バルデス共和国
最初の演説の時のような衣装で、城下の人々に向けて演説を行う。今度はアルバレス公爵を始め、協力者の方々が用意してくださった拡声器を用いて、より多くの人に声を届けられる。
既に多くの人が集まっており、何を言うか知っている様子だ。他の領都で行った演説の内容が商人などを通じて広まっているのだろう。どこか浮ついた空気で、二人が話し出すのを待っている。
「みなさん、お集まりいただきありがとうございます。」
愛良ちゃんも少し慣れた様子で話し出す。他の街でもしたような話が二人からされていき、最後に少しだけ異なることを二人揃って言う。
「王弟ラファエル、王妹モニカの名において、ここにバルデス共和国が建つことを宣言します!」
紙吹雪まで飛ぶのは、明らかに誰かがこの場を盛り上げるために用意し、そうするよう指示したからだ。それでも、その雰囲気に釣られて人々が好意的にこの宣言を受け入れてくれるなら構わない。この後、この国を出てしまえばもう、私たちには関係のないことだ。
関心のない人には盛大な茶番に見えることだろう。だけどその茶番のおかげで愛良ちゃんがこの国や自分の素性に関して何も抱えずに済むのだから、私はこれを誰にも邪魔はさせない。
不穏な動きをする者には制裁を。
「ちょっと行ってくる。」
「気を付けろよ。」
小声でのやり取り。小柄な私が影でそっと動く程度なら目立たないから。
家の影に隠れて、小さな銃を構える女。そんなものでは即席の壇上に立つ二人には当てられないだろう。しかし、銃声がこの場を台無しにすることは考えられる。
背後から口を塞いで、間違って発砲しないように気を付けつつ銃を取り上げる。この場を血に染めることも、宣言の場に傷をつけることになる。捕獲し、後の尋問や処罰はこの国の人に任せてしまおう。最悪、死んでしまっても構わない。
手足をばたつかせて抵抗するが、本格的に体を鍛えた人間ではないようで、一般的な女性の力しかない。簡単に抑え込んで、首を絞める。意識を失えば、取り上げた銃の他に武器の類がないことを確認して、警備の兵士に回した。
持ち場の戻った時には、もう壇上から二人は降り、愛良ちゃんが目で私を探していた。
「ただいま戻りました。」
「もう、ちゃんと見ててって言ったのに。」
「見ておりましたよ。立派な演説でした。」
この後はもうこの国の人に託された。共和国となった以上、愛良ちゃんと杉浦さんが国に関わる必要はない。だけど、アルバレス公爵の忠誠心は変わらないらしく、この国を出ると告げた二人を引き留めた。
「私たちは元々、これ以上巻き込まれないために、この国を去ってから手にしたものを失わないために、共和国の宣言に来ているのです。終わったのならもう、ここに留まる理由はありません。」
「でしたらせめて、どこでどうされているのかだけでも、」
「関わらないために、全てを伏せさせてください。最初から存在しなかったのです。それで納得できないなら、再び死ぬのです。王族のラファエルとモニカは。」
アルバレス公爵はなおも食い下がり、旧王族として相応しい待遇を、とか何とか言ったけど、杉浦さんと愛良ちゃんが頷くことはなかった。
「――分かりました。出国に関してですが、バルデス国内の港は避けたほうがよろしいでしょう。エスピノ帝国との国境まで、送ることは許していただけますか。」
まだ何が起こるか分からない。そういった配慮だろう。国境までなら、と杉浦さんも送られることを受け入れた。
アルバレス公爵が退室すれば、部屋の緊張は緩む。愛良ちゃんもいつも以上に杉浦さんにくっつき、兄様と呼んで甘えている。愛良ちゃんにも姫としての時間が最後になると分かったからだろうか。名残惜しいというよりも肩の荷が下りたといった雰囲気で寛いでいる。
「少し休んでから出立してもよろしかったのではありませんか。」
「俺は早く離れたいんだ、ここを。」
「私もそろそろ寂しいから。」
愛良ちゃんにはお兄ちゃんと呼ぶ優弥さんもいるから会いたいのだろう。二人とも明日出立することを希望し、すぐさま用意してくれるという話になっている。
送られる都合上、私たちも護衛としての立場は崩せない。国境を超えるまではこの話し方と態度のままだ。
「ねえ、もう終わったのに、まだ駄目なの?」
「国境を越えるまでは我慢していただけますか。」
「うん。あのね、私、分かったことがあるの。お姫様ってお話の中みたいに素敵なものじゃないんだね。だって、お姫様でいる時のほうが好きなことできないし、寂しいもん。」
危険もあったため、酷く行動が制限されていた。自由に出歩けず、私たちとの会話にも気を遣う必要があった。
「帰ったら、たくさん遊びましょうね。お家の方も待っておられますから。」
「ラウラもね。秋人も兄様も、ちゃんとただいまって言ってあげないとダメだよ。」
「分かっております。」
秋人はエリスにしっかり報告することになっているだろう。私も多少は伝えるけど、ほとんど任せてしまって良い。マリアにどこまで話して良いかだけ確認させてもらって、なるべく伝えられるよう交渉だ。今度こそ負けない。
