第二話 アテルとハヤタ
「ほれ、遠慮するでない」
大ババ様はドクダミ茶を美味そうにすすっているが、俺はその独特の臭みが苦手だった。湯気が鼻先に触れるだけでも嫌な気分になるからだ。それでも出された物は飲み干さなければ失礼なので、なんとか処分できないものかと考えているところだ。
「頼み事じゃが、イズルギや、もう一度だけ都に行ってくれんかの?」
「都にですか?」
「そうじゃ、都へ女子と童の姉弟を無事に届けてほしいんじゃ」
「女と子どもですか、それは危険ですよ」
俺の言葉を受けて、若村長が床を叩いた。
「だから頼んでいるのではないかっ」
「これこれ、大きな音を立てるでない」
大ババ様に窘められて若村長が身体を小さくした。若村長といっても俺の父親と変わらない年齢なので、そんないい年をした大人が怒られている姿を見るのは痛快だった。それでも鋭い眼光で睨みつけているので頬を弛めることはできなかった。
「イズルギや、都というのは、そんなにも危険なところか?」
「そりゃそうです。金目の物を持っているだけでも襲われますし、女こどもだからって容赦してくれません。いや、女こどもだからこそ人さらいに狙われてしまいますからね。また、都への道中だって襲ってきそうな獣がうじゃうじゃいるんです。俺だって逃げ足の早さだけで何とか無事でいられましたが、腕っ節の強さだけではどうにもなりませんよ。それが都への旅ってもんです。女こどもと一緒なら、俺だって無事に都へ辿り着けるか分からないというのが本当のところですね」
この村には都を知っている者はいないので、これくらい大袈裟に言っておけば諦めてくれるだろうと思ったが、どうやら逆効果だったようで、大ババ様の不安を煽る結果となってしまったようである。
「ならば、なおさらイズルギの力が必要じゃな」
もう二度と都へは行きたくなかったので、どうしても諦めさせる必要がある。
「しかし、なんだって子ども二人で都へなんか行こうと思ったのですか? 商いをしに行くというわけでもなさそうですし、止められるものなら止めさせた方がいいんじゃありませんかね?」
「コクマよ、もういっぺん話してくれんかのう」
コクマというのは若村長のことだ。
「承知しました。その姉弟には病にふせていた母親がいてな、ちょうどお前が都から帰ってくる時期と入れ違うようにして、父親とその弟が母親を都へ連れて行ったんだ。聞くところによると、なんでも都には病に効く万能薬があるというじゃないか。それで藁にも縋る思いだったのだろうな、このままでは次の冬を越せないと判断し、周囲の反対を押し切って行ってしまったのだ――」
そんな万能薬などあるはずがない。
「ところがだ。初めの頃は行商人からの伝言は逐一届けられていたんだが、百日くらい前から途切れてしまったのだよ。それで母親思いの姉弟がしびれを切らして、これまた周囲の反対を押し切って都へ行くと言い出したわけだ。涙ぐましい話ではないか。どうだ? 親思いの良い孝行話だと思わんか? 里を捨てて都へ行くのとはわけが違う――」
話そのものは悪くないが、いかんせん若村長の押し付けがましい話しぶりには辟易させられてしまう。世の中にはいくらでも美談は転がっているものだが、話し手が説教っぽく語った途端に安っぽく感じるものだ。
「姉弟の都行きに賛成する者はいなかったが、二人の固い決意を止められる者もおらず、それならばと、大ババ様がイズルギ、お前に同行させる案を思いつかれたのだ。これは喜んでいい話だぞ。お前には過ぎた大役なのだからな」
「どうして俺なんですか? 過ぎたというのなら他にも相応の者がいるでしょう?」
大ババ様に尋ねたつもりだが、これも若村長が答えた。
「お前には馬があるだろう。それに都までの道を知っているではないか。さらには方々に顔も利くしな。馬小屋に閉じこもっているから知らんと思うが、今のお前は誰よりも有名なのだぞ?」
どうせ噂の的といっても、笑いの種になっているだけなのだろう。そんなことはどうでもよかった。それよりも、どうしたら都行きを断れるかだ。大ババ様の頼みは断れないが、その姉弟を断念させれば、俺も都に行かなくて済むはずである。
「それで、その姉と弟というのはどこにいるんですか?」
「うむ、本来ならば、もうとっくに顔を見せてもいい頃なのだがな」
その時、大ババ様だけが笑った。
「ふふっ、噂をすれば」
「オオワシ村のアテルとハヤタです。ただいま到着しました!」
家屋の外から女の大きな声が響いてきた。
「入りなさい」
