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シキ  作者: 現野翔子
紅の章
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第五の罪、友殺し

 私は最高指揮官だ。そんな人間が敵陣の本拠地に入り込むなんてあり得ない。しかし、私は今、バルデスの首都、その城の中にいる。




 遡ること半日。私は隠し通路の一つをエミリオに教え、そこから城内に侵入するように命じた。



 一方で私は一縷の望みを胸に、サントス兵とバルデス兵の間に進み出た。


 戦場の全ての兵が私に注目していることだろう。この一挙手一投足に神経を尖らせているはずだ。

 護衛も付けず、一人戦場の只中を進む戦姫アリシア。今この瞬間だけは、自分がこの場を支配している。


「バルデス兵よ!我々はこれ以上の戦いを望まない!」


 拡声器を使っていても、最前列付近に待機する兵にしか聞こえないだろう。それでも構わない。今を印象付け、内容など後で伝われば十分なのだから。



 バルデス兵の中から、一人の兵が進み出て来る。武器を持っている様子はない。


「その言葉は信じても良いだろうか。だが、ここでは返事ができない。」

「ここでは、ということは、話し合い自体は受け入れてもらえるか。」

「ああ。兵も数人なら連れてきてくれて構わない。」


 私の目的は攻撃の開始を遅らせること。兵を連れて行けば余計に注目されるが、多すぎれば攻撃を加えてくる者も現れるかもしれない。


 結局、一人で彼の後に続く。

 街の中に入ってしまうと、人は一気に減る。見回りの兵はいるが、一般人の姿は見えない。地方に避難しているのか。


「今は客人を迎える部屋なんて整えられていないもので。」

「構わない。」

 言葉通り、案内された部屋は少々埃っぽい。机と椅子も堅く、普段から客人を招くための部屋として使っているわけではないのだろう。手入れの手間を考えると当然の結果だ。

「首都防衛を任されているフェリクスだ。そちらは、戦姫アリシア殿とお見受けするが。」

「ああ、王女にして将軍アリシアだ。」


 こちらの要求は二つ。停戦と、現女王の退位だけだ。バルデスの独立は変わらず認め、領土を取ることもしない。これは女王である母の意向だ。


 それにあちらも異論はなかったようで。

「こちらもほとんどの兵は既に戦意を失っている。ただ、女王は別だ。兵を使い潰し、その家族を人質にしてまで、戦わせようとしている。」

「文を認めさせてはもらえるか。現女王とは面識もある。読んではもらえるだろう。」



 結果から言えば、アルセリアからは思わしくない返事だけが帰って来た。想定内ではあるが、アルセリアの意図は読めないままだ。




 もう陽も落ちた。これなら私が陣地に居らずとも、問題はないだろう。暗い中ではアルセリアも無理に攻撃をさせないはずだ。弾も決して安い物ではないのだから。



 夜も早い時間、静かに天幕を出て、忍ばせた足音で陣地を出る。見張りの兵を労いつつ、散歩だと誤魔化していく。


 夜の闇に乗じて、両軍の目を盗んだ。そうして入り込んだ城下町は昼間と同じように人気がない。


 そんな路地裏の小さな空き家。それはその区画にありふれた石壁で、古びた扉を有している。

 

 軋む扉を開くと、埃と蜘蛛の巣が出迎える。部屋の真ん中に机と椅子が置かれているが、他に生活の痕跡はない。

 奥の台所には調理器具も食器も見えず、誰かが住んだことがあるのかさえ疑わしい。

 そんな流し台の前にある床板を外すと、階段が出現する。


 その先に木箱で隠された壁がある。押せば僅かにずれ込み、横に動かせる扉だと分かる。

 ここが、私とアルセリアだけが知っている隠し通路。持ってきていた蝋燭に火を灯し、現れた狭い道を足早に進んでいく。


 曲がりくねり、幾つもの階段を抜けて行く。通路の様子も土が剥き出しの様子から、石畳に、そして大理石へと変わっていく。



 そして辿り着いた扉の前。女王の私室に直通する唯一の道。当時のアルセリアがどのような意図でこの道を教えたかは分からないし、今聞くべきことはそれではない。


 消した蝋燭を隠し通路の中に置き、手探りで扉に力を込める。入り口と同じように、しかし入口より抵抗少なく横にずれていく。



 人気のない部屋が私を迎える。アルセリアの趣味が反映されており、刺繍のコースターなどが飾られている。簡素ながらに品の良さが伺える部屋だ。


 その中で一つだけ目を引く物がある。小さな机に乗せられた一枚の絵。今のアルセリアは絵画を愛でる趣味を持っているのだろうか。しかし、その絵にはアルセリアによく似た女性が描かれていて、飾られていないことが不思議だ。画家に描かせたのなら、しかるべき場所に額縁に入れられて飾られているはずだ。

