第三十六話 ウサギとカメ
見送っている場合ではなかった。
あれでは二人とも死にに行くようなものである。
俺も何かしなければいけなかった。
とりあえず丘を上り切ることにした。
丘の上にはナミルさんが不安げな顔をして待っていた。
傍らのカバジさんが立ち上がって声を掛ける。
「おい、アテルとハヤタは一緒じゃないのか?」
「大亀を止めに行きました」
「あんな化け物、止められるわけがないだろう?」
「すいません」
カバジさんが腹を立てているので謝ることしかできなかった。
「兄貴はどうした?」
ナミルさんのことが気になって、答えることができなかった。
そこで、察したかのようにカバジさんが地べたに座り込んでしまった。
ナミルさんの顔は、どうしても見ることができなかった。
「二人を連れ戻してきます」
「イズルギ」
去り掛けた俺にナミルさんが声を掛ける。
「気をつけるのですよ」
そう言って、大切な家族の安否が不明なのに俺を気遣うのだった。
「必ず連れて帰ります」
そこで俺は大ウサギに話し掛けてみることにした。
すぐに追い掛けず、ここへ来たのはそのためだからである。
ハヤタが話し掛けていたのを憶えていたからだ。
それを真似てみようと思ったのだ。
「アテルとハヤタが都へ行ったんだ」
大ウサギが俺のことをじっと見ている。
「俺を背中に乗せてくれないか?」
そう言うと、大ウサギは歩を進め、止まって背中を見せて、身を沈めるのだった。
「乗せてくれるんだね?」
どうやら本当に言葉が通じるようである。
大ウサギに跨ると、待ってたと言わんばかりに駆けだした。
行き先を告げずとも勝手に海岸へと向かって行く。
大ウサギだって眼下の惨状が見えているはずだ。
それなのに身体から恐怖は感じられなかった。
それが俺を勇ましい男へと変えてくれるのだった。
ピョンピョンと飛び跳ねて丘を翔け下りて行く。
あっという間に都の入り口だ。
今も大勢の人が逃げ出している。
逃げ遅れたのは家財道具を抱えているからだろう。
それと老人を背負った若者もいた。
そんな中、逆走しているのは俺くらいなものだった。
都へ入ると、その異様な光景に目を疑ってしまった。
甲羅から火の粉を散らしながら歩いている巨大な亀に圧倒されたからだ。
家屋など始めからなかったかのように踏み潰している。
火の手が上がっているのは役人町の方だ。
巨大な亀には役人も町人も関係ないらしい。
黄金に沸いた浜辺も、今は誰もいなかった。
数千人以上いた兵士も見当たらない。
騎馬兵もとっくに避難した後のようだ。
巨大な尻尾が地を均し、亀が歩いた後は、そこには何も残っていなかった。
瓦礫を避けて通るには、とにかく亀が歩いた後を追うしかなかった。
きっとハヤタもそうしていることだろう。
もう都の中心部には逃げ惑う人の姿も見えなかった。
逃げ遅れた人はすでに死体となっていたからだ。
巨大な亀の前では老いも若きも、男も女も関係ないのである。
しかし、巨大な亀の行動は一切読めなかった。
海へ向かったと思ったら、曲がって都へ戻ってくるのだ。
まるでわざと都に火の粉を振りまいているようだ。
すべてを焼き尽くそうとしているように見える。
巨大な亀の背中に追いつく前に、ハヤタの姿を見つけることができた。
「おい、ハヤタ!」
「イズルギさん!」
ハヤタの方から駆け寄ってきた。
「ちょうど良かった」
そう言って、大ウサギの頭を撫でるのだった。
「お願いがあります」
有無を言わさぬ感じだ。
「あの亀の正面に立ちたいので、うまく誘き寄せてもらえませんか?」
「それでどうするというのだ?」
「後は僕がなんとかします」
「そんなことしなくても、しばらくすれば海へ帰るんじゃないのか?」
「それは人間の都合でしょう?」
「そうは言っても、帰ってくれるのを待つしかないだろう」
「都を出たらどうすると言うんです?」
返す言葉がなかった。
すべて自分に都合よく考えていたわけだ。
この巨大な亀は海へ帰るとは限らないのである。
陸地を彷徨うかもしれない。
田畑を踏み潰すかもしれない。
民家をなぎ倒すかもしれない。
やがて山や川を越えて、俺たちの村に行くかもしれないのだ。
ハヤタはそのことを心配したのだろう。
少年は俺よりも早く物事に気づける人なのだ。
そこで二手に別れた。
ハヤタは走って一番街道の行き止まりへ向かった。
そこは海岸通りとの合流地点で、道幅が広くなっている場所である。
俺はそこに大亀を誘導しなければならないわけだ。
そのためには大亀の前を走らなければならなかった。
早速、亀を追い掛けることにした。
大ウサギは意思が通じているかのように動いてくれている。
しかし、なかなか追いつくことができなかった。
それも当然である。
いくら大ウサギでも、亀の方が何十倍も大きいのだから勝てるはずがないのだ。
ウサギがカメより速いのは、あくまで大きさが一緒の場合に限られるのである。
また、後ろから近づきすぎると火の粉を被るおそれもあった。
そこで作戦を変更することにした。
一番街道は直線の大通り。
俺もそこで待ち構えることにした。
大亀が大ウサギを追い掛けてくれればハヤタの元へ誘導できるはずである。
勝手に進路変更しないようにギリギリまで引きつける必要があった。
追いつかれれば踏み潰されることになるだろう。
それでもハヤタを信じて実行するしかなかった。
少年が唯一の希望だからだ。




