老婆の昔語り
「老婆の後悔を、聞いてくださいますか。」
そうして始められたのは、サントスがバルデスを支配し始めた頃の話だ。
「戦争の結果でした。ですが、納得できない貴族は多く、それを収めるため、サントスは王族を幼い王女を残して皆殺しにしました。他の貴族に関しても同様に。そして、何の教育も施されていなかった末の姫や令嬢を自分たちに都合よく教育し、その地の領主にしていきました。」
服従せざるを得なくなるように、サントスの機構に組み込むために。
「自ら地位と身分を捨て、自らの娘に譲ると宣言した当主もいたそうです。しかし、その宣言は受け入れられず、全て例外なく殺されました。後に続く、自分たちの思いのままとはいかない支配を記録に残しました。それを、私たちは語り継いだのです。」
親兄弟を殺されたのだろう。今生きている人が覚えていることではなくとも、恨みを語り継いだことで、直接経験したわけではないのに自分のことと勘違いしてしまったのだろう。
「それらは旧バルデス王国を夢見させました。父母、祖父母の愛した自分たちの国を、という想いもまた、私の中に残っています。」
国を愛する気持ちは私に理解できるものではない。ヴィネスでは帝国など意識せず、皇国でも国より教会に帰属意識がある。その上、私は教会に対する愛でそこに所属しているわけではない。ひとえにマリアがそこにいるからだ。
「その強すぎる想いが、サントスと手を取ろうとされるベアトリス陛下を死に追いやり、アルセリア陛下を憎き敵の手に直接かけさせてしまったのです。」
一息ついて茶を飲まれる公爵。しかし、二人とも口を挟めずに黙って聞き続ける。
「全てが王を中心に回っていました。サントスに借りを返すべきだと主張しつつ、王の決定を待っていました。その決定が気に食わないものであれば、その王さえ弑したのです。その結果、アルセリア陛下はサントスに無謀な戦争を仕掛けました。ただ一人、全ての罪を背負われて、私たちの主張する反サントスを実行すればどうなるかを、その身で示されました。」
見る人が変われば違って見える。そんなマリアの主張がよく分かる。アルセリア女王が誰かのために、戦争を起こしたように聞こえた。
「そんな悲劇が起こってしまったのは、私たちが自ら決定し、行動を起こさなかったからでしょう。ラファエル殿下、モニカ殿下。私共はその決定に従いましょう。これからは、貴族たちが協力してこの国を治めるのです。領地の中だけではなく、国としての形を留めるために。」
とても好意的に思ってくれている、という結論のようだ。公爵の心の中で何が起きているかなんて分からないし、分からなくても良い。ただ、私たちの行動を支援し、二人に危害を加えないのなら。
「長くなってしまい、申し訳ありません。」
「いえ、貴重なお話を有難うございます。ですが、モニカには少々難しかったようです。」
杉浦さんに凭れ掛かり、静かな寝息を立てている。起きていれば理解できただろうけど、眠くて聞いていられなかったのだろう。
「年寄りの昔話など、そのように聞くものです。部屋に案内させましょう。」
「ご、ごめんなさい。寝てました。」
杉浦さんに軽く肩を揺すられて、目を覚ます。正直なことだ。
寝室に案内される途中、愛良ちゃんはふらふらとした足取りで可愛い要求をした。
「私、兄様かラウラと一緒に寝たい。」
私たちにとっては有難い要求だ。護衛の負担が減るか、確実に近くで守れるかになるのだから。
「初めての場所で一人は不安だよな。ラウラ、モニカを頼む。」
「畏まりました。」
杉浦さんのほうも同じようにしたほうが安全だけど、自分から要求はしないだろう。どう対処するのだろうと見ていると、秋人は自分から声をかけた。
「ラファエル殿下もご不安でしょう。私が傍についております。」
「え、いや、俺は」
「ご不安でしょう。」
良い笑顔で繰り返す。杉浦さんの対応によっては処罰ものだけど、愛良ちゃんが私と寝たいと要求したことでそういったことも許される信頼関係を築いていると相手は今のところ思ってくれている。ここで杉浦さんが受け入れれば、何の問題もない発言となる。断ることも可能ではあるが、秋人はそれを許さない雰囲気で話している。つまり、思いやって提案しているようでいて、実は杉浦さんに拒否権がない。
ただし、一度拒否しようとした発言をどう誤魔化すかは問題になる。まだ私たちは公爵と何の信頼関係も築けていない。王家に対する忠誠心はあるようだが、私と秋人が何かを強いていると見られる可能性は残っている。
「そ、そう、だな。妹の前ではやめてくれ。」
