9話 噂になっとるがな
「あー無理。演奏会とか普通に無理。自由参加でよかったわ」
「慣れない夜更かしなどなさるからです。ですが、よろしいのですか?側室の皆様との交流は必須かと思われますが」
「そうよねー。でもまだ眠いから、ちょっと遅刻するわ」
「かしこまりました」
遅い朝食を食べながら、アルーシャは何度も欠伸を繰り返す。
夜中の訪問者についてシエラに教えるわけにもいかず、考え事をして眠れなかったと誤魔化したせいで、シエラからは呆れを隠さない視線を向けられている。
「今日も騎士様達は工事してるのね。朝早くから、大変そう」
「巡回の騎士も増員されております。昨夜、後宮では幽霊騒ぎがあったそうですので。他の側室様と侍女が、宙に浮かぶ3つの生首を見たそうです」
「…………隠し通路から出てきたのかしらね」
「生死はさておき、不審な人物がいた事実は変わりませんので、警備が強化されることとなったそうです」
首が一つ足りない気がしたが、多分たまたまだろう。
何を見つかっているのだあの人達は、と内心呆れながら、最後の一口を口に入れたアルーシャは、少しベッドで休んでから演奏会に行く事にした。
「アルーシャ様!よかったわ。今日はお見えにならないかと思ってたの。もう他の皆さんはおいでよ。さあ、入って」
「ウルーリヤ様、ごきげんよう」
今日も素晴らしいお胸を惜しげも無く見せつけるドレスのウル-リヤに出迎えられて、アルーシャは音楽室に足を踏み入れる。
中には、メリッサを除く今後宮にいる側室達が勢揃いしていて、楽器を手に輪になっていた。
だが、皆その表情は暗く不安と悲しみに満ちていて、楽器をつまびくような気配はない。
来なければ良かったとちょっと思ったアルーシャだったが、ここでの情報交換や人間関係を疎かにするわけにはいかない。
心配そうな顔を作って挨拶をして、空いている椅子に腰を下ろしたアルーシャは、とりあえず隣で涙目になっている第2側室のツァルニにハンカチを差し出した。
「ありがとうございます、アルーシャ様」
「お気になさらないでくださいまし。私も、立て続けの騒ぎに不安ですもの」
「そうですわよね。アルーシャ様は、後宮に上がった途端にこんな騒ぎですもの、私達より不安でしょうに、私ったら……」
第2側室のツァルニは、確か軍部騎士団ご用達の馬の名産地を領地にもつ家の娘だ。
重要ではあるが、王家と結びついても大きな政略的意味がある家ではなかったと思いながら、アルーシャはハンカチを目に当てるツァルニの背中をさする。
見るからに気が弱そうで、吹けば飛んでしまいそうな儚げな雰囲気の女性だった。
儚く見えるだけのアルーシャとは違う、本物のか弱い女性である。
「ツァルニ様は、後宮に上がってからメリッサ様によくしていただいていたそうだから、余計にお辛いのよ。シューリーン様の事でも、ショックを受けていたし」
ツァルニのほんのりと香り立つ色気に吸い寄せられかけていたアルーシャは、ウルーリヤの声に気遣わしげな視線を返し、姿勢を正す。
彼女も他の側室のように、先日のような溌剌とした雰囲気は陰っているが、気丈に皆を励ます声をかけていた。
退場した側室二人に比べ、残る側室達は大人しい性格ばかりだったので、やはり、新たな側室の中心はウルーリヤになるようだ。
ウルーリヤが口を開かなければ、室内は重い沈黙に包まれそうになる。
流石に彼女一人に負担をかけるのは悪いかとアルーシャが口を開きかけたところで、音楽室のドアがそっと開いた。
ちらりと視線を向けると、室内に居た騎士が交代の時間だったらしく、何名かが入れ替わる。
近衛騎士と第1騎士が入り交じっての護衛のため、普段の交代時刻にずれがあることは、朝に侍女から聞いていた。
何でも、元側室達が漏らした隠し通路の情報は一つではなかったらしく、今は聴取し次第その隠し通路を塞いでいるらしい。
慌ただしい後宮の様相が、側室達を更に不安にさせているため、一時的に後宮を離宮に移す話も出ているらしい。
だが、そこの隠し通路の情報さえ漏れている可能性があるので、安全が確認されるまではこの建物にいるしかなかった。
ちょっとだけ、この機会を利用して、側室達がどれだけのストレスに耐えられるか試しているのでは?と思ったアルーシャだったが、そんな性格が悪い事をしそうな人間は、自分の次兄だけで十分なので、考えすぎだと自身に言い聞かせた。
