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第三十五話 それぞれの役割

 浜辺からの立ち退きを命じられたので、仕方なく沿道の道端で腰を落ち着かせた。猿爺は頑固に反対していたが、俺の腰に酒がぶら下がっているのを見つけると、さっさと浜辺から引き上げてしまったのである。


「イズルギよ、お前は約束を守る男よのう」


 そう言って、猿爺は水筒に入った酒を美味そうに身体の内側に流し込んだ。ペテンだとは分かっていたが、どうせ俺の酒ではないのだ。母親の病気にどう答えるか気になっていたし、単純に爺様に酒を飲ませたかったという理由もあった。


「それで母親の病気はどうすれば治るんですか?」

「やはり湯治が一番よのう。これより北西に進むこと六十里。古代から地獄谷と呼ばれておる湯治場がある」


「地獄は駄目ですよ」


「これ、話を最後まで聞けい。地獄と呼ぶのは人を寄せつけないための方便でな、本当は極楽気分を味わえるところなんじゃ。こういうのは村人の知恵のようなものよのう。わしもそのうち入りに行きたいものよ」


 日頃から顔が赤いせいか、猿爺は酒を飲んでも出で立ちが変わらなかった。それはいいとして、結局はお師さんからすでに話を聞いていた湯治では期待外れの答えと言わざるを得なかった。


「湯治ですね。機会があったら連れて行くとしましょう。それまで元気でいられるといいんですけどね」

「何を言っておる。いますぐ出立せい。都は落ちるぞ」

「都が落ちる? どういうことですか?」

「ほれ、見てみい」

 猿爺が目の前の浮島を指差した。

「この時期に火を使って森を焼こうとしておる」


 俺でも充分目視できる距離なので、浮島の四方から煙が上がっているのが確認できた。おそらく森を焼き払ってから、土地を掘り返そうとしているのだろう。亀島と呼ばれていたというのが根拠のようだが、もう大亀の秘密も公になってしまったようだ。


「都に飛び火しても知らんぞ」


 猿爺は心配しているようだが、浮島との間には浅瀬があるので、強風が吹いたとしても都に火が回るとは考えにくかった。それに役人町は知らないが、町人の家屋には火元となるような油がないため、広範囲に火が回ることはないと聞いたこともある。


「ほれ、何をぼうっとしておる。早く逃げんか」

「そう言う爺様は落ち着いておられるじゃないですか」

「わしは他に行くところがないからのう」


 猿爺が俺を執拗に急き立てるので、仕方なくその場を離れた。いよいよ姉弟との再会だ。俺が一人で帰れば、言わなくともイサクさんが見つからなかったことを知ることになるだろう。そんな姉弟の顔など見たくなかった。


 都の外れの丘へ向かう途中、町の中は至る所から焼き魚の匂いが漂っていた。ちょうど夕飯の支度をする時間を迎えていたわけだ。火を使う時間帯ならば、猿爺が心配するのも無理がないと理解した。


 しかし逃げろとは言うが、戦も終わったことだし、姉弟たちと合流したら一度屋敷に帰ってから旅支度を整えた方が良さそうだ。イサクさんが戻るまで帰らないと言い出しそうだが、その場合は滞在が長引きそうである。どちらにせよ、話し合いの場が必要だ。


「イズルギさん!」

 丘へ上がり切る前にハヤタが走ってきた。

「あれはなんなんですか?」


 振り返って浜辺の方に目を凝らすと、浮島の森が燃えているのが、都の外れの丘の上からでも確認できた。浮島は外周一理の大きな島だ。例えると百棟の武家屋敷がそっくりそのまま収まるような広さがある。


「船が燃えたと思ったら、今度は浮島が燃えてるじゃないですか? 一体なにが起こってるんですか?」


 馬から降りて説明することにした。

「森を燃やして、それから黄金を掘り出すらしいぞ」

「あんなところに黄金が眠ってるんですか?」

「さぁあね。黄金を腹に隠した怪物の正体が大亀で、それでむかし亀島と呼ばれていた、あの浮島を掘ってみよう、っていう話になったんだろう」

「だからと言って、森を焼くこともないのに」

「木の根っこの下にでも埋まってると思ったんじゃないのか? おそらく、よく分かってないのが指揮を執ってるんだろう」

「なんて愚かな」


 その時、地に蠢きを感じた。

 この足元が一瞬で柔らかくなる感じはなんだろう?

 よりによって、こんな時に地震だろうか?

 目の前が揺れている。

 止まらないどころか、揺れ続けているのだ。

 堪えているが、立っているのがやっとだった。

 次第に気持ちが悪くなってくる。

 こんなにも止まらない地震は生まれて初めてだった。

 都の地震は特別だというのだろうか?

