31話 馬車が襲われております
自分の立場は側室であって、任されたのは王子が他の側室へ興味を持つための発破かけなので、外で襲撃されるのは業務範囲外ではなかろうか。
一体次兄はどんな約束を王子たちとしたのだろうか。いや、やっぱり知る方が面倒になりそうなので、何も知らないかわいい子ちゃんでいよう。
それにしても暇である。
いっそ次兄にも立場上の夫でもある王子にも道具の様に扱われ、しかし抗う事も出来ず使い潰される己の哀れさに酔った悲劇の令嬢なフリでもしてみようか。
いや、状況を考えたら、フリどころか、事実そのまま可哀そうな令嬢だった。
しかも今まさに、謎の賊に馬車の一行が襲われているという危機つきだ。
馬車の外からは争いの音が響き、隣にいるアンバーは覇王よろしくかなりの威圧を放って、意図せずこちらをチビらせようとしてくる。
他の側室だったら間違いなく失神しているだろう状況で、何で自分も可愛らしく気を失えず、それどころかチビらないよう必死になっているのか。
王宮外周の林に通りかかったところで、馬車は賊に襲われて止まったのだが、それは想定していたから別にいい。
公爵家の次男坊と、女性騎士最強のアンバーがいるおかげで、全く襲撃に恐怖を感じないアルーシャだが、代わりに尿道括約筋が決壊する恐怖で顔が強張る。
運良くここでか弱く儚い妖精として気を失えても、その瞬間スカートの中が大惨事になるので安心して失神もできない。
イルフェンもここにいないで、外で参戦してさっさと片付けてくれないだろうか。
同性のアンバーだけなら、今の状況を打ち明けられるのにと思って彼を恨めしく見ていると、外の声に耳をすませていたイルフェンが神妙な顔でこちらを見た。
「アルーシャ様、賊の様子が、少し変です。」
私の膀胱の方が大変です。
「襲撃者達は、コパル訛りですが、僅かに北部訛りの者がいる」
「そう。でも、急遽決まった外出を、白昼堂々襲撃する時点でおかしのではないかしら?北部なら、ロウフェイルト様に聞けばいいわ。けしかけるための人員かもしれないけど」
何でもいいから早く終わってお花摘みにいかせてほしい。
段々余裕がなくなってきて思ったままを口にしたアルーシャに、イルフェンは目を丸くし、アンバーは扉の前で剣を構えて片膝を着いた姿勢のまま、ちらりと視線だけ振り返る。
腿の上に手を置き、静かに尿意を押さえてみるが、時折馬車に人がぶつかって揺れるので、集中力が乱れそうになる。
守ってくれている騎士に、漏れそうだから威圧をやめろなんて流石に言えなくて、とにかく早く襲撃が終わってくれることを祈るしかない。
だが、外の騒ぎはまだ終わる気配がないのだ。
「アンバー、私の身はイルフェンが守ります。貴方は外で他の騎士の援護を」
「アルーシャ様、しかし私は殿下から……」
「命令です」
「……承知しました。イルフェン殿、アルーシャ様をお願いします」
頼んだアンバー。
アンバーが馬車から出てくれたなら、王子から借りた馬車でチビる側室にはならずに済むはずなんだ。
期待と信頼を映すアルーシャの瞳を一度見つめると、アンバーは馬車のドアを開け、素早く外へ躍り出る。
その瞬間、威圧から解放されたアルーシャは緩みそうな体を引き締める。
外からはいくつもの悲鳴が聞こえてきたので、多分何人かがアルーシャに代わってチビったのだろう。倒されたのかもしれないが。
「アルーシャ様、此度は火急の事態ですが、側室の貴方が騎士とはいえ男と馬車で二人きりというのは……」
「わかっているわ。でも、今回は許してちょうだい。正直にいうけれど、アンバーの威圧で、漏らしてしまいそうだったのよ」
「……それは……」
「ええ。殿下から借りた王族の馬車で、粗相をするわけにはいかないでしょう?」
「そうですね。第1騎士団やアンバーほどの実力者の威圧は、新人の騎士でもアルーシャ様のようになります。見習いは、大概気を失いますので、アルーシャ様は平気なのかと、内心驚いておりました」
