5 理解者
ーキーンコーンカーンコーンー
終業のチャイムが、校舎全体に鳴り響いた。生徒たちは、部活動や委員会、帰宅等、各々気心の知れた者と共に行動を起こす。
(フゥ…これで、この世界に来てから初めての学校生活は一先ず終わりか。授業内容も元の世界と相違は無いし、校舎の構造も細かい所は違えど殆ど変わっていない。やっぱり、平行世界に飛ばされた、っていう結論が一番しっくり来るな、信じたくも無いけど。そういえば…中藤尊康は何処へ…居ないな。もう帰ってしまったのだろうか、…まぁ、喋るチャンスは今後いくらでもあるだろうし。…帰るか。昨日今日と混乱しっぱなしで疲れた…)
勇気は、一度大きく体を伸ばした後、自分の学生鞄に荷物をまとめ、椅子から立ち上がる。
「ちょっと待って勇気、少し用があるの」
不意に、勇気は肩を掴まれた。木崎恵だ。
「会長から頼み事よ、生徒会室に来てくれる?」
「生徒会室に? 良いけど、用件は?」
勇気は頷きながら、恵へ問いを投げた。恵は聞いて、肩をすくめる。
「知らないわ。大体予想はつくけどね。多分"幽さん"でしょ、日付的に」
恵の回答は漠然としたものだったが、勇気は、さして大事ではない、と理解し、それ以上は訊かなかった。
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勇気にとっては、この世界に来てから二度目の生徒会室だ。一度目は焦っていて部屋の内装に意識を向けてはいなかったが、改めて見ると、元の世界とは全く違う部屋になっていた事に気付かされる。
(長机、ソファ、クッション、冷蔵庫、ホワイトボード、プロジェクター、菓子と…その他色々か、この部屋だけ妙に快適なんだな)
「突然御呼び立てしてすみません、勇気さん。これから帰宅という所で…」
美咲が、勇気に椅子を勧めながら謝罪の言葉を口にする。
「…あー、構わないよ、大丈夫だ」
(帰っても、あの結愛って人が居て落ち着かなさそうだしな)
「ありがとうございます。では、頼みなんですが、届け物をして頂きたいんです」
勇気は、頼み事の内容に、軽く首を傾げる。
「届け物か…、問題は無いけど、何で俺に?」
「届け先が重要なんです。本来なら、恵か、小百合に行かせるのですが、"彼女"なら、記憶を取り戻す方法に心当たりがあるかもしれませんし、今回は、勇気さんに頼みたいんです」
美咲は言いながら、生徒会長の机に置いてある箱の入った紙袋と一枚の紙片を手に取り、勇気に手渡す。
「経路は此方に記しておきました。さほど遠くはないので、今の勇気さんでも問題はないと思います。彼女の名前は"三途川幽"。…その、知っての通り不思議な方ですが、きっと力になってくれることでしょう」
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勇気は、美咲に手渡された配達品と地図を片手に、目的地へ向かっている。
(…「知っての通り」、か。察するに、"星野勇気"と親しかった人物なんだろうけど…)
それからしばらく歩き、勇気の目に、目的地である住居が見えた。
(これは…ずいぶんと年期が入っているな…)
それは、長らく人の手が入っていないのか、所々壁がひび割れており、長い蔦が、それを彩っている。外にある塀は、朽ちてその役割を果たせておらず、辛うじて残っている鉄製の門も、錆びてボロボロになってしまっている。
(こんなところに人が住んでるとは到底思えないな…。と言っても、目的地は此所で間違いない筈だ。…インターホンも無いようだし、入ってみるしかないだろうな)
勇気は、植物の生い茂る庭を潜り、玄関の木製の扉に手をかけた。
ーギイィ…ー
扉は、大きな音を立てて軋み、訪問者を招き入れた。外観は随分寂れていたが、内装は意外にも整えられており、生活感も十分にあった。
(…中は大分綺麗だな…、まぁ、人が住んでいるんだし、当然と言えば当然か)
「すいませーん、…あー、お届け物です!」
勇気は、中の住人に聞こえるように、声をあげた。
(……返事がない。でも、鍵が開いてたんだから、人は居るってことでいいんだよな…?)