「これは失礼いたしました、ラファエル殿下。」
嫌がらせでもしているのかと思うほど、秋人は楽しそうだ。エリスがアリシアだと知って仕えていたようだから、そういった立場の人の扱いには慣れているのかもしれない。自分の立場を賭けてのからかいだけど。
ただ、杉浦さんの誤魔化し方には感心する。確かに、見知らぬ場所が怖いと妹の前で言われるのは抵抗があるだろう。
それぞれの部屋に入れば、もう互いの様子は分からない。何かを仕掛けるなら分断したこの時だ。
愛良ちゃんはもうこの家を信頼したのか、スコット邸にいる時のように入浴し、布団に入る。半分眠っているような状態のため、分かっていないだけかもしれない。
「ラウラぁ、いっしょにねないの?」
「主人と一緒に眠るわけには参りませんから。こちらのことは気にせず、ゆっくりお休みください。きちんと、傍におりますから。」
「うん、おやすみぃ。」
「お休みなさいませ。」
どこで誰が聞いているか分からないため、寝室でも話し方も呼び方も変えられない。寂しい思いをさせてしまうかもしれないけど、こればかりは仕方のないことだ。せめてと軽く手を握っていた。
翌日、昼過ぎになって愛良ちゃんはようやく起きる。昨夜は朝日が昇る直前くらいまで話していたため、仕方のないことだろう。
「疲れは取れましたか。」
「うん、もう元気。兄様は?」
「着替えてから会いに行きましょう。」
用意していただいた服を着せていく。愛良ちゃんに良く似合う可愛らしいワンピースだ。一部にはフリルもついているが、貴金属の類は付いておらず、色合いも派手ではない。
「良くお似合いですよ、姫様。」
「ありがとう、嬉しいな。じゃあ、兄様は王子様っぽくなってるのかな。」
ワクワクした様子の愛良ちゃんと一緒に向かうも、不在。もう食堂まで案内されているのかもしれないと、そちらに向かってみる。
「兄様は王子様っぽいのじゃない?」
「モニカ、先に挨拶だろう?」
「おはよう。見て、これ。可愛いでしょ!」
愛良ちゃんの想像する王子様っぽいがどのようなものか分からないけど、杉浦さんの服装は愛良ちゃんのワンピースと対で設計されたのだろうと想像させるような物だ。同じような淡い色使いに可愛らしい雰囲気で、並んだ時が楽しみになる代物となっている。
私と秋人の服も急であったにも関わらず用意していただいた。こちらは護衛として動きやすく、王族の侍女や侍従として相応しい品格を持った物、と言って渡していただいた。どうやら、以前の私たちの格好は品格の面で不合格だったらしい。
「ああ、モニカには良く似合っているよ。」
「兄様も可愛いよ。」
「あ、ありがとう。」
完全に苦笑だ。嬉しくはないらしい。
食事を終えればまた、公爵とのお話だ。今後の具体的な予定を話すことになっている。問題は、ここまでの旅路を具体的に決定してきたのが私と秋人であり、この話し合いで口を挟める立場にないことだ。二人が意見を求めてくれれば発言できるが、あちらがこちらに都合の悪い決定をしそうでも、二人が何も言わなければ私たちも止められない。
そんな懸念を二人に伝えることなく公爵の待つ部屋へ向かう。対で設計された上質な服に身を包み、並んで歩く二人は、誰が見ても仲の良い兄妹だ。
机の上には既に地図が広げられている。それを見る公爵が言葉を発する前に、杉浦さんが話しかける。
「アルバレス公爵、色々としていただきありがとうございます。」
「この程度、当然のことです。」
「この服に関してですが、なぜ用意できていたのでしょう。大きさも合っている物がたまたまあっただけ、なんておっしゃいませんよね。」
クスクスと少女のように公爵は笑う。杉浦さんが真っ先に服に言及したのが面白かったのだろうか。
「殿下をお見掛けした人と話したのです。もしやと思い、用意させていただきました。ご不満な点がおありでしたか。アルセリア陛下も幼い頃は可愛らしい服を好んだものですが、成長されるにつれて好みも表情も変わってしまって。」
「せっかくのご厚意に何も言うつもりはありませんよ。モニカには、とてもよく似合っていますから。ただ何故用意できたのか、と疑問に感じてしまって。」
暗に不服を伝えている気もするけど、表向き不満ではないということにするらしい。選ばれる服の傾向は変わらないだろう。面白いから教えてあげるつもりはないけど。
「ラファエル殿下にも、よくお似合いですよ。」
「……ありがとうございます。」
やはり嬉しくはなさそうだ。発言と表情が合っていない。
「話、始めて良いですか。」
「ええ、お待たせしました、モニカ殿下。」
