第二十七話 ハヤタとの世間話
ツバクロの話によると、海賊船が都を襲撃するまでまだ時間はありそうだ。早くとも明日の明け方くらいになるはずだ。それまでに荷をまとめて都を出れば、無用な争いに巻き込まれることはないはずである。
馬上で正面にアテルの鼓動を感じている。母親以外で生まれて初めて女に触れたというのに、喜べない状況というのが恨めしかった。これだから争い事は嫌いなのだ。それでも俺が守りたいと思うのは、この握った左手の女の家族だけであることは間違いなかった。
屋敷に到着すると騎馬隊が門の前に整列していた。やはりすでに都の兵士にも情報が伝わっているようだ。隊長の馬もあるが、一人だけ姿がないので、おそらく屋敷の中にいるのだろう。俺たちも急いで中へ入った。
「その方は村一番の弓使いと聞いておるぞ――」
客間で隊長の坂の下の何某とハヤタが話をしていた。叔父のカバジさんもいる。
「なんでも、頭上を飛来する鳥を射抜けるというではないか。そうであったな?」
カバジさんが無言で頷いた。
「ならば、その力を見せてみよ」
「いやだ」
ハヤタの言葉から強固な意志を感じた。
「海賊がこちらに向かっておるのだぞ? それでも嫌と申すか?」
「いやだ」
そう言って、隊長を睨みつけた。
「大きいナリをしておるが、中身は乳飲み子のようだな」
「弟に何をさせようというのです?」
アテルが堪え切れずに横から口を挟んだ。
「己の身を守らせようとしたまでだ。しかし見込み違いであった」
言い捨ててから、俺たちの顔を一人ずつ一瞥した。
「一人足らぬが、戻ったら伝えるのだ。その方らはこれより屋敷から出ることを禁ずる。破れば約束を反故にしたと見做すので心せよ」
これにもアテルが黙っていられなかった。
「どうしてですか? 海賊が迫っているんですよね? だったら都に留まるのは危険ではありませんか」
「もし賊に捕えられて、口を割られては迷惑でな」
「私たちは何も知りません。誰も何も知らないんです」
「賊に捕まった時も、そのように答えれば結構だ」
そう言って、客間を出て行ってしまった。響く足音から急いでいることが伝わった。都の兵士から見たら、俺たちが父親イサクから色々と話を聞いていると思われても仕方がなかった。政争に明け暮れている人たちなので、そう思うのが普通の感覚なのである。
しかし、イサクさんは違う。俺たちは本当に何も知らないのだ。獲物の出現場所は知っているが、黄金の隠し場所など見当もつかなかった。知ろうとしないこともまた、都の兵士には理解できないことなのだろう。
この瞬間から、表の警護兵は俺たちの見張り役となった。昨日まで賊から屋敷を守る仕事をしていたのに、今日になって俺たちを監視する仕事に変わったわけだ。これが役人仕事の本質でもあるので、特に驚くようなことでもなかった。
叔父さんが説教を垂れる。
「ハヤタよ、どうして断ったんだ。お前の弓の腕は天下一じゃないか。海賊がそこまで来ているというのに及び腰でどうする? お前が怒らせたせいで屋敷に縛られてしまったんだぞ? これでは人質と何も変わらないじゃないか。少しは兄貴を、いや、お前の親父を見習ったらどうなんだ? おれたちのために今も戦っているんだぞ。何もできないんじゃ、おれたちが賊を誘き寄せたように思われちまうじゃないか。いや、そうじゃないのは見れば分かるさ。でもな、そう勘繰られても仕方がないっていうことなんだよ。まったく、とんだ災難に見舞われたもんだ。悪いが、おれは酒を飲ませてもらうぞ。明日になったら飲めなくなるだろうからな」
そう言うと、客間を出て行ってしまった。もうすでに酔っ払っていたようである。
「ハヤタ、あなたが心配することではないのよ――」
アテルが弟を気遣う。
「ツバクロちゃんがお父さんの所へ行ってくれたから、ここで待っていましょう。それからどうするか考えればいいの。私はお母さんの様子を見てくる」
そう言うと、奥の間へと急いだ。
「姉さんの元気が戻ったみたいですね。話をしてくれたんですか?」
と、ハヤタがうれしそうな顔をして言った。
賊が迫っていることや、叔父さんから説教を受けたことをまったく気にした様子がないので、俺もついつい笑顔になってしまった。そうだ、考えても仕方ないことなのだから、これでいいのだ。
