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第十話 キツネの親子

 まるで夢を見ているみたいだが、これが夢じゃないのは俺が一番よく知っている。キツネに化かされたという話は聞いたことがあるし、実際に経験した人のこともよく知っている。だからおきつがキツネであることは疑いようがなかった。


 しかしこの姉弟のように、化かされていると分かっているのに騙されるというのは聞いたことがなかった。どちらが夢かと問われたら、この姉弟こそ現実離れしていると答えてしまいそうである。


「はぁ、おいしそうだなぁ」

 おきつが舌をペロッと出した。


 アテルがお粥を作りながら答える。

「もう少しでできるからね」


「すごいなぁ、にんげんは……」

 おきつは食べ物に夢中になり、ついに化かしていることも忘れてしまったようだ。


「少し冷めてからの方がいいわね」

 アテルはアテルで、そんなキツネに気を遣うのだった。


「のど渇いてない?」

「はい。それがお水も飲ませてあげられなくて」

「ハヤタ、キツネさんにお水を飲ませてあげて」


 弟が姉の言葉に従う。

「僕の手ですまないが、お飲み」

 そう言うと、手の平をお椀代わりにして、手負いの親ギツネに水を飲ませるのだった。


「何から何まで、ありがとうございます」

 おきつが親ギツネの代わりに礼を述べた。


「いいのよ。困っている時はお互い様じゃない。こんな立派なお家に泊めていただくんだもの、これくらいはさせてもらわないと」


 いや、それは違う。家屋は立派だが、こういうのは大抵、目が覚めると枯葉の上で寝ていたというのが話のオチになっているものだ。騙されているのだから、お礼返しなどする必要はないのである。


「さっ、おきっちゃん、できたわよ。火傷に気をつけて召し上がれ」

 と言って。アテルがお椀を差し出した。


 しかし、おきつは差し出されたお粥に手を付けなかった。


 アテルが首を傾げる。

「どうしたの?」


「はい。先におとうちゃん、……じゃなかった、キツネさんにあげてもいいでしょうか?」

「ああ、そうね。そうしましょう」


 アテルはとことん付き合うつもりなのだろう。お椀の粥をふぅふぅして、親ギツネの前に差し出すのだった。それでも親ギツネは警戒しているのか、なかなか食べようとしなかった。


「キツネさん、いいのよ、おきっちゃんの分はたくさんあるから、あなたが食べないと、おきっちゃんも食べられないじゃない」


 その言葉に従って、親ギツネがお椀の中を舐めはじめた。


「さぁ、私たちも食べましょう」

 アテルがそう言っても、おきつはお粥を食べなかった。


 これには察しのいいアテルにも意味が分からないようだ。

「どうしたの?」


 おきつは答えようとしなかった。


 するとハヤタが箸を置いて、お椀を両手で抱え込んだ。

「姉さん」


 ハヤタの合図に、アテルが同じような所作で応える。

「そうそう、こうだったわね」

 と言って、お椀に口をつけてすすり始めた。


 それを見て、おきつも真似をするようにお椀の中を舐めるのだった。

「はぁ、なんておいしいんだろう」

 おきつは箸の使い方が分からなかったということだ。


「お代わりがあるから、たくさん食べてね」

 そう言って、アテルがお粥を舐めるのだった。


 これが郷に入っては郷に従えということなのだろう。俺たちは化かすのが下手くそなキツネのために、箸まで使わないようにしなくてはいけないわけだ。そういう俺も、アテルが睨むので素直に従うことにした。


 キツネの親子と一緒に飯を食っており、囲炉裏の火が俺たちを照らしていた。壁に映った影が揺れているのは、お粥を食べているおきつが、気持ちよさそうに尻尾を振っているからである。


 食事が終わるとアテルが鍋やお椀を洗いに川へ行った。ハヤタは怪我をしている親ギツネの状態を診ている。おきつは信頼しているのか、黙ってその様子を見守っていた。気がつくと、おかっぱ頭からキツネの耳が生えていたが、今さら指摘することではなかった。


