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33話 何でお前?


次に感じたのは、肌寒さと強い揺れだった。

遠くに聞こえる騒乱に目をあけようとして、けれど瞼が酷く重くて思うようにいかない。

本格的に弱っていると感じる脳に、それが理解出来ているなら一先ず安心だと呑気に言い聞かせ、意識して大きく息を吸うと慎重に瞼を開ける。


近づくように大きくなる騒ぎと振動に体を支えられず揺さぶられる視界には、何やら白っぽい滑らかなものがある。

船室に、こんなものあっただろうかと考えたところで、滑らかなものの真ん中にある深い溝に、それがデュートの尻だと理解した。



「何でまた尻が目の前にあるのよ」

「目、覚めました?すみませんね、用をたすためにズボンとパンツの紐ほどいてるんで、上手く上げられないんですよ」


「顔の前にある理由がわからないわ」

「今の振動で転がったんですよ。移動しますんで、待ってくださいね」


強烈に匂う身では、絶妙に匂う尻に文句が言えず、アルーシャは呼吸を浅くしながらデュートが移動するのを待つ。

横に転がるのではなく、足の方へずるずると移動したデュートは、アルーシャに背を向けながら首だけで振り返った。


「今は明け方ですよ。窓の外に他の船が横づけしてきたのが見えたと思ったら、凄い衝撃がきましてね。それから上は大騒ぎみたいです。しっかりしてくださいよ、多分、助けですから」

「ええ」


そう話す間にも、強い衝撃がきて頭が床にゴツゴツとぶつかる。

ミシミシ……バキッという嫌な音に目をやれば、船の外に面した壁が歪み、外れかけた窓には横付けしていたという船が接触しているのが見えた。


「あー……俺の船……」


盗難に次いで体当たりで破損するという、商売するにはケチがつきすぎてしまった自分の船に、デュートは寂しげな声で呟く。

けれど、すぐにまた、今度は反対側から強い衝撃があり、アルーシャはデュートの背中に頭をぶつけてしまった。

近くて遠い騒乱はさらに大きくなり、何処からか爆発音のようなものまで聞こえる。


「凄い戦闘になってるみたいでねえ。ところでアルーシャ様、さっきから頭打ってますけど、大丈夫ですか?」

「体を支えるまでは、難しいわ」


「んじゃあ、せめて俺が服を掴んでますね。あと、余裕があったら俺の服の背中のどこか噛んでください。多少はマシですから」

「ありが……待って、何だか汚いのがついてるんだけど」


「あ……俺がトイレにしてた壺、最初の衝撃で倒れたんで、ついたかも……」

「気持ちだけ、受け取っておくわ」


どれだけ自分の汚物に塗れても、他人のそれを口に入れる気にはなれない。

言われてみれば、確かに室内が前より匂うかもしれないと思いつつ、アルーシャはデュートにドレスのお腹部分を掴んでもらう。

本当は胸の下にある帯の結び目を掴んでもらう方が安定するのだが、万が一解けてしまったらデュートの首が飛ぶしアルーシャも不名誉な濡れ衣を着せられる。


大きな船ではないのに未だ助けが部屋に来ないという事は、甲板ではかなり激しい戦闘になっているのだろう。

何度も起きる衝撃で船体は悲鳴を上げ、壁の歪みも大きくなっていく。


助けが来る前に、この船が潰れて沈む方が早いのではと冷や汗をかいていると、ようやく騒がしさが近づいてきてくれた。

叫ばれるているのは、アルーシャの名だ。

だが、同じく争う声も近づいている。


味方と思える声が聞こえて気が抜けたのだろうか、助けを求めるために声をあげねばならないのに、アルーシャの意識が朦朧としてくる。

この状況で御令嬢ムーブをしている場合かと慌てて気を取り直し、大きく息を吸い込んだアルーシャだったが、水分を絶って渇いた喉に香しい空気を食らい、咳き込んで吐きそうになってしまった。


