8話 死霊かな?いいえそれは王子
庭にいた生首は死人じゃなかった。
生首でもなかった。
黒い服を着ているだけだった。
調子に乗って『破ぁ-!!』と叫びながら侵入者達に果実酒をぶちまけたアルーシャは、アルコール臭をムンムン漂わせている男達を前に、再び庭の椅子に掛けていた。
テーブルの向こうには、一応アルーシャの夫であるウリオス王子が、他の面子と同じように髪を酒に濡らして腰掛けている。
眉間に皺を寄せているものの、怒りより困惑の表情を浮かべる彼に、困惑したいのはこっちだとアルーシャは内心で呟いた。
彼の後ろでは、ほんのり口の端を上げて笑っているロウフェイルトと、王子同様困惑した顔の近衛騎士、落ち着いているようだが目が若干遠くを見ている茶髪の近衛騎士がいる。
どう考えても、夜のお渡りをしにきた様子ではい王子に、アルーシャはとりあえずテーブルにあった酒に口をつけた。
「何を飲んでいる!?」
「こちらは杏のお酒でございます」
「そういう事ではない。この状況で更に酒を飲む奴があるか……。しかもそなた、さっき私達に酒をかけたばかりであろう?普通は不敬罪を恐れて震えているところだろうが」
「え?だって、不審……いえ、何でもございません」
自分の登場の仕方がおかしかったくせに、それを棚に上げて説教してくる王子に、アルーシャは瓶の底でアルコールに浸かっている杏を口に突っ込んでやりたくなる。
悲鳴を上げて衛兵を呼ばれなかった事を感謝するどころか、不敬罪をチラつかせてくるとは、この王子、一体どういう教育をされて育ったのか。
酒瓶で殴られなかっただけ有り難いと思ってほしいくらいだ。
「ところで、殿下は本日どのようなご用件でこちらへ?」
「……側室の元へ訪れるとなれば、理由は一つだとは思わぬのか?」
「騎士だけを伴っての訪れならば、そう思い至りもしますけれど、側近のロウフェイル様を伴っておいででございますので、その可能性は低いかと」
「……普通は、私しか目に入らず喜ぶものだ」
「顔が良い男は家族で見慣れておりますので、殿下のお顔を拝見しましても普通かな……と」
「そなた……本当にセルダンの妹だな。あれも昔、容姿が良い令嬢に同じ言葉を返していたぞ。……ヴァイツァーの妹と思って側室に呼んだが、まさかセルダンの方に似ているのか……?」
「兄は兄。私は私でございます。どうぞ殿下には、夫として私という女をしっかりとご覧いただきたく……」
「ならばそなたは、不審者も恐れず向かってきて酒をかる女になるが……」
「死霊の類いかと勘違いしておりましたので、清めて追い払えるかと、つい……」
「おい不敬罪だぞ。先程を超える不敬罪の権化になっているぞ」
「あらまぁ。夜中に先触れも無く大勢の男を伴って庭に侵入した挙げ句、礼を尽くさぬと言って不敬罪になさるなんて。この話が外に漏れれば、殿下の評判は地に落ちましょうね」
「おいロウフェイルト!この女やはりセルダンの妹だ!ヴァイツァーの純粋さがまるで見えぬ!!何が月の妖精だ!お前の話に完全に騙された!!」
月の妖精がお望みなら、事前連絡も無く庭に侵入してくるな。
怒りの矛先をロウフェイルトに向けたウリオスをつまみに、アルーシャは半ば呆れながらまた酒を口に含む。
控えている近衛二人から、驚きと呆れの視線を感じたが、今更木っ端微塵になった妖精のイメージなど繕う気にはならない。
そもそも、今はもう真夜中になる時刻だ。月の妖精は、お渡りの先触れが無い限り、夕方で営業が終了するのである。
ケラケラ笑っているロウフェイルトに、話が違うと怒るウリオスを眺めながら、アルーシャは他所でやってくれないかなと思いながら欠伸を堪える。
これはいつまで続くのだろうと近衛二人に視線で問うが、彼らは少しだけ申し訳なさそうな顔を返すだけだった。
「あら?貴方……まぁまぁ、そちらにいらっしゃる騎士様はメリッサ様ではありませんか。ごきげんよう」
「……アルーシャ様、メリッサは我が妹にございます。私は兄のイルフェンと申します。以後、お見知りおきを」
「…………もしかして、他の側室の皆さんには、女装だとばれていらっしゃらないの?」
