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第二十九話 猿爺

「びっくりしたなあ」

 実際、心臓が慌てていた。


「ほほっ、見えとらんかったのか?」

 赤鼻の爺さんも、違う意味で驚いていた。


「気配を消して近づくのは悪意があるでしょう?」


「己が鈍いのも、わしのせいか?」

 嫌な返しをする爺さんだ。

「イズルギよ、お前さんはもっと鋭い男だったはずじゃがのう。二度目の都で馴れた気になってしまったんかのう」


「誰ですか? なんで俺の名前を? いや、どうして都は二度目と知ってるんですか?」

「憶えとらんとは寂しいのう」


 鼻が赤く、貴族が着るような衣を幾重にも羽織っていた。こんな珍しい爺さんは一度でも目にすれば忘れないはずである。顔には年輪のような深いシワが何本も刻まれており、真っ白い長い髪を後ろで結って、顎の下にだけ、これまた白くて長い髭が伸びている。


「会ったことはありませんね」

「でも知っておるじゃろう?」

「知らないですよ」


 赤鼻の爺さんはがっくりと肩を撫で下ろした。

 いや、最初から撫肩だったかもしれない。


「イズルギよ、思い出すのじゃ。お花ちゃんと岬の上で話をしておったろう? 夕陽を受けながら、日ノ島を眺めていたはずじゃ。その時、わしの話で盛り上がっておったではないか」


 気持ちの悪さを感じたが、閃くものはあった。

「あなたが、日ノ島の猿爺?」

「ほほっ、知っておったではないか」


 この爺さんがわざわざ浮島に一人で住んでいるという猿爺だったのだ。都には「仙人様」と呼ぶ人もいるが、多くは赤ら顔から「猿爺」と呼ぶのがほとんどだった。噂には聞いていたが、まさか会って話すことができる人だとは思わなかった。


「しかし、どうしてお花ちゃんとの会話まで知ってるんですか?」

「わしの知らんことなど、この世に一つもないからのう」

「そんなわけないでしょう」

「疑っておるのか? ならばなんでも尋ねてみい」


 やはりただの酔っ払いのようだ。


 しかし、ものは試しだ。

「ではお尋ねしますが、いま都では黄金騒ぎで湧いていますが、その黄金の正体はご存知ですか?」


「亀じゃろう?――」

 あっさりと答えた。

「ありゃ一万年も前から地中でじっとしておったんじゃ」


 思わず笑ってしまった。

「亀は合ってますが、なんで一万年も前のことを知ってるんですか?」


「知らないことはないからのう。亀を見てションベンを漏らしたのも知っておるぞ」


 さては、見られたようだ。


「だったら、俺の馬の名前は?」

 これは旅の途中でつけた名前なので知っているはずがなかった。


「流星号だったかのう」


 正解である。


 しかし、これも名前を呼んだのをどこかで聞かれたのかもしれない。

「都に着いて、その日に食べた夕飯は知らないでしょう?」


「この時期のシラスは最高よのう」


 地元の者なら予想できる質問だったようだ。


「では、そもそも俺はどうして都へ来たと思いますか?」

 これは俺自身ですら答えが曖昧な問い掛けだ。


 さすがに猿爺も即答できないでいる。

「……そうよのう。別れが惜しくなったんじゃろうな」


 それは、自分の中にはない答えだった。

「それは、あの姉弟にですか?」


「決まっておろう。お前さん自身、初めての感情じゃろうて」


 言われてみると、それが本当の理由のような気もするから不思議なものだ。


「そんな不思議がることもなかろう」


 顔に出たのか、まるで心の中まで読まれているようである。


「お前さんの心の中には使命のようなものが芽生えたはずじゃぞ」


 そう言われると、本当にそう思えてしまうのだ。


 しかし、意味までは理解できない。

「使命と言われても、俺には言葉が難しすぎますね」

 物事を簡単に説明してほしいという要求は、この世で一番の我儘である。


 しかし猿爺には造作もないことのようだ。

「それは好かれたい一心ということじゃろうな――」

 本当に簡単な言葉だった。

「お前さんは自分が思うよりも実直な男じゃぞ。黙っていても周りに人が寄ってくる、などと考えない謙虚な男よ」


「自分に自信が持てないだけじゃないですか?」


「己が意識できる自信など、過信にすぎんじゃろうて」


「それは俺の中にもありますよ。わけもなく自信があったり、そうかと思えば急に不安になってしまったり。それで大抵のことは悪い方に転がりますね」


「悪い方とな?」


「はい。都での生活は続きませんでしたし、村に帰っても馬小屋に閉じこもるような生活しか送っていませんでしたし、都へ行く前は考えもしなかった暮らしぶりです。行く前は商いで身を立てて交易船で海を渡りたいって思ってたんですけどね。そのために大陸の言葉を学びましたが、結局は何もかも続かなかったんですよ」


