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34話 修羅じゃないよ補佐官だよ


いつもの眼鏡は片方のレンズがなく、もう片方もヒビがはいって用をなしていない。緩く波打っていた茶色い癖毛はその顔同様に返り血で染まり、赤い雫が滴るほどだった。

ロウフェイルトに抱き上げられて船室から連れ出されたアルーシャは、これも騎士の仕事では?と考えながら、初めて間近に見る家族以外の異性の顔をじっと見つめた。


べったりとついた返り血に加え、元来の目の冷たさと鋭さのせいで、今のロウフェイルトの容貌は完全に殺人鬼だ。

この状況以外で遭遇したら、ビビッてちびる自信がアルーシャにはあった。


意外と広かった船内の廊下には、いたるところに戦闘の跡があり、誘拐犯と思しき遺体がそのまま転がっている。

足早に通路を行き、急な階段を上っても、ロウフェイルトの腕は安定感があって、ちょっとだけ長兄を思い出させた。

焦げた匂いに顔を上げれば、濃紺から紫を経て橙に色を変える空には黒い煙があちらこちらから立って見える。


先を歩く騎士が振り返り頷くと、ロウフェイルトはアルーシャを抱えたまま甲板へ出た。

朝の水辺の寒さはなく、むしろ静かな風と共に漂った僅かな熱気に目を向ければ、ルーアルーシャがいる船の2つ向こうの船から火が上がっているのが見えた。

その船の先にも、まだ数隻の船が見えて、そちらでは騎士達がまだ戦闘を続けている。


予想を上回る規模の戦闘に驚き、改めてて辺りを見ると、今立つ船の周りをシャーレス家の警備艇が囲み、その周りには様々な商船、更に周りに海軍の船、そしてその周りにもまた商船が見えた。どの船も側面や船先をぶつけ合い、互いの船体を中央に近い船にめりこませている。


敵味方諸共、船を沈ませることを厭わない戦い方は、船乗りならば決して選ばないそれだが、使われた商船がデュートの船と同じく盗難船と考えれば、あり得るのかもしれない。


ロウフェイルトは戦闘が続く船とは逆方向に足を進め、騎士達がその先の足場や安全を確認しながら誘導する。

最初の船からシャーレス公爵家の警備艇に移ったところで、遠くで大きな爆発音が響いた。

視線をやれば、もうもうと煙を上げる商船が、川岸に泊まっていた海軍の船に鼻先をぶつけ、更にその甲板で何度も爆発を起こしている。

商船に押され、陸地にぶつかった軍船の悲鳴が聞こえてくる。

だが、同じく軍船から炎が上がる商船へ飛び移る兵の姿も見えた。


想像だにしていなかった光景に、アルーシャは呆然とする以外できない。

コパルとはちょっと揉めるだろうな。でも、せいぜい騎士団が来て犯人を捕まえ、コパルの弱みを握るぐらいだろう。そう思っていた。

なのに何故こんな大規模な水上戦になっているのか。公爵家が持つ海陸の私軍に、国の海軍、騎士団なんて近衛と第一騎士団の混成で、アルーシャ達の警護をする騎士ですら、どいつもこいつも殺る気がみなぎっている。

しかしやはり一番の謎はロウフェイルトだ。本当にお前なんでいる?



「アルーシャ様」

「ん?」


「アルーシャ様は、賊の襲撃を受けた際、名誉を守るため自ら毒を飲まれました。しかし、シャーレス公爵家で飲んでいた薬草茶の効果により即死なさらず、昏睡状態になられた。それを知らぬコパルの賊は、アルーシャ様が気を失われているだけだと勘違いして連れ去り、我が国に潜んでいたかの国の賊と共にナソドから出ようとした。そこを、追跡していた騎士団が発見。合同訓練のため港に集まっていた海軍とシャーレス公爵家の私軍と共に、アルーシャ様の奪還と賊の討伐をしました」

