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リアル メモ

作者: 見城R

会社が終わって、電車に揺られて

だいたい50分かかって辿り着くのが

自宅と現在呼んでいる場所だ

個人的には仮屋の気分


そう思いながらずるずると5年は住んでいる

大学の時よりも長い

そういうことに気付かず、ガムシャラといえば聞こえはいいが

ただ、忙殺されて流れてきた感がある


「・・・ええ、だから、その件は先ほども言いました通り」


ケータイに語りかけながら、いや、謝りながら部屋へと戻ってきて

僕はまだ、見えない相手に頭を垂れ続ける

口と頭は会社で見たグラフや、カタログのことを思い描いているのに

器用な身体は、部屋の電気を灯して、数歩進み、

スーツの上着を脱いでハンガーにかけ終えている

上着を脱ぐ時は、本当に不思議なほどスムースにケータイを耳から放さず脱いでしまう


「はい、ではまた明日連絡させていただきますので、それでは」


パキッ

折り畳みケータイを閉じる音が冷たい部屋に鳴った

緑色の光が気に入って、未だに古ぼけた機種を使っている

買い換えるのが面倒だとか、そんなことも思ったりもする

ケータイはベッドに投げ捨てて、一息をつく


「ふー・・・・ったく、明日、朝一だな・・・・先輩怒るんだろうなぁ」


一人愚痴を呟いた後

視線をやや落として、眼鏡はかけたまま

ふむ、もう一度ため息ににた呼吸を一つしてから

首を締め付けている、忌々しいネクタイに指をかけた


「ん・・・・っ」


する、焼き切れるように一瞬熱くなっているんだろう

だけど、この寒い冬にはそれがわからない

すり切れていくネクタイが、毎日のそれと同じように

差し込まれた人差し指によって、整えられたウインザーノットがただの一本の布になる

エンジ色のネクタイはお気に入りの一本だ

これをつけている日は、いいことがある

そんな言われを自分でつけて、願掛けにも似たことをしている

今日はハズレだったけど、次はいいだろう


解いたネクタイをタンスにしまい、シャツの第一ボタンを外した頃

ようやく眼鏡の奥の瞳に休息が訪れる、一息つこう

そんな気分になれる、僕はゆっくりと、やや裾の長いズボンをシワにしないよう気を付けてしゃがむ

膝よりはやや高いくらいの冷蔵庫を空けて中を見る

オレンジ色の光が温かさを思わせるのに、ひやりとした白い空気が降りてくる

ツンとした、独特の匂いが鼻をつく


「あー、牛乳切れてんのか・・・・・飯どうしよっかな」


面倒だ、呟かずにそれは頭の中で判断して

冷蔵庫をややあらっぽく閉める、バフ、空気を噛む音をたてて扉は閉じる

立ち上がって、上の棚から牛肉しぐれ煮の缶詰を手に取って

台所から愛用の箸を掴み口にくわえる

行儀悪いあれだが、5年も一人で生きているとそんなことを咎める親の目もない

自由で、奔放で、だらしなく過ぎていく

空いた手で、缶詰を空けて蓋だけ洗う


「・・・・っと」


一挙一動に声が出るのはどうかな、そんなことももう感じなくなった頭は

ぎしりと鳴る古びたイスに身体を預けることを欲する

従順に身体は、思った通りの軌道で僕の身体をイスにおちつけた

ギィ、鳴る音が耳に気持ちいい、だらしなく開いた胸元から

白いTシャツが見える、少しシワが寄っていて、疲れを連想させる

いかんな、呟くように口は動いて、されど声は出さず

イスの脇に置いてある酒に手を伸ばす


「ん、ん、・・・・これかな」


最初、手に取ったのがワイルドターキー

次のがオルメカゴールド、そして三本目にフィンランディア

二本の茶色い液体をやり過ごして、透明なそれのキャップを空ける

ガラス瓶に不相応な感じで、座りの悪いキャップ

これはプラスチックで出来ているが、外見はメッキというほどかっこよくない

プラモデルの銀色と同じくらいの物質でできている

ただ、それでも瓶の形状がかっこよくて気に入っている

無造作にそれを口もとへと持ってくる

こくり、

喉をそれが通ると、遅れて火がついていく

熱いと表現するのが適当なんだろうが、何かズンとした重い物が

奥の方へと流れ落ちた感じがする、アルコールの高い酒がうまい

そんな子供じみた飲み方からまだ抜けられない

瓶を置いて、缶詰を空ける、独特の匂いが立ちこめる


「あー、くそ」


一口食べてから、意味のない独り言を呟く

いつものことだ、言葉は何かにイラだったそれだが

まったくそんなそぶりはないし、気持ちもない

なんとなく呟きやすい言葉を出しただけなんだろうな

