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エルフの子、できちゃいました?!〜聖なる森で全力子育て!〜

作者: 南雲 皋

「あんのくそエルフぅぅぅ……!」


 人里離れた森の中、私は恨みの声を漏らしながら歩いていた。

 簡易テントに携帯食料、必要最低限の荷物しか持っていないとはいえ、道なき道を行くのはかなり苦しい。

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 そう、私は妊娠している。しかも、エルフの子どもを。

 ただの人間がエルフの子を身ごもったという話は聞いたことがないが、恐らくあまりにしんどすぎて耐えきれなかったのではないかと思う。

 冒険者として、男たちに混じって戦いに明け暮れていた私が、並の男より体力があると自他ともに認める私が、死にそうになっているのがその証拠だ。


 私は今、天国の入り口を叩こうとしている。


「絶対……死んでたまるか……ッ」


 そもそも、あいつがいけないのだ。あの大嘘吐きめ。


『エルフの子など、数百年見ていない。人間との間に出来た子など、見たことがない。だから安心しろ。安心して俺を受け入れてくれ……』


「なぁぁぁにが安心しろだ……! 出来てるじゃねぇか……う、うぅ」


 もぞもぞと、胎内で子が動く。動く度に、体内の魔力がかき混ぜられる感覚が気持ち悪い。

 私と子ども、お互いの魔力が反発しあっているのが分かる。人間とエルフが相容れない存在なのだと思い知らされているようだった。


 それでも。


 私はかなり目立ってきた腹の膨らみを優しく撫でる。


「ちゃんと大きくなってるんだもんな……」


 妊娠していると診断してくれた医者は、前例のなさに絶句した後、流産の可能性が高いことを教えてくれた。異種族間で出来た子どもは、妊娠継続率が著しく低いのだと。

 それはそうだろうなと思っていたし、全てを天に任せる気持ちでいた。

 流れてもしょうがないと、そう思っていたのに。


「もう二年経つぞ……いつまで寝てるんだ、早く出てこい」


 名前も知らないエルフと関係を持ったのは、三年以上も前のことだ。


 あの時、滞在中だった街の近くにあるダンジョンで魔物が大量発生し、暴走するスタンピードが起こった。

 ギルドからの救援依頼を受けてダンジョンに向かった多くの冒険者の中で、ひときわ目立つ男だった。


 陽の光に当たる度に宝石のように煌めく銀色の長い髪、尖った耳と高い鼻、芸術品みたいに整った顔の中、海よりも深い青の瞳が涼やかに周囲を見回す。

 彼の魔術は一級品で、誰よりも魔物を(ほふ)っていた。


 まるで踊るように魔物を倒す彼に、見惚れなかったというと嘘になる。私は彼の討ち漏らした魔物を斬り伏せながら、一方で彼の戦いを視界に収めるように立ち回っていた。


 だから、彼の死角から魔狼が素早く牙を向けたことに誰よりも早く気付けた。

 獰猛(どうもう)な牙が彼の身体を傷つけるより早く、私の剣が魔狼の核を貫いた。


「感謝する」

「お互い様だ、私もあんたに助けられてるからね」

「そうか。では残りも片づけてしまおう」

「おう!」


 それからは、彼が私の位置を気にしながら魔術を放つようになった。

 格段に戦いやすくなったことを自覚しつつ、まだ終わりの見えない魔物の群れに向かっていった。


 全ての魔物の討伐が確認された後は、お祭り騒ぎだった。

 街では冒険者たちに無料で酒や食事が振る舞われ、公衆浴場も宿屋も開放されていた。

 興奮冷めやらぬまま血を洗い流し、腹を満たし、酒をあおる。


「先ほどはどうも」


 人混みを避けるように路地裏で酒を飲んでいるエルフを見つけ、私は声を掛けた。ジョッキをぶつけ合い、一息で空にする。