「……何の事を仰っているか、分かりかねます」
「よい、イルフェン。相手はセルダンの妹だ。偽れまい」
偽るもクソもないぐらい、思いっきりムキムキな男の女装だったのだが、話が止まりそうだったのでアルーシャは黙っておくことにした。
ロウフェイルトとの会話を切り上げた王子は、何やら難しい顔でため息をつくと、仕切り直すように姿勢を正す。
「アルーシャよ、そなたが考えているとおり、そこにいるイルフェンは今メリッサとして後宮に上がっている。上手く化けていると思っていたが、流石はセルダンの妹。騙されてはくれなかったようだな」
「あれで騙される方がどうかしているかと」
「そなたは自分の家族の美しさに慣れていようが、普通はイルフェンの女装を見ても顔に目が行って体型までは注意しない。背が高く、少々ふくよかな美女と思うものだ」
「……え?」
ゴツやかな変態の間違いでは?と怪訝な顔をするアルーシャだったが、対するウリオスはどこか諦めた顔を返すだけだった。
女性の脂肪による大きさと、男性の筋肉による大きさは大分違うと思うだろうと思い返してみたが、言われてみればメリッサのドレスはフリルやレースを使って体型をカバーしているのが分かるようなデザインだった。
本当にふくよかな女性が着たら、いくらか細く見えるようなデザインだったが、中に入っているのがフワフワではなくムキムキなせいで、上手く目の錯覚が作用していなかったのだろう。
あえて……あえて女性だと思い込んで見れば、メリッサは気が強そうな顔と大きな胸が目を引くが、細い顔に対して身体は少しふくよか……と、思えなくもない。
しかし、声が不自由という設定なくせに事ある毎にその声を聞くはめになっていたアルーシャには、どう頑張ってもやっぱり男にしか見えなかった。
「それで、何故イルフェン様がメリッサ様の代わりを?」
「メリッサは、2年前から持病が悪化し、今は屋敷で療養している。後宮入りは目前で、当時は最初の側室達が国内を騒がせていた時期だ。シャーレス公爵家と王家との関係まで揺がせる事はできなかった。それに、丁度新たな側室達の監視と、後宮内での私の警備も強化したかったのでな。今日訪れたのは、その事も関係がある」
「まあ……私に関係とは、一体なんでございましょう?」
「今日の昼間起きた事件だ。そなたはカパネラに襲われたメリッサのドレスが乱れていた様を見たのだろう?現場には、ドレスから落ちたパッドが大量に散らばっていたというではないか。メリッサの姿に偽りがあると吹聴されては、都合が悪かったのだが、よもや女装まで見破られているとは……。カパネラは明日の早朝後宮から出す。実家で療養としているが、公爵家の者を襲ったのだ。本来は命をもって償うところだが、イルフェンの温情により領地の修道院へ入れる事となった。被害者であるメリッサは、心労と、後宮の退去が来月と迫っていたことから、予定を切り上げて明日の夕刻後宮を辞す。その後は、当初の予定通り持病の悪化による療養だ。そなたには、此度のことを口外しないよう命じる」
「……それを言うために、わざわざ夜中に集団で庭にいらしたのですか?」
「……そなたが後宮に入って二日でこの騒ぎだ。セルダンが野心を持って送り込んできた女狐か、ヴァイツァーを信じて国に身を捧げる月の妖精か……。もし本当に妖精ならば、恐ろしい場所に来たと泣いているのではないかと様子を見に来てみれば……。あれは何かの間違いではと思ったが、やはりセルダンの酔っ払った妹だったか……」
「殿下、私、後宮が恐ろしゅうございます……」
「笑って言う台詞か。そなた、本当にセルダンにそっくりだ……。心配して損をした。本当に、来るのではなかった」
ご希望に応えて自身を抱きしめながら声を震わせ怯えてみせたアルーシャだったが、つい口の端が上がってしまったせいで、王子は大きなため息をついて頭を抱えてしまった。
勝手に期待して勝手に幻滅してくるとは、人生を楽しんでそうな人だと思いながら酒を飲んでいると、アルーシャは何故かまた王子に睨まれた。
「ところで殿下はメリッサ様を正妃にはなさらないのですか?」
「……何故私がメリッサを正妃にせねばならぬ」
