卒業祝い
合格の結果を無事に得て、卒業式に出席する。制服で参加する最後の式を終えれば、もう陽光学園の生徒ではなくなってしまう。それぞれ別の場所で、何かのために働く一人前の大人になっていく。
友達との最後の時間を思う存分過ごして、夕飯前にエリスのお家に戻ると、玄関で恵奈が待ち構えていた。
「お帰りなさいませ、愛良様。お着替えして、食堂に参りましょう。」
いつもの楽な服装ではなくて、特別に綺麗なドレス。装飾は多くなくても少しの膨らみで可愛く見える。
着せられて全身鏡を確認しても、心が浮き立つ。何か特別な気分だ。
「髪飾りはどれにするの?」
「今は着けずにいましょう。後ほど分かりますので。」
ドレスを着て、靴も替えて、お着替えは終了だ。何があるか楽しみになりつつ、恵奈について部屋を出ると、正装の友兄が手を差し出してくれた。
「エスコートさせてくれるかな。」
「うん!」
何か特別なことが待っている。そっと手を乗せて、軽く手を繋いでついて行った。扉をくぐれば、長い机に、乗せられた豪勢な食事、それから飾り付け。それを挟むように、秋人とラウラ、エリスとマリアが立っている。
「あっ、お兄ちゃん!」
マリアの隣、お誕生日席に一番近い席にお兄ちゃんが立っていた。焦る気持ちを抑えて、友兄にお誕生日席に座らせてもらう。空いているエリスの隣の席に、友兄自身は立った。
恵奈は部屋の隅で紐を持って、エリスの様子を伺って待機している。エリスが、パン、と一つ手を叩いた。
「「「卒業、おめでとう。」」」
みんながお祝いの言葉を言ってくれる。壁沿いにきらきら光る紙がひらひらと落ちていった。みんな、私のために用意してくれたのだと嬉しくなって、言葉が出なくなっている間に、エリスが仕切って進めていく。
「みんな座って頂戴。愛良、改めて卒業おめでとう。貴族的なものは慣れないと聞いたから、雰囲気だけね。お話ししながら食べてしまいましょう。」
自分も座ったエリスが今日の話をしてくれた。その間、ちらちらと料理を見ていると気付かれてしまって、食事を勧められる。
最初は食前酒。バルデスでは未成年だと言って断ったけど、今日は少し飲んでみよう。
「慣れていなくても飲みやすい物にしてもらったわ。気に入ったなら寝る前にでもまた飲んで頂戴。」
ほぼ透明だけど、ほんのりと薄黄色だ。甘い香りもする。恵奈の説明では、果実酒だそうだ。食前にお酒を飲むのはたくさん食べられるようにするためだとか。飲んでみると、香りの通り甘い味もするけど、甘い以外の不思議な味もする。これがお酒なのか。
味わっていると、お兄ちゃんがエリスにお礼を言っていた。
「アリシア様、このような場を用意していただき、誠にありがとうございます。俺のような者まで招いていただき、感謝の念に堪えません。」
「そんなに畏まらないで。愛良のお祝いに優弥さんは欠かせないでしょう。ねえ、愛良。」
料理が既に全て用意されている状態だから、みんな好きに食べ始めている。私も口に物を入れていて返事できない。急いでもぐもぐしていると、友兄に注意されてしまう。
「慌てて喉に詰めないようにな。」
「ゆっくりで良いわ。」
大丈夫だよー、と思いつつも返事はできない。エリスに甘えて、ひとまず頷くだけでお兄ちゃんもいてほしいと主張する。お兄ちゃんのいるお祝いといないお祝いなら、当然いたほうが嬉しい。いなくてもお祝いしてくれるのは嬉しいけど、嬉しさは段違いだ。
ちゃんと飲み込んでから、ようやく返事ができる。
「うん、あのね、お兄ちゃんがいると思ってなかったから、すっごく驚いて、嬉しかった。」
食事ももちろんとても美味しい。どの料理も頬っぺたが落ちそうなくらいで、食べきれないのが残念だ。私には量が多かったの。
「デザートもあるけれど、それは今食べるかしら。難しそうなら寝る前にもできるわ。」
「寝る前でいい?もうお腹いっぱいだから。」
今日はお兄ちゃんも泊まってくれるという話もしてくれる。久しぶりに一緒に寝よう。お風呂も一緒。私もどれくらい忙しくなるか分からないし、またしばらく一緒にいられなくなってしまうかもしれないから。
みんなの食事が終わったら、お祝いもお開きだ。そう思ったのだけど、またエリスが何か合図をした。