自分を客観的に見る練習とか、馬鹿なことを思い浮かべつつ、また透明の液体を呑む

代わる代わるに缶詰の中身も腹に納まっていく

次第に心地よくなる、いい塩梅で身体も温まってくる

だが、それをどうにかする方法は何一つ無い


「早く帰りすぎるのはよくねぇな、テレビまでどうすっかな」


見たい番組が始まるまでテレビをつけない主義

珍しいと言われるが、テレビをツケっぱなしにしておくというのが

生理的に受け付けられないのだから仕方ない

CDを適当にコンポに入れて、それがゴキゲンな音楽を流し始める

何度も聞いたCDだが、そういうのは関係ない

BGMは流れていればいい


ひょい、なんてことはない、暇だったから

気まぐれを起こしただけだ

目に入った文庫本を一冊手にとった

書店で買った時のままのカバーがついているから

中身が何かはわからない、暇つぶしにはちょうどいいだろう

草枕曰く「本は適当に開いたところからえいやと読むのがいい」だ


「うおっ、な、懐かしっ」


思わず一人声が大きくなる

酒のせいもあるが、純粋に驚いた

20代終盤を迎えつつある香ばしい男性には少々というか

かなりキツイ、恋愛小説ではないか、なんだ、どうして僕はこれを本棚に入れてんだ


「あー・・・・読んだのって、大学の時だったか?サブイボがすげぇなこれわ」


半笑いになりながら、自分の記憶を辿り

しげしげとそれをぱらぱらめくりにする、目で追う言葉それぞれは

どこかで聞いたフレーズばかり

それもそうだ、これを貪り読んで、諳んじるかってくらい重症だったんだから

懐かしいポップな文体と、時代を伺わせるはすっぱな物言い

傾倒していた自分が随分可愛いと思えるそれ

暇つぶしにはもってこいだな実際、そう思って、しらず内に引き込まれてしまう

本の魔力だ


「?」


ぱらり、適当にめくっていて少し

唐突にばさりとめくれてページが止まった、栞が挟まっている

違う、栞のようなものが挟まっている

半分に折り畳まれた、小さな紙切れ、今でも本当の栞を使わずに

会社の書類を折った奴とかを使うが、当時もそうだったか


「テストとかかな、懐かしさ爆発だなこれわ」


思って、何も深く考えずにそれを開いた

開いた瞬間、香りが立ったような気がした、これは僕の後日談だから

記憶を思い出に作り替えているせいだとは思うけど

紙からは、閉じられた本の中で、閉じられた時の空気を持っていたんだと思う


紙は、なんてことはない

アイスティーのコースターだった

そこには、そのアイスティーの言われが書いてあり

詳細な歴史とか、製法とか文化みたいなものが

ささやかに書きつづられている、ありふれた紙だ


「・・・・・・・・」


僕は、じっくりとその懐かしい紙切れを見て

酒のせいかもしれないけども

ぼぅっとしたものがこみ上げてくるのがわかった

一つずつじゃない、記憶が蘇る瞬間は、一気に

待つことも気兼ねすることもなく、溢れるようにせり上がってくるんだ


この紙を手に入れたのは大阪だ

喫茶店で、珍しい紅茶を呑ませてくれる店で

その紅茶についての説明が書いてある

当時の僕は、多分あとからネタにしようと思って持って帰ってきたんだろう

そんな深い意味は無いと思う


喫茶店は、二人でいった


年上の女の人と喫茶店で茶を呑むなんてのが

本気でどうにかなるほど緊張する

そんな頃だった、大学生でそれかよと思うが

実際そうだったんだから笑えるというか、甘いというか

年上の女性と、そこで何を話したかは覚えていない

ただ、そこで呑める紅茶が特別だということを誇らしげに言われ

それが実際だったと感心したんだ


タプロースアイスティー


スペシャルはそれだけじゃない、僕にとって初めて

女の人とデートをして、その相手は密かな片想いの相手で、二人だけで過ごした

酒のせいだろう、嫌になると思いながら顔からにやにやが取れない

僕の脳に思い起こされるフレーバーなそれら

片想いという特殊な状況だったからこそ

そうなった時の喜びと、それまでの道程とが

ごたまぜになって、むずがゆい、自分だけのものが満たされていく


「姉さん」


どうしてんだろう

思うが、それはもう別の話だ

思い続けていた日々と、それを終わらせた日のことまでも思い出してしまう

話を元に戻そう、栞を手に入れた日に戻そう

酒の力で脳がトんでる、ちょうどいい具合だ

思い起こす、もう7年も前になるのか、僕が20歳くらい

っつうか20歳でそんなおぼこいことしてたのか、笑うな

その時の姉さんは、23?4?


