第五話 イズルギの世間話
出発が遅かったため、一日目は隣村に泊まることとなった。ここら辺は庭と呼べる範囲なので、まだ旅が始まった気分にはならなかった。それでも長旅は馬をしっかりと休ませる必要があるので、無理をさせるわけにはいかないのである。
コクワ村は周囲に豊かな森があり、この地方に暮らす人間から食糧庫と呼ばれていた。また雑穀などの畑も多く、広範囲に村人が分布していた。昔から「困ったらコクワ村へ行け」という言葉があるほど重要な生活拠点となっている村なのである。
隣村に住んでいるので見知った村人も多いが、いつもは両親を通して挨拶を交わしているため、一人ではなかなか話し掛けづらいものがあった。そういう時は、面識がなくても生活に余裕がありそうな人にお願いする方が受け入れられやすいものだ。
ただし財産持ちは警戒心も強いので、しつこくすれば拒絶されることもある。幸いにしてシャタンさんは広い心の持ち主だったようで、俺たち三人をすんなりと受け入れてくれた。おそらく馬を飼っているという共通点があったので気に入ってもらえたのだろう。
シャタンさんは立派な厩舎を持ち、交易で手に入れた馬を十頭も飼っていた。今日は流星号もそこで休ませてもらうことができた。馬に飼い葉を食わせている間、馬の世話について会話をしていたが、早くも気づかれてしまった。
「思い出したぞ。そうだ、イズルギ、お前だったのか」
「はい、そのイズルギです」
真面目な話をしていたシャタンさんが、にやけ顔になった。
「いや、話には聞いていたが、まさか本当だったとはな」
「本当のことって何ですか?」
「だってお前、あれだろう? 都へ嫁さんを探しに行って、馬を連れてきたというじゃないか」
それは本当のことではない。
「ということは、連れてきた馬がお前の嫁さんか?」
シャタンさんの冗談だ。
「うん? だったらそっちにいる二人は馬の子どもということか? ハハッ、馬の子は成長が早いが、人間との混血もやっぱり早いんだな」
一宿一飯お世話になるので、こういう冗談にも付き合わなければならなかった。
「嫁さんを馬小屋に入れたんじゃ寂しいだろう。どうだ? 一緒の小屋で寝るか?」
「いや、そのお気遣いは結構です」
そう言うと、シャタンさんは豪快に笑った。
「遠慮することはないぞ」
「本当に結構ですから」
「ハハッ、よし、続きは晩にしよう。今夜は旨い酒が飲めそうだ」
シャタンさんは上機嫌で母屋の方へ戻って行った。とりあえずは気に入られたようで、一安心することができた。都への道のりは長いので、寝床で寝られるうちは、ある程度のことを我慢しなければならないのである。
問題は、そばでシャタンさんとのやり取りを見ていたアテルだ。会話をしている間中、おっかない顔をして俺を睨んでいたが、言葉にしなくても腹を立てているのが分かった。そうと知りつつ、知らない振りを決め込むことにした。
しかしアテルは黙っている子ではなかった。
「どうして違うって言わないの?」
「何が?」
「何がって、ひどいこと言われてたでしょ?」
「ただの冗談だよ」
「私なんて馬の子って言われたんだよ?」
「お前は馬の子か?」
「そんなわけないでしょう?」
「だったらいいじゃないか」
「よくない」
アテルは頬を膨らませ、完全に怒っている様子だった。いや、怒っているという意思表示を見せている感じだ。その仕草が幼子のようで面白く感じてしまい、思わず吹き出しそうになってしまった。
「なに笑ってるの? 悔しくないの?」
「だから冗談だって。笑わせようとすると口が悪くなる人なんだよ」
「男同士はそうやって、すぐ庇い合うんだから」
「そんなんじゃないよ」
「もう、腹が立つ」
「よくそれで黙っていられたな?」
「あのね、私が腹を立てているのは、何も言い返さなかった、あなたになのっ!」
