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35話 助かって気分はバブバブ


何とか寝ている間に全てが終わっていた方向にもっていきたかったアルーシャだったが、神殿製の滋養回復剤の威力が強すぎて、体を洗われている最中に目を覚ましてしまった。


見慣れない女性数人に支えられて湯をかけられている状況に一瞬呆けていると、体を支えていた女性に話しかけられる。

いくらアルーシャが細身とはいえ、その体を腕一本で支えている女性に、目を丸くしていると、神殿から来た竜族の神官だと教えられた。

なるほど、竜族なら片手でも人の体ぐらい支えられるか……。そう呑気に考えていると、どこからかすすり泣きが聞こえてくる。

神官がいる場に死霊が出るのかとビビッたが、幸い今は乾ききっていてチビれるものがない。


馬鹿な死霊め後ろにいる竜族の神官様が一撃で冥府までぶっ飛ばしてくれるぞ、と思いながら視線で声の主を探すと、すすり泣いていたのは体を洗ってくれている女性たちだった。

死霊じゃなかったわ。


恐らく、公爵家の使用人だろう。

何度もアルーシャにお湯をかけてくれている年配の女性2人は、気が付いたアルーシャに言葉で詫びるが、涙を止められないまま痛々しそうな顔で体を清めていた。


未だ腕が上げられないほど体がだるいので、正直『やっぱり洗ってくれるんだ。楽ちんやんけ!ヤッホ~』と思っていたアルーシャは、ちょっとだけ申し訳ない気持ちになる。

ここで一発、儚い妖精ムーブで再度気を失えれば良かったのだが、神殿製のお薬のおかげで体はだるいのに頭はスッキリ状態だ。


ロウフェイルトが飲ませたお薬は、肉体疲労用ではなく精神疲労用だったのではなかろうか?


体が綺麗になっていくに従い、体を支える神官の手から暖かな治癒の力が広がっていくのを感じる。

酷かった汚れが落ちると、果物の香りがする石鹸で全身を優しく洗われ、同じく果物の香りがする湯船に入れられる。

じわじわと全身が温まっていく心地良さに、たまらず大きな息を吐くと、介助をしていた使用人にハーブの香りがするお湯と歯ブラシを勧められた。


胃液を吐いた後に薬入りの酒を飲んだお口も、大変なことになっているのだろう。未だ思うように動けないアルーシャは、口元に差し出されたハーブ湯で口を漱ぎ、口を開けて使用人に歯を磨いてもらった。気分はバブバブである。


最後に口を漱いだところで再び体力の限界が来て意識を落とすと、やっと望んでいた通りベッドの上でのお目覚めになった。

長い道のりだった。頑丈な体と無駄に強すぎるメンタルがこんな所で仇になるとは思わなかった。


ベッドサイドに腰掛けていた女性神官に水を貰い、一息ついていると、暫くして扉がノックされ、ロウフェイルトが入ってくる。

入れ替わりに出て行った女性神官が扉を半分開けて行ったのを目で確認すると、アルーシャは治癒術で元気いっぱいな体を起こし、ロウフェイルトを出迎えた。


「お目覚めになって何よりです、アルーシャ様」

「ありがとう。救出、感謝するわ、ロウフェイルト。貴方も身ぎれいにしたのね」


「はい。馬車を血で汚した苦情と引き換えではありましたが。では、早速ですが、殿下より許可をいただいておりますので、今回の件を説明いたします」

「……船で聞いたものより詳しく、という事ね」


「はい。長い話になりますが、よろしいですか?」

「短い方がいいわ」


「ではより詳しく説明させていただきます」

「Oh……やっぱり普通でお願いするわ」


「事の起こりは、王妃殿下がまだ学生でいらした頃になります」


あれ、思ったより根が深いな……と思ったアルーシャは、話を後日にと言わなかった事を少しだけ後悔しながらロウフェイルトの言葉に耳を傾ける。

だが、ロウフェイルトもアルーシャの体の状態を理解しているので、話は割と簡潔にまとめてくれた。


ナソド貴族子女の間では有名だが、王妃が学生だった頃、留学生としてやってきたコパルの学生が王妃を誑かそうとしたが簡単にあしらわれた挙げ句、その下手糞すぎるハニートラップを逆手にとられて逆に遊ばれて泣いて国に帰ったという話。

事実は概ねその通りだが、実はその留学生は当時のコパル国王の甥で、ハニートラップで近づいたはずが王妃に本気で惚れてしまった。

国に帰った留学生は、その後度重なる流行り病と政変によってコパルの王となったが、王妃への未練と弄ばれた恨みは消えなかったらしく、ナソド王国へ何度も陰に日向にちょっかいをかけてきた。


