聞きたくもあるけど
翌週、土曜日。マリアが〔琥珀色の時間〕に行く日に、私はスコット邸へ向かう。この一週間で体調が改善していると良いけど。
「おはよう。二人の様子どう?」
「熱は下がったし、少しなら話してても大丈夫。まだ普通に歩くのは難しそう。」
こちらもしっかり休息を取れたようで、疲れた様子もない秋人が説明してくれる。お兄さんの優弥さんがお礼を言いに来たとか、愛良ちゃんの友達も見舞いに来ているとか。
「その友達ってさ、貴族の子?」
「当然。でないとスコット邸になんて来れない。優弥さんは俺から連絡入れたからその時に都合の良い日を、ってことで来れただけだ。」
愛良ちゃんのほうは、その子が帰ってからにしよう。一応〔聖女〕付きの聖騎士だから態度さえ気を付ければある程度は許されるけど、気軽な会話をできないことには変わりない。
「先に杉浦さんのほう行こうかな。」
「今日は来てないけど、さっきは寝てたからな。」
一度愛良ちゃんの部屋を覗くけど、やはり恵奈さんの手を握って静かに眠っている。これは邪魔しないほうが良いだろう。
杉浦さんの部屋の前で、秋人は一度立ち止まる。
「何も聞くなよ。特にバルデス関連とエリスさんの話題は出さないように。」
「分かってる。」
「間違っても向こうで聞いた別の名前の話はするなよ。手が飛んでくる。」
「分かった。」
意外に過激な人なのか。そんなに親しいわけではないけど、暴力的な部分は見たことがない。
簡単な注意事項を済ませると、扉をそっと開く。もう起きて活動できるくらいなのか、座って本を読んでいた。
「寝てれば良いのに。」
「おかげさまで、順調に良くなってるから。」
一週間でそこまで良くなるとは思えない。服もまだ緩いままだし、体は弱ったままのはずだ。
「無理しないほうが良いと思いますよ。」
「ラウラさん、ありがとうございます。とても、助かりました。」
今の言葉だけに対するものとは思えないほど、思いの込められた言葉。続いて頭まで下げられる。バルデスのことも含んでいたのだろう。
「愛良ちゃんを助けるついでです。まあ、杉浦さんも知り合いですから、放っておくのは寝覚めが悪いですけど。」
「だけど、ラウラさんには何も知らされていないんですね。」
秋人も驚いた様子を見せているから、私が知りたがっているのを伝えたのは秋人ではない。隠そうとしたエリスから伝えるとも思えない。侍女の恵奈さんが伝える理由なんてあるだろうか。
「俺から伝える予定なんだ。友幸さんの体調が戻り次第、その時間を作って」
「今で良い。話せるくらいにはなってる。ラウラさんも、気になるのでしょう?」
気になる。けど、エリスから連絡を入れるとも言われている。ここで聞くことは、エリスとの約束を破ることにならないか。秋人にも聞けない。エリスの話をするなと言われたことに了承の意を返してしまったから。
「え、と。気にはなります、けど。」
「エリス様、いや、アリシアから何か言われましたか?」
自分から話題に挙げた。それなら私も話して良いだろう。アリシアだけ呼び捨てなのも気になるけど、それも後で教えてもらう。
「話す時は連絡を入れる、と。」
「友幸さん、そろそろ休んだほうが良いんじゃねえの?まだそんなに治ってないんだから。」
秋人が体を支えて、本を取り上げる。エリスから何か指示を受けているのだろう。
「後回しにしたって解決しない。エリス様は俺と愛良を囲う気か?」
囲う。愛人として家に置く、という意味だろうけど、そんな仲には見えなかった。愛良ちゃんまで含まれていることも不思議だ。確かに可愛いけど、エリスはそんな扱いをしていなかった。
「治ってからにしよう、って言ってるだけだろ。」
「秋人、お前は何を命令されてるんだ?」
杉浦さんは秋人の胸倉を掴み、問いただす姿勢に入る。しかし、秋人はびくともせず、むしろ杉浦さんが体を起こす手助けをしている。
「何も。そんなに焦って話をする必要はないだろ。この屋敷の中に居れば安全なんだから。」
「俺は閉じ込められるつもりなんて」
ごほっごほっ、とむせる杉浦さん。少々興奮した様子になったため、秋人が水を飲ませて落ち着かせている。まだ病み上がりで無理はできないのだろう。この体調で外に出られるとは思えない。せいぜい庭を散歩する程度だ。