今後の展望が見えて、愛良ちゃんはもう帰るのを楽しみに笑っている。しかし、杉浦さんは俯いて、あまり嬉しそうにはしていない。
「俺にはただいまなんて言う相手いないからなぁ。」
巻き込まれたくないから皇国に戻りたくはあるけど、とでも言いそうな雰囲気だ。友人くらいはいるだろうに、家の人と言う言い方だったからか思い当たる相手がいないようだ。だけど、愛良ちゃんはそれとは違う考えを持っているようで、励ましにかかる。
「いるでしょ?今、一緒に住んでるのに。」
「一時的にお世話になってるだけ、な。」
スコット邸に滞在しているから、杉浦さんからもエリスに言えるだろうということか。言いたいとは思えないため、一応言う相手はいる、という話にしかならない。長く舞台にも上がっていないわけだから、待っている人は多いだろうけど、それは違うのか。
「もう、また兄様は。物もらった時もありがとうって笑って受け取ってあげるほうが遠慮するより喜んでくれるんだよ。」
「それは帰ってから聞くよ。」
ぎゅっと愛良ちゃんを抱き締めるけど、どこか寂しそうにも見える。いっそスコット邸に住んでしまえば解決しそうな気もするけど、本人は嫌なのか。一方で、色々私物は持ち込まれているため、そのつもりもあるのかもしれない。いずれにせよ、帰ってからエリスと話し合うことだろう。私は結論を聞くだけで良い。
「さて、お二人はもうお疲れでしょう。俺たちは部屋の前におりますので、何かあればお呼びください。」
「えっ?一緒にいたらいいでしょ?」
「寝る横で話されては眠れないでしょう。姫、今は興奮して気付いておられないかもしれませんが、そのお体はお疲れのはずです。」
「う、うん。分かった。」
部屋から出れば、演説終わりの話を聞かれる。
「ちょっと怪しい奴がいてね。」
「自分で向かった理由は?」
「伝えるより早いと思って。確実に捕まえることより、発砲させないことを優先したかった。」
伝えている間に見つかったと気付かせて、捨て身の発砲を行わせたくなかった。一人でさっと言って戻ってくるほうが、相手に気付いていると勘付かせずに済む。
「分かったけど、何かあったら姫も殿下も悲しむからな。」
「気を付けるよ。」
その場を任せて、私も休憩に入らせてもらった。明日、すぐに発つなら支度を整えておかないと。
旅路は問題なく進み、バルデス共和国とエスピノ帝国の国境に差し掛かる。
「私共はここまでとなります。」
「いえ、ありがとうございます。」
「またお会いできる日を、楽しみにしております。」
軽く手を振ることで答えた二人。戻ってくる気はないのだろう。
馬を二頭だけもらい、またエスピノの港を目指す。行きとは違い、緊張感のない帰路だ。付けられた護衛の人たちが見えている間は下手な動きができないけど、もう姫や殿下と付き人ではない私たちに戻れる。
「ね、もういい?」
「一応見えなくなってからね。」
そこまで姫として大きく態度を変えていたように見えない愛良ちゃんだけど、それでも気を遣っていたのか、早く元に戻りたいと主張した。杉浦さんはどうせ後ろからは見えていないのだからと気を抜いているけど、愛良ちゃんにそんな器用さはないらしい。
「もう良いよ。愛良ちゃん、お疲れ様。」
「はぁ〜、お姫様ってすっごく大変だね。」
少し私に体重をかけてくる。帰ったらしばらくはゆっくりさせてあげたいけど、学園のことも考えるとそうはいかないかもしれない。今年度はほとんど通えていないのだから。最悪、もう一年通うことになるが、それにはお金の問題もある。エリスに頼めばどうにかしてくれるかもしれないけど、やはり要相談だ。
「もう少し行ったら休憩しよっか。ねえ、良いよね。」
「了解。こっちもだいぶお疲れみたいだから。」
皇国の平民として生きてきたのに、バルデスの王族として扱われたことで精神を疲弊したのだろう。後はもう帰るだけのため、できる限り二人の意に沿うようにしてあげよう。
何事もなく港に着き、船に乗り、虹彩皇国の皇都である彩光に辿り着く。オルランド邸に帰り着けば、〔聖女〕からただのマリアに変わったばかりのマリアと鉢合わせた。
「お帰りなさい、ラウラ。」
「うん、ただいま。だいぶ遅くなっちゃったね。」
ふわりと抱き締めてくれる久しぶりの柔らかな感触に、張り詰めた緊張が解される。私は守る側だったから、気を抜くことなんてできなかったから。
「大冒険だったわね。」
「もう色々あったんだよ。全部話したいけど、一応エリスにも伝えて、どこまで話して良いか交渉してくるから、それまで待ってて。」
「ええ、楽しみにしているわ。」
だけど今日はお休み。交渉は明日からだ。私も自分へのご褒美の時間がほしいから。
「すぐに戻ってしまうの?」
「ううん。今日はマリアと一緒にいさせて。」
「もちろんよ。私もラウラといたいわ。お話しできなくても、傍にあることが心を落ち着けてくれるのよ。」
穏やかな会話も、帰って来た実感を与えてくれる。
こうして帰還できたのは、実に九か月ぶりのことだった。