 おかわりを貰ってくるよと言えば、素直に差し出してきた。

 ついでにつまみも幾つか見繕(みつくろ)い、二人で酒を飲む。


 向かい側ではなく隣に座ったのは、彼の体温を感じたかったからだ。

 拒絶されなかったことも、私の気を良くした。

 私を見つめる瞳には好意が滲んでいるように感じられた。そしてそれは、勘違いではなかった。


 酔いが回るにつれて、彼の横顔がやけに近くなっていることに気付く。

 銀の髪が肩に触れ、青い瞳がこちらに向く度、胸がひどくざわついた。


「あんたみたいなエルフが前に出て戦うなんて珍しいな。エルフって、大抵は後ろの方にいるだろ」

「俺はもともと前線の方が性に合っている。魔術で後ろから支援するより、直接敵と相対して仕留める方が好きなんだ」

「ふーん……変わり者だな」


 そう言いながらも、その変わり者から目が離せなかった。彼の声は低くて心地よく、淡々としているのに妙に耳に残る。

 気付けば互いに杯を重ね、夜はしんと更けていた。盛り上がりも多少は落ち着いているが、夜通し騒ぐ連中もいるのだろうと思う。


「そろそろ俺は宿に戻る。君はどうする?」


「私も戻るよ。…………送ってくれる?」


 自分でも驚くくらい、自然に言葉が出ていた。

 彼は一瞬だけ驚いたように眉を上げたが、すぐに穏やかな表情に戻り、頷いた。


 その夜のことは――思い出すたびに胸が苦しくなる。

 後悔なんてない。ただ、思いもしなかった結果が、今こうして腹の中にいるだけだ。


「……くそ、思い出したらまた腹立ってきた」


 木の根を踏み越えながら、私はぶつぶつと文句を言った。

 だが、怒鳴り散らしたい気持ちとは裏腹に、もう身体は限界に近い。息は乱れ、喉も胸も千切れそうに痛い。下腹部の痛みもどんどん増していた。


 視界が狭まり、両脚がもつれる。


「……まずいな……ほんとに……死ぬかも……」


 ふと、森の奥から呼ばれたような気がした。


 声ではない。

 空気の、魔力の流れ、生き物たちの気配――それらすべてが一つになって、私の背中をそっと押してくれるような感覚。


 腹に触れると、中で赤子がもぞもぞと動いた。森の奥へ進みたいとでもいうように、小さな足が内側から優しく蹴ってくる。


「……とりあえず、行ってみるか……」


 背丈ほどもある草木を掻き分けながら、必死で足を前に進める。荷物も持っていられなくなり、地面に落ちたが拾う気力もなかった。

 また酷くなってきた腹の痛みに歯を食いしばりながら森の奥へ進むと、目の前が急に(ひら)けた。


「う、み……? いや、湖か……」


 澄んだ空気が、魔力が全身を包み込む。湖面に反射した木漏れ日がキラキラと輝いて、思わず目を細めた。

 どこまでも透明で、底が見えないほど深く、青い。


 先に進もうとして、ぬかるんだ地面に足を取られる。

 とっさに腹を(かば)うように転がり、(にぶ)い痛みに顔を(しか)めた。


「う……ぐ……」


 もう、立ち上がれなかった。ずるずると湖まで這っていき、伸ばした指先が水に触れる。


 ――その瞬間、痛みがふっと軽くなった。


 転んだ時の痛みだけでなく、息苦しさも、下腹部の痛みも何もかもが軽減されている。慢性的に悩まされていた吐き気さえも消えていた。


「……なに、これ……」


 湖が、優しく揺れる。まるで私を迎え入れてくれるようだった。


「……入れっての……?」


 私にはもう、判断する余裕もなかった。

 死にたくない――その一心でずりずりと湖の中へ入っていく。


 ひんやりとしていて、けれど決して冷たすぎない水温。重力から解放され、全身が包まれ、守られているような感覚。

 全身を満たす心地のいい浮遊感に、意識が遠のいていく。


 腹の中の子が、喜んでいる気が、した。



◇◆◇