閉じ込めているわけではないように見えるけど、何も知らない私が口を挟んで良いのか判断がつかない。その上、外が危険ということは、やはり二人が狙われる特別な理由もあるということ。その話をしてくれるつもりだとは推測できても、体に負担をかけてまで聞くべきこととは思えない。
「私は後でも良いです。急がないので。」
「俺は急ぐんだよ。アリシアからならどう事実が歪めて伝えられるか分からない。」
アリシアつまりエリスへの不信感が露わにされる。色々理由を付けてエリスの誘いを断っていたのは、基本的に信用していなかったからか。愛良ちゃんは何も言わなくなっていたため、愛良ちゃんの前でだけ取り繕っていたのかもしれない。
落ち着いて座りなおした杉浦さんが口を開こうとすると、また秋人が話を遮る。
「待って。話しても良い。良いけど、一応エリスさんにも伝えておきたい。」
「必要ねえよ。俺の話なんだ。行きたきゃ勝手に行け。」
私が本当に聞いても良い話なのかと思うほど不穏な空気だ。秋人もそれを察知したのか、諦めたように部屋を出た。追い出したはずの杉浦さんもなぜか傷ついたような表情を浮かべている。
「えっと、戻ってきてからにします?」
「いや……。」
話したいことがあるはずなのに、黙り込む。私が知っている範囲を伝えたほうが良いか。
「エリスがアリシアであることは、先週本人から聞きました。それ以上は杉浦さんや愛良ちゃんの素性に関わるからと断られてしまいましたけど。」
「そうですか。俺がラファエルと呼ばれていたのは聞いていましたか。」
「はい。」
奴らはそう呼んだ。
「バルデスの、いや、先にバルデス史から始めないと。ラウラさん、学園で習いましたか。」
私は世界史が得意ではなかった。だけど、余計な体力の消耗を抑えるためには、全て話させるより間違った箇所を訂正してもらったほうが良いはずだ。
「第六次サントス―バルデス戦争で、バルデス最後の女王アルセリアをサントスの姫将軍アリシアが殺したというのは知っています。あと、無駄に話さないほうが良いと思うので、敬語じゃなくて良いですよ。」
丁寧に話そうと心掛けると余計な心労に繋がり、不要な言葉まで発せさせる。まだ休養を必要とする人にこれ以上無理はさせられない。
時期的な問題を美華の話から考えると、その頃にはもう、杉浦さんは皇国にいた。アリシアはその翌年、私とマリアと同じ船でエリスとして皇国に渡っている。
「ありがとう。もっと昔の話なんだ。百年ほど昔のバルデスは、男系男子が王位を継ぐ王国だった。サントスから独立した新バルデス王国との区別のために、旧バルデス王国と呼ばれて、」
また咳き込んでいる。少し失礼して、体を支え、水を差し出す。本も持てていたし、私にかかるコップの重さも減っているが、一応、そのまま秋人がしてやっていたように飲ませてあげる。
呼吸を整えるのを待っていると、秋人が戻ってくる。
「今、旧バルデス王国について聞いたとこ。」
「ああ、じゃあ続きは俺から。友幸さんは、寝転んでるほうが楽?」
返事はないけど、強い視線で拒んでいる。身寄りもなく一人で役者として生きて来たなら、多少気がきつくないとやっていられなかったのだろう。こういう面があると、美華には次に会う機会があっても教えないでいてあげよう。
「約百年前、旧バルデス王国は第五次サントス―バルデス戦争の結果、領土を失い、本土がサントス王国の支配下に落ちた。当時、大陸最大のエスピノ帝国とも同時に戦争を行っていたし、それまで大陸では何度も戦争が繰り返されて、国が幾つも滅んでいたから、珍しいことじゃなかったんだろうな。」
北部にあった国がどんどん領土を拡大して、西部でも小競り合いが起きて、というのは私も覚えている。自分の住んでいた場所の話と思うようにしていたけど、やはり身近には思えなかった。
「サントス王国は旧バルデス王国領を幾つかに分断し、女系女子を基本として旧バルデス王国の王侯貴族に各地を支配させた。当然反発も大きくて、反サントスの人間も長く残ったままになった。」
男系男子の王国が、女系女子の国の一部に。家を継げるかどうかで勉強の内容や厳しさが変わるという話は聞いたことがある。皇国では第何子という形で、一番上のお兄さんやお姉さんが一番厳しく勉強させられるという話だった。だけど、急に継ぐはずだった人が変わっても対応できるとは思えない。だからこその反発なのか。
説明の続きを待つと、杉浦さんが教科書には載っていないことを語り出す。
