10分の映画
ある時、こんな夢を見た。
場所は暗く、少し寒い初夏のある平日。
寒いというのは部屋にいるからであって少しずつ太陽が自分をアピールし出す、そんな時期だった。
俺は平日に休みが取れたので、映画を観に行くことにした。
何度も書くが、さすがに平日とあって人は少ない。それどころか通り過ぎる人はほぼ皆俺を見ているような気がする。
それは自意識過剰だからではなく、20歳をすぎた若い男が一人で映画館のロビーを歩いているからだ。
朝決まったことなので予約はもちろんとっておらず、その場でみる映画を決めて席を取った。
よく映画にはポップコーンとジュースが必要だと聞くが、俺はそうは思わない。
何しろ、最近の映画館で売ってる食べ物や飲み物は値段が高いのだ。それにプラスして映画代も高い。まんまと嵌められた気がするので、ポップコーンだけは買わないようにしている。
選んだ映画はファンタジーとラブコメを足したような、言わば、ブラックでもない、ミルクでもない、そんな甘苦いコーヒーのようなものなはずだった。
なぜ"ものなはずだった"という仮定形を用いているのかというと、本当はブラックだったからではなく、(もちろんミルクだった訳でもない)この映画に関する記憶がなかったからだ。
おかしな話だと思う。まぁ当たり前の反応だ。
映画というと大半の人は2時間くらいあるものだろうと思うはずだ。俺もその一人に入る。
しかし、シアターに入ってから出るまでにかかった時間は僅か10分。これは紛れもない事実だった。
そしてその10分間、つまりその映画についての記憶が全て消え去ったのである。
内容がつまらないからとかではなく、寝てしまったからでもない。何故か卵焼きの真ん中だけが抜けてしまったように、映画についての内容がすっぽりと脳みそから無くなったのである。
シアターを出てから俺は何を見たんだ?という気持ちに駆られ、半券を確認し、その映画を検索する。
それを観た者にとってとてもおかしな行動であることは承知済みなのだが、気になって仕方がなかったのだ。
そしてその結果、先程のような仮定形の表現になってしまったという訳である。
そこで、俺はあるの事に気づいた。
先日読んだ記事によるものである。
「人間というのは苦しい時間は経つのが遅く感じ、楽しい時間はすぐに過ぎ去っていくと感じるものである」
というものだ。
つまり、10分というのは映画を観ている楽しい時間であり、それが短く感じる事によってその時間自体が脳内から消えてしまったのではないか。
俺はそう考察した。
別に2時間が10分に、1時間が5分、と少なくなり、10分は楽しい記憶として残らないと明記されている訳では無い。
しかし、そう考えてしまわないと俺自身納得出来ず、益々考え込んでしまうので、そう思うことにした。
..................ハッ!
俺はある重要な内容を思い出した。それはこの奇妙な現象の謎を全て解決することが出来、尚且つこの話の落ちを作ることができる内容だ。
それは冒頭にあったある一文を読んで欲しい。
「ある時、こんな夢を見た。」
「さて、楽しかった休日は夏の氷のように溶けて平日だ。朝の準備をするとしよう。」
そう言って俺はパジャマを脱いだ。