「笑ってないで答えて下さい」
ハヤタが珍しく催促した。
「話なんてしてないんだ。俺が一方的に喋ってさ、それをお前の姉さんは黙って聞いていただけなんだ。でも、それが堪らなく嬉しくて、元気になったのは俺の方さ。こんなに嬉しく感じたのは、生まれて初めてかもしれないな」
「何を話されたんですか?」
「お前たちの親父さんのことだよ」
「どんなことを?」
そう尋ねられたので、俺は姉さんに喋ったことや、状況が変わったので、大亀についても話すことにした。他の者には絶対に話さないと心に決めているが、イサクさんの子どもであるアテルとハヤタだけは別なのである。
父親が森の野営地でゴザを敷いて寝泊まりしていることや、大亀に対して槍一本で挑む姿や、それに引き換え、俺とツバクロがションベンを漏らすことしかできなかったことなど、言わないと心に誓ったことまで全部話した。
「それで、お前は父親のことをどう思っているんだ?」
「分かりません。今朝も言いましたが、やっぱり父さんと話をしてから、どう思うか決めようと思っているんです――」
ハヤタが申し訳なさそうな顔をする。
「すいません、期待に副うような答えができなくて」
「いや、いいんだ。うん、それでいいんだよ。お前の姉さんも『会いたい』と漏らしただけだからな。無理に話そうとしなくていいんだよ。それにだな、俺が話したことだって、大別すれば噂話とか世間話の類になってしまうんだ。それで分かった気になる必要はないさ。お前自身が見て、お前自身が聞いて、お前自身が考えればいいのさ。それをわざわざ教えられなくても、お前自身は分かっていたということだからな」
ハヤタが微笑んで、俺のことを見る。
「姉さんがすっきりした顔をしている理由が分かりました。イズルギさんの前では、自分が、ただ、そこにいればいいだけなんですね――」
いきなり難しい話になった。
「あなたがあなただけを思うように、僕も僕だけを思うだけでいいんです。これほど気が楽になることはありません――」
俺には難しいことのように思えるが、ハヤタにとっては簡単なことのようだ。
「姉さんや父さんのことを思うのも、イズルギさん次第であり、僕次第なんですね。それが理想ではなく、現実だから、思わずうれしくなってしまうのです」
そう言って一人で納得していたが、俺には解説が必要な話だった。都を無事に出ることができたら、一度お師さんに引き合わせた方がいいのかもしれない。これ以上聞いても、俺には理解できないだろう。今はそれよりも気に掛かることがある。
「ところでハヤタよ、お前はどうして兵士の頼みを断ったのだ? オタケ村でウサギを守った時には至近距離で大勢と対峙していたのだから、今さら海賊に怯むこともないんだろう? あの時だって槍を持つ者もいたんだし、正直なところ弓だけでは多勢に無勢だったではないか」
「あの時はただの威嚇で、実際に弓を引くことは考えていませんでした。弓で駄目なら、次は落とし穴に飛び込んで守ろうと思っていたんです。それで、いよいよっていう時になって、イズルギさんが救ってくれたんですよね。あれは同時に僕も救われたんです」
いま振り返ると、巾着袋の金貨程度で一生を左右するくらい思い悩んでいたのだから、俺も随分と小さな男のようだ。しかし、それも大亀の黄金を知ったから言えるわけで、それがなければ、今も大いに思い悩んでいたことだろう。
「でも、海賊相手なら本気で弓を引けるんだろう?」
「それは違います。僕は父さんに弓を教わったんですが、その時に言われたのが『動物の命をいただく時は、苦しませないように一矢で仕留めろ』というものでした。だから僕は絶対に急所を外さないように練習したんです。海賊を射るために腕を磨いたんじゃありません。だから断りました」
なるほど。道理で親父さんも大亀を仕留めるのが上手いわけだ。しかし親父さんがやっていることは、命をいただくとはかけ離れた行為であることは確かだ。それでも、それは俺の問題ではないので、ハヤタが悩めばいいのである。
「それにしても、今日は珍しくよく喋るな。それはいいけど、都で会った女にまでペラペラ喋ることはないだろう?」
それに関しては分からないという顔をして、すっとぼけるハヤタだった。




