第二十八話 海賊船
「まぁ、いいさ、それよりも海賊だ」
海賊といっても一言では言い表せない現状がある、というのが正直なところだ。労せずして交易品を奪う輩が主ではあるが、政争に敗れた武人が浪人となり、流刑の果てに海賊団を組織してしまう場合もあるからだ。
地方の豪族がその海賊団と裏で繋がり、他の豪族が治める地域の交易を襲撃し、信書を破棄させるなどの妨害工作をさせることで勢力の拡大を図るのだ。そこで合戦が起こり、勝利すれば、協力した海賊団の血脈から新たな領主が登用されることもある。
合戦に勝ちさえすれば、歴史は容易に覆すことは可能である、と権力者はすでに学んでいる。勝利した瞬間から、その海賊団出身の領主が、実は王家の血筋でしたと明かせば、それが正統なる後継者となってしまうからだ。
そもそも権力者による罪の選定が都合よく作られているというのがある。戦で人を殺したり、田畑から収穫物を現地調達したりしても罪にはならないのに、それを奪い返そうとすると、勝利者側で裁かれて罪人に仕立て上げられるのだ。
それが戦であったかどうかは生き延びて知ることができればいい方で、自分の身に何が起こったのか理解できないまま死ぬこともある。戦か戦じゃないのか、というのもすべて勝利者側が決めてしまうわけだ。
俺が生まれる前の、遥か大昔の征服者の話を持ち出したところで現実は変わらないが、せめて先祖代々受け継がれた土地を守るために死んでいった者たちを、罪人などと呼ぶのはやめてもらいたいところだ。しかし、そこに理解が及ぶのは敗者になってからだろう。
出自に惑わされるな、とはお師さんの言葉である。貴族の中には身分を自ら落としてまで捲土重来を謀ろうとする者もいるのだ。都に現れた海賊団が、どこの地方の豪族と繋がっているか分からない状態では、安易に弓を引けないのは当たり前だ。
都が落ちることはないだろうが、もし黄金を奪われ、それがどこかの豪族の軍資金となり、戦が起こって都側が負けた場合、加担したというだけでオオワシ村のハヤタは罪人として裁かれることが起こるかもしれない。
そこまで考えなければいけないのが戦の歴史というものだ。いま勝利者として美酒を味わっている者たちだって、その子孫は罪人として裁かれることになるかもしれないわけで、戦の及ばない俺たちの村人だって、笑ってはいられないのである。
「大きな声を出すなよ――」
アテルを客間に呼んでいた。
「これから少し寝て、起きたら屋敷を抜け出そうと思ってる」
「そんなことして大丈夫なの?」
アテルも声を潜めてくれた。
「大丈夫じゃないから、見張りが疑わないように俺がいるように振る舞ってくれよ。べつに大袈裟な芝居を打てと言ってるわけじゃないぞ。おとなしくしてれば、それでいい」
「分かったけど、屋敷を抜け出してどうするというの?」
「浜辺の様子を見てくるよ。海賊船の数も増えてるかもしれないし、都相手にどんな奇襲を仕掛けてくるか分からないからな。戦闘地域がどの辺りか知りたいし、逃げ道の確認もしておきたい。都の兵士が俺たちを守るなんて当てにならんからな」
「無理だけはしないでね」
そういうことで、俺は夜中に屋敷を抜け出すことに成功した。見張りに余分な人員を割けるはずもなく、屋敷の裏手はスカスカだった。木に登って土塀を超えたが、戻る時のことは後から考えることにした。
それよりもさっきの考え事の続きだ。考え事は夜道を歩きながらに限る。雲が厚いのは困るが、時折流れる雲に月が隠れるような夜は大好きだった。ちょうど今夜が、そんな曇天である。
大陸からの高度な文化は生活に安定をもたらしたのは間違いないだろう。稲作による領土意識が大規模な戦の起源となってしまった感は否めないが、それでも「蓄え」という豊かさを手に入れたことは否定できなかった。
しかし、流入したのは何も新しい技術や新しい考え方だけではなかった。いいものだけを取り入れられないというのが人間の愚かさである。あらゆるすべてが後から知ることになる、というのが生きる道というものだ。
大陸には中華思想というものがあって、都を中心に、東に住む人を東夷、南に住む人を南蛮、西に住む人を西戎、北に住む人を北狄と呼んで蔑む完全なる差別思想がある。この差別思想が俺たち島の人間を苦しめているわけだ。
大陸から見れば、俺たち島国の人間は等しく東夷に当たるというのに、自分たちが差別されていると知ってか知らずか、平気で差別思想を有り難がっているというわけだ。しかも大陸では思想そのものが下火になっているというのが最大の皮肉でもある。
その古臭い差別思想を大事に抱えた渡来人が大陸から都落ちしてきたという噂もある。捲土重来を胸の内に秘めつつ、島を統一してやろうと意気込んでいる勢力だ。お師さんは、いつか必ず大陸に出兵する日がやってくる、と言っていた。
ただし、渡来人といっても大陸文字を扱う民族だけではなく、決まった時間にお祈りする民族や、まるで読めない文字で綴られた書を大事にする民族や、十字架を大事に抱える民族もいるので、都は都で勢力争いがあり、先行きは不透明だ。
十字架に磔にされた一神教の現人神に影響された勢力もあり、実際によく似た逸話が創作されており、宗教の力で支配力を高めようとする、または土着の信仰と習合して統治を狙う勢力が存在するので、実際のところ島の未来がどうなるかは分からないのだ。