「どこが悪いんだ?」

 診察しているハヤタに尋ねてみた。

「足に痛みがあるようです」

「治るのか?」

「薬を塗ってみようかと思います」

 そう言って、包みから陶器の小瓶を取り出した。


 それから軟膏を指で掻き出した。

「今から薬を塗るよ。これは居眠り草といって、なんにでも効く薬草なんだ。塗れば痛みが引き、飲めばぐっすり眠れるからね」

 丁寧に親キツネに説明するのだった。


 居眠り草のことは俺も知っている。

「へぇ、聞いたことはあったけど、まだ採れるんだな」

「山で迷った時に見つけたんです」

「万能薬っていわれているけど、本当に効くのかね?」

「試してみますか?」

 と、ハヤタが小瓶を差し出した。


 ものは試しだ。

「一口やってみるか」


 小指を小瓶に突っ込む。


 小指の先に適度な刺激を感じた。


 臭みだけで苦いのが分かった。


 思い切ってペロッと舐めてみる。


 その瞬間、意識が遠のいた。


――これは、薬じゃなくて、毒だ。


「起きてください、イズルギさん」


――お迎えがきたと思ったら、朝だった。


「もう朝なのか? 一瞬だったぞ。身体もしゃきっとしているよ。すごいな、その薬」

「熊も一矢で仕留められますからね」

「だろうな」


「やっとお目覚め?」

 背中にアテルの声がした。

 見ると水筒を持っているので、水を入れてきたのだろう。


 キツネの親子の姿がない。

「おきつは?」

「目が覚めたらいなかったけど、化かされたんだから、いなくて当然よね」


 辺りを見渡しても民家なんてどこにもなかった。焚き火の跡は残っているので、やっぱり夢ではなかったようだ。ご丁寧にも落ち葉が積まれたところに寝ているので、キツネはキツネで一生懸命に化かす努力をしていたわけだ。


「昨日はおきつがいるから言えなかったけどな、何も貰った干しイカを全部食わせることはなかっただろうよ。俺たちだって、これから数日は森の中で野宿しなくちゃいけないんだ。そこら辺もう少し考えろよな」


 アテルが拗ねた顔をする。

「だって、お腹が空いた顔をしているから見ていられなかったんだもん」


 アテルのことが段々と分かってはきたが、ここは年長者として、いや、長旅の経験者として注意をしておく必要があった。この姉弟は正直すぎるところがあるので、そういう役目をする人間が必要なのだ。


「お前な、今回は偶々何もなかったかもしれないけど、世の中には悪いことを平気でするやつらがたくさんいるんだ。子どもを使って騙そうとする大人だっているんだぞ? あんな小さなキツネに騙されていたんじゃ先が思いやられるよ」


「そんなこと全部分かってる――」

 アテルの目は、汚れも知っているというのだろうか?

「人間はキツネよりも、うんとおっかないって分かってるよ。だからこそ、おきっちゃんが私たちを化かしに来た時、『ああ、今日は安心して眠れる』って思ったんだ。一昨日まで怖くてよく眠れなかったけど、昨夜は本当によく眠ることができたんだもん。落ち葉がふかふかで寒さも気にならなかったよ」


 アテルの言葉に、昨夜の不安が再び去来した。あんな下手くそな化け方じゃ、生き残って行くのが大変なのはキツネの方だ。キツネの方が人間に騙される時代になってしまうんじゃなかろうか?


 キツネが黙っていることをいいことに、人間はなんでもキツネのせいにしてしまいそうだ。土地を開いては棲みついていた動物たちを追い出し、畑を荒らされたと言っては害獣だと喚き散らす。こんな理不尽な扱いを受けているのが動物たちなのだ。


「ハヤタ、それはなに?」

「落ちてたから拾ったんだ」

 見ると、手に大きな玉を抱えていた。


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