 遠く、何かが羽ばたく音が聞こえる。

 ぼんやりとした意識が、少しずつ浮上していった。


ちゃぷ……ちゃぷん


 重たいまぶたをゆっくり持ち上げると、目の前を光の粒が舞う。

 ……いや、光じゃない。

 それは小さな人影だった。


《起きた、起きた》

《生きてた》

《よかったね》


 チリンチリンと鈴を鳴らしたような高い声。

 視界いっぱいに小さな妖精たちが飛び回っていた。彼らが羽ばたく度に、キラキラと光が散っていく。


「えーと……?」

《お腹の子も無事だよ》

《でもまだ出ちゃダメ》

《出ていい時が来たらあたしたちが出してあげる》


 立派な木の根を枕がわりに横たわる私の首から下は、湖に浸かったままだった。

 湖に溺れるみたいにして意識を失ったと思ったが、妖精たちが体勢を整えてくれたのだろうか。


《ヌシさまがね、助けてあげてって》

《だから助けてあげるね》

《この森なら、きっとその子も産まれてこられるよ》

「ヌシさま……?」


 私の疑問に答える前に妖精たちが騒ぎ出し、大地が揺れた。どんどんと近付いてくる大きな地響きに何事かと思っていると、生温かな舌でベロリと顔を舐められた。

 

 ヘラジカ……だろうか。あまりに近すぎてよく分からない。

 けれど、ただの動物ではないのはすぐに分かった。全身から(ほとばし)るエネルギーは今まで倒してきた魔物とは全く異なる強さを持ち、こちらを覗き込む瞳は湖と同じ色をしていた。


「……あなたが、ヌシ? 助けてくれたのか?」


 ヌシはゆっくりと頷いた。

 怒っている様子も威圧する様子もない。真っ直ぐ、ただ私を見ている。


《ヌシさまはね、あなたと子を守れって言ってたよ》

《この森の魔力はとってもやわらかいから、あなたの中のおチビさんも気に入ったみたい》


 お腹に手を当てると、確かに今までのような重苦しさがなかった。

 ずっと反発して、決して混じり合うことなく暴れていた魔力が落ち着いている。


「……そう、なの……?」


 妖精たちはふわふわ飛びまわりながら、嬉しそうに頷いた。


《湖の水、魔力いっぱい》

《エルフの魔力にも似てる》

《ここでおチビさんを育てたらいいよ》


 そんなバカな、と思いながらも、身体は正直だった。

 腕も足も軽い。息ができる。視界が明るい。とても、気分がいい。


「……ありがとう。助かったよ、本当に……」


◇◆◇


 それから、私はしばらく湖に浸かったまま過ごした。

 だんだん数えるのが面倒になったために正確なことは分からないが、一ヶ月くらいは湖の中にいたのではないだろうか。


 妖精たちが甲斐甲斐しく世話をしてくれ、お腹が空くと森の果実や花の蜜を口に運んでくれた。こんなにも甘やかされていいのだろうかと思いつつ、立ちあがろうとすれば全力で止められるのだからしょうがない。


 何より腹の子が暴れずにいてくれることが一番だった。


 あれほど私を拒否し続けていた魔力が、今ではすっかり静かになっている。

 腹の中でもぞもぞと子どもが動く度、私の魔力と子どもの魔力が柔らかく馴染んでいくのが感じられた。

 完全に混じることはなさそうだが、それでも私の体調は格段によくなった。

 これなら、元気に産んであげられるとも思えた。


 ようやく湖から出ることを許された時、私は筋肉の衰えにビクビクしながら立ち上がった。産まれたての子鹿のようになるかと思いきや、想像以上に身体が動く。


 腰を伸ばして歩けるようになり、腹が痛まない程度に毎日散歩もできるようになった。妖精と笑い合い、ヌシに感謝する日々を送る。


 崖下にできた洞窟のような場所を葉っぱや切り出した材木なんかで加工して簡素な家を作った。妖精たちが拾っておいてくれた簡易テントの中の寝袋を作り替えてベッドも作り、この森に腰を落ち着けようと覚悟も決まった。