「気を失ったら決壊しそうだったの。分かるでしょう」
「確かに……」
「それにしても長いわね。こちらの護衛に、大きなけが人が出なければ良いけれど」
アンバーが馬車からでて、気を持ち直したアルーシャは、やっと余裕を取り戻して外の様子を窺う。
この状況でカーテンを開けるだなんて馬鹿はしないが、外の様子が見られないのは正直不安だ。
城の近くでの襲撃となれば、こちらの応援を恐れて失敗と撤退の判断も速そうだが、争いは未だ続いている。
先ほどまでアルーシャを苦しめていたアンバーの威圧は、扉を隔てた途端嘘のように感じなくなり、それに気づいた瞬間、アルーシャはイルフェンに胡乱な目を向けた。
「貴方達、謀ったわね?」
「申し訳ありません、アンバーの威圧で気を失っていただけると思ったのですが……」
許さん。
隠し通路の中で、王子たちだけじゃなく、こいつも軽くドツいておけば良かった。
「お話をして協力していただこうにも、アルーシャ様は思いつめた顔をしていらっしゃったので、アンバーも私も困ってしまいまして」
一番困ってたのは私だよ。
人の膀胱と尊厳を危機に晒しておきながら、何を『いやー困った困った』なんて顔してるんだこの女装野郎が。
「それではアルーシャ様、こちらの薬を飲んで、暫く気を失っていただけますでしょうか?恐らく目覚める頃には救出が完了していると思いますので」
それでは、じゃないわ。
何だこの男、いきなり頭のネジぶっ飛んでないだろうか?
もしかして、イルフェンの変装した王子だろうか?それともロウフェイルトだろうか?
おかしいな。イルフェンて、後宮百鬼夜行の中でも比較的マトモだと思ってたんだけど。比較的。
やっぱりイカれてるのかな?マトモかもと思ったの、夢だったのかな?
「イルフェン、もっと詳しく説明できるかしら?」
「そうしたいところですが、流石にこれ以上は怪しまれます。全てはウリオス殿下の御命令ですから、お受けください」
「……あの王子、キ●タマ片方腐っちまえばいいんだ……」
「アルーシャ様、言動が前世に戻っておられませんか?さあ、早くお飲みください」
お前も片方腐っちまえ。
受け取った小瓶を鼻の穴に突っ込んでやりたくなるのを堪えて、アルーシャは蓋を床に投げ捨てると中身を一気に飲み込む。
意外と爽やかな風味と控えめな甘さがあると思った瞬間、アルーシャの視界は一気に黒く染まり、次いで体が崩れ落ちる感覚がする。
倒れた体をイルフェンに抱き留められる感触の後、動かない体が座席の上にそっと横たえられる。
丁寧だが、決して必要以上には触れないその手つきに、そこは既婚者として常識的だと思ったアルーシャだが……不思議である。気を失うと言われていたのに、意識が全く遠くならない。
閉じた瞼は開かず、指先だってピクリとも動かなくて、呼吸すら規則的なものを繰り返すだけだ。
気を失う薬ではなく、四肢の自由を奪う薬と間違えたのでは?
間違えていなくても、この薬そうとうヤバい薬では?
寝たら終わりと思ったのに、単なる金縛り状態にしかなっていない現状に、アルーシャは必死にイルフェンへ意思表示しようと試みる。
だが、呼吸一つ儘ならないのに瞼や声が自由になるはずもない。
「お許しくださいアルーシャ様」
許さねえ!絶対に許さねえ!
誰だこんな変な薬使わせたのは!王子か!?クッソー!!もう一回タコ殴りにしてやる!側室全員に変態的な特殊性癖持ってるって言いふらしてやる!!
ムッキィィィィィィィィィ!!!
と、心の中で叫びを上げたところで、私の意識は途切れたわけです。
遅効性かよ!
「最悪だわ!」
「うわっ!いきなり叫ぶな!目が覚めたのかよ」
本当に最悪だよ。
『起きたら全部終わってますよ』とか言ったイルフェンどこだ!猿みたいに赤くなるまでケツブッ叩いてやる!!
さて問題です。意識を取り戻した私が最初に目にしたのはなんでしょうか?
1、見知らぬ部屋。
2、綿埃
3、目の前に転がされている見知らぬ野郎のおケツ(着衣)
答えは2以外の全部です!