ナソドにウリオス王子が生まれた時は海軍と衝突を起こし、とうとう神殿から強く叱られた結果、国との外交も上手くいかなって、ようやく大人しくなった。

だが、それは表向きで、民間を装って因縁をつけてきたり、影ながらの工作は相変わらずされていた。

その工作の結果が、ウリオス王子の1度目の正妃選定という大量側室騒ぎに繋がったと聞いて、アルーシャは素直に驚く。

王妃に弄ばれた経験が、脳筋一辺倒だったコパルの王に策略というものを学ばせてしまったらしい。


ナソドの貴族でも野心が強い者の周りに、コパルの息がかかった者を入り込ませ、王子の側室として送り込むことで密かに王族の力を削いでいく。

数十年かけて行う長い計画だったようだが、王子の婚約者が亡くなるという予想外の事態により、手駒にすべく野心を大きくさせた貴族子女たちが暴走してしまった。

抑えが効かなくなった暴れ牛が如く、王妃の座を狙って争い合う令嬢たちの様子に、王宮が違和感を覚え、密かに調査が始まった。


そして明らかになったコパルの策略に、王宮は怒りに震え、報復を決意。

コパルによって傀儡にされた貴族や豪商の令嬢を側室として後宮に集めて人質にし、その間にその家の処分や事後について決めると、降格や奪爵がスムーズに進むよう手はずを整えた。

同時に、令嬢の制御が効かなくなり隙ができたコパルの計画を探ったのだが、人質として後宮に入れた令嬢の使用人の動きから、後宮の隠し通路の存在が一部漏れている事も発覚した。

悠々と隠し通路を使い、男と逢い引きする側室もいたが、調べればその男もコパルの工作員という始末。そこからナソド王国内に拠点を作っているコパルの工作組織を捜査し、気づけば人質だった側室たちが後宮を出る時期になっていた。


後宮を出た側室たちは、王宮側が予定していた通り、コパルの息がかかっていて娘がいない家へ嫁ぎ、それまでの醜聞でもって他の家々との交流から引き離す。

同時に、コパルの進入を許さなかった家の令嬢が、傀儡となった家の令息と縁を結んでいた場合は、令息に元側室と醜聞を起こさせて婚約解消や離縁等の工作がされた。現第3側室であるノーラがまさにそのパターンでの婚約解消だったらしい。

同時に、問題ない家同士の婚姻も急がれたために、当時の社交界が更に荒れてしまった。


その後、第2側室のツァルニがコパル王から狙われているとの情報から、身柄の保護として側室として迎え、目くらましのためメリッサを側室に迎えた。

その際、メリッサの兄である近衛騎士イルフェンにメリッサの変装をさせ、その部屋を拠点に後宮内から隠し通路の探査を継続していたという。

その後も、コパルが様々な理由で狙い、特に危険な状態だった令嬢を後宮へ側室として保護しながら、かの国の蠅を一網打尽にすべく、準備がされた。


国同士の争いとなれば大義名分が必用となり、そして言い逃れを許さない速さが求められる。

その役目を負うべく後宮へ招かれたのがアルーシャだった。



下手に情報を与えると何を仕出かすかわからないという、クアラス家当主と次期当主の言葉に従い、王宮はアルーシャに一切情報を与えず、その動向を観察した。

噂に違わぬ月の妖精もかくやという容姿だが、その内面は豪胆にして珍妙かつ怠惰。しかし、非力な令嬢である事に変わりはないため、せめてもの慰めにと彼女の長兄を護衛に組み込んだ時から、事態は少しずつ予定とズレはじめた。

アルーシャが第4側室シューリーンの元へ通う男を発見した事は予想外だったが、おかげで公に後宮内へ騎士を引き入れ、かねてより発見されていた隠し通路の封鎖工事を公に進められたので良しとされた。

コパルの工作は受けないまでも、落爵予定の貴族と密かに結託していた第1騎士団長を解任する事にも役立ったアルーシャは、当初の予定通りコパルの使者の前に姿を見せ、彼らの注意をツァルニから移すことに成功した。