 それから半年ほどが経った頃、森に生ぬるい風が吹き始めた夏の始まりに、その日は来た。


「う、あ」


 下腹部をぎゅうと思い切り掴まれるような痛み。脂汗が噴き出して、身体が震える。呼吸が上手くできなくなり、近くの木にしがみつくようにして座り込んだ。


 妖精たちが一斉にざわめき、リンリンと森が揺れる。


《大丈夫、落ち着いて》

《あたしたちがついてるよ》

《ヌシさまも来てくれるって》


 額に冷たい露に濡れた葉っぱがそっと置かれ、痛みの波に合わせて深呼吸を続ける。森の奥からヌシの低い鳴き声が響き渡り、それによって森中の樹が私を後押しするようにザワザワと揺れた。

 まるで、森全体が息を合わせてくれているみたいだった。


 チカチカとする視界。妖精が握らせてくれた木の根っこを支えに、歯を食いしばって痛みに耐える。

 魔物に傷付けられた時でさえ、こんなに痛くはなかった。


「あああああああッ!」

「…………おぎゃあ、おぎゃあ、おぎゃあ!」


 ずるりと何か大きなものが出ていった開放感と共に、耳に可愛い泣き声が届いた。

 小さく、けれど生命力に満ち溢れた泣き声が森を震わせ、妖精たちが歓喜の声を上げる。


《産まれた! 産まれた!》

《ちいさいねぇ》

《かわいいねぇ》

《また二人で湖に入ろう》

《乱れた魔力を綺麗にしよう》


 いつの間にか近くに来ていたヌシが私と赤ん坊を湖まで運んでくれる。

 全身のだるさと下腹部の痛みが、湖の水によって溶けていった。

 血にまみれてしわしわだった赤ん坊が、キラキラと輝いて見えた。


◇◆◇


 産まれるまでも大変だったが、産まれてからも別の理由でそれはもう大変だった。


 フェリシアと名付けた幼い娘は、感情の振れ幅そのままに魔力を暴走させた。

 お腹がすいたと泣けば木の枝がぱん、と弾け、眠くて不機嫌になると火の粉のような光が舞った。嬉しいときは逆に、そこら中の花が一斉に咲き誇ることすらあった。


 妖精たちは慌てたり転げたりしながらも、どこか楽しそうに私たちを世話してくれた。


《フェリシア怒ってる! 何に怒ってる?》

《よしよし、ゆりかご揺らしてあげるね》

《お水飲む? あっ、こぼした》

《きゃー! おばかー!》

《びっくりするとバンってなる!》


 森の動物たちもまた、フェリシアに興味津々で近づいてきた。

 鹿が興味深げに口元の匂いを嗅ぎ、リスが頭の上によじ登り、ふくろうは木の上からこっそりこちらを見つめている。


 フェリシアは彼らと触れ合う度にきゃっきゃと笑い、その度に魔力がパチパチと明るく弾けた。


「フェリシア、落ち着いて……ほら、ゆっくり、ゆっくり息して〜」


 だいぶずっしりしてきた柔らかな身体を抱き上げて背中を撫でると、小さな手が私の服をぎゅっと掴んだ。小さくてもしっかり人の形をしているフェリシアがあまりに可愛く、胸の奥からじわじわと暖かいものが溢れ出すようだった。


 あのクソエルフのことはまだ許していないが、フェリシアと出会わせてくれたことに関しては感謝をしてもいいだろう。


 エルフといえば金や銀の髪を持ち、色素が薄いイメージだったのだが、フェリシアは私の血が色濃く出ているのか私と同じ焦茶色の髪と目をしている。耳もそれほど尖っておらず、パッと見では人間の子どもに見えるだろう。


