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22話 顔もボディーも狙っちゃうぞ

ハンカチで眉を拭う王子と、胸元から出した眼鏡をかけるロウフェイルトを待っていると、隣のイルフェンが大きなため息をつく。

彼がどこまで知ってやっていたのかは知らないが、明らかに護衛以外の仕事もしている彼に同情心が湧き上がる。

そろそろ倒れるんじゃないかと少しだけ心配していると、イルフェンは王子達に聞こえのも気にせずアルーシャに話しかけ始めた。



「やはりアルーシャ様は気づかれてましたか」

「ええ。ロウフェイルト様のやる気がない変装のおかげです」


「ロウフェイルトは、眼鏡がないと分からない人が意外と多いのですよ?」

「見間違える方は、目が悪いのではないかしら?あの迷わず他人を切り捨てそうな目が変わっているなら間違えるでしょうけれど」

「おやおや酷い言い草ですね。まるで私が冷酷な人間のようではありませんか」

「外れてはいまい。ロウフェイルトは、割と容赦がない。それが目によく表れている」


「同感です。アルーシャ様は、人をよく見ておいでですね」

「あまり知りたくはありませんでしたわ。その点、殿下は人に紛れるのがお上手ですね。ロウフェイルト様がいなければ、視界にも入らなかったかもしれません」

「殿下の御身は最優先ですので、そのようにして逃げる訓練もしておられます」

「それを台無しにしてくれるお前に言われても、複雑だぞ」



あっさりと会話に参加し、労いあうような雰囲気を出す王子に、アルーシャの笑みが深くなる。

こちらはろくな説明もなく引っ張り出され、眠る時間も削られているというのに、目の前で元凶が一仕事終えた顔をしているのだ。

拳を握りしめたくもなる。



「では、お二人とも、お疲れかとは思いますが、今回協力した報酬に、私から一つだけおねだりをしてもよろしいでしょうか?」

「む?……そうだな。今回はそなたにも働いてもらったのだから、当然だ。で、何が良い?ドレスか、宝石か……ああ、そなたは確か酒好きであったな。何でも良いぞ。遠慮なく申してみよ」


「まあ嬉しい!では殿下、殿下とロウフェイルト様を軽く5~6発ほど殴らせてくださいまし」

「む?」


「非力な女の力ですから、手加減はいたしませんよ?では、参ります」

「待……っ!?」


待てと王子が言う前に、アルーシャは彼の脇腹に拳を叩き込んだ。

流石、温室育ちの坊ちゃんとは違い、王子は一瞬顔を顰めるが堪えて見せる。

ならば本当に容赦せずとも良いと判断して、静止しようと上げられた王子の右腕をすり抜け、その肩に体重を乗せた拳をぶつける。

痛みに顔をゆがめた王子に、僅かな達成感を得たのは一瞬。

彼が左手で肩をかばおうとして身を屈めるのに合わせ、アルーシャは彼の襟首を掴むとその体を引き寄せ、目を見開く王子の額に自分の額をぶつけた。

たまらずアルーシャの手を振り払い1歩後ずさった王子に、アルーシャは勝利を確信するとスカートをまくり上げ、足が見えるのも構わず彼の腹に蹴りを入れる。

追い打ちを想定していなかったのか、王子は痛みと驚きに目を見開き、体勢を崩して床に尻もちをついた。

そんな彼の無防備な足を、アルーシャは一度強く踏みつけるが、頑丈な騎士の靴を履いているせいか、思ったような手ごたえがない。

これでは足りないと判断し、再びスカートをまくって足を上げた彼女は、中が見えて唖然とする王子を無視して、思いっきりその足を踏みつけた。


容赦ない攻撃を受けた足を抱えて、王子が声にならない悲鳴を上げながら床に転がる。

出来れば最後に1発顔面を殴りたかったが、王子の背中に土埃を付けられたので良しとすることにした。


次の獲物に目をやれば、彼は転がる王子を唖然と眺め、アルーシャに本気か問うような視線を向ける。

ここで引くわけがないだろうと視線で答え、諦めた顔のロウフェイルトに1歩近づいたアルーシャは、しかし既に攻撃に備えているロウフェイルトの様子に内心で大きく舌打ちした。

