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だれかの日記みたい

〈2026年 4月 1日〉

作者: ソーダ茶
掲載日:2026/04/01


*改行など自由形


*『なんでも来いよ』、『寛容だよ』という方にしか

 向かない作品になっているかもしれません


*無理そうだなと思った方(←閲覧中を含む)は

 即刻ページから離れて健やかにお過ごしください



 


私は、いくつか異なる文庫本たちの「解説」までを読んできて


私だけの解釈の邪魔にならなければ、それでいいと思ってはいた



でも、なんか好きじゃないなって



「解説」を書く人物が作者のことを

「よいしょ」しているようなテンプレートが含まれるところが



多分、そこが好きじゃない 苦手だ



当人同士が尊敬し合っていて純粋にたたえているのだとしても、


まるで部外者も同然の

パンピかも怪しい人間かも分からない私が


さっきまで本編にのめり込んでいたにも関わらず、

正真正銘の蚊帳の外にされるというか



急に物語の世界から放り出されたみたいな感覚を憶えるから



そりゃ「ふたり」からしたらパンピ、どっかの誰かでしかないけどさ




それって「解説」に必要な言葉かなって



物語に対する純粋な「解説」に相応しいかなって



それも大袈裟な物言いにしか映らない、私には




それとも本当は『その人』からした作者の人物像、作者に関する「解説」ってことなのかな




なんだか判らないし、解らないけど



私から、せっかく出会えた物語を遠ざけないでほしい



だからまぁ、私に「解説」まで読むことは向いてないなって確信しました



私には「それだけ」が本当で、確かなんでしょうね



ただ、私が注意散漫な質の生命体だからかもしれないです



読書家でもなければ、評論家でも批評家でもないから、

そんな私には理解のできない領域だという「ただそれだけのこと」なのかもしれません




 本編読了後の『解説』に思うこと


______________________



 閲覧ありがとうございます


 楽しんでいただけたなら幸いです


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