 けれど、感情が爆発すると魔力が暴走すると共に髪と目の色が銀に変わるのだ。

 今はまだ感情も魔力も制御できないけれど、年齢を重ねればしっかりコントロールできるようになるだろう。

 それまでは森で暮らし、落ち着いたら街に出てみてもいいのかもしれないと思っていた。


《あの子たち、ずっとここにいるよね》

《いるよ》

《だって、混ざりモノだもん》

《エルフは混ざりモノ嫌いだもんね》

《そうだよ》

《エルフだけじゃないよ》

《純血だけが価値のあるものだって》


 妖精たちの声が聞こえてきて、何を話しているのだろうと聞いてしまったのが間違いだった。


 混ざりモノ。


 自分の子どもが、そう呼ばれる存在なのだと知ってしまった私は、ショックでその場に立ち尽くした。そうか。確かに。

 エルフという種族はとてもプライドが高い。あのエルフが特別だっただけで、普通は少しの会話すら拒絶されるものなのだ。


 亜人と呼ばれる、人間に近い姿形をしながらも全く異なる成り立ちをもつ種族はみな縄張り意識が強い。閉鎖的で、自分たちの領域に異物が入り込むことを嫌う。


 少し考えれば分かることだった。

 エルフと人間の子の話を聞いたことがないのも当たり前だ。

 母体が耐え切れないとか、そういうこと以前の話だったのだ。


「絶対、私が幸せにしてやるからな」


 腕の中で健やかに眠るフェリシアを、強く抱きしめた。

 幸い、ヌシが認めてくれている内はこの森で暮らしていけるだろう。私が死んでも生きていけるよう、しっかりと育て上げなくては。


◇◆◇


 しっかり育て上げると決意して早五年。フェリシアもだいぶ大きくなりました。


 感情のコントロールもほぼ完璧で、何か不測の自体が起こらない限りは普通の人間のように過ごすことができている。

 一緒に近くの街まで行って買い物をすることもできるようになったし、これなら私に何かあったとしても最低限生き延びることはできるだろう。


 妊娠から出産までが長かったため、産まれてからの成長も遅いのかと思っていた。しかし、どうやらむしろ早熟なようで、ハイハイの期間をほとんど経ずに二本足で立って歩き始めた。言葉が出るのも早く、こちらの言うことを理解するのも早かった。


 妖精たちの言うことを信じるなら、恐らくあと五年もすれば人間の成人とほとんど変わらなくなり、そこからずーーーーっとそのまま行くらしい。

 エルフ、すご。


 そんなこんなで、見た目は幼いながらもかなりしっかりしたフェリシアと薪を割っている時のことだった。


 空気の流れが変わり、森の中に誰かが入ってきたことが分かる。

 周りにいた妖精たちがざわつき、どこかから飛んできた妖精たちがフェリシアの周囲をぐるぐる回りながら叫んだ。


《エルフが来たよ》

《フェリシア、隠す?》


 エルフ。私は鳥肌が立つのを感じながら思考を巡らす。

 どんな理由でこの森にエルフが来たのかは知らないが、下手に隠して変に探りを入れられても困る。

 幸いフェリシアは落ち着いていて見た目も魔力の質も人間と同じ。それなら一度私の子供だと紹介してしまう方がいいだろう。


 妖精たちに隠さなくて大丈夫だと告げるのと、茂みの奥からエルフの男が顔を出すのはほとんど同時だった。


「ッ、てめぇ……!」

「お前は……」


 まさかとは思ったが、目の前に現れたのはあの時のエルフだった。

 思わずぶん殴ってやりたい気持ちに支配されるが、妊娠したことを悟らせるのはマズい。

 私は深呼吸をひとつして、エルフに笑いかけた。


「よぉ、久しぶりだな」

「……そうだな。その子は、君の子か?」


 私の太ももにしがみつくフェリシアを指差して、エルフが尋ねる。


「そうだよ。フェリシア。可愛いだろ?」

「ああ、君によく似てる。父親は? 出掛けているのか?」


 私が自分の子どもだと肯定した瞬間、彼の目が傷付いたように揺れたのが分かった。お前が父親だと言ってしまいたかった。けれど、妖精たちの声が頭の中で何度も何度も、響く。


 混ざりモノ。


 彼がフェリシアにそんなことを言ったら、フェリシアを蔑むように見つめたら、そう考えるだけで胸が苦しくなる。

 言えない。彼との子どもだということは、隠さなくてはいけない。


「いないよ。私とこの子だけで住んでる」

「そうか」


 エルフは気まずそうに視線を逸らした後、困ったような顔のまま私を見た。


「君の名前すら聞かなかったことを、ずっと後悔してたんだ」

「はっ、私もお前の名前を聞いときゃよかったってずっと思ってたよ」

「なんでそんなに当たりが強いんだ……家には、入れてくれないのか?」


 ずっとここで立ち話をしているのも、フェリシアの前で話し続けるのも確かにあまり得策ではない。

 私は玄関を顎で示し、彼を家の中へと促した。


 フェリシアを産んで元気になった私が、妖精や森の動物たちと一緒に建てたウッドハウス。洞窟での暮らしも悪くはなかったけれど、どうしてもジメジメしてカビにも悩まされた。