俺の身近な話でいえば、大陸からの輸入で最も悪しきものは、身分制度をそのまま持ち込んだことだと思っている。高僧を自称する者が増え、さらには権力の中枢にまで入り込むようになったのは、すべてこの身分制度の模倣からだと、お師さんに教えられた。
俺の村では身分制度がないので、そういった制度があること自体知りようがなかったが、自分が偏見の目を持たれる存在だと認識したのは都に来てからだ。その概念を持つことで、俺は多くのものを失ってしまったように感じた。
この身分制度の恐ろしいところは、偏見を持つ者が、己もまた偏見を持たれる存在であると自覚させない点である。それもそのはず、偏見を持ってしまうような人は、自分の位の下に人がいることで自尊心が満たされるからだ。
滑稽で愚かに思えるが、防衛手段として機能する利点があるというのが悩ましいところだ。治安の問題だけではなく、堂々と道を歩ける、たったそれだけの心の安寧が、この身分制度を支えてしまっているような気もするのだ。
強きを挫き弱きを助く、などという言葉があるが、これは現実に存在しないからこそ存在してしまう言葉なのである。現実は高い身分の者同士が政争に明け暮れ、身分の低い者は、さらに身分の低い者をそのままの状態に留まらせようとするのだ。
また、この身分制度は暴力装置としての役割も果たしているのである。戦といえども人殺しをするわけだから、戦士には戦意を植え付けるため、そして殺害後に罪悪感を持つことなく精神を保つために大義名分が欠かせないのだ。
それが身分制度で解消できるわけだ。敵を蛮族と見做すことにより、大義が正義へと華麗に昇華する。土地を侵略しているのではなく、解放していると錯覚させることもできる。武勲を立てれば歴史に名を残し、文明をもたらした偉大な英雄となれるのだ。
身分が高ければ親族同士で殺し合い、身分が低ければ低い者同士で殺し合う。身分制度とは無縁のところで生きていると、人間とは底なしに愚かなように見えるが、暴力で支配を受けたことがあると、その弱い心は自分の胸の内にも存在すると分かってしまうものだ。
俺が貴族に生まれたとして、親兄弟を殺さないとは言い切れなかった。また、身分が低い者として生まれたとしても、やはりさらに身分の低い者を見つけては、標的にならぬように偏見を持ってしまうかもしれない。それくらい暴力による支配とは恐ろしいものだ。
しかし、この身分制度には重大な欠陥があることも忘れてはならないのだ。お師さんに教えを受けなければ、この悪しき制度に俺も取り込まれていたに違いなかった。その欠陥こそが唯一の希望といってもいいだろう。
師曰く、この制度を維持していくには広大な土地を必要とするそうだ。職業に対する偏見や、土地柄に対する偏見は、将来的に経済活動の妨げとなり、狭い島国では時代と共に非生産的制度になるという。
資源には限りがあり、交通手段が革新を迎えれば、急に見えている世の中が狭く感じられるようになると想像していた。交易が自由化すれば、偏見を持たれて差別されていた職業が信じられないような一大産業になることもある、とも付け加えていた。
気づくのが遅い愚かな人間はいつまでも偏見を持ち続けるだろうが、賢い人間はいち早く気づいて商いの機会を増やしていくのである。それが次代の豪族に成り代わるといってもいいかもしれない。
やがては偏見を持たれていた者の中から、国を統治する者が選ばれるかもしれないのだ。その者を選ぶのは、かつて偏見を持っていた者たちの子孫という皮肉な話でもある。偏見を持つということは、それくらい愚かなことである、という笑い話だ。
しかし、その笑い話で笑える日がくるのはまだまだ先のことだろう。千年経っても笑える日は訪れないかもしれない。たとえ千年経過しても、生まれてくる赤子は赤子のままなのだ。千年後の人間は進化していて、大人の状態で生まれるわけではないからだ。
「呼んだかのう?」
身分制度の概念を持たされてから、俺は多くのものを失ったように感じていたが、こうして浜辺に座り、夜の海を眺めながら、ぼんやりとお師さんの言葉を思い出してみると、得られたものの方が多かったのかもしれないと思えてきた。
昔は人間の嫌な部分を学ばされているという感覚があったのだが、知らなければ自覚していない、ただの愚かな息子でいたかもしれない。そして愚かであることも気がつかずに偏見を持つ者として生涯を閉じていたかもしれなかったわけだ。
「ここじゃよ」
身分制度はなくても、俺の村にだって偏見は存在しているのだ。それを無いと他人に言い張ったところで、何も得られないのである。他人に向けて聖人を主張したところで、誰も俺に興味などないのだ。それこそ自尊心を満たしたいだけの愚かな気持ちだ。
お師さんが偏見を持つことの愚かさを俺に話してくれたのは、まさに、俺には偏見を抱いてしまうだけの心の弱さがあると見抜いていたからだろう。大人の状態で生まれてきたわけではないのだから、やはり己の愚かさと向き合う時間は必要だったのだ。
「わしのことかのう?」
幻聴ではないようだ。
「呼ばれた気がしたんじゃがのう」
「誰かいるのか?」
ちょうど月が雲に隠れているので、辺りは何も見えていない状態だ。振り返ったところで、何も見えないのだから意味がなかった。ツバクロは微かな光さえあれば遠くまで見渡せると言っていたが、俺にはそんな特技などなかった。
「イズルギだったかのう?」
雲間から月が出て辺りを照らすと、俺の目の前に赤鼻の爺さんが座っていた。