後は、アルーシャの部屋へ続く隠し通路を使い、コパルが彼女を誘拐してくれれば予定通りだった。

しかし、予想されていた隠し通路の出口は、アルーシャが持ち込んだ大量の酒が詰められた箱で塞がれており、賊の進入を阻止していたのである。

既に王都内に軍を配置し、コパル本土へ向けて海軍を向ける準備を整えていた王宮は困った結果、メリッサの見舞いという名目でアルーシャを王宮の外へ連れ出した。

事前に敵に情報を流していた事で、狙い通りコパルの者に第9側室アルーシャを誘拐させる事に成功。


アルーシャが馬車の中で気を失ってくれなかったり、侍女として一緒に誘拐されるはずのアンバーが命令されて外で戦う事になったり、馬車ごと奪わせるはずがイルフェンが中にいたためアルーシャだけ連れ去られたり、予想外に王子の馬車も襲撃を受けたり、未確認の隠し通路を利用し王宮の外れでボヤが起きたりと、かなり不測の事態があったらしい。


更に、陸路で移動するかと思われていた誘拐犯が、オガノの商船を奪い川を南下していると判明した頃には、川には同じくオガノ船籍の河川用商船が多く往来し、警備艇での追跡が困難になっていた。

神殿の精霊伝達便で河口のシャーレス公爵家に使いをやり、コパル進軍に備えていた海軍から河川を航行可能な船の編成を終えたのが昨日の昼。

戦闘に備えて河口港と近海から一般の船を退避させるが、上流からやってくるオガノ製の船は規格が統一されているため、帆の柄が確認できるまではどれにアルーシャが乗っているかは判別できず、迂闊に情報を出せなかった。


やむを得ず上流から河口へやってくる船を全て確認していたところ、昨夜、真っ暗な夜の川を無灯火で下ってくる船があるという情報が入り、偵察が王都で盗難された船で間違いない事を確認した。

川の流れに任せて下ってくる小さな商船に警備艇3隻で近づいて警告の後停止させたが、付近に停泊していた商船が一斉に動き出し、警備艇に側面から衝突した。

別の警備艇と軍船がそれを囲むが、更にその周りを商船が囲み、それを防ぐために軍船が割り込んだりと、次々と船同士がぶつかり合った。

密着して地続きのようになった甲板では、中央の船に向かおうとする商船の乗組員と、軍人・警備兵・騎士の乱戦になる。

一方陸地でも、川の港から警備艇と軍船が離れると同時に火の手が上がり、待機していたシャーレス公爵家の陸軍が対応に向かわなければならなくなった。


そんな混乱する戦闘の中、アルーシャは救出され、シャーレス公爵家の領都邸宅へ運ばれた。

明け方始まった戦闘は同日午後には終結し、夕刻になった現在は破損された船の回収と盗難船の所有者確認、そして生き残った敵戦闘員の尋問をしている。




「……というのが、現在までの状況です」

「……長っ……」


半ば覚悟していたとはいえ、予想以上の情報量にアルーシャは小さく悪態をつき、深く深くため息をつく。

何処から何を言ったらいいのかわからないが、とりあえず現状を抗議する相手が父と次兄だという事はわかる。

身分も礼儀もゆるゆるなエーサリオ大陸で、よくも東大陸風の貴族の娘の取り扱いをしてくれたものだ。

許すまじ、である。


「アルーシャ様の献身により、無事コパルによる側室誘拐事件を起こせました。殿下より、此度の働き大変感謝している。また、前世記憶を持つとはいえ、か弱い令嬢に恐ろしい思いをさせて大変申し訳ない。慰めにもならないが、個人的な報酬を多く用意しているので、ゆっくりと休養をとった後、回復次第後宮へ戻るように。……との事です」

「え?まだ側室続けなくちゃいけないの?私垂れ流しの目にあったんだけど。流石にもう嫌なんだけど?」


「心中お察しいたしますが、アルーシャ様におかれましては、御身の安全のためにも、コパルとの問題が片付くまでは、側室のままでいたくださいますよう、お願い申し上げます」

「何年かかるのよ」


「コパル如き海賊、我が国と正面から事を構えたところで、1年も持ちこたえられないでしょう。まして、今回はオガノ公国の商船を盗み利用しておりますので、かの国との共闘になります。他にも敵に回した勢力がありそうですので……持って1カ月でしょうね」

「ああ、そう。そうだわ、私と一緒に捕まえられていた、船の持ち主のデュートという男がいたでしょう?とても気が利く男で、良い話し相手になってくれていたのだけれど、彼は無事かしら?」


