第一章・その4
「家どこ? 遊びに行ってもいい?」
「そ、それはちょっと……」
「この後一緒に駅前行かない? オススメのお店があるの!」
「えっとぉ……」
気が付けば三方向を女子に囲まれ、もう窓くらいしか逃げ場がない。生まれてこの方こんなに注目されたことがなくて、上手い切り抜け方なんて思い付かなかった。
「そのくらいにしとけよ、如月が困ってんだろ」
そこへ誰かが割って入ってくる。見れば、朔也が呆れ顔で人垣を散らしていた。
「朔也……くん」
「朔也でいいぜ。今更だしな」
男子から「んだよ、もう彼氏面かよ!」と聞き捨てならない声が上がるのを無視して僕の方へ歩み寄ってくる朔也の目は、弥生が出ていった方を気にしている。
「お前、望月と何かあったのか?」
囃し立ててくるクラスメイト達から逃げて廊下に出る、と同時に朔也が訊いてきた。
やはり弥生の様子に気が付いていたらしい。僕の顔を見て、原因が誰なのかも察したのだろう。その声には若干の責めるような色が滲んでいる。
「……無神経なことを言って、傷付けちゃったんだ」
「睦月のことだな? あいつの前でその話は地雷だろうし」
誤魔化したくはなくて正直に頷くと、僕が彼女の事情を知らないと思っている朔也は気の毒そうに苦笑した。
「ま、なんだ。あいつには俺から言っとくから……その、気にすんな」
僕を気遣ってくれていることも、朔也なら弥生を慰められるであろうことも分かる。だけど、他人任せにしていたら僕と弥生の間には見えない壁ができてしまう気がする。それだけは絶対に嫌だった。
だから僕は、んじゃ望月のやつ探してくるわ、と立ち去ろうとした朔也の制服の裾を掴んで引き留めた。
「待って! ……僕も行く」
「ん……そっか。分かった」
かつての親友は微笑むと、それ以上は何も言わずに歩き出した。僕の歩幅に合わせてくれているのか、歩き方がぎこちなくて思わず笑みがこぼれる。
二階に弥生の姿はなく、僕達は手分けして探すことにした。まだ本格的に学校が再開したわけではないので入れる場所が限られるとはいえ、一か所ずつ見るのは一苦労だ。
三階を見てくるという朔也と別れて階段を降り、弥生が向かいそうな場所を考える。図書室は開いていないし、鍵の必要な場所にわざわざ行くこともないだろう。
東棟にある空き教室には誰もおらず、次は西棟の保健室を見てみようと昇降口のある連絡通路を通ろうとした時だった。
「あれ……?」
ふと昇降口とは逆の、校舎の裏手側に目を向ける。壁がガラス張りなので外の様子が見える構造で、整地された裏庭のような場所にポツンと佇む弥生の姿が見えた。
靴袋を持ってき忘れたので、やむを得ず上履きのまま外に出て裏庭へ。弥生は裏庭の中心にある小さな池を見つめている。こちらに背を向けているので表情までは窺えず、今にも水面に身を投げ出してしまいそうな気がして駆け足になった。
「弥生っ!」
「え? きゃっ!?」
今の僕よりも背が高いはずなのにどこか小さく見えるその背中に飛び付くと、弥生は短い悲鳴を上げた。そのまま、ありったけの思いで必死に呼びかける。
「早まっちゃ駄目だ! ごめん、僕が酷いことを言ったから!」
「き、如月さん?」
「僕はただ、弥生に元気を出してほしくて……!」
「ちょ、ちょっと落ち着いて! 早まったことは考えてないから!」
焦りと困惑を含んだ声にはっと我に返る。見れば、弥生は急に抱き着かれて驚いてはいるものの、思い詰めたような表情はしていなかった。
早まったのは僕の方だったらしい。慌てて離れようとして、ぐるん。
抱き着いた勢いで半回転していた僕達は池の淵に立っていて、僕はバランスを崩して背後の水面に落っこちてしまう。
「わぁぁぁ!?」
「如月さ――ん!?」
幸いにも溺れるほどの深さはなく、上階から騒ぎを聞きつけ降りて来た朔也によって救出されたのだった。
「さっきは、本当にごめん!」
ずぶ濡れの髪や服を乾かすより先に、僕は弥生に頭を下げた。
弥生も心配かけてごめんなさい、と謝ってくる。教室を飛び出した後、自己嫌悪して裏庭で黄昏ていたらしい。根が真面目なので、気遣いのつもりで言われたことに対して腹を立ててしまった自分が許せなかったのだろう。
だけど無神経だったのも確かだ。弥生が気に病むことじゃない。
「実は……ええと、そうだ。僕、睦月とは知り合いで。二人のこと前々から聞いてて」
「そうなの?」
我ながら苦しい言い訳だと思いつつ、本当に伝えたかったことを口にする。
「だから、睦月なら二人には落ち込むより、自分の分も生きて欲しいだろうって……」
「……まぁ確かに、あいつならそう言うよな」
実際に僕の本心なのだから間違いない。二人もそれが分かるからか、お前にあいつの何が分かるというような反応はされなかった。弥生は少しの間涙ぐんだ後、ハンカチで目元を拭って顔を上げる。
「そう、ね。すぐに割り切るのは無理だけど、ずっと塞ぎ込んでたら睦月が悲しむわ」
「あんま抱え込むんじゃねーぞ? 辛かったら俺とか如月を頼っていいからな」
「朔也もね」
そう言って笑う二人に釣られて僕も笑う。すると、朔也が僕を見て言った。
「しかし、睦月の奴も隅に置けねぇよな。こんな可愛い子の知り合いがいたなんてよ」
「全くだわ。いつの間に……」
あれ、なんか雲行きが怪しい。っていうか弥生の目が据わってる! 怖い!
このまま根掘り葉掘り質問されようものなら何処かでうっかりボロを出しかねない。この二人にだったら真実を話しても信じてくれるという確信めいたものは感じるけど、今それをしたら確実に何かがヤバい……!
この場を切り抜ける方法を必死に考えようとした、その時だった。
「……っくしゅん」
小さく押し殺したようなクシャミの音に、二人が会話を止めて僕を見る。自分が池に落ちたことなんてすっかり忘れていた。
「いけない、このままだと風邪を引いちゃうわ」
「早いとこ乾かして、温まらねーとな」
助かった、と安堵したのも束の間。次の瞬間、僕は別の意味で凍り付くことになる。
「そうだ、私の家に行きましょう。お風呂を貸してあげる」
「………………え?」
次回、お風呂回!




