第二十四話 父と子
大亀を仕留めたのはイサクさんだった。俺だけではなくツバクロも動くことができなかったのだ。それどころか、恥ずかしいことに二人ともションベンを漏らしてしまう始末だ。これでは秘密と言われなくとも、他人には話せなかった。
明け方の捕獲後が見張り役の交代時間のようで、大亀の死骸の周りには十人の兵士が集まっていた。それから見張りの仕事を終えた兵士たちと一緒に待機していた森の野営地へと引き返すことになった。
亀の腹の中にあるという黄金は見せてもらえなかった。回収役の兵士は別隊で、イサクさんですらその兵士たちの顔を見たことがないという。解体作業も運搬方法も知らず、黄金をどこへ運んで隠しているのか、さっぱり分からないと言っていた。
夜が明けてから分かったのだが、見るからにイサクさんの顔色が悪いのだ。病気の奥さんよりも生気が失われているように思われた。捕獲後は極端に口数も減り、何も言わずにゴザの上で寝入ってしまった。
久し振りに休みをもらったと言っていたが、都へ戻るのは日が暮れてからだ。迂回路を使わなければいけないので、屋敷に着くのは明日の朝になる。俺とツバクロも眠っていないので、川で衣服に染み込んだションベンを洗い落としてから眠ることにした。
目を覚ますとすっかり辺りは暗くなっていた。屋敷へ戻って家族に会えるというのに、イサクさんの表情は死んでいるかのようだった。見張り役の兵士に付き添われての移動なので、俺たち三人は自由に口を利くこともできなかった。
イサクさんが休みをもらっている間に、兵士たちは新しい大亀を探しているそうだ。すぐに見つかれば急に呼ばれることもあると言っていた。そんな生活を姉弟の父親は三ヶ月ほど続けているのである。
「あなたたちまで帰ってこなくなっちゃうなんて、揃いも揃って何をしているの? 何かあったと思うじゃない。どうして連絡もくれないのよ――」
朝一番で出迎えたアテルが怒っている。
「丸二日だよ? 誰に聞いても分からないと言うし、みんなに心配を掛けていることも分からないの?」
「すまない」
口調が悪かったのか、謝っても納得した様子はなかった。
「父さん!――」
遅れていたイサクさんが着いたようだ。
「どこに行ってたの? 私たちずっと待ってたんだよ? どうして母さんを放ったらかしにするの?」
久し振りの父子の対面だというのに、イサクさんは喜ぶ顔を見せなかった。それもそのはず、夜通し歩いてきて、たったいま到着したばかりなのだ。歩きが得意な俺でも疲れているのだから、こんな生活を続けているイサクさんはもっと疲れているはずだ。
「アテルよ。ワシも話を聞いてあげたいところだが、今はひどく疲れているのだ。少しだけ休ませてくれないか。話はその後でしよう」
アテルはそれ以上なにも言わなかった。父親の態度に冷めたのか、それとも父親の憔悴しきった顔を見て心配したのか、またはそのどちらでもないかは、俺には分かるはずもなく、立ち去る父親の背を見つめる娘に何も声を掛けてあげることができなかった。
その夜、屋敷では親族会議が行われた。母親のナミルさんはいないというのに、なぜか俺が末席に呼ばれた。ツバクロは場を察して、夜だというのに馬を散歩させに屋敷から出て行った。すでにカバジさんが酔っ払っているので、それほど重たい雰囲気はなかった。
「お父さん、顔色が良くないみたいだけど、大丈夫なの?」
アテルが心配した。
「ああ、これでも慣れた方なんだ。もしものことがあったら都の先生に診てもらうことになっている。驚くなよ、今な、こちらに西の都の名医を呼び寄せているところなんだぞ。なんでも海を渡って医学や薬学を学んだそうだ。先生に診てもらったらな、母さんだってすぐに良くなる」
西の都というのは歴史が古く、西の果てにあった頃は女王が支配していて、大陸の人間から「馬の国」とも呼ばれていた大きな都のことだ。鹿も大切に扱われていたそうだけど、かなり前に政争が起こって、現在は馬や鹿が侮蔑の対象へと変わり果ててしまったそうだ。
つまり朝廷と呼ばれる中の人間がそっくり入れ替わってしまったということでもある。いや、中には世襲を絶やさない豪族もいると聞いているので、鉱物の産出地に沿うように東征を行い、政争を繰り返しながら、都を遷していったということだろう。
いわゆる「お公家さん」と呼ばれる人たちが暮らしているのが西の都だ。現在は中央とか天子と呼ばれているが、そこではその後も絶え間なく政争が起こっていると聞いている。ただそれ以上に西側は日照りによる干ばつが深刻で、今はそれどころではないそうだ。
