第十八話 隣町での世間話
お師さんと別れてから町をぶらつくことにした。さすがは都の隣町なだけあって、貨幣の流通が安定しているのか、俺たちの村では見掛けない店が街道沿いに軒を連ねていた。宿屋、酒飲み屋、乾物屋、油屋、生鮮生魚など、金があれば町から出る必要はなさそうだ。
三年前よりも人の往来が目につくのは、やはり都で黄金が出た話が広まったからなのだろう。旅の者と思われる格好をした老若男女が鍬や笊を持って都へ向かっている。一方で負傷して生傷がむき出しになっている者も多く見受けられた。
「どうぞ、お飲みください――」
歩くのもやっとといった感じの男がいたので、アテルが水を飲ませるために声を掛けた。
「その傷、どうされたんですか?」
「どうもこうもねぇよ。こちとら爺さんの代から都で漁をして凌いできたのによ、金が湧いた瞬間に立ち入り禁止だってよ。人んちに押し入ってきて『勝手に入るな』はねぇだろう? 舟だってしばらく預かるだってよ。これまで誰のおかげで飯が食えてると思ってんだよ。舟と網を持っていかれたんじゃ商売上がったりだからよ、取り返すためにひと悶着あったんだ。傷はその時にできたもんだ。見ろよ、酷いもんだろう? 女房の実家で休んだら、もうひと暴れするからな。旅の人よ、悪いこたぁ言わねぇ、都には近づくんじゃねぇぞ。それでも金が欲しいっていうなら止めはしないけどよ、怪我をさせても言いっこなしだからな」
この人は都の漁師で、住んでいる土地建物や舟まで接収されたということらしい。接収したのは役人だろうか? いま都を統治しているのは、この地を古くから治めてきた豪族だか王族だかの一族だったはずだ。
俺も詳しくは知らないが、この地を長きに渡って治めることができるのは、兵隊を多く抱えているから、というのはよく聞く話だ。海賊や山賊を退治しながら領地を広げていったというのが都側の言い分である。
負傷した男の家系の者は、海域を侵す賊が現れたら、これまでに都の兵士として戦ったことがあったに違いないはずだ。それが今や役人と揉める事態にまで及んでいるわけだから、これでは再び秩序が保たれるようになるまでに莫大な時間を要することだろう。
「そこのお兄さん、都へ行くなら、これを買っていきなよ」
声を掛けてきたのは、露店で物品を売りさばく年増の女店主だった。
「お兄さんたちも都へ黄金を掴みに行くんだろう? だったら手ぶらはいけないよ。せめて槍の一本は持って行かないと話にならないじゃないか」
「どうして黄金に槍が必要なんです? まだ鍬を持って行った方がマシじゃありませんか」
女店主が声を潜める。
「いいかい? ここだけの話だよ。そんなもの役に立ちやしないんだ。なんたって黄金は怪物の腹の中にあるんだからね。そんなのが目の前に現れてごらんよ、鍬なんかで太刀打ちできるわけないじゃないか」
嘘くさい話だ。
「怪物なんて、またご冗談でしょう?」
「おや? 信じてないんだね。せっかく人が親切に教えてやったというのに、そんなんじゃ死にに行くようなもんだよ?」
「あいにくですが、俺たちは持ち合わせがなくて」
「なんだい、それならそうと初めに言ってくれりゃいいじゃないか」
女店主がむくれた。
「いや、銭があっても買いませんけどね。だって、どうせここに並んでいるものなんて、全部どこかで拾ってきたもんなんでしょう?」
「失礼なこと言うね。冷やかしなら帰っておくれ」
言われた通りにしてその場を離れたが、帰り際に小汚い子どもが目の端に見えた。
「おばちゃん、また拾ってきたよ。食い物をおくれよ」
「おお、いい子だね」
振り返ると、子どもの手には弦のない弓や折れた矢が握られていた。こういうのは都でよく見られる光景だった。都というと華やかな世界を想像するが、実際は貧富の差が激しいというのが現実だ。
戦で両親を亡くす子どもも少なくないので、そういう子は恵まれれば良家へ引き取られ、恵まれなければ売られていくのだ。それでもまだ拾われればマシで、逃げ出して盗賊になる場合もあるし、この子のように人の多い都で凌ぐ場合もあるわけだ。
見て見ぬ振りというわけではないが、これは明日にでも自分の身に起こることであると認識しているので、気軽に助けるわけにもいかないのである。というよりも、余裕がないというのが本当のところだ。
せめて戦の遺児ならば役人がどうにかすべきであるが、まだ使い物にならない子どもに食わせるほど余裕がないのは役所も同じだった。結局は同じなのだ。個人で出来ないことが、共同体ならば可能だと思い込むのは、ただの幻想ということである。