事前に伝えていたため、自分から本題に入れている。
「まず、私たちはこの街で演説をします。その後は、大きな街を回って、最後に旧王都を新首都としてバルデス共和国の建国を宣言します。」
「現在のこちらの様子が分からないため、どこをどう通って、どのような順番で、などは決めていません。派閥の問題もあるでしょう。その辺り、助言を頂けませんか。」
「そうですね。お二人が行動を共にされるなら、最も警戒すべきは共和制派の過激派です。少々物騒な話ではありますが、お二人の命を狙っておりますので。」
女王制派と男王制派は、二人が仲良く行動を共にしているなら、どちらかだけを殺すことはしにくいだろうということだ。攫われる危険性はあるが、それは周りが気を付ければ良い。
共和制派でも誘拐を企む者がいるが、やはり周りが守り切れる。最も脅威となるのが殺してしまえ、と考える者たちということになる。周囲の人間諸共、という行動にもなり得るからだ。
「共和制派で過激派という情報が入っている領地は避けましょう。幸い、公爵位を預かっていた者の中に過激派はおりません。」
具体的な順番を決めていく。問題はここからだ。道順は地形の関係上、地図上では決めにくい部分がある。分かっている範囲でも馬を走らせるに難しい道を選ばれると困る。
「秋人、具体的にはどの道を通っていくことになる?」
「ラウラも。どう行くの?」
杉浦さんが呼んでくれて、それに合わせて愛良ちゃんも呼んでくれる。これで私たちも参加できる。そう安堵していると、公爵が微笑んでいた。
「とても信頼されているのですね。ここまでは馬で来られたのでしょう?ここからは馬車を出しますので、街道沿いを進むことになるでしょう。他の貴族たちにも、殿下のことをお伝えしてもよろしいでしょうか。」
非常にありがたい申し出だ。追っ手を気にしながらの旅路が、一瞬で正式な王子と王女の演説行脚に変わる。
一つ心配は、殺したい者たちにも所在が知られてしまう危険性だ。私たち二人では守り切れなくなってしまうかもしれない。
「本当に良い友人をお持ちです。護衛はこちらからも十分に付けさせていただきます。もちろん、一番近くで守るのはあなた方二人です。ラファエル殿下も、モニカ殿下も、お二人も、よろしいですか。」
警戒の視線を秋人と交わしたことに気付かれてしまった。こんな風に話しかけられるなんて、想定外だ。返事をしないのは失礼だけど、主人より先に答えてはいけない気がする。だから杉浦さんと愛良ちゃんの返事を待ったのだけど、二人とも私たちに判断を委ねている。
問題ないという意思を視線で秋人に伝えれば、言葉に気を付けつつ答えてくれる。
「私共は殿下方の身の安全に配慮していただけるのなら、異論はございません。」
「秋人とラウラが納得してくれるなら構いません。ここまで来るにも二人の力になりっぱなしですから。」
公爵家領や一部侯爵家領の領都、そして旧王都に向かい、それらの貴族と話し、民衆にも演説を行う。
「では、護衛のお二人にはまあ具体的な道順を示した地図を渡させましょう。」
「ありがとうございます。」
次は演説の内容だ。エリスとも相談して来ているけど、現在のバルデスの状況に即した内容かどうかには不安が残る。
「もう一つ相談があるのですが、よろしいでしょうか。」
「ええ、もちろんですとも。」
人々の多くはアルセリア女王に不満を抱いていた。今は憎悪に等しい感情を抱いている者もいるという。色々やらかしているため、不思議ではない反応だ。その人々に対して、共和制を歓迎してもらうための、演説を考えたい。
「今までも各領地での統治は行っていました。大きな変化は感じにくいでしょう。ですが、歓迎の雰囲気を作るための言葉なら作ることができます。」
統治者としての視点から作られていく演説の内容。私たちには慣れない物で、結局全面的に頼ってしまう。貴族としての話なら秋人がまだ聞き慣れているかもしれないけど、口を挟むことはできない。
「アルバレス公爵、これは嘘ではないのですか?」
「モニカ殿下。全てを正直に言うことが政治ではありませんよ。」
正直に生きてきた愛良ちゃんにとって、貴族として政治を行うことは苦痛を伴う。そう判断したから、エリスは二人を王にする気はないと言ったのかもしれない。
「ただ、必要なことも言わず、希望だけを見せる。そういうことですか、アルバレス公爵。」
「私たちも一緒に見たい未来です。分かりました、ここは表現を変えましょう。」
意外にも杉浦さんも演説の内容を真面目に考え、三人は人々を共和国としてのバルデスに熱中させる策を考えていった。