俺とアテルの会話をハヤタは無表情で黙って見ていた。おそらく弟にとっては、いつもの光景なのだろう。俺は俺で母親からうるさく言われることが多いので、これまた慣れたことだった。
夕飯はシャタンさん一家と一緒に頂くこととなった。シャタンさん以外は妻と二人の子どもと、シャタンさんの祖父母だ。子どもはまだ幼く、六歳の男の子と三歳の女の子で、どちらも行儀がよかった。客人の前ではきちんと振る舞うように躾けられているのだろう。
食事は豪勢で、傘の大きな茸のお汁や、顔が隠れてしまうくらい大きなホッケの開きなど、滅多に口にできないものが並んでいた。酒も勧められたが、俺が住むオオクマ村では村長の許しがなければ飲めないので、それだけは固辞した。
「そうか、オオワシ村のイサクさんのところの子どもか」
シャタンさんは酒で顔が真っ赤だった。
「父を知ってるんですか?」
アテルが尋ねた。
「ああ、半年くらい前だったかな、泊めたことがある。連れがひどく弱ってたな」
「母です」
「歩くのもやっとという気がしたんで、古くなった駕籠を譲ったんだが、無事に都へ着いているといいのだがな」
「伝令があったので、都へは辿り着けたようです」
「そうか、それはよかった」
よほど深刻な状態だったのか、シャタンさんだけではなく、家族もほっとした様子だ。
「その節は父と母と叔父がお世話になりました」
改めてアテルが頭を下げて、ハヤタも姉に倣った。
「いやいや、無事に着いたことが聞けてよかった。気掛かりが減って助かったくらいだ」
そこで口に運ぼうとした酒を持つ手が止まる。
「いや、ちょっと待て。子ども二人で都へ行くということは、母親に何かあったのか?」
アテルが不安げな顔で説明する。
「それが分からないんです。伝令が途切れてしまい、それでいてもたってもいられず、里を出てきてしまいました。父の許可なく出てしまったので、後で知れば怒ると思いますが、それでも後悔はありません。いえ、後悔したくないから都へ行きたいのです」
目を閉じて聞いていたシャタンさんが酒を一気に飲み干す。
「子どもたちよ」
その声にシャタンさんの二人の子どもが居住まいを正した。
「前に、都へは絶対に行くなと言ったが、それは憶えているな? それは今も変わらない。しかしな、この姉弟が都へ行くのは止めたりせんぞ。それは母に会いたいという目的があるからだ。いいか? 都へ行くというのなら、止められないだけの目的を持つのだ。それができぬ者は、都の方から追い返されるだけだからな。それで結局は里へ逃げ帰り、村の者から一生笑われることになるのだ」
「はい」
六歳の方は元気よく返事をしたが、三歳の方はよく分かっていない顔をしていた。
「うむ、いい返事だ」
シャタンさんの話の後半は暗に俺を批判しているように聞こえたが、それはこの場で口を挟むことではなかった。なぜなら、ここはシャタンさんの家であり、話を聞かせた相手はシャタンさんの子どもだからだ。
ここが村の広場なら反論するが、そうではないのだから、慎まなければならないのだ。それに自分が悪い見本として語られることは、最初に都行きを決意した時から分かっていたことだ。そういう生き方もあると分からせるには、あまりにも俺が非力だったわけだ。
その夜、客人用の離れに寝床を用意してもらい、俺たち三人はハヤタを真ん中にして眠りに就いた。布団も上等な代物で、綿がいっぱい詰まった、ふかふかであったかいものだった。まるで雲の上とはこのことを言うのだろう。
「明日から、先を急ぐぞ」
「うん」
返事をしたのはアテルだ。
「こんな心地のいいところには、もう泊まれないかもしれない」
「うん」
「足や腰だって痛くなるからな」
「うん」
「雨ざらしにだってなるぞ」
そこで返事が途切れた。どうやらアテルは眠りに就いてしまったようだ。俺は夜型の生活が続いていたということもあり、なかなか眠ることが出来なかった。そこで、出会ったばかりの姉弟の寝息を聞きながら、しばらく考え事に耽った。