「…………へぇ……」


「しかし、アルーシャ様は毒の影響により、救出した時は意識がございません。その後、公爵家の屋敷に運び込まれ、神官の治癒により目を覚まされます」

「先に水……」


一連の出来事は全部王子……否、国側の予定の通りで、アルーシャはまだ病人として意識が無いふりをしていろと言っているのはわかった。

抵抗したら意識を刈り取られそうだし、体も辛いので大人しく従うつもりのアルーシャだったが、胃液でざらついた喉の感触と癒えない渇きは耐えがたい。


「生憎、手持ちは気付け用の強い酒だけですが、ないよりはましでしょう」

「…………」


マシじゃねえわ。トドメさす気か。

普通は救出に来るんだから水くらい持ってくるものだろと驚いている間に、ロウフェイルトはアルーシャを抱えたまま近くの木箱に腰掛け、一緒にいた騎士から小さな酒瓶を受け取る。

まさか酒を飲みたくないなんて思う日が来るとは思わなかった、と現実逃避している間に口元に瓶の口を近づけられ、水分を求める体が勝手に唇を開く。


喉が焼ける。

胃液でダメージを受けた喉が、アルコールで焼け野原にされている。

きっと暫くは下町の酒場を営むオヤジみたいな声になっているんだろうと思いながら、アルーシャは瓶の半分くらいを半ば無意識に飲み干す。


普通はここで体が拒否して吐き出すか咳き込むだろうに、不思議だね。数日ぶりの酒に心が躍っているんだ。依存症かな?


半分も飲んだ……という騎士の呟きを聞き流しながら、じわじわ熱くなっていく体に、アルーシャは初めて自分の体が冷え切っていたことに気づく。

なるほど、ロウフェイルトが血まみれでもローブで体を包んできたのは、汚れ以上に体温の低さのせいだったようだ。

汚れと匂いが酷いはずなのに、何も言わず、顔色も変えないまま躊躇いなく抱いて運んでくれるロウフェイルトの態度は、少なくともアルーシャにとっては満点だ。

この相手と状況に合わせた気遣いスキルを、もう少し王子に分けてくれれば色々なんとかなるんじゃないかと思わずにいられない。


「酒には薬を混ぜております。公爵家までの道のりは、我々がお守りしますので、どうぞ安心してお休みください」


ふざけんな。やっぱりコイツあの王子の部下だ。

恐い目にあったか弱い側室様に何てことをしやがると思っている間に、アルーシャは急激に瞼が重くなる。

目が覚めたら、絶対ロウフェイルトの腹に一発決めてやると内心歯ぎしりしたところで、彼女の意識はストンと落ちた。







暖かく、柔らかな感触に包まれて、アルーシャの意識は緩やかに浮上を始めた。

けれど、もう少しで目が覚めるというところで、まだ休みたがる体に手を引かれ、再び眠りの中に沈み込んでいく。

時間の感覚も曖昧なまま、そんな事を何度か繰り返していると、自分の傍にいる人間の声が断片的に耳に入ってくる。

一番耳にするのはロウフェイルトの声だが、彼は王子の代理としてアルーシャの救出に来たのだろうから、そばにいるのは納得できた。抱き上げられた時の体つきは完全に騎士のそれだったが、立場は文官なので、用が済んだら戦に出る理由はない。

奴には色々聞きたいことが山積みなので、近くにいてくれるというなら好都合だ。


しかし、できるなら、必用ならいつでも殺してきそうな男ではなく、柔らかい雰囲気の女の子に付き添ってもらいたいというのは我が儘だろうか。

公爵家の使用人の子とか、普通ついてくれませんかね?お前さん家の次男が護衛している最中に攫われたって事になってるんですよ?