数秒の沈黙の後。
「なんじゃ、誰かと思えば勇気か。随分と他人行儀だったから、一瞬戸惑ったぞ?」
「っ!?」
勇気は、突然背後から聞こえた声に驚き、振り返る。
彼女の名前は『三途川幽』身長は、140~145cmで、透き通った黒髪と、全てを見通すような茶色の瞳が特徴的だ。そして特筆すべきは、"約500年前にこの場所で命を落とした、幽霊である"という点だろう。美咲とは、美咲が子供の頃に出会い、それから友達なのだそうだ。"三途川幽"という名は、美咲以前に深い付き合いをしていた友人に付けて貰った名前で、実も蓋もないが、本人は「幽霊ってことが分かりやすくて良いじゃろ?」と、結構気に入っている様子だ。喋り方についても、その友人の影響で、「幽霊らしい喋り方はないか」、とその友人に訊いてみたところ、この喋り方を教えられたらしい。今ではすっかり、身に染み付いているようだ。
「そんなに驚くことないじゃろ勇気、初対面でもあるまいし…いや待てよ、美咲が確か、ヌシが記憶喪失になったと言っておったのう…あれ本当じゃったのか。まぁよい、勇気、届け物があるのじゃろう? 見せてみい」
勇気は、手に持っていた配達品を、幽に差し出す。
「あー、そういえばSMOの発売日今日じゃったな! 待ちすぎて忘れておったわ」
「SMO?」
勇気が、聞いたことのない単語に首をかしげる。
「スパイラル・メモリーズ・オンラインじゃ、前にも話したじゃろう? …あー、そうか、記憶喪失になったから分からんのか…まぁよい、話は中でしよう。早くダウンロードしてしまいたいのじゃ」
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幽の部屋には、幾つものディスプレイが置かれていた。本人曰く、テレビ用、ゲーム用、仕事用、作業用、作業用2、客人用と、それぞれに役割があるようだ。幽は500年前の幽霊であるが、時代の流れに驚くべき早さで適応し、コンピュータの知識は、現代人に引けをとらない。幽は、数ある中のゲーム用に、慣れた手つきでディスクを挿入し、しばらくマウスで操作した後、勇気の方へ向き直る。
「これで良し、っと。…さて、ヌシ、"星野勇気"ではないな?」
「えっ?」
勇気は、ごく自然に発せられた幽の言葉の意味が、一瞬分からなかった。
「美咲達はうまく騙せたようじゃが、私には分かる。とは言っても、判断材料は雰囲気とか、そんな類いの非科学的で不確かなものじゃがのう。ヌシ、何者じゃ?」
勇気は驚きで硬直していたが、数秒の沈黙の後、口を開いた。
「貴方は…幽って言ったっけ? 俺が、この世界の星野勇気じゃないってことが分かるのか?」
その言葉を聞き、幽は軽く驚き、その後、不敵に笑って見せた。
「だからそう言っておるじゃろう。…ふむ、その反応を見ると、何か訳ありのようじゃな、話してみい。出来る限り信じるでの」
勇気はそれを聞いて、目を輝かせた。
「嗚呼、もし神様が居たのなら今日は感謝するよ! よし、じゃあ、この世界に来た時から…」
勇気は、美咲にもしたように、この世界に来る前の事、この世界に来てからの事、そのときの心情を事細かに話した。そして自分が、この世界とは別の"平行世界"の住人だと考えていることも。
「…ふむ、成る程…これはなかなか面白い訪問者じゃのう…」
幽は勇気の話を聞き、納得したように二、三度頷いた。
「…信じてくれるか?」
勇気は、幽を期待の眼差しで強く見つめた。幽は、暫し考え込んでから、くすりと笑い、それに答えた。
「ああ、信じることにしよう。何せ、外見も声も性格ですらも勇気に瓜二つじゃ、全くの別人とは思えん。平行世界というのも妙に納得がいく。不思議なものじゃがなぁ…」
「よっし!!」
勇気は、やっと自分の話を理解してくれた人間に出会ったことを、手放しで喜んだ。
(…あ、そうだ、もしかしたら彼女が居るかも。もしさっきの話を聞いてくれていたなら、俺がこの世界の星野勇気じゃないって、気付いてくれたかもしれない。もし駄目でも、現状を幽に示せる!)