「持病で療養なされているとはいえ、身分に問題はございませんでしょう?殿下とは幼馴染みと伺っておりますし、突然後宮入りを反故にされかけた事と、メリッサ様のお体が御子を成せない事を理由に、名前だけの王妃として据えて正式な正妃を決めるまでの時間稼ぎをなさろうとは思いませんでしたの?」
「そなた、ロウフェイルトのような事を言う。私とて考えた手ではあるが……イルフェン、すまぬ、そなたの妹とは分かっているが、私はメリッサとは名目上だけといえども無理だ」
「殿下、どうぞお気になさらず。私も、あの妹が殿下と……まして一国の正妃になれるとは思っておりません」
普通に考えれば出てくる手だと思って聞いたのに、予想以上に苦い顔を見せた王子とイルフェンに、アルーシャは驚いて他の二人を見る。
無表情な茶髪の近衛はともかく、ロウフェイルトはアルーシャと目が合うと、やれやれと言った顔で王子とイルフェンに目をやった。
「アルーシャ様、殿下とメリッサ様は、幼馴染みではあられますが、控えめに申し上げて、相性がすこぶるよろしくありません。会話が成立しないほど……と申し上げれば、お分かりいただけるでしょうか」
「まあ……そうでしたのね。それは失礼いたしました」
会話が無いならともかく、会話が成立しないとはどういう事だろうと思いながら、アルーシャは納得したように頷いた。
表面的には反発しつつも、実は思いを寄せているような様子もない。
兄のイルフェンが正妃としても無理というのなら、持病の療養という話も、もしかしたら怪しいかもしれない。
「それに、二年前ならともかく、今は他の有力貴族も安定してきています。殿下は、貴族間のバランスも考慮し、正妃の選定をもう少し引き延ばしたいとお考えです」
「ですが、それが側室に手を出さない理由にはならないのでは?褥を共にしたからと言って、必ず正妃にしなければならないわけではないのですから。このままでは、殿下ではなく陛下に側室を求める声も上がってくるかもしれません。貴族のバランスを取るつもりで、王室のバランスを崩すことになるとは思われませんか?」
「仰るとおりです。既に、殿下ではなく陛下へ新たな側室を求める声が上がっております」
「そこで、クアラス家の私を殿下の側室に入れて王室は意思表示したと?既に声が上がっているなら、貴族と王室のバランスは揺れておりましょう。ロウフェイルト様、もう殿下を縛り上げてでも側室の元にお送りくださいな」
「それでこそクアラス家のご令嬢ですね。では、明日から早速……」
「あ、私は後宮を引っかき回すようにとの指示しか受けておりませんので、殿下のお相手は最後にさせてくださませ」
「そなた達、よく私の前でそこまで好き勝手いえるものだ……」
「私どもは、殿下に早く世継ぎを作り正妃を決めるよう、国王陛下より言いつかっておりますので」
「殿下の御子を授かるのは、側室皆の急務でございます。何らおかしい会話ではないかと」
「……そうか。そなた達、気が合うようでよかったよ。上手くやっていけると思うぞ」
「今必要なのは私とアルーシャ様の相性ではなく、殿下の決断でございます」
「セルダン兄様が、掌中の珠である私を殿下の後宮へけしかけた意味を、どうぞご理解くださいませ」
「けしかける時点で掌中の珠ではないだろう。だが、忠言は受け取っておく。今日はもう遅い。私も疲れた。帰るぞ」
「おや……殿下、これほどアルーシャ様と交流を深めておきながら、何もせずにお帰りになるおつもりですか?」
「いえ、私ももう眠いので、皆様もお休みになって結構ですよ?」
「こんな……セルダンの妹に手を出せるほど、私は図太くない。アルーシャ、邪魔したな。また来る」
いやもう来なくて良いよ。と、咽から出かかった言葉を堪えて、アルーシャは笑顔で頭を下げる。
いきなり押しかけて長々と居座った4人の不審者は、来た時と同じく、庭の奥から帰っていった。
その姿を見送ったアルーシャは、大きな欠伸を一つすると、空の瓶とグラスを持って部屋に入る。
室内のテーブルにグラスと瓶を置いて、窓の外を確認すると、空には既に3つめの月が薄紅に輝いていて、日が変わったことを知らせていた。