第一回文化交流公演のことも話題に上った。
「詩織も今日は大人びた格好なのね。」
「私もあまり可憐な格好が似合うほうではありませんから。アリシア様は今日も大変格好良くていらっしゃるわ。」
落葉詩織。秋人の従姉妹で、落葉伯爵家の第二子。特別大きな成果も問題もない女性だ。
「ありがとう。自分の趣味や似合う物で選ぶとどうしても偏ってしまうのよ。」
「それでもアリシア様はとても格好良いですもの。文化交流公演の際も見惚れてしまうほどでしたわ。アリシア様が男性なら求婚したいくらいでした。」
詩織は未婚だったか。婚約者はどうだっただろう。第二子なら第一子ほど急かされはしないだろうが、彼女の状態はどうなのだろうか。
「聴いてくれていたのね、嬉しいわ。」
「はい。どこまでもついて行きたい気持ちになりましたわ。あんなに勇ましく歌われていて、どうしてまだご結婚されないのかと。失礼しました、繊細な問題でしたわね。」
「気にしないで頂戴。ただ単に忙しかったの。私にその気がなかったせいもあるわね。そろそろ真剣に検討しようとは思っているのよ。」
私ももう二十代半ば。いくら王位を継がないとは言え、考える年頃だ。サントスに帰らないとはしても、皇国との関係を永続的にしたいなら、次世代を考えなければならない。サントスから部下を派遣してもらっても良いが、皇国との関係性をよりよくできる人材かどうかを私自身で判断できなくなってしまう。
「ええ、アリシア様のことですから、私などより考えることは多いでしょう。浅はかな発言でしたわ。」
「気にしないでと言っているでしょう。今季最後の夜会なのだから、お互いに楽しみましょう。」
「ありがとうございます、アリシア様。友幸さんも、そろそろ夜会には慣れたかしら。」
「はい、お気遣いありがとうございます。」
必要最低限の返事だ。話を振られるまで口を開かないのは礼儀上の問題だが、聞かれたなら多少感想を述べたほうが喜ばれやすい。そんな対応を見ることは少ないが。
「アリシア様の次に、お相手はお願いできるかしら。」
返事が少ないことを緊張と読み取ったのだろう詩織は友幸をダンスに誘う。先に言ってしまうのは、趣味の悪い相手に絡まれないようにするためだろう。私が付きっ切りとはいかないことも理解してくれているのかもしれない。
しかし友幸は視線で私に問いかける。自分で答えても良いが、判断を委ねているようだ。許可を求めているのか助けを求めているのか分からないが、彼女には預けても良さそうだ。
小さく頷いて見せれば、ようやく詩織に答えを返す。
「ぜひ、お願いします。」
いささか不安は残るが、この様子なら詩織も気にかけてくれることだろう。
そんな風にして、全員との挨拶を終えれば、ダンスの時間だ。当然、最初は自分のパートナーと、だ。
「さあ、踊ろうか。」
「喜んで。」
変わらない完璧な微笑みで私の手を取る友幸。踊り始めても周囲から見えるため、その笑みは維持される。
「詩織のように直接問いかけて誘われたなら、自分で答えても構わないわ。問題があるなら私からは口を挟めるもの。」
「毎回確認したほうが都合は良いでしょう。全てアリシア様の判断で決定されていると思わせたほうが良いです、俺にとっても。」
一人の時に誘われにくい。そういった面は確かにあるだろうが、自分で判断できないと見て、言葉巧みに誘おうとする者も現れかねない。
あまり弾まない会話を続けながら、最初のダンスは終わりに近づく。
「続けてもう一曲踊ろうか。」
「詩織様との約束はよろしいのですか。」
「私の次に、よ。約束は守っているわ。」
最初に二回続けて踊れば、それだけ他者との接触を拒んでいるように見える。その上、次に踊る相手も、挨拶の時に私が許可を与えた形だ。私から預けに行くようにすれば、他の貴族は友幸を誘いにくくなるだろう。私を通す必要があるとの認識になりやすい。避けたい相手ほど、そういったものを無視する傾向にはあるが。
互いに表情は取り繕っている。言葉は交わさずとも踊り続けたい相手と周囲に見えることを祈っていよう。
「さ、詩織の所に行こうか。」
友幸を詩織に任せれば、私は穂波輝文に誘われる。
「アリシア様のお相手を務めさせていただけて光栄です。」
「こちらこそ。貴方と踊れて嬉しいわ。」
互いの服装などを簡単に褒め、本題に入る。
「夜会の後、時間はおありですか。」
「お誘いかしら。誰を誘っているつもりなの。」
「もちろんアリシア様ですよ。とてもお美しいですから。」
当然世辞だ。挨拶の時に愛良の話ばかりをし、何度も見舞っていたことを考慮に入れれば、目的は愛良のはずだ。しかし、相手がそれを明確に示さないならば、断り文句には使えない。私自身に断る理由が必要だ。
「私には友幸がいるもの。貴方の相手をする余裕はないわ。」
「愛良殿に会いたいと言っても、アリシア様は聞き入れてくださるのでしょうか。」
「あの子を手放すつもりはないわ。貴方ではあの子を何の憂いもなく笑わせることなどできないでしょう。」
穂波輝文が愛良を見出したのは、夜会での行動によってだ。優れた記憶力と観察眼、的確な返答。そんな能力を買っている。そしてそれは、再び彼女に貴族の重責を背負わせ、彼女から自由を奪う。憂いなく笑い、無垢に歌う彼女は、私たちのように責務に縛られるべきではない。
「では、他に愛良殿の相手に相応しい相手がいるのでしょうか。」
大切な彼女を傍で見守るために、私の手元から出したくない。しかしそうやって閉じ込めてしまうこともまた、彼女の自由を奪うことになる。彼女が望む場所にいることが、あの笑顔と歌を生み出しているのだから。
「全てはあの子自身が決めることだわ。だけど、無用な火種を持ち込ませる気はないの。」
恵奈が愛良に入れ知恵をしている。それに関する相談は秋人からもされている。しかし、愛良自身からの相談はあまりない。恵奈の助言を実行することにも、秋人からの行動にも、何の抵抗も問題も感じていないのだ。まだ幼いだけかもしれないが、彼なら愛良に貴族の重責を担わせることにはならず、私の手元にあることにも変わりない。
「私ではアリシア様のお眼鏡に適いませんか。」
「ええ、公爵令息という時点でね。貴方は利用する気でもあるでしょう。」
私も人のことは言えない。サントス王国と虹彩皇国の友好関係のために、〔シキ〕を、ひいては愛良を利用している。しかし、それは愛良の望む範囲における活動に限っている。曲を作り、演奏することは、彼女も楽しんでくれている。それ以外の業務で煩わせてはいない。茶会の誘いも愛良の意思を優先している。
「残念です。王妃となる素質さえ持っていると思ったのですが。」
「諦めて頂戴。」
それ以上の追及はなく、穂波輝文を招くことは回避できた。もう愛良を泣かせられない。彼女たちが笑っていられる環境を作ることが、私の償いだ。彼らが監禁され、国にいられなくした遠因である私にできることはその身を守ることだけだ。