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第二十五話 おヨミちゃん

 イサクさんは家族に何も告げずに屋敷を出た。アテルには俺の口から伝えるようにと頼まれたが、伝えたところで八つ当たりされるのが目に見えていた。どうして俺がそのような損な役回りを演じなければいけないのだろうか?


 翌朝になってもツバクロは屋敷へ帰ってこなかった。馬の散歩と言っていたが、まさかもっとも親しい者に大事な愛馬を盗まれるとは思ってもみなかった。これは油断した俺が悪いのだろうか?


 姉弟を無事に都へと案内したのだから、本来ならもう都に留まっている理由はないはずである。黄金の正体も分かったし、それが容易に手を出せるものではないということも重々理解した。俺はこれからどうすべきなのだろうか?


 しかしせっかく都にまで来たのだから、お花ちゃんをひと目だけでも見ておきたいという思いがあった。そんなことは思ったこともなかったが、きっと浜辺から思い出の浮島を見てしまったのがいけなかったのだろう。だが、会いに行っていいものだろうか?


「さっきから、何ぶつぶつ言ってるの?――」

 気がつくと、アテルが客間で仰向けになっている俺を見下ろしていた。

「朝だというのに、いつまでも寝転んで、少しは手伝いをしようという気にはならないの?」


「いや、今ちょうど出掛けようと思っていたところだ」

 と、上体を起こす。


 アテルは何か言いたそうだが、言葉にしなかった。


「なんだよ?」

「……あの人のところに行くんでしょう?」

「あの人って?」


 そこで言い淀む。


「……都に好きな人がいるって」


 目を合わせずに会話をするのもアテルらしくなかった。


「なぜそれをお前が知っているんだ? 話した憶えはないぞ」

「ツバクロちゃんが言ってたから」


 あの軽口の馬泥棒ならペラペラと喋っていても不思議ではなかった。


「会いに行くわけがないだろう? その子はもう他人の女房なんだ。泥棒じゃあるまいし、俺をなんだと思ってるんだ」

 と言いつつ、女の勘の鋭さを感じずにはいられなかった。


 なぜかアテルがイライラしている。

「だったら、何をしに行くというの?」


「本物の泥棒を捕まえにだよ。ツバクロの野郎、俺の馬を盗みやがった」

「あなたが貸したんじゃない」

「二日も貸すとは言ってないぞ」


 アテルが溜息をつく。

「それもそうね。……しかし本当に男って、どうして家でじっとしていられないの? お父さんはいなくなるし、ツバクロちゃんも帰ってこないし、それを探しにあなたも出て行くんでしょう? ハヤタまでどこかへ行ってしまって、家でおとなしくしているのが酔っ払いの叔父さんだけって、どういうことなの?」


「ハヤタはどうしたんだ?」

「知らないわよ。あなたたちが悪い影響を与えたんじゃないの?」

「俺はないけど、ツバクロならあり得る話だな。よし、俺が探してきてやるよ」


 なんとか屋敷を抜け出すことに成功した。あのままではアテルの説教が始まっていただろう。会話のやり取りだけだと元気に見えるが、実際は父親への不信だけでも相当参っているはずだ。加えて大事な弟もいないのでは、さすがに見ていてつらいものがある。


 まずは方向音痴のハヤタを見つけるのが先決だった。ハヤタにとって、都は森の中よりもずっと迷いやすいところだ。馬泥棒はただの冗談なので、ツバクロに関してはそのうち勝手に帰ってくると思っている。だから後回しにしても構わなかった。


 お花ちゃんには会いに行かないと決めた。アテルに対して意地を張るつもりはないが、会ってしまうと負けた気になる、という心持があるからだ。「負けた気持ちになるというのが何事においても大敵だ」と、お師さんが言っていたのを思い出したのだ。


 負けは負けから学ぶものであって、やってもいないうちから気持ちで負けてはいけないというのだ。これも大陸の戦からの引用らしいが、人生のすべてに通じるものがあるので、この場合も例外ではないはずである。


 そんな葛藤を抱えながら、お花ちゃんのいる油屋を避けつつ、考え事をしながら路地裏を歩いていると、ふいに背後から声を掛けられた。それは俺が探していたハヤタの声だ。振り返ると、ハヤタの隣には同じ年くらいの少女が立っていた。


 その少女は見たこともないくらい真っ白な着物を着ており、それだけで都の中でもかなり裕福な家の子どもというのが分かった。とにかく気品があり、優雅でもあり、他にもお師さんから教えてもらった上等な言葉をすべて持ち合わせているかのような少女だった。