というか、私が意識を失って垂れ流すことになった薬を渡したのは、おたくさんの次男坊なんですよ。サービスしてくれよサービス。誠心誠意詫びてくれよ。

ロウフェイルトは、必用になったら寝てるこちらの首も躊躇いなく落としそいで恐いんですよ。

そもそも、夫の代理で来るにしても、部下の男に付き添いをさせるってどういう事だ?


「解せぬ……」

「おや、アルーシャ様、目を覚まされましたか?」


「ええ。ところで……あら?」

「まだ公爵家の屋敷にはついておりませんので、もう少しお休みください」


ちょっと文句言っておいた方が良いかな、と思って目を開けたアルーシャだったが、目の前にあった予想外の風景に目を丸くする。

てっきりもう公爵家に着いて客室のベッドで寝かされていると思っていたのだが、アルーシャはまだ馬車の中でロウフェイルトに抱えられている状態だった。

少しだけ体が楽になった気がするが、喉はまだ痛いし下半身の不快感も健在。


ロウフェイルトに薬で眠らされたのではなかったのか。それとも、公爵邸が戦場から遥か遠いのか。

目をぱちくりさせるアルーシャが呆けて辺りを見回すと、窓の外には栄えた街並みが見えた。


「私は、薬で……」

「ええ。神殿から貰った滋養強壮剤を酒にいれておりました。回復の速さは流石ですが、アルーシャ様の意識はまだ戻ておりません。どうぞ、今しばらく休みください」


「そう……でも、汚れが……」

「公爵邸で使用人と女性神官が準備しております。今しばらく、御辛抱ください」


「違うわ。貴方の服が汚れると言ってるの」

「……人質が汚れているのは普通の事です。お気になさいませんよう。さあ、もうお休みください。到着しますよ」


アルーシャを乗せている膝がどうなっているのか想像できて、けれど全く気にしたそぶりを見せないロウフェイルトに、彼女は言葉が見つけられず、結局言われるまま目を閉じた。


上等な内装をした馬車は、公爵家からの借りものだろう。

アルーシャの匂いもあるが、ロウフェイルトが放つ血の匂いもあって、馬車の中の空気は凄まじい。

恐らく匂いが染みついてしまっただろうこの馬車は、後で処分さる。

ならばアルーシャを椅子に座らせて汚してしまっても良いのでは……とも考えられるが、匂いをつけるだけと椅子まで酷く汚すのでは、心象は違うのだ。

緘口令をしいたとしても、側室であり月の妖精と呼ばれるアルーシャの醜聞となれば、必ず何処からか話は漏れる。

ロウフェイルトが纏う噎せ返るほどの血の匂いで、アルーシャの匂いまで消える事などありはしない。けれど彼が、髪から雫が落ちるほどの血を浴びた理由が少しだけ理解できて、アルーシャは『何てイカレた野郎だろう』と口の端に微かな笑みを浮かべた。




目を閉じて寝たふりをしていると、馬車の揺れのせいか時折ふと意識が途切れる。

気が抜けた思考で、仕方ないとはいえ、夫である王子以外の膝で寝るのはどうなのかと考えたりもしたが、ロウフェイルトならその辺もなんとかするだろうと考えて思考を止めた。


馬車が止まった感覚に一瞬眠っていたことに気づいたアルーシャは、ドアが開けられて誰かが出ていく物音を耳にして、初めて自分とロウフェイルト以外が馬車に乗っていたことに気づいた。

考えてみれば、当然の事だったのに、それすら思い至らないとは……と自分の疲労具合を自覚して、小さくため息をつく。

ロウフェイルトが微かに顔を覗き込んできた気配を感じながら、そのまま目を閉じて身を任せていると、そのまま彼に抱きかかえられて馬車の外へ連れ出された。

使用人と思しき女性の小さな悲鳴が聞こえる中、足早に屋敷の中へ運ばれていく。

ここから先は本当に寝ておこうと考えて、辺りの気配を気にすることをやめたアルーシャは、重だるい体からゆっくりと力を抜いていった。



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