「そうか・・・・僕より年下なのか」


目を思わず見開いてしまった、そして、酷く自分が嫌になった

今の自分なら、当時の姉さんともっとよくなっていたとか

そんな馬鹿なことを考えてしまう

でも、すげぇ年上だと思っていた相手が、今考えてみると年下になる

中学とか小学校とかの初恋の話じゃない

初恋みたいなもんだが、残念ながら対象はどちらも20歳を超えてる

そう思うとふしだらなことが浮かんでしまう

あの頃の僕よりは自信があるなんて


がこっ、乱暴に自分の脚を叩いた

なんとなく八つ当たり、自分が成長していて、

その当時の好きな人は、年下になってしまう

でも、あの人なら年下でもとか、馬鹿なことを考えてしまう

やめろ、嫌いだ、鬱陶しい

そんなだから、今でもそうなんだろう


仕事帰りの風情のまんまで、それは酷く薄汚いもののようだ

当時の僕は、こんな僕を想定したろうか、してないだろうか、

よくも悪くも若かったのがとてもよくわかる

あの当時のにやにやと、今、それを思い出しているにやにやでは

中身が違う、バックボーンが違う、清潔さが違う

不思議なものだ

当時、自分が好きじゃなくて、あれだこれだと考えていたのに

今から思うとずっとずっと、今よりは


こんな僕では年上のあの人はきっと


「着替えよう」


あの頃と変わったところを確認できる

客観的に自分を皮肉ることができるのがよいとしていた当時、

それを許容しながら、その行為が自虐という愛すべき行動だと今は

すっかり切り捨てられる

ただ、今でも油断をすると、頭に血が上ると、どこか浮ついていると

必ずその性癖は顔をのぞかせてしまう、そんな時は鎮める


Yシャツを脱いで洗濯かごにほうりこむ

苛立ちを一人だけの時は、気兼ねなく出すことができる

知らない内に自分の行動に制動をかけるようになった

誰もそこまで気にしていない

でも

しないにこしたことはない

そういった言葉で自分を抑圧して、すり減らして、平らにして

まるで誰かのせいとか思うような、それすらも許してはいけないが

それを許すだけで、いくらか楽に生きられるとか思うようにもなった

脱いだ靴下がくたびれる、部屋着に着替えてしまえば

あとは靴下と同じ、くたびれるだけだ


気持ちをリセットしたから、もう大丈夫だ

そう思い、テレビの時間だと、読みかけと言うべきでもないほどの本を

静かに閉じることにする、栞はまた同じ所に挟んでおこう

何年か後にもういちど、同じ想いを味わうのもいいだろう

そう思って、開いたままの本に栞を挟む

挟む時、ふと、文面が気になった


「そういや、当時どこまで読んでたんだろう」


おそらく何度目かのトライだったろうに

当時の自分は、どこで止めていたんだろうか

よくよく考えてみると、あの時に携帯していったような気がする

初めてのデートに恋愛小説を持っていくあたり、気持ち悪いけども

そんな自分も好きだ、愛してやれる


「・・・・・・」


少し目を通す、幸い、と言うべきなのか

短編集で、その中の一つの小説の最後のページに挟まっていた

その話をすぐに思い出せる、そして、そんな場所に挟んでいたということは

当時の僕は、間違いなく意図的にここにこれを挟んだんだ

