4話 他の側室は普通の女
「手間が省けたわねぇ」
翌朝、朝食後に届けられた側室達の茶会への招待状に、アルーシャはあくびをかみ殺す。
できれば茶会が催される前に、他の側室達へ挨拶しておきたかったが、招待されてしまってはしかたない。
是非伺わせていただくという返事を出し、アルーシャはドレスを選ぶ。
アルーシャが好んで着るのは、一枚布を体に巻き、ブローチで肩を止めて腰や胸の下に帯を締める古典的なドレスだ。
昨今の令嬢達の間では、布を上半身に合わせて切り、大きく広がるスカートと縫い合わせた形の、東方から伝わってきたドレスが流行っている。
レースを縫い付けたり、ドレープを作ったりと様々なお洒落を楽しむ者も多く、女性達の殆どは流行のドレスを着ていた。
古典的なドレスを着ない女性がいないわけではないが、殆どが年配か、気まぐれで着る程度だ。
なのにアルーシャが古い型のドレスに拘るかと言えば、この古典的なドレスは年長者や頭が堅い人間からの受けがすこぶる良いのだ。
また、帯と止めピンを外すだけで下着になってしまう形は、男性からの根強い人気があり、しかし同時に古き良き物を大切にする奥ゆかしさも感じさせる。
何より、絵画や絵本によく見られるこのドレスは、月の妖精に例えられるアルーシャの可憐で儚げな容姿を最も引き立てるのだ。
当然、アルーシャはそれを理解した上で、この古典的なドレスを着続けている。
色は白やそれに準じた淡い色。帯は金糸や銀糸を使いつつ華美すぎない上品な物を。
如何に相手にか弱く見せ、油断させるか。誤解させるか。
それはアルーシャにとって、流行やお洒落というものより重要な事だった。
側室が身につける色は、特に規定はないものの、夫である王子の髪か瞳の色をどこかに使うのが慣例だ。
王子は赤い髪に灰色の瞳なので、赤か灰色もしくは銀色を身につけることになる。銀で選べば、装飾品の金属部分も含まれてくれるので、王子の色は大変ありがたいものだった。
アルーシャのセンスが壊滅的なせいか、ドレスは彼女の好みを考慮しつつも母や侍女、そして次兄が選んだものだ。
元は一枚布のドレスとはいえ、どれもこれも、淡い色合いに風でふわりと揺れる生地、細かいが華美ではない刺繍や装飾で、清楚さと上品さをこれでもかと詰め込んだようなデザインだった。
まるで、中身のアレさを、見た目でどうにか覆い隠そうとしているかのようである。まるでというか、実際母と兄の狙いはその通りである。
新入りらしく控えめな服装を心がけ、予定時刻に指定された庭へ行けば、既に殆どの側室が揃っていた。
二つの円形テーブルをくっつけ、仲睦まじく語らう様子はとても微笑ましい。
メリッサの姿は見えなかったが、病弱という彼女は、頻繁には出てこないのかもしれない。
「あら、貴方、アルーシャ様ね?新しく殿下の側室になられた方。そうでしょう?」
側室の仲でも一際目を引く赤い髪の女性が、アルーシャの姿をいち早く見つけて声をかける。
流行の型のドレスの上からでも分かるその体型は、出るところが出て締まるところは締まっているという、男の願望をそのまま形にしたかのようだった。
たわわに実った張りのある胸は、アルーシャの目を釘付けにした。
これはどさくさに紛れて揉むしかないと心に決めながら、アルーシャは楚々とした動きでテーブルへ近づき、礼をする。
「お招きいただき光栄ですわ。先日第9妃へお迎えいただきました、アルーシャと申します」
「皆、貴方が来るのを楽しみにまってたのよ。私はウルーリヤ。第6妃よ。よろしくね」
言って、ウルーリヤは褐色の肌に紫色の瞳で明るく笑う。
その名と外見的特徴から、西方の金鉱山を持つ領地の娘だと理解したアルーシャは、なかなか良いところの娘を迎えたものだと感心した。
どうやら、この中では彼女が中心的な存在になっているらしく、他の側室達も彼女に続いて自己紹介していく。
公爵家、国御用達の馬主伯爵家、工業地域の領主、東方貿易で外貨を稼ぐ男爵家などなど。
王家で抱え込んでも申し分ない家の令嬢が揃い踏みである。
年齢は、上は25下は13までとバラバラだが、それにしたって、よくこの面子を集められたものだと感心する。
しかしアルーシャのように、毒にも薬にもならない家の娘もいるので、王位の地盤固めのためだけにこの面子を集めたわけではなさそうだ。
いや、アルーシャの場合は、そもそも長兄が騎士団で暴走したからこうなっただけで、元々側室になる要素は無かったはずだが……。