そんな事より、他の側室のフォローを手伝っておこうと、アルーシャは彼女達の様子を見る。
泣いているツァルニは、彼女を挟んでアルーシャの逆隣にいる第5側室のキュリアが慰めているので大丈夫だろう。
ウル-リヤはアルーシャの向かいに座り、第3側室ノーラの背を撫でて話しているが、ウルーリヤ自身も顔色は優れていると言えなかった。
平然としていて申し訳ないと思いながら、アルーシャは隣の第8側室ミナリスに目をやる。
アルーシャより4ヶ月早く後宮に上がった彼女は、北方にある国内最大の穀物地帯を治める男爵家の娘だ。
年は13と一番若く側室としては珍しい男爵家の出で、更に数年前までは貴族ではなく地方の豪商だった。
その容姿は数代前に引いた精霊の血が濃く現れたために極めて美しく、アルーシャと同じく社交界に出る前から名が知られるほどだった。
彼女の場合は、幼女趣味の変態貴族数名に無理矢理縁談を結ばれそうになっていたため、男爵から助けを求められた神殿の依頼で後宮に保護している。
保護される前には誘拐未遂もあったため、それ以降実家では常に竜族の女神官が付き添い、後宮に入る際も騎士団が迎えに行った。
おそらく、今回の事件で一番恐怖しているのは彼女だろうと視線をやると、予想通り、彼女は紙のように白い顔でプルプル震えていた。
「ミナリス様、そう怯えずとも大丈夫です。後宮には沢山の騎士がおりますから、ミナリス様の身は、彼らが必ず守ります」
「ア……アルーシャ様……」
「ミナリス様には、王妃殿下が貸してくださった女性騎士の皆様がいらっしゃるのでしょう?私の一番上の兄は第一騎士団にいるのですが、その兄が、彼女達の敵にだけはなりたくないと、言っておりました。ミナリス様を守っているのは、精鋭の第一騎士が恐れるほどの腕をお持ちなのです。どうぞ、ご安心なさって」
「そう……ですよね。彼女達がいてくださるのだから、大丈夫……絶対、大丈夫」
兄が言っていた敵になりたくないの意味は、ミナリスが受け取った意味とは違うのだが、アルーシャは気にせずミナリスの手を両手で包む。
ふと視線を感じて壁際に目をやると、会話が聞こえていたらしいミナリスの護衛騎士がにっこりと笑っていたので、アルーシャも同じ笑顔を彼女に返した。
「どうしても耐えられなければ、私のお部屋にいらして。大した力にはなれませんが、私の部屋に入り込もうとする輩はおりませんから」
「そんな、アルーシャ様のような美しい方に邪な思いを持たない男性なんておりません。ですが……ありがとうございます。もし耐えられなくなったら、お邪魔します」
「ええ。どうぞ、遠慮なさらないでくださいまし」
「はい」
「あの、アルーシャ様、ご迷惑で無ければ、私もお部屋に伺ってよろしいでしょうか?」
「私も、お願いしたいわ」
「アルーシャ様、私も……よろしいでしょうか?」
「私も。アルーシャ様、お願いします」
「ええ、勿論。皆さんが一緒なら、きっと何も恐くありませんわね」
正確には、クアラス家の人間の部屋に侵入しようとする人間がいないのだが、当然アルーシャはそれも黙っておく。
他の側室達は、アルーシャの言葉の正確な意味を理解したようだが、目の前にぶら下がった確実な安全地帯を確保する事を優先した。
一人の側室の部屋に他の側室が来るとなると、後宮の主の訪れに支障がでるものだが、既に皆、王子は来ないものとして扱っている。
精神的な逃げ場が出来たからか、側室達のフォローばかりしていたウルーリヤも、少しだけ表情が和らいでいる。
ようやくだが少しだけ落ちついてきた彼女達を見ながら、アルーシャは内心で小さくため息をついた。
警備上の不安があるのに宿下がりさせないのは、やはり対応を見られているのかもしれない。
本来なら後宮の主である王子や、その側近のロウフェイルトに揃って抗議するところだ。
だが、そんな意見が全く出てこない事から、側室達の王子に対する期待が塵ほども残っていないことが窺える。
むしろ、後宮の主という存在すら、忘れているかもしれない。
ミナリスが王妃から借りた騎士について、アルーシャが話題にした時、誰かが王族に頼るという選択を思い浮かべればよかったのだが。
いや、考えてみれば、今の側室達は皆伯爵家以下の家柄なので、王族に頼ったり、抗議したりという発想自体が、出てこないのかもしれない。
