3 出会い
星野勇気は、相変わらず寝心地の良いベッドの上で、目が覚めた。窓から差し込む光が、朝を告げている。勇気は、眠い目を擦りながら、身を起こし、少し部屋を見渡した。昨日と同じ場所だ。今、これは夢ではないと確信した。勇気はその事実にため息をつきながら、ふと、違和感を覚え、隣を見た。そこには、幸せそうな表情で眠っている、天上真白が居た。勇気が驚いたのは言うまでもない。
「…ぁ、おはよぉございます、ふくかいちょぉ…」
真白があくび混じりに身を起こす。真白は、驚きで固まっている勇気を見て、首を傾げた。
「…ふくかいちょう?どうかしました?」
「どうかしたかって…、この状況で驚かない男はいないと思うぞ」
「そうなんですか?でも、ふくかいちょうと一緒に寝れば、あったかいし…えへへ。それに、いつものことじゃないですか!忘れちゃったんですか?」
真白が不意に勇気に抱きついた。勇気は起こしたばかりの体を押し倒された。
「のわっ!?っ、いつもの事だ?」
真白は、幸せそうに勇気を抱きしめている。真白の知っている星野勇気はどんな人間だったのか、想像がつかない。勇気は真白の腕をため息混じりに優しく引き剥がす。
「…あー、真白…だっけ、ちょっと美咲さんに用があるんだけど、知ってるか?」
「ねえさまですか?えっと…書斎に居ますよ!」
「書斎…あー、道案内頼むよ」
「任せてください!」
真白は寝起きとは思えないほどの元気な声で答え、勇気の手を引いた。
真白に道案内をされ、書斎へ向かう途中、真白は常に勇気の腕に密着していた。その時、真白は勇気にこんな話をした。
「ふくかいちょうのさっきの反応、はじめてあったときのことを思い出すなぁ…」
「初めて会った時って、真白、初対面であれをやったのか!?」
「はい!それはもう、すごいあわてようで、世界のおわりみたいな顔してましたよ!」
「そりゃあそうだろうな…、そいつも大変だったんだな」
「なにいってるんですかっ!自分のことですよ?」
「あー、そうなんだっけか…」
「そうですよ!あ、ここが書斎です!」
真白に案内された扉を開けると、勇気の目に最初に飛び込んできたのは、膨大な数の本だった。広い部屋の中には、巨大な本棚が幾つか並べられており、書斎というよりも、図書館という印象だ。本の背表紙を軽く見渡してみると、日本語で書かれている本は二割ほどで、ほとんどが英語や、勇気の知らない言語だ。
(これは…、やっぱり豪邸なだけあるな…)
しばらく部屋を眺めていると、部屋の奥で、分厚い本を読んでいる、美咲が目に留まった。
「美咲さん!」
勇気は美咲に駆け寄り、声をかけた。美咲はその声に少し驚いたようだが、体調の良さそうな勇気に安心した表情を見せ、それに答えた。
「勇気さん、おはようございます、体は大丈夫ですか?」
「ああ、おかげさまで。それより、朝から悪いけど、ちょっといいかな」
「頼み事ですか?、それなら断れませんね、何でしょう?」
「ありがとう。今年度の生徒会の活動記録を貸してほしいんだ、あぁそれと、よければ学校の見取り図も」
予想外の頼みだったのか、美咲は不思議そうに首を傾げた。
「活動記録、ですか。ええと、何に…?」
「現状把握。昨日も話したと思うけど、学校中の生徒が全員知らない人になっていたんだ。だから今の学校の情報が少しでもないと、生徒会の業務も満足にできない気がしてさ」
勇気の思考はこうだ。知っている人間が根こそぎ赤の他人となった、しかしそれらは何故か自分の事を知っている。このままなにも知らずに学校へ行っては、確実に何かしらの問題が起きてしまうだろう。付け焼き刃でもなんでも良いから、今の学校内の知識があれば。生徒会副会長の仕事をある程度はこなせるだろう。なにより、今はあまり考え事をしたくはなかった。
「生徒会の業務を優先とは…本当に記憶を失ったのですか?…まぁ良いでしょう。えっと…たしか…真白、少し手伝って」
「しょうちです!」
美咲は、持っていた本を静かに閉じ、真白と共に活動記録を探しに書斎の奥へ消えていった。
(まぁ、記憶は失ってないな。どう説明すればいいんだろう?)