以前の側室達の生活はよく噂になっていたが、今の側室達の話はあまり表に出てこない。
そもそも、側室同士でいざこざがあったとしても、後宮の噂はその主である王子の評判にも関わるので、本来は陰湿かつ巧妙で表に出ないのが普通だが。
事前情報が少ないおかげで、アルーシャの警戒心はかなり高いのだが、幸い側室達の雰囲気は穏やかなものだ。
数人、少し緊張している様子の側室もいるが、今のところ敵意や悪意の類いは見えない。
「御茶会といっても、私達のこれは単なるお喋りの延長のようなものだから、形式張ったものではないのよ。だからアルーシャ様もゆっくりしてもらえると嬉しいわ」
「はい、ウルーリヤ様」
「今日はお茶会だけれど、私達、週に何度か皆で勉強会や演奏会をしているの。強制ではないけれど、アルーシャ様も是非いらして。きっと楽しいわ」
「勉強会ですか?一体どのような事を?」
「主にこの国の詳しい歴史や政治かしら。後宮に入っても殿下は渡ってこられないし、私達やることが無くて困っていたのよ」
「まあ……」
「ええ、そうなんですの!それで、話を聞かれたメリッサ様が殿下にお願いしてくださったのですわ!」
溌剌としつつも丁寧に話してくれるウルーリヤの声を心地よく思っていると、彼女の言葉を急いて次ぐように第7妃のカパネラがしゃべり出す。
やや興奮してか、象牙色の頬をバラ色に染める彼女にアルーシャは少し目を丸くし、他の側室達はやれやれと見合わせて、アルーシャへ詫びるような視線を向けた。
「殿下は夜こそ後宮にいらっしゃいませんが、昼間は幼馴染みでもいらっしゃるメリッサ様のお部屋にいらっしゃる事があるんですの。そこで、メリッサ様が私たちの現状と将来の事を思い、王立学術院の学者様から直接ご指導いただけるよう、殿下にお願いしてくださったのですわ。本当に、メリッサ様は心優しくいらっしゃるの。お兄様のイルフェン様ともよく似ていらしゃって、とてもお美しく素敵な方なのです。イルフェン様が殿下の専属騎士をなさっていることはご存じでしょう?お優しいイルフェン様ですもの、本当はメリッサ様の事が心配でいらっしゃるはずですわ。ですが、イルフェン様はメリッサ様や宰相補佐をなさっているお兄様のお立場を思い、メリッサ様が側室になられてからは、一度もお会いになっていらっしゃらないの。本当にご兄弟思いでいらっしゃるわ」
怒濤の勢いで話すカパネラに、アルーシャは少しあっけにとられた顔を作り、内心で『スゲェなコイツ』と呟く。
よほどメリッサが好きなのだとは思うが、しかし昨日見たメリッサの姿から考えると、カパネラが本当に好きなのは兄のイルフェンだろうか当たりをつけた。
が、それを口にしては厄介な事になるので、微笑まし気な顔を作ってカパネラに喋り続けさせることを決める。
「カパネラ様は、メリッサ様を尊敬していらっしゃるのですね」
「…ええ、ええ!そうよ!メリッサ様ほど私の理想のご令嬢はいらっしゃらないわ!その上、とても賢くていらっしゃって、幼い頃は領地では様々な改革をなさっていたと聞くわ。お体さえ丈夫なら、メリッサ様はとうに王妃になられていたはずよ。なのに、お可哀想に長く煩った病でお体や声まで他の女性とは変わってしまられて…。本当にお可哀想なメリッサ様。お体が落ち着かれたのに、子が望めないお体なばかりに縁談もなくて……。ですが、そんなメリッサ様を思いやったイルフェン様が殿下にお願いなさって、今回の側室入りとなったそうですわ。殿下は側室を持てますもの、聡明なメリッサ様が妃となり、子は側室が産めば、全て丸く収まりますわ。きっとイルフェン様は、そう考えれたんだと思います。ですから、私、メリッサ様のためなら、自分の力を惜しみませんわ」
「カパネラ様はすばらしいお覚悟をお持ちなのですね。私には、まだそれほどの熱意は持てませんわ」
「ふふっ。アルーシャ様はまだ後宮に来たばかりですもの、仕方ありませんわ。ですが、きっとすぐに、アルーシャ様もメリッサ様の素晴らしさがわかるはずですわ」
熱に浮かされどこか現実とは違う場所を見ているカパネラの目に、アルーシャは少し距離を置くことを決めた。
メリッサの立派な体格を、他の側室がどう判断しているのか知りたかったが、なるほど、病が原因という事になっているらしい。
それで納得しているのか、納得している事にしたのかは、側室それぞれの腹の中を見なければ分からないが、少なくともカパネラにとってはメリッサの体型は些細な事なのだろう。