若村長の言葉に従うように戸が開けられた。見ると、戸口には二人の男が立っていた。いや、姉と弟なので片方は女のはずだが、ひと目見ただけでは女子には見えなかった。というのも、女が穿かない袴姿をしていたからだ。
二人の姉弟は大ババ様に挨拶をして、若村長に促されるように腰を下ろした。喉が渇いていたのか、お茶ではなく水を所望し、それを二人とも一気に飲み干すのだった。弟のハヤタは飲んだそばから大粒の汗を流した。
髪を短く刈り上げた、男物の旅装をしている小柄な方がアテルだ。村の女が身に着けているような装飾品は一切していなかった。唯一女物といえるのはオオワシの羽根を髪飾りにしているくらいである。その心構えだけでも旅立ちの決意は固いように思われた。
子どもの割に背の高い男の方がハヤタだ。矢筒を背負って剣も帯刀していた。顔つきは幼いが、日に焼けた肌と太い腕から、よく家の仕事を手伝う子どもだというのが分かった。ハヤタの方は軽装だが、胸には姉と同じようにオオワシの羽根を挿していた。
年の頃は姉が俺と同じか、それより下の十五、六で、弟の方が十三、四といったくらいだろうか。二人とも大人といえば大人だが、子どもといえば子どもだった。そういう俺自身も大人がどういうものかよく分かっていないので、ちゃんと判別することができなかった。
若村長が床を叩く。
「こら、イズルギ、何をぼけっとしておる。お前も挨拶くらいしたらどうだ? 母親も言っていたが、本当に馬のような男だな。まぁ、馬代わりにするのだから、それでいいとも言えるがな」
そう言って、若村長だけが笑った。
「初めまして、オオクマ村のイズルギです」
「あら、初めてじゃないのよ」
アテルが俺の記憶を呼び起こそうとする。
「小さい頃に一緒に湖で水遊びをしたのを覚えてない? ほら、イトウ村で」
「なんだ、お前ら幼馴染か」
これには若村長も驚くが、一番驚いているのは俺の方だった。なにしろ記憶がさっぱりないからである。しかしイトウ村で幼少期を過ごしていたので、アテルの言っていることは確かなのかもしれない。
「憶えていないの? 泳げないくせに泳げる振りをして、それでやっぱり溺れちゃって、みんなに笑われていたじゃない――」
確かにそんなことがあったような気がした。
「他にもあるわよ。みんなで山菜取りに山へ入った時、リスを子熊と間違えて腰を抜かしたのよね。それもみんなに笑われてたっけ」
「いや、あれは熊だったよ」
「嘘ばっかり」
若村長が俺を見てうれしそうに笑っている。
アテルが真顔で続ける。
「遊びに行っただけで数日しかいなかったから、私のことは覚えていないかもしれないけど、あの時、笑っている子たちとケンカして守ってあげたのは誰だと思ってるの?」
そこで思い出した。男勝りの女の子がいて、それがアテルだったわけだ。
「ああ、あの時のオトコオンナか。お前だって、みんなから笑われてたじゃないか」
「何よ、その言い方っ、そっちこそ弓の使い方も知らないオンナオトコのくせに」
「弟の方も思い出したぞ。いつもお姉ちゃんの尻に顔を隠して歩いていたオチビだろ?」
そう言うと、ハヤタは顔を赤くして目を伏せてしまった。
「私のことは何を言ってもいいけど、弟のことは悪く言わないで」
「悪く言ったんじゃなくて、全部本当のことだろうが」
「どこが本当よ」
そこで若村長が床を叩いた。
「よさないか、お前ら、大ババ様の前だぞ」
そう言われたら黙るしかないが、当の大ババ様に気にした様子はなかった。それどころか、にこやかに見守っている感じである。気にしているのは若村長だけかもしれないが、それが村長の仕事といえば仕事なのかもしれない。
若村長の説教が続く。
「イズルギよ、今のはお前が悪いぞ。お前は知らぬと思うが、ハヤタはすでに弓の名手として名を馳せ、ここらでは右に出る者はいないといわれておるからな。頭上に飛来する鳥を射抜けるというのは有名な話ではないか。お前が都へ行っている間、里の人間は日々成長しておるのだぞ」
閉口するしかなかった。
「コクマよ、その辺にしておきなさい」
そんな俺を救ってくれたのは大ババ様だ。いじめが起こりやすい狭い村で、居場所を与えてくれるのが大ババ様だ。大ババ様がいなかったら、こんな村には二度と戻ってくることはなかっただろう。
「それよりアテルや、旅立ちはいつじゃ?」
問われたアテルが額の汗を拭う。
「大ババ様、その前に水をもう一杯いただけないでしょうか?」
ここしかない絶好の機会だと思った。
「それならこれを飲むといい。手を付けていない茶がある」
「ありがとう」
アテルが俺から湯呑を受け取った。
こうして俺はドクダミ茶の処分に成功するのだった。