第二章・その2
「水無月、アリア……」
僕達の前に現れた金髪の上級生。その名前を聞いて、去年の記憶が甦る。
そうだ。去年の新歓で、本来なら三年生が司会進行を務め二年生は裏方に回るはずのプレゼンを独壇場にしてみせた異例の生徒・水無月 アリア。
演劇部の出し物は例年短い劇や朗読らしいけど、たった一人の役者としてステージに立った彼女はアマチュアとは思えない迫真の演技とその端麗な容姿で観客を魅了した。
弥生を含め、多くの新入生が彼女に憧れて演劇部への入部を決意したものだ。印象が薄かったんじゃなくて、レベルが違いすぎて新歓での出来事だったことを忘れていた。
「口の利き方にはお気を付けなさいませ」
「あっ……すみません。アリア先輩」
だけど、当の彼女は冷たい視線をこちらに向けてくるのみ。弥生は何か言いたそうにしていたものの、険しい顔で目を逸らしてしまった。いったいこの二人……いや、この部に何があったのだろうか。
「新歓の件、了承していただけまして?」
するとアリア先輩の目が弥生に向き、弥生も飲み込みかけた言葉を吐き出した。
「っ……やっぱり、納得しかねます」
「文句がおありでしたら去りなさいと言ったはずですが」
もしかして、先輩は今年の新歓も独りでやるつもりなのだろうか? 他の部員達は当然異を唱え、彼女の下を離れていったと、そういうことなのだろうか。
だとしたら、それは酷く――
「……そりゃ無いんじゃないスか、センパイ?」
見かねた朔也が口を挟む。スラリとしている先輩より更に長身の彼に見下ろされても先輩は態度を崩さず、淡々と言葉を返した。
「部外者に口出しされる謂れはございませんわ」
「アンタが部員に文句は言わせねぇっつーからだろうが。こんな独裁政治みたいなのが通ると思ってんのか!」
「朔也……」
辛そうな弥生を庇うように食ってかかった朔也を、それでも先輩は冷たく睨み返す。その目には何者をも拒絶するような、孤独な鋭さが宿っているように見えた。
「独裁? 違いますわね。誰も私と同レベルには届かないのですから、そもそも舞台に上がる資格が無いだけです」
「んだとテメェ!」
「やめなって、朔也!」
高慢な返答に憤り、手を上げかけた朔也を制止する。ここで暴力に訴えたら負けだ。
噂によるとアリア先輩は日本人とイギリス人のハーフで、両親は超エリートらしい。いわゆるお嬢様な先輩に手を出せば、どんな報復があるか分からない。
「もういい、もういいから……帰りましょう」
「……チッ」
弥生が泣きそうな声で言うと、朔也は悔しそうに舌打ちして踵を返した。僕は二人と悪びれる様子もない先輩を交互に見てから、二人に続いて仮部室を後にした。
「なんなんだよ、あの態度はよッ!」
「取りつく島も無かったね……」
帰り道、朔也は未だ不機嫌そうに近くの電柱に八つ当たりをしている。
弥生はずっと押し黙ったままだ。僕達がいなかったら泣いていたかもしれない。
「さっきは訊きそびれちゃったけどさ……弥生はどうして演劇部を辞めないの?」
退部をすること自体に制限はない。だからこそ、アリア先輩について行けなくなった他の部員は去っていったのだ。誰だってあんな風に突き放されれば嫌になるだろう。
だけど、それをしないということは弥生にも演劇部を続けたい理由があるはずだ。
少しの沈黙の後、弥生はぽつりと口を開く。
「……憧れ、だったの。水無月先輩は」
「そういや去年は凄かったな、新歓の劇」
「うん。短い時間なのに、先輩の演技はまるで時間が止まったみたいに濃密で……私もあんな風に人を夢中にさせられるようになりたいって思って……」
しかし、いざ入部してみれば同じ目線に立つことすら許されなかった。弥生によると練習も各自で勝手にすればいいと言われ、何かを教えられたことはなかったという。
「先代の部長達も新歓の後で一斉に辞めてしまって、私達一年生はどうしたらいいのか分からなかったわ」
「そりゃそうだろうな。俺だったら次の日には退部届だぜ」
それでも弥生は諦めきれず、周りが次々と根を上げていく中でも必死に練習を続け、アリア先輩の演技に少しでも近付こうと一年間ずっと努力を重ねてきた。
演劇部の公演は新歓を除いても年に二回ある。6月に文化祭の中で行われるものと、11月に他校の演劇部と合同で開催される大きなものだ。三年生は11月公演を待たずに引退してしまうため、6月公演を三年生が、11月公演を二年生が中心となって行う。
一年生は裏方に徹することになるから、舞台に上がらせて貰えないのも当然と言えば当然だったけど、今年は違う。新歓だって本当は二、三年生が共同で行うものなのだ。それを自分一人でいいと言われれば、何のために入部したのか分からない。
「だから、先輩を説得して新歓の内容を変えてもらおうと思ったんだけど……」
「あの態度じゃなぁ……」
揃って溜息を吐く弥生と朔也。僕は逆に、そうまでして先輩が独りで演劇をやろうとしている理由が気になり始めていた。
それが分かれば話しようはあるかもしれない。弥生の夢を応援したかったし、何より僕も先輩の態度は腹に据えかねている。
「ごめん二人とも。ちょっと忘れ物しちゃったから、先に帰ってて!」
キョトンとする二人を残し、僕は学校への道を引き返した。