 この家は風通しもよく、木のいい匂いがして気持ちがいい。


 お前にこんな家が作れんのかよ、と言ってやりたい気持ちを抑えながら、お湯を沸かすためのポットを火にかける。

 前にフェリシアと一緒に割った薪が、暖炉の中でパチパチと弾けていた。


 フェリシアの顔見せは済んだ。私はフェリシアを子ども部屋へと連れて行き、真剣な顔で言った。


「ママはこの人とお話があるから、ここで遊んでて。終わったら呼ぶから、それまではこっちの部屋に出てきちゃダメだぞ」

「わかった」

「ん、いい子だ」


 ぽんぽんと頭を撫でてやると、森の木を切り出して作った積み木の前に座って遊び始める。私はふぅと息を吐き、リビングへと戻った。


 湯気の立つお湯でお茶を淹れ、二つのカップに注いでテーブルに持っていく。

 エルフの向かい側に腰を下ろしながら、カップをひとつ彼に差し出した。


「すまない。あー……まずは、自己紹介、か? 俺はファキュリース」

「アリアナだ」

「俺と同じで、好きに旅をしているエルフがいるんだが、彼から俺と同質の魔力をこの森で感知したと聞いてな。念のため訪れたんだが、まさか君がいるとは思わなかった……元気だったか?」