「盗まれた船の持ち主や船員は、皆監禁されておりましたが、現在は神殿で保護されております。アルーシャ様が仰る商人も、おそらくそこに」

「そう。今度美味しいものを食べさせてあげると約束したの。後で手配しておいてくれるかしら?」


「承知しました。では明日、彼ら全員に、アルーシャ様の名で見舞いとして食事を届けておきます」

「ありがとう。おねがいね。今日はもう疲れたわ。話は次にしてもらっていいかしら?」


「私は、殿下より、アルーシャ様が後宮へ戻られるまで傍にいるよう、申しつかっております。明日、午後からまた伺わせていただいても?」

「ええ」


長話しすぎたようで、掌に治癒の光を作りながら物言いたげな顔で部屋を覗き込んできた女性神官に、アルーシャは今日の話を切り上げる事にした。

アルーシャ自身、今、何からロウフェイルトに聞けばいいのか、思考も感情も追いつかない状況だ。


「ああ、そうです。アルーシャ様、お休みになる前に、申し上げたい事がございました」

「手短にお願い」


どうせ断っても言うのだろう、と無駄な抵抗を諦めたアルーシャに、ロウフェイルトは微かに口元に笑みを零しながら頷く。

しっかりと目を合わせた彼に、アルーシャは物凄く面倒な事を言われる予感しかしなくて、耳を塞ごうか真剣に迷った。


「この度の件、お体はもちろん、御心も深く傷つかれたでしょう。ですが、無事、生きた貴方にお会いできたこと、私はとても嬉しく思っております。よく、頑張られましたね」

「…………」


「後の事は全て私にお任せください。アルーシャ様は何も考えず、ご自身を癒やす事だけをお考え下さい」

「……う……理解。……下がって」


残念ながらこの情勢で何も考えずにいられる気がしないとか、王子の補佐官のお前さんに任せるのは不安しかないとか。

色々ツッコミをいれたくなったアルーシャだったが、それよりも口から自身の心とは別の言葉が飛び出そうになって、慌て両手で口を押さえる。


じわりと涙が滲んでくる感触に慌てて目を閉じ、浅くなる呼吸を静めようとする間に、勝手に物言おうと開く唇を噛んで塞いだ。

慣れた諦観に加え、現状の安全を知り落ち着いている自身とは違う、この感情の乱れはなんなのか。


恐かった。痛かった。苦しかった。逃げたかった。帰りたかった。


吐き出せなかった言葉が心の中で暴れる様を慎重に見つめ、けれど自身とは剥離しているとしか思えない叫びに飲み込まれないよう冷静さを繋ぎとめる。

どうしてこんな時、次兄も馴染みの神官もいてくれないのか。

いや、いたらとりあえず次兄はタコ殴りにしているな、と脳裏で考えたところで、嵐のような叫びがようやくおさまってくる。


あんな姿になりたくなかった。あんなふうに死にたくなかった。あんな姿にさせたくなかった。私は沢山頑張ったの。ずっと助けてほしかった。やっと誰かが助けてくれた。


腹の中……いや、心の中で、ボロボロと泣き叫んでいるのが呪いのヤバ女だと分かって、アルーシャはようやく平静を取り戻す。

これが本当に自分の感情だったら、思考とかけ離れすぎて情緒不安定になっていたところだ。次兄に知られたら冥府で魂の修復とか調整なんて言われる案件である。

ヤバ女の感情でよかった。


そもそもアルーシャが誘拐中に感じていたのは烈火の如き怒りである。誘拐犯はもちろん、誘拐を意図しアルーシャを連れ出した王子、グルだったイルフェン、アンバー、その他関係者に対する怒りと、計画通りならば必ず助けられるという信頼だ。悲壮感などなかった。いや、スカートの中がこの世の終わり状態だったのでその点の悲壮感はあったが、状況に対して楽観的だったのは間違いない。


「アルーシャ様……大丈夫ですか?」

「ええ。ちょっと前世の記憶が軽く暴れただけよ。もう大丈夫」


「神官殿も、常にアルーシャ様の傍にいてくださるようお願いしております。何かあれば、すぐに頼ってください」

「ええ、そうするわ」


いきなり泣くのを堪えたかと思ったら、数秒で普通の顔に戻ったアルーシャに、さしものロウフェイルトもちょっと引いた顔で問いかけてきた。

疲れているせいで、完全に月の妖精の仮面が木っ端微塵になっているが、もう今更なのでアルーシャは気にせずシレッとした態度で答える。


前世記憶の影響となれば普通の人間には手に負えないし、当のアルーシャは既に落ち着きを取り戻している。

後ろ髪惹かれる顔で明日の面会を約束したロウフェイルトが椅子を立つと、入れ替わりに女性神官がベッドの傍にくる。

何か言われる前に大人しくベッドに横になると、神官は満足そうに微笑み、アルーシャの腹部に治癒の力を注いだ。



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