「おいっ! 都へ一緒に行く者はいないかっ!」
街道を歩いていると、広場で粗野な男が叫んでいるのが見えた。
「今から一人で都へ行ったって、黄金なんて手にするどころか、お目にかかることすらできねぇぞ! なんたってな、都には怪物退治の名人がいるんだ。そいつは目がいいんだか鼻が利くんだか知らねぇけど、一発で怪物の棲家が分かっちまうっていう話だぜ。おもしろくねぇのが、そいつが役人どもと結託してよ、すべての黄金を独占しちまったことだ。俺たちに分け前すら寄越さねぇんだぞ。聞けば、そいつは都と関係ねぇやつだっていうじゃねぇか。なんでそんな奴に俺たちの黄金を奪われなきゃいけねぇんだ? この際だ、欲をかいた役人どもをよ、みんなで痛い目に遭わせようじゃねぇか!」
煽る人間がいて、煽られる人間がいる。煽られる者から歓声が上がった瞬間、煽る者は扇動者となる。ただの大きな声の男が、そこで大衆という名の武器を持った革命家となるのだ。これは想像以上に都が危険な状態にあるのかもしれない。
「イズルギ!」
背中に声を掛けられたものの、群衆の中にいて振り返っても声の主を確認できなかった。
「イズルギ、こっちだよ、こっち!」
見ると、群衆に紛れて手を振っている者がいた。
そこでアテルに声を掛けて群衆から抜け出すことにした。
「オレっちのこと忘れたわけじゃないよな?」
気がつくと目の前に一人の小男が立っていた。
「ツバクロじゃないか!」
「久し振りだな!」
そう言って、ツバクロはニカッと真っ白な歯を見せた。
この男とは都で知り合い、お師さんの元で共に学んだ門下生のようなものだ。一年働けば馬をくれるという村の存在を教えてくれたのも彼で、俺にとって数少ない、というよりも唯一の友達だ。
身体が小さくて身軽なので、俺が半日に十里歩くところを、ツバクロは半分の時間で歩いてしまうような男だった。驚くのは走れば倍以上も移動できるということだ。渡り鳥と同じ名前だが、本名かどうかまでは聞いていなかった。
「会えてうれしいぞ」
「オレっちだって、うれしいに決まってるだろう」
そう言って、ツバクロは目に涙を浮かべた。昔から感激屋さんなのだ。
「あれから何をしていた?」
「イズルギが一人でいなくなっちまったから、オレっちもあっちこっちを放浪してたのさ」
「いなくなるってな、仕方ないだろう? お前には馬なんて必要ないのだから」
「オレっちよりも馬を選ぶんだもんな」
ボサボサ頭のツバクロが拗ねてしまった。
「だからそういうことではないと、前に別れる時にも言ったじゃないか」
「馬なんかよりも、オレっちの方が何倍も役に立つんだ」
「ははっ、確かに馬と競って勝てるのはツバクロくらいだろうな」
そう言ってやると、満足げに頷くのだった。
「ところでツバクロよ、お前のことだから黄金の噂を聞きつけてやって来たんだろうが、なぜまだこんなところにいるんだ? どこにいようと、お前の足なら都に飛んで行けただろうに」
「へへっ、もうなんべんも都とここを行ったり来たりしてるんだ。でも黄金なんて拝めやしないよ。それどころか見ているだけで賊だと思われるからさ、危なっかしくて留まってもいられないんだ」
「ならば、あの群衆の先に立っている者の話は本当なのか?」
ツバクロが頷く。
「ああ、言ってることは確かだけど、都の役人を目の敵にするのはどうかと思うよ。なんせ人が大勢集まってきちまったからね。お役人さんも自分のところの兵隊と賊の区別がつかなくなっちまってるんだ。それで黄金を一旦確保しようとしたのが独占しているように思われちまったんだろうね。黄金を余所者に渡さないようにした方が、都の人間にだって働き口が増えたりして恩恵があるっていうのに、短気を起こす人が多いもんだから身内で戦を始めちまうんだ」
「怪物の腹の中に黄金が眠っているというのも本当か?」
「それは見たことねぇから何とも言えないや。ほら、オレっちは足は速いけど腕っ節はからっきしだからさ。でも熊よりも大きいなんて話だな」
「クジラってのが熊よりも大きいと聞いたことがあるぞ。舟が必要なんだろう?」
「ああ、歩くクジラと言った奴もいるな。それよりイズルギこそ、馬があるのに随分と到着が遅いんだな。やっぱりオレっちの方が役に立つじゃないか」
そこで説明がてらツバクロにアテルを紹介した。
「なんだ、嫁さんをもらってたのか」