第二十三話 怪物退治の名人
「そこの者、動くな」
小さな声だが威圧感のある野太い声だった。辺りは薄曇りで視界だけでは地を歩いているのかも分からなかった。確かなのは足の裏に感じる浜辺の感触だけである。そこへ声を掛けられたものだから、背中にかいた汗が一気に冷たく感じられた。
「どこの者だ? 名を名乗れ」
「オオワシ村から来たイズルギです。アテルとハヤタの父イサクに会いにきました」
「改めさせてもらおう」
そう言うと、火打石を打つ音が鳴り、一瞬で明かりが灯った。尋常じゃない手際の良さである。木蝋の明かりで周囲が照らされると、そこで初めて俺たちは槍を構えた五人の兵士に囲まれていたのだと知ることができたわけである。
「間違いないな」
隊長らしき男が胸に挿してあるオオワシの羽根を俺たちに返してくれた。
「わが名は坂ノ下ノ時宗。騎馬隊の指揮、及び黄金確保の任を命じられておる者だ。二人とも、驚かせてすまなかったな」
物腰は柔和だが、眼光は鋭かった。
「こんなにも肝を冷やしたことはありませんよ」
隊長が笑う。
「ははっ。しかし驚いたのはこちらの方だ。会いにきたとは聞いてないぞ」
「はい。屋敷の者にしか話していません。その方がそちらにとっても都合がよいかと」
これだけで秘密を守るつもりがあると伝えるには充分だった。
「ついて参れ。イサクの元に案内する」
それを合図に兵士が木蝋の火を吹き消した。こういう時、ツバクロは一言も喋らない。しかし彼のことだから、薄曇りの中でも微かな目印を拾い集め、位置情報を収集していることだろう。
案内された先は森の中だった。そこに気配を消した父親のイサクさん、いや、怪物退治の名人と呼ばれているイサクさんがいた。髭を蓄えた大きな男で、弟のカバジさんと違って筋骨隆々としている男だ。話し声は低くて静かだった。
簡単な自己紹介を済ませた後、旅の供を務めたことを労われ、屋敷が無事であることを伝え、そして姉弟が会いたがっているということを代弁した。ただし、アテルが腹を立てていることは伏せておいた。
「次の獲物を仕留めることができれば、一旦帰ることができるだろう」
「獲物って……、本当に黄金を腹に抱えた怪物がいるっていうことですか?」
「もうすでに十一頭は仕留めたぞ。それだけでも蔵には収まり切れないほどの金塊だ。いや違うな。仕留めるたびに蔵を立てねばならんくらいだ」
「話によれば、クジラよりも大きいと聞きました」
イサクさんが頷く。
「うむ。ワシもクジラは知らんが、見た者によると、クジラよりも大きく、それでいてクジラほどの金塊を抱えているのだそうだ」
「その怪物の正体とは一体なんなんですか?」
「亀だ」
「そんな亀が、この世にいると?」
「信じられぬのなら、その目で確かめてみるがよい。明け方に捕獲が始まる」
そこで黙っていたツバクロが口を開く。
「オレっちも見て構いませんか?」
イサクさんが急に怖い顔をする。
「それは構わないが、これだけは守るんだぞ。まず黄金には手を触れてはいけない。そして一切は他言無用だ。いいか? これはお前たちだけの処分では済まない話だぞ。裏切りや抜け駆けは、ワシらの村に遺恨となって災いを招くことになる。分け前は充分すぎるほどもらっているからな。それ以上に欲をかけば、後は醜い争いが起こるだけだ」
ツバクロと一緒に誓いを立てたところで、更に尋ねてみる。
「しかしどうやってそんな大亀を一人で仕留めることができたんですか? いや、それよりまずは、よく見つけることができましたね」
イサクさんが思い返す。
「旅の途中でスッポンが身体にいいという話を聞いたんだ。しかしスッポンと言われても、亀に似ているとしか教わらなかった。川や沼地に生息していることも知らずに海岸線ばかり探していたんだ。そこで岩礁の上を歩いているときに、亀の甲羅によく似た岩山を発見した。どう見ても岩にしか見えぬが、ワシもスッポンなど知らぬからな、それが真のスッポンであると思い込み、丸焼きにして持ち帰ろうと思ったのだ」
そこでイサクさんの表情に苦悩が浮かぶ。
