第三十一話 人質
三人で急いで奥の間に駆けつけると、母親ナミルが二人の賊に腕を掴まれていた。
一人は喉元に短刀をつきつけている。
叔父カバジは刃物を見て狼狽えるばかりだった。
「母さんを離せ!」
先に着いたハヤタが叫ぶ。
「母さんは病気だぞ!」
「イサクはどこだ?」
賊が凄む。
二人とも目元から下を布で覆っているが、目だけで肝が据わっているのが分かった。
「父さんに何の用だ?」
ハヤタは怯むどころか、賊を睨み返した。
俺はアテルの盾になることくらいしかできなかった。
「イサクはどこだと聞いている」
「知らない」
ハヤタにこの場を任せていいものか迷うところだ。
「ならば海岸か?」
「母さんを離せ」
静かだが、怒りのこもった声だ。
「分け前を出すんだな」
「そんなものはない」
「いいのか? 母親がどうなっても」
口を利かない賊の方が、母親ナミルの喉に短刀を押し当てる。
ナミルさんが苦しそうに呻いた。
「やめて!」
アテルが叫ぶが、彼女の手を離すわけにはいかなかった。
掴んだ手の震えがこちらまで伝わってくる。
「母さんは病気だぞ」
ハヤタがやや後退した。
怒りはあれど、やはり少年も怖いのだろう。
「分け前を出さねぇか」
賊の方は人数で劣るのに、まったく気圧された感じがなかった。
おそらく俺たちとは場数が違うのだろう。
「母さんを離せ」
「てめぇは何度同じことを言って、何度同じことを言わせるんだ」
「分け前なんてない」
「そうか、だったらこの女を人質にもらっていくだけだ」
そう言うと、賊がナミルの腕を強く引っ張った。
そこでナミルが目を閉じて天を仰いだ。
おそらく気を失ったのだろう。
それからゆっくりと膝から崩れ落ちていった。
その瞬間、 目の前で雷光が走り抜けていった。
続けざまに二回。
あまりの出来事に、何が起こったのか分からなかった。
あれほど早いものなど、この世には雷しか存在しないはずである。
それが白昼に起こったというのだろうか?
それも屋敷の中で。
いや、違う。
今のは雷光ではない。
ハヤタの弓矢が二人の賊の心臓を射抜いてしまったのだ。
一人目の男は、己に何が起こったのか分からない顔のまま死んだ。
二人目の男も分からない顔のまま突っ立っていた。
それから身動きせずに、矢先を心臓に受けたのである。
二人とも雷を受けたかのように矢を受け入れるのだった。
まさに神の所業だ。
正確に心臓を射抜かれたというのに、二人とも穏やかな顔をしている。
目の前で見ていなければ、死んでいるとは思わない顔だ。
苦しみすら感じる瞬間がなかったようである。
村で命を頂く動物たちの顔が、ちょうどそんな顔だった。
俺は未だに一歩も動けないでいる。
あの時と一緒だった。
父親イサクが大亀を仕留めた、あの瞬間だ。
人間にとって都合がよすぎるのは分かっている。
それでも、あえてこう思うしかなかった。
大亀を仕留めたのが都の兵士ではなく、イサクさんで良かったと。
「お母さん、怪我はない?」
アテルが母親を介抱しているところだ。
どうやらナミルさんは大丈夫そうである。
ハヤタと叔父カバジは二人の死者に指を組んで手を合わせていた。
「姉さんも」
その言葉にアテルと母親ナミルも死者へ指を組んで手を合わせた。
「イズルギさんも」
俺も従うことにした。この世の万物は、動物も植物も等しく神様の所から来て、生を終えれば神様の所へ帰って行く、というのが古からの村の考えだ。ときどき手を合わせることを忘れるが、その考えは根付いたものなので、今さら変えることはできなかった。
それにしても、ハヤタは怖がっていたわけではなかったのだ。後退していたのは近すぎると威力が出ないので、賊との間合いを計っていたわけだ。怒りを持っていたはずなのに、冷静に急所を射抜いてしまったということである。
「さっ、行きましょう! 外にまだ賊が残っているかもしれません――」
そう言うと、ハヤタは弓を構えながら廊下を確認した。
「僕の後について来て。イズルギさんは後方をお願いします」
俺は黙って言われた通りにした。屋敷の中には不審な者はいなかった。門の外にも賊の姿はないと言っていた。庭に放していた馬と大ウサギも無事である。それから急いで都の外れへと急いだ。表門の死者にも指を組んで手を合わせるのも忘れなかった。
丘へ向かう途中もハヤタのことを考えてしまった。くどいようだが、あれは間違いなく雷だった。閃光などあるはずもないのに、目の端を光が走っていったのだ。一の矢だけではなく、二の矢までもが電光なのだ。
俺はハヤタのことが怖くなってしまった。この怖さはなんなのだろうか? 怖い人という感覚ではなかった。そんな小さな怖さではないのだ。言葉が通じず、感情すら分からない、さらには在るかどうかも分からない怖さだ。
そう、やはり雷の怖さだ。氾濫した川の怖さでもある。火にも同じ怖さを感じる。雪山の容赦ない寒さも同じだ。月が見つからない闇夜の怖さもある。そうだ、ハヤタの怖さはそれらと一緒だった。
ハヤタを怒らせてはいけなかったのだ。いや、あの時、ハヤタは怒ったかどうかも分からない。感情を持ちながらできる早業ではなかった。海や川がそうであるように、火や闇がそうであるように、俺には何を考えているのか分からないのだ。
自然は恐ろしいが、生活の大部分は、その恐ろしいはずの自然に守られて暮らすことができている。息子が母親を守ったというより、母親が、ただただ自然に守られただけのように感じてしまうのである。
しかし、大ウサギの背に乗った母親を気遣う息子ハヤタは幼子のような顔をしていた。どこからどう見ても、まだまだ子どものままなのだ。その様子を見ると、たとえ里の村が戦に巻き込まれようとも、ハヤタは変わることがないだろう、と思えた。
「これからどうするの?」
都の外れの丘に到着したアテルが馬から降りて、流星号を労う。
「ありがとうね」
それから原っぱにゴザを敷いて母親を休ませるのだった。
「兄貴、どうしてるかな?」
病人のナミルさんよりもくたびれているのがカバジさんだ。
「僕、行ってくるよ」
ハヤタの気持ちは分かるが、そこは止めるべきだろう。
「迎えに行くのは俺が適任のようだな。ハヤタよ、お前では道に迷ってしまうだろう?」
これには反論できないようで、悔しそうな顔をした。
「よし。俺が行ってくるよ。お前がここに残った方が、俺も安心できるからな。それに居場所を知っているのは、この中では俺だけだもんな」
アテルが念を押す。
「今日は早く帰ってきてね」
「今回は流星号も一緒だから二日も掛からないさ」