 揺れが大きくなっている。

 止まりそうになかった。

 それが一番怖かった。

 そう思っているうちに、また揺れが大きくなる。


「イズルギさん、あれ」

 ハヤタが揺れながら都を見ている。

 俺もそちらに注意を向けた。

「嘘だろう?」

「いいえ、真です」

 見ると都の浜辺には、背中から火を噴いた巨大な亀が突如出没していた。

「あの島は本物の亀なんです」


 三年前にお花ちゃんと一緒に見た浮島が亀だったと?

 どんなにそれが信じられなくても、目の前に見えている現実は否定できない。

 四肢を伸ばした浮島が浜辺に上陸しようとしていた。

 ここまで声など届くはずもないのに、浜辺の喧騒や悲鳴が身体の内に聞こえてくる。

 逃げ惑う人や、高波すら、亀となった浮島は踏み潰していく。

 目覚めた大亀は海へ帰ろうとしなかった。

 このままでは都ごと飲まれてしまいそうだ。

 都が落ちる、とはこのことだったのだろうか?

 猿爺の予言は当たったわけだ。


「僕、行ってきます」

「どこへ行こうというのだ?」

「あの大亀の元へ」

「お前が行ってどうなる?」

「誰かが鎮めてあげないといけないでしょう?」

「お前に何ができるというのだ?」

「分かりません」

「親父さんが仕留めた大亀の百倍、いや、二百倍はあるんだぞ?」

「でも誰かがやらなければいけないのなら、僕がやります」

 そう言うと、走って丘を下って行ってしまった。


「ハヤタ!」

 アテルが駆けつけてきたが、その声は弟に届かなかった。

「ハヤタはどこに?」

「あの大亀を止めるって」

「そんなこと……」

 不可能だということは、アテルも分かっているようだ。

「すまない。止めようと説得しようとしたが、反対に説得されちまったよ」

 アテルの顔が不安そうだ。

 ここは俺がやらねば。

「でも今回ばかりは危険だからな、これから後を追って、強引にでも連れ戻してくるよ」

 そこで馬に乗ろうとしたのだが、アテルに止められてしまった。

「弟は大丈夫だけど、あなたは行ったらダメ」

 アテルの命令だった。

「信用ないな。俺だって大丈夫だよ」

 アテルが首を振った。

「ああ、俺の『大丈夫』は大丈夫じゃないんだっけ?」

「そうじゃない」

 アテルの目が怒ったように真剣だ。

「そうじゃなくて、もう、どこにも行ってほしくないの」

「どうしたんだよ、急に、なんだか、らしくないな」

「私らしくなくてもいい。もう、待ってるのは耐えられないんだもん」

「どういう状況か分かってるのか? 一刻を争う時なんだ」

「こういう状況だからだよ」


 アテルの顔に迷いはなかった。

「海賊船が燃えた時、どれだけ私が心配したか、考えてくれたことがある? ここにいると何も分からないんだよ? あなたの身に何か起こったんじゃないかと、そればかり考えていた。戦が起ころうとしているのに、どうして私はあなたを行かせてしまったのだろうって、ずっと後悔ばかりしていたの。あなたを死なせてしまうんじゃないかって、そんなことも考えずに送り出してしまった。そんな自分が許せなかった。この世は嫌なことばかりだけど、あなたのような人が一人いるだけで、世の中は捨てたもんじゃないって思えるの。だってそうでしょう? 旅の案内なんて断ることもできたのに、あなたは私たちを放っておくことができなかった。お母さんの着物をあげた時も、後で注意はしたけど止めようとはしなかった。キツネの親子にも食事を分け与えて、あなたにとって価値のないウサギのために大事な金貨だって手放してくれた。あなたは、どうしようもなく他人のことを放っておけない人なのよ。それが私には、この世の中を悪く思わないでいられる支えになっているの。だから、お願い、もう、どこにも行かないで」


 そこで思わず、アテルのことを抱きしめてしまった。

「俺は、君に好かれたいと思っているだけの、ただの男だ。俺のこれからは、すべて君のためでありたい。いや、そういうつもりで生きていくって決めてしまったんだ。だから、俺はずっと君の側から離れないだろう。だから分かるだろう? 君が大切にしているものも、大切にしていきたいんだ。俺でも守れることができるならば、守ってやりたいんだよ。ハヤタは向こう見ずなところがある。それが心配でならなくてさ」


 そう言うと、アテルが頷いた。

「ハヤタのことは心配いらないって言ったでしょう?」

 そこでアテルが俺の馬に跨るのだった。


「おい、何してるんだよ?」


「弟を助けに行くのよ」

 と言って、当たり前でしょ、っていう顔をするのだった。


「無理だ」


「無理でもなんでも助けに行かなくてはならないのよ。だってハヤタは、まだあなたの弟じゃなくて、私の弟なんですもの。だから私が助けに行かなくちゃいけないのよ」

 こうなると馬上のアテルを止めることは誰にもできないようである。


「必ず助ける」

 アテルを乗せた流星号が丘を駆け下りて行ってしまった。


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