第三十三話 イサクの行方
流星号に跨り、森の中を走った。さっきまでの金縛りが嘘みたいに身体が軽快だ。いや、俺は馬に乗っているだけなのだから、身体が軽快なのは流星号の方である。頭の中をやっと整理させることができた。目的地はやはりイサクさんの元だ。
俺はあの姉弟と約束したのだ。父親を迎えに行くということは、途中で都の伝令を代わりにすることではないのである。その約束を果たせなければ、俺は今後、死ぬまであの姉弟と顔を合わせることができなくなるだろう。約束とはそういうことだ。
素手で戦場に飛び込む気はないので、進む方向を間違えてはいけなかった。警戒しながら様子を探ればいい。それは山育ちの俺が一番得意としている部分だ。武器はなくとも、育った環境で培われた経験がある。そこに思い至ると、なぜか「やれる」と思えるのだ。
悔やむべきは逡巡してしまったことだろう。もしもこの場にいるのが俺ではなくハヤタだったら、実の父親なのだから救出に向かうのに躊躇することはなかっただろう。いや、実父でなくとも躊躇しなかったはずだ。
一瞬の逡巡が戦局を左右する、というのは戦ではよくあると聞いていた。この逡巡が命取りとならなければよいが、過ぎたことなので、今さら考えても仕方がなかった。というよりも、俺の存在とは関係なく、どうやら戦はすでに終わっていたようだ。
イサクさんが森の中で野営していた場所も狙われたようで、都軍と賊軍の死体が十以上は転がっていた。着ている物を見ればイサクさんではないことは分かるが、念のため一体ずつ確かめることにした。分かってはいたが、イサクさんの死体はなかった。
それから前に漏らしたションベンの染みを洗い落とした川に向かった。なぜなら死体の数がそちらの方向に向かって多く見られるからだ。残念ながら息のある者はいなかった。これは負傷兵ならとっくに運ばれ、敗残兵ならすでに逃げているからである。
川へ向かう途中に都の兵士が木にもたれて休んでいる姿があった。その安堵した表情から、都側の勝利で終わったことを確信することができた。他にも休んでいるのはみな都側の兵士だ。
とはいっても、俺だって安全ではないのだ。身ぐるみを剥がされた死体があることから、浪人も紛れているのは確かだ。弱ったところの隙をついて盗むやり口が横行していると聞いていたので、誤解されないように説明しなければならないわけだ。
生き残った兵士に説明しながら死体の確認を続けたが、イサクさんやツバクロの死体はなかった。その途中で俺のことを知っている兵士と再会した。大亀を捕獲した時にいた見張り役の兵士だ。顔は憶えていないが、向こうが憶えてくれていたのである。
そこで兵隊長の元へ案内されることとなった。俺を見つけて兵隊長に会わせるということは、兵隊長の方もイサクさんを捜している可能性がある。それで命令を受けた兵士が俺を連れて行こうとしているのだろう。
連れて行かれた先は川の上流の、滝が落ちる河原だった。ここが主戦場だったようで、右も左も死体の山だった。気のせいか、川まで赤く見えてしまうほどだった。負傷兵からも死臭が漂っており、その目は死ぬ前の動物にそっくりだった。
「イズルギよ!」
声を掛けたのは兵隊長で、名前は確か坂下のなんとかだ。
「見ろ! 賊軍の死体の山を! 積み上げて、火をくれてやるわ!」
兵隊長は異常に興奮していた。
屋敷で気配を消していた時とは別人のようだった。
「イズルギよ、どうだ! 北方の海賊が束になっても、我が軍に勝てぬのだ! その方もとくと思い知ったことだろう!」
異様なまでの高揚感。昂ぶる感情と、制御しきれていない自我。こういう人を相手に戦うには、黄金が欲しいという単純な理由だけでは弱いのかもしれないと思った。この人の心の中には、あの大きな都がすっぽりと収まっている気がしたからだ。
「あの、兵隊長さん、イサクさんはどこにいますか?」
「ふんっ」
兵隊長が笑った。
それも鼻で笑った気がした。
「馬を置いて、ついて参れ」
そう言って、向かった先は滝の方だった。
「滝の、なか?」
「驚くこともなかろう」
先ほどから、どこか兵隊長の言動は思わせぶりだ。
「こんなところに洞窟があったんですね」
「ふんっ」
滝の中を進むと、そこは洞窟になっていた。入り口は暗かったが、途中から木蝋が足元を照らした。背後に気味の悪い気配を感じると思ったら、兵士が俺の後ろからついて歩いてきていた。
話には聞いたことがあるが、生まれて初めての洞窟だ。一人きりでは、このひんやりとした空間は耐えられなかっただろう。息苦しさと、方向を見失う感覚で、頭の中が窒息してしまいそうだった。里にある俺の馬小屋とは似て非なるものだ。
「ここからは先を歩け」
そう言われて、なぜか俺が先頭を歩くこととなった。
道は一つなのに、迷子になったような気になる。
全身の汗が急激に冷たくなった。
こんなところにイサクさんがいるというのだろうか?