でなくては、電車で読んでいる時なんて、キリがよくなるわけがないもの


挟まれていた栞が示す物語の終わりは、当時とても好きな短編だった


若い男が、年上の女と恋に落ちる

ただ、年上の女にはもう決まった男がいる

いや、それはまだ、決まる、結婚する前だが、

結婚する幸福の前に訪れた、若い男の可能性を示したものだった

何一つ不満はない、なるべくして落ち着く結婚に身を投じる年上の女が主人公

決まった相手は描写されない、ジョーカーたるべき

若い男の描写が続く、彼は若くて魅力的だ、だけど私はもうそういう舞台から降りてしまったの

何度かの逢瀬を重ねて、若い男が彼女にプレゼントをする

指輪を贈る、彼女は微笑んで答える

「ありがとう、でもこれが答えよ」

指にはめたそれは、逆さにするとするりと指輪だけ落ちてしまう

サイズがあってない、大きすぎる指輪なんだ、男はめげないで

「サイズを聞いておくべきだったよ、今度は」なんて

遮るように

「今度はないのよ」


エピローグは切ない、男は泣きながらこの恋に別れを告げる

年上の女も扉の内側で泣いている

ただ、泣きながら彼女は思う

あの男はきっと、とてもいい男になる

遊び慣れた年上の女が、最後に出会った遊び相手

遊びというにはあまりにも熱いそれだった

そんな物語だった


「・・・・・・・・」


ぱむ、本を閉じる

から笑いも出ない、恥ずかしいとも思わない

当時の自分が、どうしてそこに栞を挟んでいたのか

自分をそこに重ねていたわけじゃない

皮肉屋を気取っていたんだから違いない、違いないけど


閉じた本に栞は挟まなかった

本の最後に挟んでおくことにする

物語の自分の中の始まりを示す栞は

その本の終わり、その本が終わったことを示す位置に入れた


僕は、あの栞を

初デートが終わった帰りの電車で挟んだのだ

それから半年くらい

それくらいで、年上の女性は結婚した


重ねていたわけじゃないけど

予感していたのだろうか


どれもこれも、美化している

究極の自虐行為に他ならない

愛すべき、己の性癖のそれに違いない


だって


片想いだったのだから、物語と重なりようがないんだもの


本を片づけて、酒もやめた

冷蔵庫に牛乳がないことが酷く気がかりな夜だ

全てを忘れて眠る時間がやってきた

布団に身体を横たえる


主観では恋愛小説のそれ

今ならわかる

あれは、ただの旅行記だったんだ

意識を落とすことにする、寝る、また明日がくる

備えて寝る、朝一番で先輩に言わないといけないこともあるんだ

忙しく働く、それが現状で最高のことだ


言い聞かせているような響きだけど違うよ、だって

いつもは寝るのが嫌で仕方ないんだから

明日が来るのが億劫だと思ってたくらいなんだから


そんな奴じゃ、小説の主人公になれない

せめてなれるよう、僕は心持ちを強くして眠る


栞も本の中でまた眠る

下手な字で電車の時間のメモが書いてあった

次に開いた時

また、読みかけになってる自分に気付かせてくれるだろう


僕は進む、現実の世界で思い出じゃない物語になってやる

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