『目覚めたら王子が正妃を決めてました』までは望まないけど、せめて自室で医師と侍女に囲まれてるのは最低限だろうよ。こちとら側室様だぞ。
百歩譲っても騎士が到着して救出された瞬間だわ。
なのに何でまだ捕まっとるんじゃ。しかも何かで手足縛られて雑に床に転がされてるし。拘束期間が長かったのか下半身が汚れまくって人としての尊厳がとっくに木っ端微塵状態だし。
話が違いすぎだろ。
イルフェェエエエン!!
アンバァァァァァァ!!
どういう事だーー!!
あと目の前のケツは誰のだよ!
先に目覚めてたなら寝転がる位置を変えたらいいだろうに、見知らぬ乙女にずっと尻向けたままでいるとか、普通するか?
赤の他人を特殊性癖に付き合わせないでくださいませんかねぇ?
「貴方、いつまで人に尻を向けているつもり?」
「おっと、失礼。さっき船が大きく揺れて、転がっちまったんだ」
船ですと……?
物置程度の広さでも、部屋が作れる船が通れる川は王都の東西にある。
東の川はナソド王国北方を抜けて隣国へ繋がって終わるが、西の川は南方に向かい、途中南と西に分かれてそれぞれの海へ繋がっていた。
どちらの川の上の船だとしても、明らかに状況は芳しくない。
目覚めの状況から考えて、王子たちが作戦を失敗したのは明らかだった。
「今はあまり揺れていないわね。まだ川なのかしら。貴方、この状況を説明できるかしら?」
「……混乱して騒ぐかと思ったけど、意外と冷静ですねえ、第9側室のアルーシャ様」
「私を知っているのなら、いつまでも尻を向けないでいてくださる?」
「垂れ流してんのに偉そうな事いってんじゃねえよ。俺、ずっとこの匂いの中にいたんだぞ?そっち向きたくねえんだよ。わかるだろ?」
「それと私の顔の前に尻を向けることは別よ。早く移動してちょうだい」
「……やっぱナソドの御貴族様だな。偉そう……」
「貴方、赤の他人の尻をみて会話したいと思うの?」
「……そりゃぁ、確かに悪うございましたね。すぐ避けますんで、ちょいと待ってくださいよ」
そう言うなりゴロゴロ転がって離れた尻は、アルーシャと同じく縄で拘束された金髪の男のものだった。
会話の内容から予想していたが、やはり一瞬見えた顔にも見覚えはない。
アルーシャの匂いがキツいというのは仕方がないので、男が再び背を向けた事も、アルーシャは咎める気はなかった。
「それで、今はどういった状況か、教えてくれないかしら?私は王宮の外で馬車に乗っていたところを襲撃されて、ずっと気を失っていたのよ」
「さあな。正直、俺もワケがわかんねえんだよ。仕事でナソドに来たんだが、怪我しちまって宿で寝てたんだ。で、治ったから気晴らしに散歩してたら、妙に急いで出ようとする船があってよ。怪しいからよく見たら、そいつら、俺の船を勝手に動かそうとしてやがった。すぐに警備兵んところに行こうと思ったんだが、見つかっちまって、この通り捕まっちまったってわけだ」
「貴方の船なのね。それで、西と東、どちらの川にとめていたの?」
「東だ。俺はオガノ公国の人間だが、エーサリオで商人をしてる。テュボラ島わかるか?コパルの近くにある島。あそこを拠点に商いをしてんだ。それとな、今はまだ、アンタがいうとおり、川の上だと思うぜ。ナソドの王都を出てから、1日も経ってないからな」
「何故私の事を知っていたの?」
「船を盗んだ奴らが言ってたのを聞いたんだよ。このままナソドを経由して、ガドマニ辺りでアンタを売っ払うらしいぜ。垂れ流し女を献上はできないんだってよ。訛ってたし、やる事もコレだから、コパルの奴らで間違いないと思うが……無謀だよなあ……」
一国の側室を誘拐して他国に逃れる事も、川を行き来する大きさの船で大海へ出ようとする事も、盗んだ船でその船籍がある商人の国オガノ公国へ難なく入れると思う事も、その後更に遠く南東にある国へ向かう事も、どれをとっても無謀である。
各国の領土領海には、神殿が張っている犯罪防止用の警備結界があるので、それを越えた時点で警備隊と神官が飛んでくる。
神官は竜族なので、文字通り空を飛んで来るため、逃れることなどまず不可能だし、試そうとするものはいないはずだ。