「ハヤタじゃねぇか。その子は誰だ?」


 少女が自ら答える。

「ヨミです」


「へぇ、おヨミちゃんね――」

 読み書きのヨミなんて、名前からして賢そうだ。

「それで、どうして一緒にいるんだい?」


 これも少女が答える。

「道に迷っているところを助けてもらったからです」

「方向音痴が道に迷った子を助けるって、何かの冗談だろう?」

「いいえ。命を助けてもらったのです」


 大袈裟だが、都の良家の箱入り娘ならば、そんな風に考えてもおかしくなかった。


「まぁいいや。それよりハヤタよ、お前、勝手に屋敷を出たんじゃないのか? 姉さんがひどく心配していたぞ」


 これにも、なぜか少女が答える。

「お姉さまはそんなことを心配しておりません。本当に心配しているのは、お父さまのことではありませんか?」

「いや、そうだけど……」


 どうしておヨミちゃんがそのことを知っているのか疑問に思った。いや、それはハヤタが喋っちまったからだ。それ以外に考えられなかった。口下手な村の男が、都の女に聞かれるがままに家族のことをべらべらと喋ったのだ。かつての俺と同じ経験をしたようだ。


「ハヤタよ、お前もそのことが分かっているなら、姉さんの悩みに答えてやったらどうなんだ? いや、答えなんて出す必要はないさ。話を聞いてあげるだけでもいいんだ。親父さんについて少しでも話をしたか?」


 これはハヤタが答える。

「いいえ。でも今は父さんのことを話すべき時ではないと思うんです」


「話しにくいのは分かるが、姉さんと親父さんを仲直りさせることができるのは、お前だけなんだぞ?」


 ハヤタが反論する。

「それでも、今は何も話せないんです。黄金や怪物退治の名人について噂が流れていますが、そんな噂を元に、僕は父さんを語りたくありません。噂を元に話したって、実像なんて話せっこないじゃありませんか。昨日、父さんから一言だけ言葉を頂きました。今は何も話せないと言っていたんです。ならば僕だって何も語りません。たとえ姉さんであろうとも、父さんが話してくれるまでは何も語らないって決めたんです」


 ハヤタは俺に似てしまったのか、やはりアテルが言うように、俺が悪い影響を与えてしまったようである。かっこいいことを言っているが、都の女にはべらべらと喋っちまっているわけで、そのことに自分で気がついているのか疑問だった。


 都の少女は臆さず言い放つ。

「イズルギさん、お姉さまの悩みに答えを出せるのは、あなたの方ではありませんか? だって、あなたはお父さまの気持ちをよくご存知でしょう? 村の誰よりも黄金の価値を知り、それでいてオタケ村では金貨を地面に投げ捨てたではありませんか? あなたは大切だと思うものを、掴むことと同時に手放すこともできるのです。その意思を持つのは容易ではありません」


 ハヤタはどこまで喋ってしまったというのだろうか。


 少女が続ける。

「お姉さまは答えを見つけられずに悩んでいます。良心を持つということは、苦しみから逃れられないということですからね。お父さまに対する言葉や気持ちすら、自分でも本心かどうかも分からないのですよ。すべてを納得させる言葉など、この世にはないのかもしれませんが、赦してみようという気にさせる言葉はあると思うのです。それをお姉さまに伝えられるのはイズルギさん、あなただけなんです」


 話し振りから、かなり位の高い家の娘だということが分かった。それと有能な家来を持っているようで、命じればなんでも可能にできると勘違いしている感じだ。その家来は有能かもしれないが、残念ながら俺は大亀を見てションベンを漏らす男なのだ。


「いいですね? 話してみるのですよ」

 おヨミちゃんは念まで押してきた。


 それからハヤタと共に路地を抜けて消えてしまった。久し振りに自分は下々の人間として見られているんだ、という気分を味わった。都のことを忘れて村で暮らしているうちに忘れてしまった感覚だ。


 これはおヨミちゃん自身や彼女の言葉の中に、そういった感情があったわけではない。むしろ「お父さま」や「お姉さま」という言葉を使ってくれていたので、敬ってくれていたように感じる。


 ならばその劣等感、いや、その卑しい心はどこにあるかというと、すべて自分の心の中にあるということだ。他人をぞんざいに扱う者もいれば、反対に敬う者もいる。こうも世の中が両極端だと、すぐに自分を見失ってしまうのだ。それが卑しい心の正体である。


 蔑まれてもカッとせず、チヤホヤされてもいい気にならない。簡単そうに見えて難しいが、心が卑しさに蝕まれることに比べれば苦痛はないに等しいのだ。ここにきてやっと、俺はアテルに話したいことがある、と強く思うようになった。


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