気だるい水曜日
職員室から保健室へ戻って来れば、何故か、授業中にも関わらず、生徒が一人、保健室の中にいた。
例えば、具合が悪かったり、怪我をしているならいても当たり前なのだが、そこにいる生徒は、回転椅子に座り、人のデスクの上で突っ伏し、棒付きキャンディーを舐めている。
「あのな、作間。保健室は、お前のサボり場じゃねぇの」
声を掛ければ、ゆるりと振り向いた生徒の作間。
カラコロと歯にぶつかって音を立てるキャンディーを口から抜き、瞬きをする作間は、不思議そうに首を傾ける。
肩には、置いておいた白衣が引っ掛けられていた。
「別にサボり場から他にありますから」
要らないです、と首を振る作間に、そうじゃない、と溜息を吐いてしまう。
現在高校二年生の作間は、保健室の常連だ。
本当に体調不良の時と、気まぐれで今日のように足を運んでいる時の半々だろう。
「お前、この学校のあちこちに隠れ家持ってそうだよな」
「野良猫か何かですか、ボク」
再度口の中に突っ込まれるキャンディー。
デスク脇のゴミ箱には、それを包んでいたであろう包装が破り捨てられていた。
実際、野良猫のようなものだろう。
授業のサボり癖を含み、放課後も休み時間も問わず、ふらりふらりと校内を歩いている姿を目撃している。
噂では、屋上のスペアキーを持っているとか。
更には、旧校舎の図書室の鍵を、ヘアピン一本で開けているとか。
あくまでも噂だが。
「とにかく、そこ、退けなさい。後、白衣も返しなさい」
ほら、と手を差し出せば、軽く肩を竦めた作間が、ひょいと回転椅子から降りる。
器用にも、白衣は肩に引っ掛かったまま。
近付いてきて、手渡された白衣は、特別シワにもなっておらず、そのまま腕を通した。
「猫宮先生は、先生としてどうかと思いますよ」
仕方なく黒い革張りのソファーに座り込む作間は、授業に戻る気は全くないらしい。
回転椅子に座った俺は、その微妙な温もりに眉を寄せながらも、何がだよ、と反応を返す。
デスクの上は、何故か綺麗だ。
埃一つないそれを見て、作間を見れば、また首を捻りながら「普通戻れって言いますよ」とマイペースに言う。
作間がサボりのために来る度に、デスクの上は綺麗になっている。
何なら、薬ビンなどが置いてある棚も綺麗になるのだから、驚きだ。
綺麗好きかとも思うが、単純な暇潰しだろう。
「戻れって言っても戻らないだろ、お前」
「戻りませんけども」
ケロリとした様子で答える作間は、やはり手持ち無沙汰なのか、目の前のテーブルに指の腹を這わせる。
つつつつ、這わせた後は指先を見て、ふぅ、息を吹き掛けた。
完全に小姑のそれだ。
「ワンちゃ……いや、犬塚先生も猫宮先生のところなら、まぁ、って言うし」
「アイツも教師失格じゃねぇか!」
取り出していたファイルをデスクに叩き付けてしまった。
犬塚は犬塚千尋と言って、作間の担任教師でもあるが、俺とは同じ大学を出た同期なのだ。
あの生意気そうな鼻で笑う顔を思い出し、何となく青筋が浮かびそうになる。
それを知ってか知らずか、作間は何を考えているのか分からない声音で「仲良しですね」と言う。
作間の言う仲良しの基準はいまいち分からない。
そもそも、作間がふらふらと校舎内を歩き回っている時も大体一人だ。
時折、幼馴染みらしい人物と一緒にいるが、ソイツは保健室利用者ではないので良く知らない。
虐められているようにも、交友関係に悩んでいるようにも見えないのだが。
見えないが、結果、怪しむことも出来ない不透明さが余計に危うく見える。
どこから出したのか除菌シートでテーブルを拭く姿には、そんな危うさは感じないのだが。
やはりマイペース過ぎる。
「そうだ、猫宮先生にもあげましょう」
今度は何かを思い出したように両手を打ち、立ち上がる。
ペタペタと足音を響かせ距離を詰めてきたかと思えば、ファイルやプリントを広げたデスクの上に、一つの棒付きキャンディーが置かれた。
味はシンプルにベターにコーラだ。
「虫歯になるぞ……」
口の中で飴を転がす作間は、瞬きをして、ふはっ、とわざとらしい笑い声を聞かせた。
「歯磨きはちゃんとしてるんですよねぇ」
間延びした言葉通り、作間が歯科検診に引っ掛かることはない。
視力検査では毎度引っ掛かっているのだが。
ソファーの定位置に戻った作間は、カラコロとキャンディーを歯にぶつけながら軽やかな音を立てる。
デスクの上に転がされたキャンディーの包装を破いた俺は、そのゴミをゴミ箱に投げ入れた。
ゴミ箱には、キャンディーの包装が二つ。
除菌シートで綺麗になったテーブルに上半身を突っ伏した作間は、うつらうつらと目を閉じそうになっている。
犬歯むき出しの、キャンディーを落としそうなくらいの大欠伸をする作間を尻目に、俺もキャンディーを口に放り込み、目の前の仕事と向き合った。