さらに進むと異変があった。
進んでいった先に、突然と太陽が昇ったのだ。
いや、違う。
こちらから太陽に近づいていけるのだ。
あの光は太陽に似ているが、違うものだ。
肌寒く感じていたが、そんなものは、もう知覚できなかった。
熱を感じない光など、この世に存在するのだろうか?
いや、これは確かに現実だ。
光源を求めて歩を早める。
突当りを折れるとそこには……。
「ああぁ」
巨大な金山を目の当たりにして言葉を失ってしまった。いや、駄目だ。これは語らずにはいられなかった。今まで俺が見てきた金貨の金とは大違いだ。あんなくすんだ混じりっ気の多い黄色い札を金だと思い込んでいたというのか?
それでは、いま目の前にある屋敷十軒分の体積がありそうな金山はなんだというのだ? これが本当の金なのだ。金を知らずに金貨をもらって喜んでいた自分が恥ずかしかった。しかし、これ以上は見ていられなかった。見れば見るほど自分を失いそうになるからだ。
そこで振り返ると――
「動くな!」
兵隊長に首を押さえられてしまった。
「これはどういうおつもりですか?」
「しらばっくれなくてもよいぞ。賊軍に手引きした者がおるのは承知済みだ」
「それは俺じゃないですよ。別の者です」
「ほう。ならば手引きした者の存在がいることは認めるのだな?」
「いや、そういうつもりで言ったんじゃないですよ」
押さえられた首を絞められる。
「二月前に漏らした家来は、すでに処刑しておるのだ。貴様が来るまで万事順調に事が運んでおった。それが合図を受けたかのように賊軍が来たのだからな」
兵隊長の短刀が顎の下に食い込む。
「それは偶々です」
「貴様と一緒におった小僧が河原をウロウロし、都へ戻った後すぐに馬で半島に向かったというのも、すべて偶然と言うつもりか? そこで海賊船を見つけたのも偶然で、翌日に賊軍が都へ攻めてきたのも、すべて偶然と申すか! そんな出来過ぎた話、あるわけがなかろう!」
俺は騙されたのだろうか?
騙されていなくても、全部あの野郎のせいだ。
何が敵を欺くにはまず味方からだ!
初めから終わりまで欺いていただけじゃねぇか。
どこが友だちだよ!
「兵隊長さん、お願いです。どうか聞いて下さい。奴に騙されていたのは俺もなんですよ。じゃなきゃ屋敷で賊に襲われるわけないじゃないですか。そこで見張りもやられましたし、ナミルさんも連れて行かれそうになりました。でもハヤタが賊を二人とも倒してくれたんです。屋敷には死体もありますし、せめて、せめてそれを確認してから裁いてください。じゃなきゃ俺だって死に切れませんよ。それに手引きした人間が俺じゃなきゃどうするんですか? 俺じゃないということは、まだ味方の振りをして潜り込んでいるかもしれないんですよ? だったらちゃんと調べた方がいいに決まってるじゃないですか。屋敷には証拠があるんです。それを見てからでも遅くないと思うんです。どうか、どうかそれを確認してからにして下さい」
恐ろしいほど長い間だった。
「よかろう」