「そして二十五年ほど前、未だ独立バルデスを夢見る人も残した旧バルデス王国領で、最後のバルデス王家の血を引くバルデス侯爵の腹から、男女の双子が生まれた。だけど、表向きは女児のアルセリアだけが生まれたことにされた。」
王位継承争いを防ぐため、双子の片方が殺されることも珍しくない。そう学園の先生は言っていたけど、歴史書には残らない事実のため、本当に双子が生まれていたのか、非道を強調するためにそんな逸話が残されているのか、判断がつかないそうだ。
「ラファエルのことは殺しもせず、守るためと嘯いて、一つの部屋に閉じ込めた。」
杉浦さんの年齢は知らなかった。だけど、二十五歳と言われれば信じられる程度はある。しかし、それ以上その時代の話はせず、また時間を飛ばした説明を続ける。
「それから八年、今から十八年ほど前、バルデス独立戦争を経て、新バルデス王国が独立した。独立したての混乱の中、第二王女モニカは生まれた。だけどそれも第一王女の立場を盤石とするために閉じ込める気で、それを指摘した王子を諸島部に捨てた。次代の女王に何かあった際の身代わりとして第二王女は隠し、都合が悪くなったから存在しないはずの王子は遠くに捨てた。」
どこか他人事のような調子で、淡々と説明していく。長く説明しているからか、少々呼吸は荒い。水を飲ませるけど、これ以上話す気はないらしく、秋人に視線で説明の続きを促している。
「約七年前の第六次サントス―バルデス戦争で、エリスさんは、女王アルセリアを殺害し、その際、隠された王女モニカを発見、保護した。愛良と名付けて、優弥さんの妹としてバルデスから身を隠させたんだ。」
愛良ちゃんの協力もないと成り立たない。愛良ちゃんは前までモニカと呼ばれたことを隠していた。別の名前で呼ばれていたことなんて、一度も聞いていない。
「そして約六年前、エリスさんはアリシアであると伏せて、皇国に来た。それからはラウラも知ってるよな。」
まだ気になることは多いけど、これ以上の説明をさせるのは、杉浦さんの体に負担をかけすぎることにはならないか。そう考えて、色々な疑問を押し込めて、簡潔な質問に代える。
「うん。それで、その隠された王子と王女が連れ戻されたって形なのかな。」
「簡単に言えばそういうこと。旧バルデス王家の血を引くのがもう、二人しかいないそうだから。」
旧バルデス貴族に少しくらい、王家の血が流れている人はいないのか。家系図がないから辿れないのか、直系以外は根絶やしなのか、どうしても直系が良いのか。根絶やしにしたとするならエリスの国サントスのほうになるけど、エリスには確かめ辛い。
そろそろ限界の近そうな杉浦さんが、憎々し気に今回の事件がまだ解決していないことを示した。
「俺をラファエルとして男王にするか、愛良をモニカとして女王にするか。どちらも脅して共和制を宣言させるか、どちらも殺して共和制にするか。自分たちの権力争いに、愛良と俺を巻き込んだんだ。」
両方痛めつけられていたなら、捕えていたのはどちらかを王にしたい派閥ではない。二人が殺されず怪我をし、衰弱していたのは脅されていたから。そして、あの様子から察するにまだ宣言はしていない。そして死んでいないため、まだ狙われているのだろう。
エリスは間違いなく愛良ちゃんを心配している。家に帰さないのは優弥さんが仕事で付きっ切りとはいかないことに加え、スコット邸のほうが確実に守れるから。杉浦さんのほうは分からないけど、スコット邸のほうが安全なのは間違いない。
エリスの意思を、杉浦さんに伝えるべきだ。エリスは守るために、スコット邸に留めているだけ。
「杉浦さん、エリスはそれから守ろうとしてる」
ガッと予想外の力で服を掴まれる。そうはいってもその手は震えており、あまり強くはない。
「巻き込んだんだよ……!アリシアが来なければ、見つからなかった。接触しなければ、疑われなかった。俺たちがいったい、何をしたって言うんだよ!」
涙目になっていることには気付かないふりをしてあげるべきだ。だけど、何て声をかければ良いかは分からない。秋人に助けを求めれば、私を掴む杉浦さんの手を外させた。
「ラウラ、愛良のほう見に行ってやってくれ。」
「分かった。」
不用意な発言で刺激しないように、言葉少なに返す。酷く乱れた呼吸で苦しそうに咳き込む杉浦さんの体も心配だけど、私は愛良ちゃんの部屋に向かった。