「なぁ! 宇宮輝! 居るんだろ? 居たらちょっと出てきてくれないか!」
勇気は、今日の昼休みに出会った、盗撮魔の名前を叫んだ。
「っ、何故またバレたのですか!?」
側の机の下から驚きの声が上がる。そして数秒後、宇宮輝が、机の下から這い出してきた。
「うおぉっ!? なんじゃ、こやつは!? 私でも全く気が付かんかったぞ!?」
輝の事を知らない幽は、当然の事ながら、驚き、何歩か後ずさる。そんな幽を尻目に、勇気は輝に声をかける。
「バレてなかったぞ、完璧に隠密してた。でも、あれだけこまめに盗撮していたら、何か、居るかなと思ってさ」
輝は、その言葉を聞き、たじろいだ。
「っ、そうですよ! 常に勇気先輩の側に居る事を、"本人に"知られているということは、その思考は容易…っ! …っ、しかし、勇気先輩の言うことなら、それが鎌かけであったとしても、応じないわけにはいきません…っ! これを回避するには、盗撮の時間を減らすしか…! っ、いえ、そんなことしたら私の気が持ちません…! ど、どうすれば…っ!」
「っ、まぁ、落ち着いてくれ! じゃあ、この方法で見つけたときは、盗撮止めなくていいから…」
勇気が、今にも血涙を流しそうな輝を鎮めた。
「あぁ…! なんと心の広い…! 流石は勇気先輩…! 私、一生付いていきます!」
輝は、勇気に向かい尊敬の眼差しを向ける。それを見た勇気は、少し呆れながら輝に訊ねる。
「…止めてほしいとは常々思ってるんだけど、それには応じてくれないのか…。まぁいい、本題に入るぞ、輝。さっきの話、聞こえてたよな?」
「さっきの話…? 確かに聞こえてましたけど…あ、でも、一部聞き取れない箇所がありました。確か、勇気先輩が、幽さんに何かを長々(ながなが)と説明していた辺りです」
勇気と幽は、それを聞き顔を見合わせた。口を開いたのは幽だ。
「…ふむ、こやつが何者かは置いておくとして、こやつの話は重要じゃのう…、うむ、物は試しじゃ、勇気…と、今は呼ばせてもらうが、さっき私にした説明を、こやつにもしてみい」
勇気は、幽の提案を受け、輝に先程と同じ説明を始めた。そして、数十分後。
「どうじゃ、理解できたか?」
幽が、首をかしげている輝から、感想を聞き出す。
「えーと…言葉はもちろん、はっきりと聞こえました。でも…理解が、できないんです。文章の意味を考えようとしても、その瞬間、頭が、真っ白になると言いますか…」
勇気と幽は、再び顔を見合わせた。
「成る程のう…、勇気、これは厄介じゃな」
勇気が、それに同意する。
「ああ、これはどれだけ細かく、分かりやすく説明しても、現状、幽にしかこの話は理解できないんだろうな」
「うむ、間違いなかろう。美咲が気づかない訳じゃ…私が考えるに、世界が、バランスを取ろうとしているのではないか?」
「バランス?」
勇気は腕を組み、幽に聞き返す。
「そうじゃ、バランス。恐らくは、世界がヌシの存在を、"別世界の勇気"と、認めようとしていないのじゃ。だから、ヌシを本物の星野勇気に"仕立て上げる"事によって、バランスを取ろうとしておる。少しファンタジーな考え方かもしれんが、この状況を見ると、おかしな話でもないじゃろう?」
「成る程…この世界が、俺に「"星野勇気"を演じろ」って言ってるわけか、迷惑な…。あ、でもそれなら、何で幽には俺が"別世界の星野勇気"だってことが分かるんだ?」
勇気が組んでいた腕を下ろし、幽に疑問を投げかける。
「それは…私にも分からん。世界の意思なぞ考えたこともないからの…、考えられるのは、私が幽霊だからではないか、ということだけじゃ」
「あの…」
勇気と幽の二人が考えあぐねていると、側でやり取りを聞いていた輝が、訝しげに口を挟む。
「さっきから、なんの話をしてるんですか? 世界の意思とか、何とか…哲学か何かですか?」
幽が、慰めるように、それに応じる。
「…えーと、ヌシ、輝とか言ったか? 恐らく理解できないのは仕方のないことじゃ、今は、そうじゃな…理解できなくても、とりあえず話を聞いてやってくれ、勇気の言葉を一語一句漏らすでない。繰り返し聞いていれば、もしかすると理解できるかもしれんぞ?」
それを聞き、輝は肩を落とした。
「むむ…意味すら理解できない話があるなんて、初めてです…、分かりました。勇気先輩! これからも、定期的に今の話をしてくれませんか?」
「え?」
勇気は、輝の唐突な提案に、思わず聞き返す。
「"塵も積もれば山となる"、ですよ! 洗脳されるレベルで聞いていれば、いつかは理解できるはずです! 私、勇気先輩のことは、全て知りたいんです! 余すことなく!」
「…ヌシ、結構ヤバイ奴に好かれているんじゃのう…」
「…それは、この世界の"星野勇気"に言ってくれないか」