不審な場所
案内されたのは休憩室の一つだ。会場からは真っ直ぐ行って、何番目かの扉を開いただけだから、私でもきっと戻れる。
「後ほど迎えに来る。期待しているよ。」
言い置いて輝文は会場に戻って行った。何を期待しているかは分からないけど、ひとまずラウラと一緒にお茶をする。もうどちらに行ったら戻れるかなんて覚えている必要はない。ラウラもいてくれるのだから。
「愛良ちゃん、ごめんね。ここでお茶したら良いって殿下が。」
「ううん、少し休憩したいって思ってたところだから。」
ソファに腰かけ、ラウラに入れてもらったお茶を飲みながら、お菓子を食べる。甘くてサクサクしている。
「休憩室がこんなに遠いのはおかしい。」
「そうなの?確かに一人では戻れないけど。」
ラウラがいるから不安がない。だから気を抜いて、踊って疲れた体を労われる。そうしていると一人分の早い足音が近づいて、扉が開かれた。
「愛良、何か変なことされなかったか?」
「秋人も心配性だね。踊ってここまで案内してくれただけだよ。」
ねえ、とラウラにも同意を求める。だけどラウラは窓の外を見て、警戒したように立ち上がった。
「やっぱりおかしい。静かすぎる。いくら休憩室で離れてるって言っても、他に休憩する人も外を歩く人もいるはずなのに。この一角が休憩区画なら周辺の部屋にも人はいるはずだよ。」
疲れて休んでいるなら、そんなに大きな声では話さない。一人で休憩中ならそもそも声を出さない。何がおかしいのか、私には分からなかった。
だけど、秋人は私の手を引いて部屋を出た。ラウラもそれに異論を唱えることなく、窓を警戒している。
「ねえ、何?」
「遅かったか。」
廊下を塞ぐように、剣や銃を構えた人たちが立っていた。
「窓の側にも来てる。」
二人も銃を構えた。だけど今日は踊れるように剣を持っていない。銃は隠していたのかな。
「愛良、俺の傍から絶対に離れるなよ。」
「う、うん。」
戦いになれば私にできることはない。
互いに銃を向け合う膠着状態。最初に動いたのは秋人だ。私を片手で抱き寄せ、銃を持った不審者を撃った。その銃声を聞いて、ラウラも窓から入ってくる人たちを撃っている。当然、不審者たちも剣や銃で反撃してくる。
どうやったか分からないけど、私には一発も銃弾が当たらない。振り回されるように動かされるけど、半分浮いているような状態だから、私が何かをすることはない。剣を持った人が近づけば、銃を向けて蹴り飛ばしている。
だけど、同時に数人くれば対応しきれない。私に向けて突き出される剣が見えれば、急に見える風景が変わり、蹴飛ばされた別の人が視界に入る。
「あ、秋人、血、」
「黙ってろ。」
肩に血が滲んでいる。服も斬れているから、おそらく返り血ではなく秋人自身の血だ。周りを見るのも怖いからそれを気にしていると、軽く突き飛ばされた。
「じっとしてろよ!」
開いたままの扉の、部屋と廊下の境界上に座り込む。ラウラは窓から侵入する武装した人たちと、剣を片手にやり合っている。秋人も廊下側で剣を奪って戦っている。ラウラの一撃で、私の足元に銃が転がって来た。
窓からの侵入者。その奥から、部屋には入ることなくラウラを狙う人がいた。
銃の使い方は知っている。触るのは初めてだけど、先ほどまで使っていた物なら、引き金を引くだけだ。でも、この位置から撃てば、ラウラに当たってしまう。少し移動して、うっかりラウラに当てることのないよう、引き金を引いた。それと同時に、見知らぬ人間の声がした。
「動くな!」
狙った相手には何も変化がない。外したのだろう。周囲が静かになった。頭には金属の感触がする。
「武器を捨てろ。」
秋人とラウラがそれに従った。それなのに、二人にも銃が突き付けられる。
「両手を後ろに回せ。」
その手首が紐で縛られる。私が、勝手に動いたからかな。その私の口は布で覆われ、二人が私の名を呼ぶ声を最後に、私の意識は途絶えた。
簡素な部屋で目覚める。
「動くなよ。」
すぐ傍から秋人の声がして、起き上がろうとする体を額に当てられた手で止められる。ラウラも隣で私を心配そうに見ている。
「どこかのお屋敷だね。ひとまずこれ以上は危害を加える気がないみたいだけど、早々に立ち去りたいね。」
「手掛かりが何もないことにはただの無謀だろ。」
「皇太子殿下が穂波輝文にも気を付けろ、って言ってたことくらいだけど。」
にも、ということは他の人にも、なのかな。でも、輝文が何か知っていることは確定だ。何を話しただろう。穂波公爵家領の話はたぶん違う。互いの思い出話も置いておいて、何か言っていたかな。
「不自然な会話や交流。何かの合図を共有しているような人。駄目だ。思い当たる節がない。」
ラウラも同じように思い出しているけど、首を横に振った。私は何か聞いたかな。
四回目の名誉。あれはダンスの話かな。その時はまだ二回しか踊っていなかった。もっと踊りたいという意味なら三回目のほうが納得できる。
囚われの姫様と、颯爽と助ける皇子様に騎士様。でも、今囚われているのは姫でもなければ、一人でもない上に、秋人も一緒だ。これは関係のない話かも。