「おかげサマで」


 なるべく自然に会話をしたいとは思うのだが、いかんせん妊娠中の恨みつらみが蘇ってきて声が硬くなる。


「君の魔力に変化はないよな?」

「ああ、変わらないよ。気になるなら調べてもいい」


 そう言って手を差し出すと、フェキュリースがその手を取った。触れ合った場所から、ゆるやかに魔力を流し込まれているのが分かる。


 あの夜は、こんなに他人行儀じゃなかったのに。


 そんなことを考えてしまって首を振る。私はこいつを追い返したいんだ。そうだろう。

 絆されてたまるかと思いつつ、彼の行為を見守った。


「変わりはないな。俺の魔力とは違う」

「でしょ」

「それにしても……本当に久しぶりだな。あの後も何度かスタンピードに巻き込まれて、その度に君の姿を探していた」

「……私を?」

「ああ。君は多少の無茶を押し通すタイプだろう。だから……もし同じく巻き込まれているなら守りたいと思ったんだ」


 そんな優しい声を掛けないでほしい。そんな愛おしいものを見るような目で見ないでほしい。胸の奥がぎゅうと痛み、泣いてしまいそうになる。


「今まで何をしていたんだ?」

「まあ、色々と……」


 曖昧に笑ったが、彼の眼差しは探りを入れるようなものに変わっていた。だが、すぐにそれを引っ込め、話題を変える。


「この近くのダンジョンでも魔物が活性化しているらしいから、君も注意してくれ」

「本当か?」

「ああ、ギルドの連中に聞いたから確かなはずだ」


 ヌシも妖精たちも、そんなことは言っていなかったが……。


 どういうことなのか考えていた時だった。

 ズン、と大きく地面が揺れ、空気が震える。

 外にいた鳥たちが一斉に飛び立ち、地響きがどんどんと大きくなっていた。


「おい……まさかダンジョンが……」

「その可能性は高いな」


 ファキュリースが険しい声で言う。周囲の魔力が荒い波のようにうねり始めた。


 ──まずい。フェリシアが驚いて魔力を漏らしてしまう。


「私は娘のところに行く……あんたはダンジョンに?」

「ああ、君も危ないと判断したらすぐこの森を離れろ」


 家を飛び出すファキュリースを見送り、子ども部屋へ急ぐ。

 廊下に出た瞬間、息が止まった。


 部屋の扉が開いている。


 慌てて子ども部屋の中を覗くと、フェリシアの姿はどこにもなかった。

 布団の中も、大きなオモチャ箱の中も、どこにもいない。


「ウソだろ……」


 大地が再び揺れる。

 子ども部屋を出て辺りを見回すと、裏口の鍵が開いていた。

 遊ぶのに飽きたフェリシアは、私の言う通りリビングには来ず、裏口から外に出たのか。


「フェリシア!」


 外に出ると、動物たちが混乱し逃げ惑っていた。

 みな同じ方角から走ってくるのを見るに、ダンジョンはそちらにあるのだろう。


 フェリシアの姿はない。

 魔力が暴走している気配もないから、今のところ命の危機にはないのだろうが、だとしてもこの状況でひとり森の中にいるのだとしたら早く見つけなくてはいつ魔物に襲われるか分からない。


「フェリシア! フェリシア!!」


 叫びながら走る。動物たちにぶつからないように気をつけながら、フェリシアの名前を叫び続けた。


「アリアナ! 逃げろと言っただろう!」


 私の声を聞いたらしいファキュリースが、こちらへ向かってくる。酷い顔をしているだろう私を見て、彼の片眉が上がった。


「娘が……フェリシアがいない……!」

「なんだと?」

「魔物に会ったらどうしよう、あの子はまだ戦えないんだ」

「分かった、落ち着け。俺も一緒に探す」


 二人で名前を叫びながら森を進む。もう動物たちの姿はなく、魔物の咆哮(ほうこう)が聞こえるだけ。


「ギルドも動く準備はしていたからな。彼らが森に入り、保護する可能性もあるはずだ」

「ああ……無事でいてくれ……フェリシア!」


 その瞬間、ファキュリースがパっと顔を上げた。


「俺の、魔力だ」

「えっ」


 ファキュリースの魔力。それは、フェリシアが魔力を暴走させたということ。


「ああ、フェリシア!」

「なに?」

「その魔力はフェリシアのだ。あの子はお前と私の子なんだ!」

「は?!」

「いいから! その魔力を追ってくれ!」

「こ、こっちだ!」


 ファキュリースが走り出し、その後ろを追いかける。

 森の奥、木々がなく開けたそこはダンジョンの入口でこそないものの、土壁にできた亀裂から小型の魔物が抜け出してきているところだった。

 視界の先で、小さな影が震えている。


 小型とはいえフェリシアよりは大きな獣型の魔物が、牙を剥き出しにして威嚇(いかく)している。

 フェリシアは恐怖で顔を真っ青にし、抑えられない魔力が全身から噴き出していた。


 魔物が跳ぶ。


「伏せろ!」


 フェリシアは混乱しながらも頭を抱えるように地面に伏せた。ファキュリースの手から放たれた(いかづち)が魔物を一瞬で焼き払い、続けざまに飛び出した別の魔物もその余波で弾け飛んだ。


 私はフェリシアに駆け寄り、震える身体を強く抱きしめた。


「よかった……無事で……!」


 フェリシアはわんわんと泣きながら、ぎゅっと私の服にしがみつく。


 ダンジョンの亀裂からは今も魔物が這い出ようとしていて、ファキュリースが周辺の岩や樹木を使って亀裂を塞いだ。


  束の間の静寂が辺りを包む。自分と同じ銀の髪になったフェリシアを見下ろして、ファキュリースが呆けたような顔をした。


「アリアナ……その子は、俺と、君の……?」

「……そうだよ。あの日、出来ないって言った子どもが出来たんだ! 二年ぐらいずっと腹の中にいて、死にそうになりながら産んだんだ!」


 フェリシアに落ち着くように言っていたのに、私の感情が爆発した。抑え込んでいた怒りが、涙と一緒にあふれた。止められなかった。


「まさか、そんな……可能なのか」

「知らねーよ! 実際産んだんだよ私は! 男とヤったのなんてあの日が最初で最後なんだから、お前との子どもじゃなかったらなんなんだよ!」

「ああ……アリアナ……!」


 ファキュリースがフェリシアごと私を強く抱きしめる。至近距離にある彼の顔は苦しげに歪み、目には涙さえ浮かんでいた。


「すまない、君を一人にして……必死になって探せばよかった。またどこかで会えるだろうと楽観視していたんだ。まさか、こんな……子を産み、育てていたなんて考えもしなかった」