アルーシャの家は伯爵家とはいえ昔からアレだからアレだが、他の側室達は普通の中位伯爵家かそれ以下。
後宮入りしていたとしても、王族は別世界の住人なのだろう。
しかし、側室の立場にありながら、それは問題がある。
けれど、その問題も王子が後宮を放置しすぎているからなので、結局責任は王子にある。
やっぱり昨日の夜、どさくさにまぎれて頭を一発ぶっ叩いておけばよかった。
誰か気がつかないだろうかと見回してみたが、側室達は僅かでも不安が拭えたことに気を取られ、アルーシャの視線には気づかない。
思った以上に、彼女達には余裕がないのかもしれない。
ついつい口を出してしまったが、今後も身を寄せ合って不安に震えるだけなら、また新しい側室が追加される事になるだろう。
最悪の場合、メリッサを名前だけ王妃にして、実質王妃を空席にする事になるかもしれない。
王子とメリッサの相性、お互いの気持ちなど関係なく。
その時、世継ぎを生む役目を受ける事になるのは、恐らくだが、そこそこの身分で王子に夢を見ていないアルーシャになるだろう。
その立場が影か日向かは、時勢によって決められるが、アルーシャが前世の記憶持ちである以上、王族としてお手舞台に連れ出されることはない。
貴族子女の勤めとして、クアラス家の娘として、命じられれば応じる覚悟はある。
だが、そんな歪な代の繋ぎ方は、必ずどこかで綻びが出るだろう。
今成長した側室から下手に選ぶより、若い……ミナリスに今から王妃になるべく教育して成長を待つ方が賢明だろうか。
そう思って彼女にちらりと視線を向けたアルーシャだったが、交代のため室内を歩く男性騎士にもビクついている姿に、これは無理だと諦めた。
右を見ても、左を見ても、花のような女性達が揃って沈んだ顔だ。
数日様子を見て、それでも王子側に抗議する意見が出ないなら、誰かをけしかけるか、自分から言い出そうとアルーシャは決めた。
いや、ここは連名にした方が良いだろうかと考えていると、アルーシャと同じように側室達の顔を見回したウルーリヤが大きなため息をつく。
「本当、何だか気分が沈んじゃうわ。シューリーン様の事に続いて、今度はメリッサ様とカパネラ様。更に今朝には幽霊騒ぎよ?たしか、見たというのはツァルニ様の侍女ですわよね?」
「そうなのです。そのせいで、朝から侍女達が怯えてしまっていて……。隠し通路に封じられていた亡霊かもしれないなんて言い出すのよ。困ってしまうわ」
儚い顔立ちに不安を滲ませるツァルニに、他の側室達は慰めの言葉をかけながら、怯えて肩を寄せ合っている。
どうせ数日で消える話だが、ここまで怯えている姿を見ると、もしかして暫く幽霊話は続くかもしれないと思った。
軽はずみな行動で後宮に混乱をもたらした王子に、アルーシャは軽い苛立ちを覚える。
次に顔を合わせる事があったら、やっぱり1発ぶっ叩いてやろうと考えていると、こちらをじっと見ているミナリスと目が合う。
「あの、アルーシャ様は、幽霊は恐くないんですか?」
「私は……正直、色々なことが起こりすぎて、もう現実感がなくなってしまいましたわ」
見たことの無い幽霊よりも次兄の方が確実に恐いし、そもそも噂の生首達は幽霊じゃない。
そう考えながら適当な言葉で誤魔化すと、他の側室達から気遣わしげな視線と励ましの言葉が向けられ、アルーシャはこれ幸いと儚げに震えておいた。
ふと、視界の端に呆れた視線が見えてちらりと目をやると、いつの間にか護衛で立っていた騎士の中に長兄がいる。
お前のせいでこんな面倒な事に巻き込まれてるぞと詰め寄りたくなるのを堪え、アルーシャはか弱い女性の皮を被り続ける。
結局その日の演奏会は、皆暗いままで終わり、アルーシャは侍女と護衛を連れて部屋へ戻る。
側室ではなく音楽室の警備だったらしい長兄は、最後までアルーシャに物言いたげな視線を向けていたが、目が合っても睨まない自信がなかったので、アルーシャは気づかないフリをした。
午後の予定は特になく、アルーシャは昨日と同じく部屋で本を眺める事にした。
夕刻、廊下が何やら騒がしくなったのでシエラに聞いたところ、6番目の側室であるウルーリヤの部屋で模様替えをしているらしい。
何か起きたのかと思ったが、単なる気分転換だと聞いて、アルーシャは紛らわしいと思いつつ仕方ないと本を開き直した。