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第八話 おきつ

 都へ行かなければならないので、若い母子の成り行きを見届けるまで待っているわけにもいかなかった。ことの顛末を知りたいという欲求はあるが、それが叶わぬというのは、生きている内ではよくあることだ。


 それよりも気掛かりなのが、アテルが若い母親に着物をあげてしまったことだ。あげた着物は寒くないようにと、特段厚手に仕立てられた上等な代物だった。イカが何杯だろうと交換できる品物ではないのである。


 ここは一言だけどうしても言っておく必要がある。

「お前は交易をしたことがないから分からんと思うが、物には相場っていうものがあってだな、勝手に取引をすると悪い方の評判だけが方々に流れて最後まで残ってしまうんだぞ。ほら、あの母親も言ってただろう? 相場を荒らすと仲間外れにされるってさ」


「あれは交易なんかじゃないもん」

 アテルが俺を見上げて言った。


 今は俺が馬上にいる。これから坂道が増えるので、平坦な道は俺が馬に乗り、傾斜がある道はアテルが乗ることに決めたのだ。ハヤタは不満がないようで、黙ってついて歩いてくるだけだった。


「言ったでしょう? きっとお母さんだって放っておけないって」

「だったら父親はどうなんだ? 心の中で怒ってるんじゃないのか?」

「それはそうだけど、お父さんに怒られるより、お母さんを悲しませない方がましだもん」


 それ以上は俺がとやかく言うことではなかった。着物は俺のじゃないし、アテルは俺の家族でもない。同じ部族に属するが、生まれ育った村が違うので決まり事が多少異なるわけだ。そうなると村の人間に判断してもらうしかないのである。


「それにしてもイカと着物はないよな」

「まだ言うの? さっきから同じことを何度も何度も」


 しつこいと思われても構わない。


「何度も言いたくなるのは大事なことだからだろう。今回の一件は目をつむるとしても、勝手に交易なんかするもんじゃないんだ。村の人間はみんな足元を見られないように必死に交渉しているというのに、一人でも相場を崩す者がいると話がまとまらなくなるんだよ。豊漁や豊作だからといって相場を下げてまで儲けることはないんだ。一度でも相場を下げると、今度は正規の値だというのに割高のように感じてしまうからな。そうなると長い目でみりゃ実入りが少ないなんてことになる場合だってあるんだ。交易というのは本当に難しくてさ、渡来人の物品や技術で物価が乱高下してしまうことは知ってるだろう? 生産性や原材料の希少性によっても相場が変動すると言うしな。でも大事な点は、だからといって自分たちから進んで値を崩す必要はないということなんだよ」


 俺の話にアテルが笑いだした。


「あなたっておかしな人ね。馬しか持っていないというのに、自分が資産を山ほど持っているみたいに語っているんですもの。目の前に衣食住に困っている人がいるのなら、相場など気にするべきではないじゃない。というより、気にしている暇などないでしょうに。見えている人を前に、見えていないかのように振る舞うなんて、私にはできないの。そんなことは村の人だって許さないでしょう? それに、あの時助けてあげればよかった、なんて後で後悔したくないんですもの」


 アテルの言う通りだ。反論の余地がないほど心得た言葉である。ただ俺の考え方だって間違っているとは思わなかった。それでも衣食住と相場の関係性に考えが至らなかったのは頭が悪いと思われても仕方がなかった。


 衣食住にも嗜好品と必需品が混在している、というのが相場をややこしくしているのかもしれない。俺らの村には無縁の話だが、領主がいる地方では貢租の差で揉めるというのはよく聞く話だ。最低限の衣食住ですら考慮しない領主だっていると聞いたことがある。


 アテルが可哀想な目で俺を見る。

「まるで何かに怯えているみたい」

「怖がって何が悪い」

「何に怖がっているというの?」

「なんでもないよ、笑いたければ笑うがいいさ」

「いいえ、もう笑いませんよ、未来の村長さん」


 笑わないとは言ったが、微笑んではいた。悪気はないようだが、村長なんて褒め言葉とは思えなかった。それでもこれ以上話を聞くつもりはないような言葉の締め方だったので、俺も黙ることにした。それでも頭の中の考え事だけは止まらないのである。


 色んな人の話や昔の出来事を鑑みるに、物の価値が分からないというのが一番の問題のようだ。だからこそ交易や相場に興味を抱くのだ。世の中のことを知りたければ物流を調べればいいというのが持論である。