「それが悪い方に転んだとな?」


「そりゃそうですよ。何も叶えられずに敗走したわけですからね」


「それはお前さんの本心ではなかろう」


 駄目だった。

 この人には偽ることができないようだ。


「わしに何を言わせたい? 自分の口で言ってみい」


 すべて見抜かれている。

「はい。本当は悪い方になんか転がっちゃいないんです。でも、世の中では、俺みたいなのを落伍者としか見てもらえず、それで俺もみんなと同じように自分のことを罵ってしまうんですよ。心ではちっとも負けたなんて思っちゃいないのに、自分でそう思わないと、みんなに申し訳なくって、それで自分を粗末にしちまうんです。そんな風に思わないと、自分のせいで世の中まで悪くしちまうって考えてしまうんですよ」


「あれを見るがいい」

 猿爺が指を差したのは日ノ島だった。

 ちょうど上る朝日と浮島が重なって見える。

「何を思うね?」


 浮島にも日が昇る。


 いや、曇れば昇らない日もあるだろう。


 でも、今は光が差し込んでいる。


 それでも明日はまた曇るかもしれないわけだ。


 晴れ続けることはないのかもしれない。


 けれども曇り続けることもないだろう。


 太陽も雨雲も、ただ、そこにあるだけだ。


 感謝したかと思えば、すぐに文句を言うのは、この俺ではなかったか。


「俺は馬を好きになれたんですよ。おかげで大ババ様から都の案内も頼まれました。それであの孝行者の姉弟と旅ができたんですよね。それで人生が悪い方に転がってるなんて、思うわけがないじゃないですか」


「正直が一番じゃ」


「もう一つお尋ねしてもよろしいでしょうか?」


「これで最後にするのじゃぞ」


「はい。昔から俺には何かに呼ばれているような感覚を覚えることがあったんです。ひょっとして、俺をこの浜辺に呼んだのは爺様なんじゃないですか?」


「何を言っとる。お前さんは海賊の偵察で来たんじゃろが――」

 そこは現実的な答えだった。

「早く帰った方がよいぞ。海賊というのは海から来るとも限らん。それも陽動の一つじゃからな」


 陽動とは、陽動作戦のことだろう。

 そういえば最近どこかで聞いたことがあった。


 そんなことよりも大事なことを尋ねておきたい。

「最後にもう一つだけお願いします。姉弟には病に伏せた母親がいます。治すためには、何をしたらいいんですか?」


「それの答えを知りたければ、わしのところに酒を持参することじゃな。さすれば答えてやらんこともない」


 そう言って、猿爺は姿を消してしまった。海賊が迫っているので、俺も意識を切り替えることにした。そこで、陽動作戦とはツバクロが話していた兵法の一つであることを思い出した。


 確かに言われてみれば、今回は船にある積み荷を奪いに来るわけではないわけである。海賊団が船を用意したのは、黄金を奪い取った後に運搬するためだろう。となると海岸線に陣を敷いた都の兵士の裏をかいて、後方からの奇襲攻撃があってもおかしくないわけだ。


 挟撃は戦力が二分するので必ずしも得策とは限らないが、そこに奇襲の要素が加われば強力な先制攻撃になると聞いたことがある。しかも都側は敵兵の数を把握していないので、戦力が分散したのかも分からないので迎撃態勢が取れない状況だ。


 または都に居を構える要人を狙った作戦とも考えられる。海賊が迫っているということで、今の都は警護が手薄で、意識をすべて海側に向けている状態なのだ。黄金騒ぎの渦中にある都は人で溢れ、ひと目で外敵を判断するのは困難な状況下にあるからだ。


 また周到な用意を済ませているということは、黄金の隠し場所が知られている可能性が高く、そうなると都の兵士の中に内通者が存在していることも考えられる。都側の戦力を把握しているからこその挟撃作戦ともいえるわけだ。


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