第十一話 太陽の玉
その玉は昇る太陽のような色をしており、光こそ放つことはないが、目を惹くだけの輝きが感じられた。しかしこれが何なのか、見たことも聞いたこともない代物で、それはアテルやハヤタも同様のようだった。
「ハヤタ、なんでもかんでも触ったら駄目でしょう? かぶれたりしたらどうするの」
「ごめんなさい」
謝ってから、ハヤタが太陽の玉を地面に放ってしまった。
それを見て、俺が拾い上げる。
「何か分からないが、捨てるには惜しいぞ」
アテルが呆れる。
「もう、どうして男って、こうなのかしら?」
「これ、もらっていいか?」
ハヤタがコクリと頷いた。
「どうなっても知らないからね」
アテルがうるさい母親のように言い捨てた。
「ハヤタ、あなたは手を洗っちゃいなさい。ここにお水があるから」
一応、尋ねてみる。
「俺には?」
「自分のお水があるでしょう?」
予想通りの答えだった。
でもそれで構わなかった。手を洗う前に、まずは太陽の玉を包んでおく必要がある。これを行商人のいる町まで持って行けば、玉の正体を知る者がいるはずだ。価値があるかもしれないので捨てていくことはできなかった。
きっとキツネが置いていったのだろう。なぜなら森の中に落ちている物とは思えないからだ。どう見ても球体に加工されているし、天然のものではないように見える。舐めてみたい衝動にかられるが、さすがに正体が分からないので止めておくことにした。
「ねぇ、人里に出るまで後どのくらい歩くの?」
アテルが歩きながら尋ねた。
「そうだな、思ったより早く歩けているし、明日のうちには人里に出られるかもな」
「進む方向は分かってるの?」
「ああ、お日さんが出れば心配ないよ」
「今日はぼけっとしないでね」
「任せとけ」
山道を選んだのには訳があった。道は悪く、坂も多いが、食糧に困らないというのが心強いからだ。保存食の干しイカを失ったのは惜しいが、茸や山菜があれば当分困らないだろう。山を下りながら余分に採取し、村で雑穀や魚と交換してもらうという方法もある。
それに何より幅の広い川を避けられるというのが重要だった。複数の川が合流してできた大河など、渡し船などがない限りは超えられないからである。それには貨幣が必要だろうし、場所によっては橋ですら無償で通ることができないのだ。
初めて都へ行った時のことだが、渡し船や橋だけではなく、天然の飛び石を利用するだけでも物品を要求する輩が存在したので、そういう面倒を避けたかったのだ。遠回りすることになるが、そんな奴らとは関わらない方が安全なのである。
「ねぇ、大きな川はないんじゃなかったの? 深そうだし、どうするの?」
嫌味を言ったのはアテルだ。
考え事をしながら歩いていると、大きな川に出くわしてしまった。地形の関係で避けては通れない川があるのは仕方のないことだ。見渡す限り上流は遥か先まで川幅がありそうだし、下流に行っても流れが緩くなる程度と思われた。
前に都へ行った時は急ぐ必要がなかったので渡りやすい場所をじっくり探すことができた。また、帰りは流星号と一緒だったので、馬の背中に乗っているだけで、何事もなく渡ることもできた。しかし今回ばかりは、そう悠長に構えてはいられなかった。
覚悟を決める。
「よし、遠回りするのは時間の無駄だ。泳いで渡るぞ」
アテルが驚く。
「流星はどうするの?」
「こいつは泳ぎが得意だ。お前が背中に乗るといい。ハヤタは泳げるな?」
ハヤタは頷くが、アテルから物言いが出た。
「ちょっと待って。私が流星に乗ったら、あなたは渡れないじゃない」
「大丈夫だろう」
「大丈夫と言って溺れるのがあなたでしょう?」
「昔のことだ」
「もう、どうして出来もしないのに格好つけるの?」
アテルがわざとらしく大きなため息をついた。
「いいわ、私が泳ぐから、あなたは流星に乗って先に渡ってちょうだい。私とハヤタの着物を預けるから、絶対に落としたりしないでね」
それはいいけど……。
「わざわざ脱ぐのか?」
「当たり前でしょう? そんなことも知らないから、いつまで経っても泳げないのよ。あっ、そうだ。今から脱ぐけど、絶対に裸は見ないでね」