たとえ、王子殿下よりメリッサの方が頼もしいシルエットであったとしても……。
「さあさあ、カパネラ様のメリッサ様へのお話はここまでにしましょう。でなければ、いつまで経っても終わらないわ」
「そうね。殿下の側室になったのか、メリッサ様の側室になったのか、分からないカパネラ様ですもの」
「まあ皆さん酷いわ。でも、今日はアルーシャ様を歓迎するための御茶会ですものね。自重しますわ」
一人の男に9人もの妻が出来るなら、相当殺伐としているだろうと予想していたアルーシャだったが、実際はそれほど仲は悪くないようだ。
後宮での勉強会は毎週3日隔日で行われ、間の日に演奏会や芸術鑑賞会があるらしい。
自由参加とはいっているものの、毎回殆どの令嬢が顔を出し、勉強会に限っては今のところメリッサ以外はほぼ皆勤賞だという。
「今は後宮の建物に見られる建築様式について勉強しているの。時代の変化の他にも諸外国からの文化の流入で、柱の形や装飾が変わったりしていて、面白いのよ」
「実例が目の前にあるのが、本当に素晴らしいわ。この後宮、学術的にも価値があるでしょう?招かれた学者様も楽しそうにしていらっしゃるの」
「年配の学者様なんて、生きている内に足を踏み入れる事ができるとは思わなかったなんておっしゃって、子供のようにはしゃいでいらっしゃるのよ」
「ええ、とっても可愛らしいの。そうそう、学者様といえば、王立学園に異国からの教員が入ったらしいわ。妹が通っていて手紙に書いていたの。とっても素敵な方らしいわよ」
「あら、それなら聞いたことがあるわ。確か、北東にある小国の王弟ではなかったかしら?たしか、学園では身分を秘密になさっているとか」
「違いますわ、それは去年の春に入学したのに学力が追いつかず、3ヶ月で逃げ帰った方ですわ。新しい教員は、西方の海洋国家の出身らしいですわ。何でも、通商と貿易についての臨時教員だとの噂ですの。でも、本当かしらね?」
「あら、またですの?あの海賊国家、昔も同じように人を送って、当時学生だった王妃様を誑かそうとしたそうではありませんか。散々馬鹿にされて弄ばれたのに、懲りてないのかしら?」
「それが発端で、今あちらの国は王家の力が相当弱まって地方の反乱が頻発しているらしいわ。どうも今回来た臨時教員は、逃げ出した鼠……のフリをした諜報員じゃないかしら?」
「ありえますわね、あの海賊国家ですもの。でも、素敵な方だというのなら、一度くらい見てみたいわね」
「いやだわツァルニ様ったら、王妃様みたいに遊んでしまわれるおつもり?」
女三人寄れば姦しいというが、7人もの女性達が和気藹々と話し出すと、一体誰が何を言っているのかわからなくなる。
異国からの不穏分子を、ドレスの話でもするかのように語らう側室達に、アルーシャは笑みを浮かべたまま口を閉ざした。
件の海洋国家も、北東の小国も、過去に何度も近隣の国へちょっかいをかけてきている国だ。
妙な人間を送り込んできたと聞いても、皆が皆「ああ、またか」と聞き流すほどである。
アルーシャもまた、この話題はいつもの事と思い特に意見を言うことは無かった。
だが、先ほどから聞き役に徹する今日の主役を、側室達が放っておくはずがない。
「もう、皆さんが話しすぎるから、アルーシャ様のお話が全然聞けないわ」
「そう言うウルーリヤ様だって、楽しそうにお話をなさっていたじゃありませんか」
「そうよ。それに、本当に聞きたいのはアルーシャ様のお兄様達のお話じゃあありませんの?」
「そんな言い方失礼よ。でも、否定できないわね。アルーシャ様のお兄様方は本当に素敵でいらっしゃるもの。ヴァイツァー様も、セルダン様も」
「クアラス家の方々は、美しい方ばかりですものね。アルーシャ様も噂通り可憐でいらっしゃるわ」
「殿方は皆噂していらっしゃるのよ?一度で良いから、クアラス家の妖精姫とお近づきになりたいって」
「お恥ずかしいですわ」
人前に出る度に容姿を褒めそやされているアルーシャは、外面通りのイメージを持ってくれている側室達に、恥じらう素振りをして返す。
側室達から向けられる視線のいくつかに、嫉妬の色を感じたものの、自分が可愛らしい事を自然の摂理のように理解しているアルーシャは些細な事は気に留めない。
ここに次兄がいたら、面白がってもっと清楚ぶるよう促していただろうが、女性のお喋りに疲れ始めているアルーシャは大人しくする事を選んだ。
その後話は社交界や王宮にいる美しい男女に代わる。