 俺たちの村だって、今は誰からも見向きもされないが、山や川や地中の鉱物に価値があることが知れ渡ったら、こちらが無視しようにも勝手に人がやってくるのだ。村人が価値に気がつかなければ有事に備えることすらしないのである。


 どこの部族にもいえることだが、我々の部族にも侵略や略奪の歴史はある。差があるのは平和な時期が長かったか短かったかの違いくらいだろう。だからこそ交易という地道な作業で部族間抗争をなくそうとしているわけだ。


 それでも人間というのは欲深いもので、衣食住が足りれば今度はそれ以上のものを求める生き物だ。今は衣が医に変わり、食が燭に変わり、住も別なものに変わっていると聞く。「じゅう」については、それは近代的な武器になるだろうと言う人がいた。


 医に不老長寿を求め、燭に恒久的な明かりを求め、「じゅう」に永続的な支配力を求めるのだ。村の人間に話すと愚かだと一笑に付されるが、何が「医燭じゅう」の為に生贄にさせられるか分からないうちは、落ち着いて眠ることもできないのである。


 望むと望まないとに係わらず、村に資源が眠っていることが発見されただけで争いごとに巻き込まれてしまうのだ。かつて衣食住で争った我々の先祖を、どうして愚かだと笑うことができるだろう?


 つくづく、世の中は回っていると感じられることが多いように思う。ぐるぐるとイタチごっこをしているかのようだ。それが徐々に大規模な争いになるから手に負えないわけである。だからといって進歩を否定したくないのだ。


 痩せた土地に貧しい農民がいて、腹を空かせた子どものためにと思って、新しい農具を発明したり品種改良したりするわけだ。彼らの苦労を想像しただけで、胸が苦しくなり、感謝せずにはいられなくなる。


 それなのに親の心子知らずで、腹を満たした子どもは贅を求めるようになってしまう。親が苦しんだというのに、それがかつて自分の先祖を苦しめた行為だとも知らずに、贅を求めて子が他人を苦しめるようになるのだ。


 自分を誇れるように生きるには、愚かな息子にはならない、という意識が大切である。父親が発明家だからといって威張ったり、ケチになったりしてはいけないということだ。富むことがあれば、黙って空腹の子に食い物を差し出すことができる人に、俺はなりたい。


 それができそうで出来ないところが俺の足りない部分である。まず富むことに縁がなさそうなのが問題だ。口ではなんとでも言えるが、口だけで富むことができるほど世の中は甘くないのが現実だった。


「ねぇ、この道であってるの?」

 アテルが不安そうに尋ねた。


 考えごとに没頭していて周りのことに気がつかなかったが、もう随分と前に日が暮れた様子だ。すでにどっぷりと闇に覆われた状態である。ここがどこかは把握していないが、それを正直に告白するわけにもいかなかった。


「ハハッ、道に正しいも間違いもあるか」


 アテルがジロリと睨む。

「迷ったってこと?」


 アテルに一発で嘘だと見抜かれてしまった。


「俺の人生と同じだな」

「引き返さないといけないってこと?」

 それは、どんな人生だってんだ。


「どの道しばらく山の中が続くんだ。日が出れば進む方向は分かる。こんなの迷ったうちには入らないさ」

 アテルが呆れる。

「やっぱり迷ったんだ」

「へへっ」


 ここは笑って誤魔化すしかなかった。記憶では段々畑のある村があったはずだが、どうやら進む道を間違えたらしい。こうなると探しても時間の無駄だった。といっても、どの道、これから二、三日は山や森の中で寝泊まりしなければならないのである。


 それと、夜道ではこれ以上歩くことは不可能だった。一人ならば限界まで歩けるが、馬だと怪我をさせてしまうことがあるからだ。天気が良いうちに眠ってしまった方が、先のことを考えると得策のような気もした。


「川べりで水もある。今日はここで横になろう。火を起こすから枯れ木を集めてくれ」

「そう思って、ここに来るまでに拾っておいたんだ」

 アテルが聡い子で助かった。


「そこにいる者、出ておいで」

 今日、初めてハヤタが口を開いた。

 しかし、言っている意味が俺には理解できなかった。


「怖がらなくていい。僕たちは怪しい者じゃないよ」

 ハヤタはまるで遠くにある木々と会話をしているようである。


「どうしたの?」

 アテルも弟の言葉が理解できていないようだ。


「おいで」

 ハヤタの優しい言葉に誘われて、木陰から女の子が顔を覗かせた。


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