「思えばワシも家内を助けたい一心だった。枯れ木という枯れ木を集め、穴を掘り、亀の腹の下に火を放ってやった。しばらくその火を見つめていたが、半ばで、ふと、愚かなことをしていると気がついた。そう思った瞬間、岩山が浮かび上がり、四肢が伸びて、尻尾と頭が飛び出したんだ。これが話に聞いたスッポンかと思い、無我夢中で格闘していた。しかし突いた槍に手応えはなく、浜から海の方へと逃げていこうとしていた。これを逃しては、またとないと思い、最後に槍を頭に投げ込んだのだ。それが首の根本に命中し、命が絶えた瞬間となった。それから生き血を逃すまいと竹筒に流し込もうとしたところで、血に砂金が混じっているのを確認したのだ。しかし、まさか腹の中に金塊を抱えているとは、誰が思うというのだ?」
すべては薬のためにということか。都に来て心変わりしたということではないわけだ。それを知ることができただけでも良かったと思った。少なくとも、これでアテルと顔を合わせづらいということはなさそうである。
「しかしまた、どうして役人に話したんですか?」
これにはツバクロも同意する。
「そうそう、オレっちなら、森の中に埋めちまって独り占めするのによ」
イサクさんは苦渋を浮かべる。
「それは村を守るためで仕方がなかったのだ。お前たちも子を持てば分かる。金塊を見た瞬間な、喜びよりも、これで戦が起こると不安になったんだ。隠し通すこともできただろう。しかし見つかれば、ただの賊になってしまうからな。いいか、イズルギよ。ここはワシらの領地ではないのだ。それを肝に銘じておけ。いや、お前は旅を経験しているのだったな。ならば言わなくとも分かっているはずだ。そして、ワシの迷いもまた、分かるのはお前だけであろう」
それは買い被りというものだ。理屈はよく承知しているし、姉弟との旅も注意してきたつもりだ。しかし金塊ともなると、心を清く持ち続ける自信がなくなってしまうのである。それがイサクさんの言う、迷いなのだろうか?
「さて、そろそろ時間だ」
まだ夜明け前だが、俺たちは槍を持たされイサクさんの後について行った。五人の兵士は姿を見せなかった。都の兵士は見張り役と黄金の回収役に別れており、十五人が三交代制で任に当たっていると言っていた。もちろんそのことも他言無用だと念を押された。
作業が明け方なのは、大亀を炙る際に出る煙を見られないようにするためである。昼間はひたすら人に見られないように身を隠し、明け方でも人影があれば即刻作業を打ち切ると言っていた。とにかく根気のいる仕事のようである。
また、真夜中に作業が行われないのは、大亀を海へと取り逃がさないためである。炙られた大亀はゆっくりではあるが、致命傷を負わせなければすぐに逃げられてしまうというのだ。これまでに二匹、いや二頭ほど夜中に逃げられてしまったようだ。
「よし、合図が出た」
そう言うと、イサクさんは火を起こして、岩山の掘った穴に火を放った。言っていた通り、どこをどう見てもただの岩山にしか見えなかった。確かに亀の甲羅のように丸みを帯びているが、到底、それが生き物であるとは思えないのである。
浜辺ではなく岩礁地帯なので相当足場が悪くなっていた。もうすでに浜辺に近いところでは捕獲し尽してしまったそうだ。海水が溜まっている窪地もあり、逃げ道の確認だけは怠るなと言われていた。
夜が明ける、と思った瞬間、地が揺れた。
目の前で岩山が迫り上がってゆく。
同時に、どろっとした足が、にょきっと伸びる。
目の動きだけでは追いつかない。
天を見上げるほどの大きさだ。
最近これと同じ大きさのものを見たような気がする。
そうだ、屋敷と変わらぬ大きさだ。
それが二段重なるほど高くなってゆく。
槍を持つ手に力が入らない。
首の方に回ることができなかった。
足が動いてくれないのである。
眼前で海へ帰る姿を見送ることしかできなかった。
よく動く頭で何を見ているというのだろう。
いや、違う。
首に刺さった槍で、もがいているのだ。
振り払うように首を振っている。
その途中で、大亀の目と目が合ってしまった。
なぜか涙が出た。
そこで大亀は絶命した。