「……パパ、なの?」


 少し落ち着いてきたらしく、茶色の髪に戻りかけたフェリシアが顔を上げた。小さな声で、ファキュリースに尋ねる。

 ファキュリースの青い瞳が大きく見開かれ──抱きしめる腕に力が入った。


「……そうだよ、フェリシア。俺が、君のパパだ」

「これからは、一緒に暮らせる?」


 一瞬、ファキュリースは言葉を失い、それから情けない表情のまま私を見た。

 溜息をひとつ吐き、私は頭を縦に振る。それを見たファキュリースは泣きながら笑って、大きく宣言した。


「ああ、もちろん! これからはずっと一緒だ」


 フェリシアが嬉しそうに声を上げて笑い、周囲の荒れ果てた地面にぽぽぽんっと花が咲いた。

 ダンジョンはまだ沈静化していないというのに、ここだけはまるで天国のように澄み渡っていた。


 それからフェリシアを一度街の宿屋に預け、ファキュリースと私でスタンピードを収めるための作戦に加わった。

 既に先行隊はダンジョンに入っており、状況の報告を待って突入する手筈になっているのだという。


 あれから何度もスタンピードに行き当たったというファキュリースの言葉は正しく、冒険者ギルドにいる人たちはみなファキュリースのことを知っていた。


「あんたがいればすぐに終息するな!」

「好きに戦ってくれ!」

「俺たちはあんたの取りこぼした魔物をきっちり始末するからよ!」


 あのダンジョンが活性化したのはここ数日のことらしく、こんなに早く暴走が起きるとは誰も思っていなかったらしい。


「アリアナは残っていてもいいんだぞ」

「子育てのストレス知らねぇだろ。魔物相手に発散させてもらう!」

「…………これからは、俺も手伝う」

「当然だ」


 久しぶりの戦闘だったけれど、勘はすぐに取り戻せた。ファキュリースが私の戦いやすいように雑魚(ざこ)殲滅(せんめつ)してくれるおかげもあるが、存分にストレスを発散した私は満面の笑顔で魔物たちを倒し続けるのだった。


「あんたも強ぇーな!」

「夫婦なんだって? お似合いだな!」

「え? 結婚してない? 何言ってんだ?」

「じゃあ結婚式しようぜ! 酒持って来い!」


 スタンピードが終わり、お祭り騒ぎになる街の一角。

 私は街の女性たちに全身を磨き上げられ、街で一番上質なウェデェングドレスに身を包んで教会に立っていた。

 長く伸びるヴェールの先を真剣な表情で持っているのはフェリシアだ。


 フェリシアも、みんなにさんざん可愛い服を着せられた結果、一番気に入ったらしいワンピースに身を包み、髪の毛もたくさんの花と一緒に編み上げられている。


 視線を上げると、びっくりするくらい整った顔のファキュリースと目が合った。

 純白のタキシードを(まと)い、ステンドグラス越しにきらめく太陽光が彼の銀髪を美しく照らしていた。


「死が二人を別つまで、互いを愛し、慈しむことを誓いますか」

「誓います」

「誓います」


 ファキュリースの長い指が、恭しくヴェールを上げる。


「綺麗だ」

「そりゃどーも」

「愛している」

「……私も、愛してるよ」


 落とされた口付けは、甘く、暖かかった。


「ママ! パパ! おめでとう!」


 教会中に花が咲き誇り、飛び込んできたたくさんの妖精たちが金粉を撒き散らした。

 飛び交う祝福の言葉の中、私は幸せを噛み締めていた。


 混ざりモノだろうが、関係ない。

 私はファキュリースと、フェリシアと、三人で幸せになる。


 この先、ずっと。


-FIN-

氷雨そら先生、キムラましゅろう先生主催のシークレットベビー企画に参加させていただきました!

初めての題材だったので、これでいいのか???と思いつつ、強い女が書けて楽しかったです。

素敵な企画をありがとうございました!

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