元々の鍛え方が王子とは違うせいもあるだろうが、今のロウフェイルトに王子に対するのと同じ攻撃をしても、殆どの力が流されてダメージはないだろう。

ごく自然に王子を人身御供にしている補佐官に、やはりこいつの顔も痛みで歪ませてやりたいとアルーシャは思う。


「ご期待のところ申し訳ありませんが、私はそこそこ鍛えておりますので、あまり強く殴られては、アルーシャ様の方が怪我をなさるかと……」

「そう……」


なら、あまり鍛えられない所を狙えば良い。

そう考えるアルーシャの視線は、自然とロウフェイルトの急所へ向かう。

それまで余裕だったロウフェイルトの顔が、気づくと同時に焦ったものに変わり、その変化にアルーシャの口の端が吊り上がった。


片足を半歩下げ、腰を落として構えると、一気に顔色が悪くなったロウフェイルトの腰が引ける。

何故逃げるのかと視線で咎めるアルーシャに、ロウフェイルトが首を必死に横に振って抵抗した瞬間、彼の左頬にアルーシャの掌が叩き込まれた。

予想外の一撃に姿勢を崩しかけたロウフェイルトの右頬に、今度はアルーシャの手の甲が叩きつけられる。

左右の頬を張られたのだと理解すると同時に、再び左頬を引っぱたかれ、また右頬を叩かれて、脳が揺れて少しだけ眩暈がした。


空気が破裂するような良い音が、暗い通路に響くこと6回。

すっきりとまでは行かないが、ある程度腹の虫が治まったアルーシャの前には、両頬を赤く腫れさせ始めたロウフェイルトが疲れた顔で立っていた。


衝撃から立ち直った王子は、往復ビンタを食らった側近を心配そうに見ると、アルーシャを上から下までまじまじ見てくる。

その視線に、彼女は少し恥ずかしそうな顔を作るとそっと服の埃を払い、儚げに微笑んでみせた。



「では、殿下、此度の褒美、確かに受け取らせていただきました」

「私は良いとは一言も……いや、何でも良いと言ったな。だが、もし事が露見すれば、そなたもただでは済まぬぞ?」


「あら、殿下は先ほど、『何かあれば、我々も全力でアルーシャ様をお守りします』と仰ってくださいましたわ」

「それはこの通路の探索についてだ。私に暴行を加えた事まで守るなどとは言っていない」


「殿下、勝手に側近を連れて通路を探検して転んだだけの傷を、私のせいにするなんて……そのような幼稚な真似、殿下はなさいませんでしょう?」

「私の体ばかり狙ったのは、それが理由か。月の妖精などと、嘘ではないか……なんだあの喧嘩キックは」


「皆様、よく、そのうように私を褒めてくださいます。……私、そのような大層なものではありませんのに」

「まったくだな。噂など信じるものではなかった……クアラス家に……セルダンの妹に夢など見た私が愚かだったのだ」



ため息をついて項垂れる王子に、アルーシャは鼻で笑いそうになりながら、儚い笑みを作り続ける。

ロウフェイルトの頬がどんどん腫れていくのを視界の端に見ながら、リスみたいにならないかなと期待した。

ポリポリという小さな音が近くから聞こえて、今度はなんだと振り返れば、イルフェンが隠し持っていたらしい焼き菓子のようなものをこっそり食べている。

食事をとれていないのかもしれないと思い、イルフェンの事は見なかったことにすると、アルーシャは再び王子に視線を戻した。



「殿下ったら、我が家にいったいどのような愉快な夢をお望みなのですか?」

「お前たちの愉快は周りの地獄だ。歴代の逸話がそれを証明していよう。セルダンが学園で起こした騒ぎの数々、収めたのは私だぞ。決して忘れてなるものか!」


「殿下、殿下の側室は兄ではなく私です。どうか、私自身を見てくださいまし」

「そなた、説得にかこつけて恐ろしい想像をさせようとしているだろう?それに、そなた自身をみたところで……なぜその中身なのだ!外見は完璧に私の好みだったのに、中身が完全なクアラス家の人間とは……」