「見るわけないだろう? わざわざ忠告するなよ」
「じゃあ、流星に乗って川の方を向いていて。あとでハヤタが渡しに行くから」
疑われることすら心外だ。俺たちの部族では家族以外の者に裸を見せてはいけない決まりがある。見てもいいけど、見せてはいけない、ということで婚姻関係を強く守らせるわけだ。
「イズルギさん、お願いします」
裸のハヤタに二人分の着物を渡された。
すぐに流星号を泳がせたが、すぐに馬の脚が川底から離れたのが分かった。思ったより深いので泳がなくて正解である。もし泳いでいたら、すぐに溺れて川の水をたらふく飲んでいたことだろう。
その点、流星号は頼もしかった。空を翔けているかのごとく、ふんわりとした気持ちにさせてくれる。これほど快適ならば、馬の背に乗せて川を渡らせる商いを始めてもおもしろいかもしれないと思った。
すぐに川を渡り終えたので、姉弟が身体を冷やさぬように火を起こすことにした。ちょうど昼飯時ということもあり、茸汁をすするにはもってこいの時間帯だった。その間も、アテルの裸を見ないように気をつけなければいけなかった。
俺たち北方部族は寒い環境で暮らしており、肌を隠している時期が長いため、自ずと他人に肌を見せる機会が少なくなる。そういった理由で裸になることに羞恥心を強く抱いてしまうのだろう。
それに対して、これは都で聞いた話ではあるが、海の向こうの遥か遠い南の国では、女ですら上半身裸で過ごしている部族があると聞いたことがある。しかし彼らに対して羞恥心がないと決めつけるのは大きな間違いである。
想像もできないくらい暑く、過酷な環境で暮らしているのだから、そこにはそこの価値観が生まれて当然なのだ。それを文明が遅れている、または未開の地であると蔑むのは、思慮の足りない愚かな息子そのものだ。
文明の地に生を受けただけの愚かな息子は、文明を受け継いだ先祖の屍の脛にかじりついているだけの道楽息子で、いたずらに偏見と争いの種をまき散らすのだ。知恵者は己ではないというのに、同じ村や町に生まれたというだけで勝ち誇る者もいる。
厳しい環境で生を受けてこそ得られる経験があり、そこで得られた知識を持たずしてモノを考えるべきではないのだ。偏見とは、何かが足りないからこそ生まれるのであって、満ちれば持ち得ぬものである。知識は充分だとする反論は、ただの傲慢にすぎないわけだ。
「イズルギさん、お待たせしました」
ハヤタが無事に川を渡り終えたようだ。
「ハヤタよ、ここで昼飯にする。お前の姉さんに『身体を充分に温めてから着物を着ろ』って伝えてくれ。俺は向こうでしばらく背を向けている。姉さんが着物を着たら呼びに来てほしい」
それから二晩、山の中で寝泊まりをした。山育ちの俺たちにとって、今までは遠足のようなものだった。しかし、ここから先は覚悟を必要とする。踏み入る地は領主の土地であり、地域によって決まりが異なるので、注意が必要というわけだ。
「歩きながらでいいから聞いてくれ。お前たちに注意しておくことがある」
「分かってるよ、ここから先は危険なんでしょう?」
「その危険というのが、どういうことか分かってるのか?」
「いきなり山賊が目の前に現れるかもしれないんだよね?」
「違う違う。ほら、やっぱり勘違いしてるよ」
「どうして? 山賊に注意するのは当たり前じゃない」
「だから違うんだって。全然違うよ。それはあべこべで、俺たちが山賊に間違われないように注意しなくちゃいけないんだ」
アテルが頬を膨らませる。
「なんでよ? 私たちは何もしていないじゃない。どうして間違われないようにしないといけないの?」
「見てみろ、山を下りたら道がきれいになってるだろう? ということは、管理している人がいるんだよ。つまり道も村の物っていう意識があるということだ。俺たちみたいに、すべてが神様のものだとする考え方とは違うんだよ。だから今後は山で勝手に山菜を採ってもいけないからな。どの山が他人の持ち物か把握できない以上は、うろつくのもやめた方がいい。果樹園に迷い込んだだけでも槍で追い掛けられることもあるんだ」