今のところ俺の村とは無縁だが、中央がくしゃみをすれば、お前たちが風邪を引くことになる、とお師さんは言っていた。俺が生まれる前の大昔に中央からの出兵があったので、おそらくそのことを言っているのだろう。
ただし西側の人間が東側に移り住むのは、何も侵略や政争や鉱物資源の略奪だけが理由とは限らない。やはり気候変動によって移住を余儀なくされる場合が多いわけだ。当たり前の話だが、現地人と上手く溶け込める者だけが生き残るのも自然の摂理ではある。
アテルが父に尋ねる。
「ねぇ、どうしてなの? お医者様を呼んだなら、もうお父さんはどこにも行く必要はないじゃない。お母さんのためと言うなら、ここにいてあげることが一番なんじゃないの?」
アテルの言うことはもっともだ。しかし、ことはそう簡単ではなかった。そのことをよく知っているので、イサクさんも耐えながら娘の話を聞いている感じだ。その代わりに答えたのがカバジさんだった。
「兄貴だってそうしたいさ。でもな、これは一攫千金を得る、またとない機会なんだぞ? いや、一度どころじゃないな。おれたちの村は兄貴のおかげで大金持ちになったんだ」
「お金の話なの? 私は命の話をしてるのよ」
そう言って、アテルが叔父さんを睨んだ。
カバジさんが笑って誤魔化す。
「そう怖い顔するなって。かわいい顔が台無しじゃないか」
アテルは至極冷静だった。
「叔父さん、お酒が入っているんでしょう? ここにはハヤタもいるのよ。酔っているのなら、ここから出て行って」
「ああ、そうだな。今はハヤタがいるんだったな」
カバジさんが立ち上る。
「アテルはいつも正しいよ」
おどけた口調で、そう言い残して席を後にした。
アテルは気にせず、再び父に尋ねる。
「叔父さんが言うように、父さんも黄金が大事だと言うの? 聞いたけど、お父さんは三か月も前から、ほとんど屋敷に帰らないっていうじゃない。どうしてなの? こんなことは言いたくもないし、思いたくもないけど、お父さんが黄金を探している間に、お母さんにもしものことがあったらどうするのよ? そのとき後悔するのはお父さんなんだよ? それとも、そんなことすら想像もできなくなったというの?」
「家族が病に倒れても、働かなければならないのが村の決まりだ。休んでいいのは亡くなってしまった時だけだ。それはお前も知っているだろう? 今は冬支度前の大事な時期で、村の者はお前たちの分まで休まず働いているのだぞ」
「都で黄金を見つけることが仕事? そんなの父さんの仕事ではないでしょう? どうして父さんがしなければならないの? 怪物退治の名人って聞いたけど、そんな人は私の父さんじゃないし、人から父さんの娘だとも思われたくない。私の父さんは獣を大切に思い、命をいただく時は村の人たちと分け合いながら食べる人なの。怪物か何か知らないけど、殺すためだけに命を奪うなんてことは絶対にしない人じゃない。たとえ黄金であっても、お母さんより大切なものは、この世にないって知っている人なんだもん」
そう言うと、アテルは弟の手を掴んで立ち上がった。
「ハヤタ、行くわよ。お母さんのところへ行って、本当のお父様が帰ってくるのを待ちましょう」
弟は戸惑いつつも、姉に手を引かれて奥の間へと行ってしまった。別間ではイサクさんと俺の二人きりになり、非常に気まずい雰囲気になっている。こうならないようにと同席したのに、結局は一言も喋ることができなかった。
「あの、俺が世話になったお師さんが『この世で一番難しいものは年頃の女心だ』と言っていました。だから仕方ないですよ」
イサクさんの反応を待ったが、見事に無視されてしまった。
なぜだか、お師さんに対して無性に腹が立った。
あの、老いぼれの役立たずめっ!
「御免」
大きくはないが、よく通る声が玄関先から聞こえてきた。あれは確か、坂の下の何某の声だ。
「失礼つかまつる」
坂の下の何某が足音も立てずに現れた。
「イサクよ、次なる獲物が見つかったとの報告を受けた。至急参られよ」
その言葉に、イサクさんは黙って従うように立ち上がった。
「行くんですか?」
俺の言葉に反応したのは隊長の方だった。
しかし俺をひと睨みしてから去っていった。
ここは引き止めなければならないような気がした。
「休んだばかりじゃありませんか」
「イズルギよ、アテルとハヤタを頼んだぞ」
「何を頼むというんですか? 父親はあなたなんですよ」
「しばらく留守にする」
「それでは二人が悲しむじゃありませんか」
「それも承知の上だ」
「ならば、どうして?」
「こうするより他にないのだ」
「もう、行かない方がいいです」
「それを決めるのはワシじゃない」