「ご安心くださいませ。見目が麗しく、中身もクアラス家の人間らしくあれば、我が家の人間としては完璧でございます」

「確かにある意味で完璧であるが、どの辺りに安心する要素があるのだ?……そなたが、私が勝手に想像していた性格ではない事は、よくわかった。だが、腹の内を見せおらぬ事も、分かる。もう少し話し合う必要がありそうだが、今日はもう遅い。部屋に戻り、休むが良い。後日、時間をとり、尋ねるとしよう」


「…………そんな、お忙しい殿下のお時間をいただくなど、とんでもございません」

「なるほど。今なら、それが来なくて良いという意味だとわかるぞ。セルダンもそうであったわ」


「まあ、そのような……」

「戸惑うふりはしても、否定はしないのだな。なるほど……」



深夜の訪問でのアルーシャの態度を思い出したのだろう、王子は顔を覆うと深い深いため息をつく。

王子もロウフェイルトも殴れたし、王子が来訪拒否も理解してくれたので帰ろうかとアルーシャが思っていると、お菓子を食べ終わったイルフェンが手をとってきた。



「では、アルーシャ様、お仕事は終わりましたので、そろそろお部屋へ戻りましょう。殿下とロウフェイルトは、変装を解いてから来るでしょうから」

「ありがとうございます、イルフェン様。では、殿下、ロウフェイルト様、私は先に失礼させていただきますね。お休みなさいませ」



どうせここに残っても建設的な話などでないので、アルーシャは二人に断りを入れるとイルフェンに手を引かれながらその場を後にする。

ロウフェイルトの頬がどれだけ腫れあがるか見届けたい気持ちもあったが、疲労の中で激しい運動をしたアルーシャの体力はそろそろ限界だった。

たとえ道端に座り込んでも、イルフェンが責任をもって部屋に運んでくれるだろうが、同じく疲労しているのが分かる彼にそれをさせるのは流石に良心が痛む。


会話する気力や体力がないアルーシャに、イルフェンも話しかける事はせず、長い隠し通路を黙って進む。

夜が更けているからか、行きで見かけた騎士達の姿は大分減っていたが、キュリアの部屋に戻ると彼らはそこで休憩をしていた。


そこで待っていたポルキア副団長に、王子が見つからなかった事と、アルーシャの体力が限界のため部屋に戻ることを伝えると、どこまで知っているのか彼はあっさり了承して二人を送り出す。

王子には来なくて良いと意思表示したが、長兄までこの騒ぎに関わっている以上、やはり詳しく聞くべきかもしれない。

イルフェンに、人目に知れても問題ない形で王子と話したいと頼むと、彼はしっかり言い聞かせておくと答えてくれた。

彼は王子の幼馴染みでもあるので、期待して良……いや、いい年をして女装して後宮に入っているので、どうだろうか?


ちょっとマトモな姿を目にすることが増えて忘れていたが、イルフェンもけっこう変な人だったと思い出して、アルーシャは少しだけ不安になる。

けれど、現状多分、ロウフェイルトよりマトモそうではあるので、彼にお願いするのが得策なのだろう。そう思うことにした。


無事イルフェンに部屋まで送り届けられたアルーシャは、待っていたエリスに着替えを手伝ってもらうと寝室に入る。

やっと眠れる。明日は昼までゆっくり寝ようとベッドへ行けば、そこにはど真ん中で大の字になって眠るキュリアがいた。


そういえばコイツがいたな、とか。人のベッドでこの寝方はないだろうとか。そもそも持ち主の断りもなくベッドを使っていたんだよなとか。

ぼうっとする頭でいろいろと考えながらキュリアの寝顔を眺めたアルーシャは、彼女の気持ちよさそうな寝息にイラッとする。


キュリアの体を丁寧に避けて、布団をかけて寝る体力などもはやアルーシャにない。

けれど、そのまま彼女に快適な寝床を譲るのも腹が立つので、アルーシャは熟睡するキュリアから布団と枕を奪い取るとソファに新たな寝床を作った。

キュリアが何やらモゾついていたが、知ったことではない。

少し狭い寝床に大きなため息をつくと、アルーシャは深い眠りの中に落ちていった。



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