「贈り物をさせて頂戴。」
恵奈の持ってきた籠には布が被せられていて何が入っているか分からない。だけど、エリスはその布の下から他の物が見えないように、一枚だけの紙を取り出して渡してくれる。
「私からは今着ているドレス。今後着ることもあるかもしれないわ。正式な場でも着ていけるような物よ。手紙は、後でゆっくり読んで頂戴。」
蝋で封をされていて、本物のお手紙みたい。一枚だけのぺらぺらの紙ではない。大事に持って、後の楽しみに取っておく。
顔を上げれば、今度はお兄ちゃんが目の前で待っていた。
「愛良ももう子どもじゃないとは思ったんだけどな。他に良いのが思いつかなくて。」
そう言いながら渡してくれたのは、可愛い白兎のぬいぐるみ。片腕で簡単に抱えられる大きさで、お兄ちゃんがよくくれた大きさの物だ。
「ううん、嬉しい。飾っとくね。」
ぬいぐるみも大半はエリスのお家に持ち込んでいる。生活の拠点がこちらになると分かっていたからだ。療養の間とか、お勉強の間にエリスが手配してくれたからでもある。
次は友兄が装飾品を手に持っていた。
「着けるけど、良いかな。」
「うん!それは友兄が作ったの?」
「もちろん、愛良のために。」
白いレース糸で編まれた髪留めで、髪を一部簡単に結ってくれる。鏡がないから自分では分からないけど、きっと私に似合うようにしてくれた。
「うん、似合ってるよ。」
「嬉しい、ありがとう。」
崩さないように手で触って確認するけど、やっぱりどう見えているかは分からない。後で確認するのが楽しみだ。
次はマリア。マリアからの贈り物は想像がつかないけど、何にしてくれたのかな。
「なんだか選び方を間違ってしまった気がするわ。」
「ううん。マリアが私のために選んでくれたなら、何でも嬉しいよ。」
「そう言ってくれると渡しやすいわ。勉強熱心だから、これからの役に立つだろうと思ったの。」
リボンをかけられた本。音楽に関するものだ。〔シキ〕の活動の中心を私が担うことをマリアも聞いたのかな。しっかりと読んで、マリアの期待にも応えよう。
「ありがとう。いっぱい勉強するね。」
「ええ。また何かあったら言ってほしいわ。きっと力になるから。」
恵奈が一度お預かりしますか、と聞いてくれるけど、嬉しい気持ちと一緒に持っていたいから断った。布の膨らみから推測すれば、私が持ち切れる量しかなさそうだから。
今度はラウラが私に差し出してくれる。
「マリアと相談して決めたんだけどね。」
「えっと、ありがとう。」
マリア同様に本だけど、『体幹を鍛えるためには』と書いてある。
「アリシアと一緒に働くなら危ないことも増えるかもしれないでしょ?もちろん、護衛はいるだろうけど、自分でも逃げたり時間を稼いだりできたほうが助かる確率は上がるからさ。連れてもらって逃げるにしても、そのあたりをしてたほうが都合よいこともあるだろうと思って。」
ラウラなりに私のことを考えてくれた結果だ。運動は得意ではないけど、一度読んではみよう。実行するかどうかはその後で考える。
最後は秋人から。もう布の下に何かが残っているようには見えないけど、何をくれるつもりかな。
「じゃ、俺からはこれ。」
雫型の飾りがついた首飾りだ。手を私の首の後ろに回して着けてくれる。視界の端に映る友兄がなんだか秋人を睨んでいる気がする。ラウラも不思議と嫌そうな口調で、文句を言っている。
「秋人、それ、さあ。アリシアや杉浦さんがあげるのとは、わけが違うんだからさあ。まあ、愛良ちゃんが喜んでるなら良いんだけど。」
「あらあら、ちゃっかりしてるわね。」
マリアも少し楽しそう。お兄ちゃんとエリスは微笑んでいるだけで、友兄やラウラの反応の理由を教えてくれない。
「さあ、これでお開きね。愛良、今夜と明日はゆっくり休んで頂戴。」
恵奈から籠をもらって、自分で持ってお兄ちゃんと一緒に部屋へ戻った。
「ねえ、お兄ちゃん。似合う?」
「良く似合ってるよ。良かったな、いっぱいお祝いしてもらえて。」
「うん。お兄ちゃんもありがとう。」
お着替えは恵奈に手伝ってもらって、お風呂でゆっくりしよう。今日は特別なことがたくさんあったから、いつもより早く眠くなってしまうかもしれない。
