第二章・その1
如月 満として生活を初めて、早一ヶ月が経過していた。
初日こそドタバタしたものの、それ以降は大きなトラブルに見舞われることもなく、この身体での生活にも少しずつ慣れてきた。弥生には互いの秘密を知る協力者として、着替え場所の確保やトイレの見張りなどを任せている。
僕はというと、弥生のアドバイスを受けて普段から黒のタイツを穿くようになった。脚を細く見せる効果があるだけでなくスカート内の防御力を高めることもできるわ、と何故か興奮気味に語る彼女が買ってきて穿かされた黒タイツの密着感に最初は戸惑ったものだけど、今では案外悪くないと思い始めてきた。
昼休みは弥生、それから朔也と一緒にいることが多い。他のクラスメイトに誘われて応じることもあるけど、やっぱり二人といる時が一番落ち着く。
今日も三人で席を寄せて談笑しながら昼食を取っていると、ふと朔也が切り出した。
「そういや、如月は部活どこにするか決めたのか?」
言われてみれば部活については考えていなかった。この学校には帰宅部が存在せず、全校生徒もれなく何かしらの部活または生徒会に所属している。
この一ヶ月で判ったこととして、この身体は運動神経が少し……いや、かなり悪い。女子の中では平均より少し下くらいだけど、ますます自分の性別が疑問に思えてきた。おまけに背も低いので、バスケ部に入っても以前のようには活躍できないだろう。
「うーん……新歓の後じゃ駄目?」
「新入生ならそうなるでしょうけど、貴方は二年生なんだから早く決めないと」
5月中旬には新入生歓迎会、通称『新歓』があって、その中で部活紹介も行われる。それぞれの部活が部員獲得のために簡単なプレゼンテーションをする、というものだ。去年はバスケ部がステージ上で見事なパス回しからのダンクシュートを披露し、朔也と一緒に入部を決意したのが今では懐かしい。
てっきり僕も新歓を見て判断できるかと思ったら、弥生に機先を制されてしまった。
「弥生は何部なの?」
「俺には訊いてくれねぇのかよ」
だって知ってるし。
「私? 私は……その、演劇部だけど……」
どこか歯切れの悪い返答に首を傾げつつ、演劇部という単語に興味が湧く。演劇部は去年の新歓で何をしたんだったか、バスケ部に夢中であまりよく覚えていない。
だけど、悪くない選択かもしれない。演技力も鍛えられるし、何より弥生が一緒だ。部活動の間も彼女のサポートを受けられれば安心できる。いや、別の意味で身の危険を感じなくもないけど。
「僕、演劇部がいいかも」
「えっ本気?」
「え?」
自分の所属している部活のくせに、さっきから乗り気じゃないな。ひょっとして何か知られたくない秘密でもあるのだろうか。
始業式の日の件で弥生にも僕の知らない一面があると知った時に似た、もやもやして言葉にできない感情が沸き上がってくる。知りたいと思った。弥生のことを、もっと。
「まずは見学してみりゃいいだろ。合わないと思ったら止めりゃいいんだからよ」
「そう……ね。今日の放課後でいい?」
朔也の後押しに観念したような顔で弥生が言う。僕は頷き、放課後に演劇部の活動を見学しに行くことになった。
そして迎えた放課後。弥生と、何故かついてきた朔也と一緒に演劇部の仮部室がある体育館へ。仮というのは、本来の部室は校舎三階の文化部棟にあるのだけど、練習等は体育館のステージ上で行うので舞台袖のスペースが活動拠点になっているらしい。
わざわざ三階と体育館を往復するのは確かに面倒だ。さらに仮部室は搬入に使われる裏口に通じていて、そこから出入りするのでちょっとした秘密基地気分になれる。
そうして中へ入ると、小さなテーブルとホワイトボード、壁際に並ぶ衣装や小道具の詰まった段ボール箱が目に留まったものの、肝心の部員は一人も見当たらなかった。
「あれ、他の部員は?」
「先輩……部長が一人だけ。後は辞めてしまったわ」
「……は? マジで?」
僕の問いに弥生は言いにくそうに答え、朔也が愕然とする。それもそのはず、部員が3名以下の場合は部活動として認められないという規則がこの学校にはあったからだ。僕は表向き知らないふりをしつつ、弥生が紹介を躊躇った理由に気付いて目を伏せた。
「今年の新入生が入部してくれなかったら廃部……でも、新歓のことで少し揉めてて」
こちらに目を合わせずに語る弥生。その様子を見て、僕は一つの疑問を口にする。
「どうして弥生は辞めなかったの?」
「それは……」
「あら、どなたか来ているんですのね」
その時、裏口の扉が開いて誰かが仮部室に入ってきた。
鮮やかな金色のウェーブを描く長髪を靡かせ、意思の強そうなツリ目は蒼く、これで制服じゃなかったら西洋人形と見紛うほどに整った顔立ちをした女性だ。リボンが緑色ということは三年生。つまり――
「演劇部部長、水無月 アリアと申します。見学でしたら勝手になさって下さいませ」
いかにもお嬢様っぽいオーラを纏う彼女は、無関心そうに髪をかき上げたのだった。