程なくして、少し大きめの活動記録を抱えた美咲が、勇気のもとへ戻ってきた。
「見つかりました、どうぞ。記憶を取り戻す手掛かりになるといいのですけど…」
勇気は、美咲から活動記録を受け取り、感謝の言葉を述べる。
「ありがとう。えっと…これは?」
勇気は、活動記録に挟まれていた、青い冊子を発見し、美咲に向かい疑問を口にする。
「それは小百合が記録してくれた、去年の行事と、事象の記録です。なにかに役立てば良いと思ったので共に持ってきたのですけど…」
(小百合って確か、この生徒会の書記を務めている生徒だったか。へぇ…行事中に起こったハプニングとかの詳細が事細かに書かれてる、改案まで記されてるな…すごい情報量だ、普通こんな量記録しないぞ…だけど、これで状況把握は何とかなりそうだ)
「ありがとう、美咲さん。すごく役に立ちそうだ」
「それは何よりです。…っと、もうこんな時間…そろそろ登校しましょうか、生徒会が遅刻したら一大事です」
「ふくかいちょうといっしょに登校できるなんて!舞い上がってしまいます!」
「ふふ、真白は本当に勇気さんが好きなのね。さぁ、行きましょうか、勇気さん」
ーーーーー
登校中、勇気は、学校に着くまでにできる限り多くの情報を頭に入れておこうと、活動記録を開いていた。そこには、全校生徒の委員会、部活の、所属状況も記されていたが、男子生徒は勇気の他に全く委員会に所属しておらず、部活にも所属していない。まるで他人との接触を避けているかのようだ。
(これは一体どういうことだ?…男性が少ないとはいえ、43人全員がここまで非活動的なんて…っと、もう学校か。)
「では、私は3-Dなので、これで。何かあったら3-Dまで来てください」
「私は1-Bですよ!ふくかいちょう!私の力がひつようでしたら、えんりょなく、たずねてきてくださいね!」
天上姉妹はそう言って、自分のクラスへ向かっていった。
(さて、俺も行くか、クラスは3-F…さすがに変わっていないか。…ん?)
その時、不意に勇気の肩が叩かれた。振り返ると、そこには木崎恵が立っていた。
「おはよう、勇気。昨日はちゃんと眠れた?」
恵が少し心配そうに声をかける。
「ああ、えっと…恵…だっけ?」
「まだ記憶曖昧なの?さっさと全部思い出しなさいよ、あんた副会長なんだし。…まぁいいけど、さっさと行くわよ」
恵が少しあきれた様子で勇気の手を引く。その出来事に勇気は少し困惑した
「え?っ、どこに?」
勇気のその言葉を聞いて、恵は一層あきれた表情を浮かべた。
「3-F、クラス同じでしょ?」
「あ、なるほど、そうだったのか、知らなかった」
「全く、しっかりしてよね…。ほら、行くわよ」
「っ、ああ」
恵に半ば強引にクラスへ連れていかれた、記憶喪失になったことを(実際にはなっていないのだが)心配してくれているのか、その手はどこか少し優しかった。
ーーーーー
教室に入ると、真っ先に目に入るのがやはり、女子生徒の多さである。四、五人で構成されたいくつかのグループに分かれ、他愛のない話をしている。
「勇気、こっち」
勇気は、恵に手を引かれ、一つの机の元へ案内された。
「ここが勇気の席ね。で、私の席はここ。隣だから、困ったこと、分からないことがあったら、すぐに私に相談すること。いい?」
「ああ、分かった、なんかありがとうな」
「…勇気が問題を起こしたら、生徒会の信用に関わるから、当然のことよ。勇気がお礼を言う事じゃないわ」
恵は冷めた表情で勇気から目を逸らした。…つもりなのだろうが、目が優しさに満ち溢れていたので、表情の説得力はまるでなかった。
ーーーーー
「はい座ってー、出席取るわよー」
このクラスの担任らしい女性教師が教室中に届くように声を張り上げた。教師は生徒が全員着席したことを確認し、出席を取り始めた。
「相田、旭、芦谷、伊川、石崎、垣田…」
(茶色…青色…金色…緑色…似合いすぎてて今まで気が付かなかったけど、髪の色がちょっとカラフルすぎないかこのクラス。なにも言われていないところを見ると、髪を染めることは、特に規制されていないのか、…あ、そういや美咲さんも金色だったな、恵も赤色だし……あ、地毛とか?…はは、まさか)
「えーと…、中藤」
その時、勇気の視線は、ある一点に集中した。
中藤、そう呼ばれた男子生徒は。存在感がかなり薄く、普通の人間なら見逃してしまうところだろうが、”あの”勇気が見逃すはずがない。
星野勇気に、一筋の光が差し込んだ。
(あの人、凄くかっこいいな…)
彼の名前は『中藤尊康』この学校に通う学生である。以上。
(あの頼りになりそうな横顔、制服の上からでもわかるガッチリとした身体…!自信ありげな表情に本をめくるなどの細かな動作…!全部が完璧に俺の好みを貫いてきているんじゃないか!?。短く切られた髪も、明るく好印象。間違いない、彼は、俺の人生の中で出会った男性の中で一番魅力的だ!…俺は、もしかしたら異世界か何かに飛ばされたとか、平行世界に存在する俺と入れ替わったとか、そんな不可思議な結論を出しかけていたがどうでもいい、今は考えるのをやめよう。あの本は…テニスの教本か?それにしては、中藤…テニス部には在籍していなかったような?ああ、そうか。女子生徒ばかりだもんな、入りにくいのも仕方ないか…いや、それにしてもかっこいいなぁ…)
「星野?星野ー」
「ん?え、っ、はい!」
勇気は、慌てて担任の点呼に答える。
「ちょっと勇気…!大丈夫?ボーッとして…」
恵が、勇気の行動を見て心配の声をかける。
「あー、大丈夫、ちょっと見とれて、いや…あー、…考え事をしてたんだ」
「……これ、しばらくは目離せないわね…」