「一緒に入ろう、久しぶりに。」
「もう大人だろう?」
「四月からなの!」
今日は特別だから、お兄ちゃんと一緒にお風呂も入るの。本棚にマリアとラウラからの贈り物を、装飾品入れに友兄と秋人からの贈り物を片付けて、お風呂場に向かう。エリスからの手紙はお風呂上りにゆっくりと読もう。
一緒に浸かれば、お兄ちゃんは湯船の縁に腕を乗せて、足の間に座る私の頭を撫でてくれる。
「大きくなったな。」
「でしょ!」
ちゃんと私も成長している。それを分かってくれたのが嬉しくて体を反転させて抱き着いた。それなのに、声を上げて笑うと、すぐに自分の言葉を否定した。
「いいや、まだまだ小さいままだった。」
「なんで?」
「お兄ちゃんと一緒にお風呂に入ろうとするんだもんなあ。」
大人になったら入れないから、今のうちに入って、寝るのも今のうちにしておくの。もしかしたら、今日が最後かもしれない。
ゆっくりお話ししつつ、体を温めたら、今度はお部屋でエリスからの手紙だ。
神野愛良殿へ
陽光学園卒業おめでとう。これで君も晴れて未来へ向けての一歩を歩み始めることとなる。それにあたっての注意事項三点を記そう。祝いの場では言いにくいことも混ざっているが、気落ちしないでほしい。
最初に、私に対する呼び方だ。私はあくまでアリシア・サントスだ。今後はアリシアと呼んでほしい。エリスは〔シキ〕として活動する際の呼び名だと理解してくれると嬉しい。
次に話し方。日常的には今のままで構わないが、対外的に君は私が雇っている音楽家になるため、礼儀に則った態度にする必要がある。秋人がサントス邸内と、他者が介在する場で態度や言葉を使い分けていることと同じだ。
最後に、屋敷における君の扱いだ。今までは客人だったが、これからは家の人間になる。少々特殊な立ち位置ではあるが、今までほど恵奈や秋人を君だけのために使うことはないだろう。
アリシア・サントスより
とても堅い手紙だ。きちんと覚えていなければいけない内容のものだから、二度三度と目を通す。今までみたいに甘えてばかりではいけないということだね。
「お兄ちゃん。私、エリスには、ううん、アリシアにはきちんと大人って思ってもらってるよ。というか、今から大人になりなさい、ってお手紙かな。」
アリシアからの手紙をお兄ちゃんにも見せる。熟読して、お兄ちゃんも嬉しそうにしてくれる。
「そうだな。アリシア様らしいよ。ありがとう、愛良。」
幸せな気持ちでいっぱいになるけど、今日することが全て終わって、欠伸が出てしまう。
「今日はもう寝ようか。」
「うん、寝るのも一緒ね。」
「はいはい。」
同じお布団に入って、横になる。しがみつくようにすれば、しっかりと背中に腕を回して抱き締めてくれる。包み込まれている感覚がして、とても安心できる。
「あのね、この前、友兄と一緒にお布団に入ったの。だけど、お兄ちゃんみたいにはならなかったんだ。全部抱き締められないの。」
「それはまあ、体格的に仕方ない部分はあるだろうな。」
苦笑を浮かべながら、私を寝かしつけようと背中を優しく叩く。そこまで小さい子ではないけど、一緒に寝るのはしばらくなくなってしまうから受け入れる。大人になったら家族とは一緒のお布団では寝ないとも聞いたことがあるから。
一定の間隔で叩かれて眠気に襲われるけど、それに抗って話を続ける。
「大人になっても、家族じゃない人なら、一緒に寝るの?」
「それはもっと大人になってからだな。そういう人ができたら、俺にも教えてくれるか。」
「うん?アリシアとか秋人は違うの?」
背中を叩く手が止まる。目を開ければ、私を驚いたように凝視していた。
「もうそんな関係になってるのか?」
「えっとね、これからアリシアのお家に住むでしょ?一人で寂しいなって時でも、家族とは一緒に寝ないなら、アリシアか秋人かなって。体格の話なら、秋人がお兄ちゃんみたいかな、って思ったの。」
「ああ、そういう。アリシア様は良いけど、秋人君とはまだ先にしておこうか。」
ほっとした様子のお兄ちゃんに頷いて、また目を瞑る。アリシアとだったら、友兄と同じようにしかならないだろうけど、一人よりは寂しくない。
今度は眠気に抗えなくて、特別な一日を終えた。