近衛騎士の話になったところで、またカパネラがメリッサの兄イルフェンについて熱く語り出した事は覚えていたが、それ以外の部分は完全に聞き流し、側室同士の茶会は終わった。
部屋の前に立つ護衛の顔ぶれが昨日と変わっていることに気づき、挨拶と労いの言葉をかけたアルーシャは、彼らの固い反応も気にせず内心ヨシヨシと肯く。
どう言って彼らに任務を言い渡したかは知らないが、ロウフェイルトは昨日の状況の問題を理解しているらしい。
詫びの形をとった文句の手紙を送りつけているので、当然と言えば当然だが。
シエラから、メリッサからの手紙を受け取り、あまりの返事の早さに驚いたアルーシャだったが、気にしない事にして今日の茶会についての手紙を送る。
夕食が終わる頃には、今度は王子から手紙の返事が来たが、内容は『昨日の無礼は不問とする。後宮の清掃について徹底させる。以上」だけである。
もはや手紙と言うより、単なるメモ書きでしかない。
余計な内容を省いた手紙はアルーシャの好みではあるが、男性から女性に送る手紙なのだから、多少はメリッサの手紙を見習ってもらいたいものだ。
これは暫く正妃は決まらないだろうと失礼な事を考えつつ、アルーシャはペンをとって今日の日記をつけ始めた。
ウルーリヤの、服の上からでもわかる大きくて張りがある胸と、緩やかなラインを描いてくびれた細い腰。
引き締まった形の良い尻と、金のアンクレットが引き立たせる長い褐色の脚について詳しく書いていると、あっという間に数ページが埋まってしまう。
しかし、これでは日記では無くなってしまうと気づいたアルーシャは、一度ペンを置くと自室に面した庭へ出た。
昼間は緑眩しく花咲き乱れる景色も、月の下では青白く眠りについている。
星の下を自由に泳ぐ雲は悪戯のように月を見え隠れさせ、遙か地上で月を仰ぐ木々を揺らした。
静寂の夜ならば、澄ませた耳には庭園を流れる水のせせらぎが聞こえるだろう。
けれど今日は水の音に代わり、雨の香が混じる風が、髪を、袖を、夜着の裾を引き、弄んで去って行く。
季節の花と果樹が植えられ、美しく整えられた庭の奥には、高く育った木と高い石壁が見えた。
壁の向こうにはこの庭と同じく育った木と、風で空に運ばれる花弁の川が見える。
後宮入り初日に室内外を確認したシエラから、室の庭の外には警備用の細い通路があると聞いていたが、その向こうには更に別の庭があるようだ。
後宮がどういう構造になっているか、どこかから確認できないだろうかと考えていると、アルーシャが出てきたベランダから、シエラと護衛の二人が出てきた。
「アルーシャ様、あまり外にいてはお体にさわります」
「言っていることはもっともだけれど、嫌だといったら強制的に部屋に戻すために連れてきているわよね、その護衛の二人」
「さあ、早く中へ。雨の気配が近づいて参りました。お二人とも、アルーシャ様を中へお連れして」
「風で声が上手く聞こえないふりして、有無を言わせないなんて流石シエラだわ」
見た目とイメージに一致しないアルーシャの言葉に、護衛達は驚いた様子だったが、すぐに表情を戻して女性2人の傍に立ち位置をかえる。
良い反応をしてくれる護衛に内心喜びつつ踵を返したアルーシャは、しかしその瞬間見えた石壁の上の影に勢いよく振り向いた。
アルーシャの庭の壁から、体半分はみ出た1つの人影は、恐らく通路の向かいにある壁の上にいるのだろう。
性別は判別できず、しかしそんな些細な問題はすぐに脳裏から追いやると、彼女はシエラの腕を引き護衛達に影の方を指し示す。
「貴方たちが戻るまで、私とシエラは寝室の扉を開けません。すぐに行きなさい」
簡潔な命令に、優秀な王宮騎士達はすぐに動きだす。
庭を一気に駆けた彼らが、長い手足であっという間に石壁を登るのも見ないまま、アルーシャはシエラと共に部屋に入り、全ての入り口に鍵をかけた。
こんな時、他に侍女がいたなら応援の騎士を呼びに走らせられるのだが、騒ぎを起こさずそれが出来る者を連れてこられなかったのが悔やまれる。
暖炉の火掻き棒を手に、ドアと窓の両方が視界に入る場所へ移動したシエラを確認すると、アルーシャは机の中からあぶり出し用のインクと日記帳を出した。
今の状況を手早く書き込み、二重底の下から小瓶を取り出すと、壁に掘られた彫刻から鉄のメイスを奪いシエラの後ろに立つ。
やがて、窓の向こうから男達が争う声と、女性の悲鳴が聞こえ始める。
騒ぎを聞きつけ、後宮の気配が騒がしくなるのを感じるも、アルーシャとシエラは宣言通り護衛騎士達が帰るの待ち続けた。