コパルのアレな人々以外は。
「オガノへ行くなら、シャーレス公爵領を通るわね。あそこの神殿も警備兵も慣れているでしょうから、心配はいわないわ」
「やっぱりナソドも、コパルには苦労させられてんだな……」
「苦労というより、面倒なのよ、色々と」
「ああ……確かに。話、通じねえもんな……」
かの国は独特の思想の元、神殿も神都も神竜も、何なら冥府まで否定しているので、何度も同じ結界に引っ掛かって各国をウンザリさせていた
彼らの言動を分かりやすく言うならば、青い海を見て『海が青いはずがない。海は桃色のはずだ』と叫んでいるような状態である。
見方を変えるとか、裏を返すとか、そういう問題ではないのだ。
そんな風で、国際的な決まりや種族間のルールを破ってくるので、建国から200年近く経つのに海賊国家と呼ばれ続けている。
世代交代するごとにマシになってきてはいるが、それでも賊呼ばわりが消えないレベルだ。
「楽観的過ぎる計画だけれど……何か引っかかるわね。ねえ貴方、結界をすりぬける裏技があると聞いたことはない?」
「生憎、俺はまっとうな商売してますんでね。後ろめたい裏情報とは無縁なんですよ。ってか、そんなのあったら間違いなく禁呪でしょうが。神殿どころか神都が腰上げますよ」
「我が国ナソドは、常々コパルに消滅してほしいと思っているわ」
「コパルの奴らに占拠されてる船で堂々とそう言うのやめてくれませんかね?」
「あら貴方、私と同じ仕打ちをされても同じことが言える?そこの臭い壺じゃなくてズボンのまま全て出したら、同じ気持ちになれると思うわ」
「失礼しました。流石に遠慮させてもらいますよ。……しかし、側室様は、何でその状況で全然恥じらわないンすか?」
「ウリオス殿下がお好きなのよ。相手を辱めて興奮なさるの」
「嘘だろ!?」
「ええ、嘘よ。王族の性癖を軽々しく口にするわけないし、引っかけにしては簡単すぎたかしら」
「……ナソドには不敬罪ってなかったでしたっけ?」
「勿論あるわ。でも、こんな状態にされたのだから、多少の暴言は許させるわ」
「……そうッスか。いや、でも恥じらわない理由には……」
「恥じらって清潔になるのなら、いくらだって恥じらうわよ」
「いや、そうじゃなくて……うん、もういいや。ところで、そろそろ、ちゃんと名前教えてくれませんかねえ?じゃないと俺も名乗れないんですよ」
「我が国は、公式の場以外で身分の上下による名乗りの決まりはないわよ。嫌いな相手は別だけれど」
「自分がその嫌いな相手だったら後が恐いからお願いしてるんですよ。本当、ダルレシオ大陸の習慣って他の大陸の常識とズレてる……」
「ナソドは北の国々よりは人間寄りよ。それで、貴方の名前は?」
「デュード=ナッシャル。ナッシャル商人組合の下っ端商人をしてます。お目にかかれて光栄ですよ、ウリオス殿下の側室、アルーシャ様。と言っても、船を盗んだ奴らが言ってたからお名前知ってるだけなんで、どこのお家のお嬢様かは、存じませんがね」
「そう。デュードね。私はアルーシャ=クアラスよ。家名はコパルの人間を刺激してしまうから、名前で呼んでくれるかしら?」
「光栄ですよ、アルーシャ様」
光栄と言うわりに、こちらを振り向く気配は全くないし、何なら肩口に口元を付けて匂いを防いでいるデュードに、アルーシャはフッと小さく笑みを零す。
アルーシャと同時に目覚めた盗賊と漁師のオッサン二人が、流石に同情して代わろうかと聞いてきたが、彼女は無言でそれを断った。
正直スカートの中も匂いも不快だが、この状況でいるかぎり、少しだけ純潔の安全が増す。
別の、失っちゃいけないものを失っている自覚は大いにあるが、流れる時を巻き戻すことはできない。
口封じのためには、このデュードと彼が所属する商会を抱き込まなくてはならない。
クアラス伯爵家だけでは経済的に難しいが、この件は王子の失敗なので、大丈夫だろう。
運が悪いようで豪運を引き寄せている男に、少しだけ興味を惹かれつつ、アルーシャは鼻腔を刺激し続ける自らの匂いに顔を顰めて瞼を伏せた。