「愛良、穂波輝文から何か聞いてるか?攫おうとしてる奴がいるとか、隠し通路の場所とか。」
「はっきりとは言ってなかったけど。」
場所に関する話はそう多くなかった。だけど、隠し通路の話かは分からない。
「駄目元で良い。何かあるか?」
「階段下、とか?」
「行ってみよう。」
秋人に抱えられて、既に破壊されている扉から部屋を出る。ラウラが一応警戒しているけど、戦っていた時ほどの緊迫感はない。
「ね、ここは平気なの?」
「少なくともこの部屋の近くは大丈夫だ。」
よく見ると秋人もラウラも布で肩や腕を縛っている。怪我をしているはずだ。私が一番、元気なはずなのに。
「私、自分で歩けるよ。」
「今は異常がなくても、後から出るかもしれない。無駄に動こうとすんなよ。」
「愛良ちゃんが意識を失った原因が分からないから、念のため、ね。」
二人のどちらも説得できないまま、一階の階段下の探索が始まった。ラウラが荷物を避けて、染み一つ見逃さないくらいの丁寧さで調べている。
「あった。床が外れるようになってるね。」
床の一部が蓋のようになっていて、開けると階段が出てくる。ラウラがそれを押さえている間に、秋人がそっと降りてくれる。
馬車が通れそうなくらい広い地下通路が続いている。高さも十分にある。続いて降りて来たラウラも、この広さに驚いている。
「何のためにこんなの作ったんだろうね。」
「さあな。出られりゃ何でも良い。愛良は寝てて良いからな。」
二人は帰り道が分かっているのかな。疑問に感じたのに、何もしていないはずの私は眠くなってきてしまって、また瞼を閉じた。
どのくらい経ったかな。一定の間隔で続いていた揺れが止まり、二人が何やら話している。
「厄介だな。」
「こんな所にこんな鍵があるのも不思議だけど。」
カチャカチャという音もする。
「全部試す気か?」
「四桁しかないんだから、そのうち当たるでしょ。」
「お前、何通りあると思ってんだよ。一万通りだぞ?」
「ない情報を求めてるより有意義だと思うけど。」
視界がはっきりしてくると、重そうな扉の前で、ラウラが何かを触っている。音もそこから出ているみたい。
「何、してるの?」
「おはよう。鍵を開けようとしてるの。四桁の数字で掛かってるんだけど、何か思い当たることはある?穂波輝文が何か言ってたとか。」
このことを輝文が何か知っていたなら、手掛かりを話してくれていたはずだ。だけど、輝文が言っていた言葉の中に含まれていた数字は、四回目の名誉、の四だけ。
手掛かりという意味なら、輝文や皇太子と親しい人が教えてくれた可能性もある。親しいと思って私が話しかけたのは、岩城桃丸、雨宮風、風見京平の三人。そのうち、数字が会話に出てきたのは、桃丸の一番星、京平の二つの煌めき、だけ。
数字の数も足りない。これでは三桁だ。風は何を言っていたかな。二回目誘った時に言ったと考えると、末の姫君。これは〔シキ〕の中の四番目と考えることもできるから、一度、四としてみよう。
これが使う数字は、四、一、二、四。次は順番だけど、輝文の言葉から情報を引き出すなら、言葉でも順番は大切、というもの。数字ではなくて言葉の順だ。その後すぐ、相手を見ることも大切、と言っていた。言っていた人と言葉の組み合わせ。家格の順番ということかな。
そうすると、公爵家の輝文、侯爵家の京平、伯爵家の桃丸、子爵家の風という順番だ。
「四、二、一、四、かな。」
カチャリ、と先ほどまでとは違う音がした。
「開いた。」
「よく分かったな。」
感心する二人の声で、少し気分が上がる。私が余計なことをしなければ危ないこともないから、二人といるなら不安に思う必要はない。さっきも危なかったのは秋人と離れてからだった。くっついていれば、何も怖いことは起きないはずだ。
ラウラは扉を開くと、素早く両手を上げた。
「怪しい者ではありません!」
首を伸ばして扉の向こうを伺うと、銃口がこちらを覗いていた。
「馬鹿、覗くな。」
小声で注意した秋人が扉から離れて、向こうを見えなくする。
「ねえ、スターチスを届けるって言われたんだけど、それは何か分かる?」
「静かにしてろ。」
怒られた。きちんと小声で聞いたのに、思ったより近くにいた兵士に会話を聞かれていた。
「その伝言はどちらの方からでしょうか。」
「は、え、えと。穂波輝文様からです。」
「失礼しました。伝言、確かに受け取りました。後は我らにお任せください。」
兵士に案内されて地上へと上がっていく。長い階段がずっと続いている。どれだけ深い場所を歩いていたのかな。なんだか頭が痛くなってきて、ふわふわする。たくさん頭を使ったからかな。お勉強や曲作りの時はもっと頑張れた気がするのに。
「帰ったらちゃんと医師に診てもらおうな。」
「うん。」
階段がいつまで経っても終わらない。私が感じるのは揺れだけ。上っているのか下っているのかさえ、次第に分からなくなってくる。きちんと連れて行ってもらわないと困ってしまうから、ずっと必死にしがみ付いていた。