「アルーシャ様、ちょ、大丈夫?」

「うっ……ゲッホ!ゴホ!ぅぉえっぷ……ェッホ!」


「やめて!下からのだけでもキツいのに、上からの匂いまで付け加えないでくださいよ!ってか、マジ大丈夫!?」

「騎士を……ゲホッ……呼んで……うぶっ……」


「ああ、もう、わかったよ!苦しいなら吐いていいよ!騎士呼べばいいんですね!?」

「ごめ……よろ……っォヴェェェ……」


何とか堪えていたアルーシャだったが、デュートの許可が出ると堪えきれず胃液を吐き出した。

口元、胸元、そしてデュートの服が汚れてしまい、さすがに申し訳なくなったが、体は少しだけ楽になった。

乱れる息を何とか整えている間に、デュートが大きな声でアルーシャの居場所を知らせる。

呼び返す声と、遮る声、ドアの向こうから聞こえる争いの音。


今ドアを開けられて助かるのだろうかと少しだけ考えながら、アルーシャはこっそりとデュートの服で口元を拭う。

気づいて振り向いた彼から視線を逸らしてとぼけたアルーシャだったが、床の上に広がる液体を拭いたわけではないので、結局髪も頬もまた汚れてしまった。

それに意識があるのなら上半身だけでも起きていた方が良いのだが、嘔吐の疲労もあってそれは叶わない。


ドンッと一度大きく扉が揺れると、廊下の争う音が静まった。

けれど、絶えず響く船の軋みはやまず、ぶつかって壁を歪ませる隣の船は更に船室に食い込んできているようだった。


「鍵がかかってる!」

「破壊しろ!」

「オガノ製です!壊れません!」

「どけ!」


争う声の後、金属がぶつかる激しい音が響き、しかし鍵を壊せなかったのか一瞬音がやむと、次の瞬間大きな音と衝撃に扉が軋む。

そんな間にも、外からは大きな接触音と爆発音が何度も響き、船は接触している船ごと激しく揺れていた。

何度目かの衝撃で、ドアの蝶番が歪む。けれど、同じく金属で縁取られていたドアの板も割れた。

再びドアに衝撃が与えられ、3度目で割れた板の向こうから灯りが差し込む。

4度目で板が更に大きく割れ、5度目で扉の向こうにいる騎士の服が見えた。


何とか助かったと安堵したアルーシャの意識が、再び朦朧とし始める。令嬢らしく気を失っておくか、それとも油断せずもう少し意識を繋ぎ留めておくべきか。

迷っている自分の余裕に、まだ大丈夫そうだと思いながら扉を見ていたアルーシャは、騎士服の先頭にいるこの場で見るはずがない服に目を丸くする。


返り血で真っ赤に染まっているが、その服は後宮の夜に何度も目にしたものだ。

だが、騎士や軍人ではない彼が、こんな場所にいるはずがない。

彼の居場所は王宮の中の、安全な王族の執務室のはずだ。


目にしているものが信じられず、アルーシャが呆けていると、とうとう扉が完全に破壊され、救援にきた者達の姿が完全に見えた。

先頭は騎士ではなく、やはり先ほどから見えている返り血まみれの場違いな男。

両手に血濡れの剣を持ち、肩で息をするのは、文官服も顔も返り血で真っ赤にしている王子補佐官のロウフェイルトだった。


……え?……何でお前?



そこは普通王子か騎士では?と呆然としているアルーシャに、ロウフェイルトは視線を合わせて意識がある事を確認すると、他の騎士に指示してデュートを連れ出させる。

室内の惨状にも眉一つ動かさないロウフェイルトに、本物で間違いないと確信したアルーシャは彼の剣で縄から解放されると、そのまま体を支えられた。


「お迎えが遅れましたこと、お詫びいたします」

「あ、うん……」


で、何でお前?

立場上王子が来ないのは当然なので納得できるが、その補佐官であるロウフェイルトがここにいる意味がわからない。

よもや、王子の代わりにお迎えに来たという事だろうか。だがそれは騎士でも事足りる気がする。


ちょっと前まで意識を失いそうだったのに、驚きが大きすぎてアルーシャの頭からはポコポコとネジが飛びそうだ。

汚れたドレス姿のアルーシャを、ロウフェイルトが自分のローブで包んで隠してくれたのだが、血まみれローブで包むなと突っ込む余裕もない。

頬と髪についた汚れを拭ってくれたハンカチさえ、染みた血で汚れているのに、アルーシャはただ呆然とロウフェイルトの顔を眺めるしかできなかった。



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