 その絵も気にはなるが、私には時間がない。アルセリアが不在のこの部屋で、悠長に待ってなどいられない。



 誰一人いない城内を歩き回り、最終的に辿り着いたのは玉座の間。


「遅かったわね、アリシア。」

 そこには私が来ると知っていたかのようなアルセリアが待っていて。

「アルセリア……。」


 記憶にあるよりやつれ、疲れが滲む顔の彼女。しかし、その表情は穏やかなものだ。とても民を使い潰す女王には見えない。

 あの優しいアルセリアのまま、今の非道を行っている。


「優しい貴女のことかだら、もっと早くに来ると思っていたわ。」

「何故、こんなことをした。」


 かつて両国の友好について語った時の彼女は、民を好んで傷つける人間ではなかった。彼女の身に、何が起こったのか。


「約束、したでしょう。憎しみの連鎖を断ち切る、って。」

「こんなに焦る必要はなかったはずだ!」


 もっと先の未来について語っていたはずだ。

 アルセリアがバルデスの女王で、私がサントスの女王で、というのはその地位にあるというだけの意味ではない。それまでにある程度関係が改善されているはずだから、母たちの行いを受け継いだ私たちが、関係を深める、という意図ではなかったか。


「時間が経てば、何か変わったかしら。私が母と同じようにすれば、同じように殺されるだけ。民を顧みることのない反サントスの上層部と、苦しい生活を強いられることになる民を残して。」

「貴女も、その上層部と同じことをしたんだ。」

 その片棒を担いだのは私だけれど。

 誰が殺されると分かっている戦場に出たがるものか。国境を越えた者の殲滅を命じたのは私、しかし自国の民を死地へ送り出したのはアルセリアだ。

「ええ。けれど、その上層部も一緒に罰を受けることになるでしょう。私は一足先に主犯格として、サントスの王女である貴女に討たれる。民は、貴女を救世主、英雄と称える。サントスへの憎しみを掻き消すことができるわ。」

「犠牲が多すぎると思わなかったのか。」

 このために、いったい何人の命が失われただろう。バルデス側の被害だけでも、これまでの戦争とは比べ物にならないことくらい、アルセリアも把握できているはず。

「何の犠牲もなしに、何かを成し遂げたりはできないわ。私が象徴として貴女に討たれ、この先失われたかもしれない命を守ったのよ。」


 失われないかもしれず、それ以上の犠牲を強いた可能性もある。彼女の思惑通りに事が運ぶ保証もない。

 それが、今のアルセリアには分からないのか。


「もう、何を言っても届かないのか。」

「今更別の方法なんて言っても、もう遅いわ。失われたものは戻らないし、ここで私を見逃せば全てが水の泡よ。」


 ここに来ると決めた時から、アルセリアを見逃す選択肢なんてない。アルセリアの殺害を命じて来ているのだ。自分が殺すか、エミリオが殺すかの二択だ。


「ここまで、バルデス兵に会わなかった。」

「ええ、そう命じたもの。他の人では意味がないの。サントス王女アリシアだからこそ、私が討たれることに、意味があるのだから。」


 アルセリアは両腕を広げて、目を瞑る。玉座に体を預け、私を待っている。もう話すことはないとでも言うように、その口も堅く閉じられている。


「どんな理由があろうと、貴女の犯した罪は赦されるものじゃない。」

 私も人のことは言えないけれど。

「ええ、もちろん。だから、私の罪を、貴女が裁いて。」


 腰に下げた剣を抜く。何度も人を屠った剣だ。今更、人に向けることを恐れたりはしない。

 一歩、一歩とアルセリアに近づき、剣先を向ける。


「バルデス女王アルセリア、サントスとバルデスの民を傷つけ、苦しめたとして、このサントス将軍にして、王位継承権第一位の王女アリシアが、お前を討つ。」


 友人だと思っているのに、殺さなければ。命の重さに違いはないのだ。自分にとって大切だからという理由だけで、罪のない人間を殺しておきながら、罪のある彼女を見逃すわけにはいかない。

 アルセリアが生き残れば、また多くの無辜の命が失われることになるだろう。


「アリシア、最期に一つだけ、お願いしても良いかしら。」


 目を開いたアルセリアは、かつての彼女と同じ顔をしていて。


「妹だけは、モニカだけは許してあげて。まだ10歳なの。あの子は何も知らないの、私たちが何も教えなかったの。自分が王女だってことも、分かっていないかもしれない。

 だから、あの子だけは、お願い。」


 最後の懇願。私には、それを聞き入れることくらいしか、彼女にしてあげられない。


「ああ、分かった。」


 心臓を一突きに。なるべく一瞬で死ねるように、苦しまないように、なんて。殺すことには変わりないのに。

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