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20話 人の部屋で寛ぎすぎ

「普通これは王子の役目でしょう……」



ようやく一人になれた自室のトイレに座ったまま、アルーシャは頭を抱えてつぶやいた。

ドアの向こうからは、キュリアが呼ぶ声とそれを止める彼女の侍女の声が聞こえてきて、落ち着いて出すものも出せない。

医師が言うには、キュリアは恐怖のあまり一時的に幼児退行しているのだろうとの事だ。

数日で元に戻るので、労ってほしいと言われた。


それはかまわないのだが、トイレの中までついてこようとするのはちょっと困る。

先ほど入った風呂も一緒に入るハメになったし、髪を乾かす時もずっと手を握られていた。

離れて泣くだけなら無視して別室に送り出すのだが、発見した時のように大泣きして飛びついてくるので、無理に引き離せない。


物語では、こういう役目は王子の役目のはずなのに、何故同じ男を跨ぐ役職のアルーシャが縋りつかれているのか。

いや、普通、男の風呂にまではついていけないので、これで正しいのだろうか。それとも、王子と側室の関係だから普通にアリなのだろうか。


何でもいいが、キュリアが元に戻るまでどれだけかかるのだろうと考えると、抑えようとしてもため息がでてしまう。

今日はもう彼女が寝るのを待つだけだと自分に言い聞かせ、アルーシャは気合いを入れて出すものを出す。

だが、ドアの向こうの呼ぶ声のせいで、身なりを整えるのについ時間をかけてしまいたくなる。

せめてトイレの時ぐらい、隣の部屋まで引き離してくれないだろうかとキュリアの侍女を内心で恨みつつ、アルーシャはドレスの裾を整えた。


姿見で確認し、すっかりと手形が消えた腕をそっと摩る。

流石、王子が労いとして贈ってくれた回復薬は、効果が確かだった。


薬と共に渡された手紙には、今夜庭から訪れるとのメモが入っていて、アルーシャを密かに苛立たせた。

前もって言ってくれた点は良いが、そもそも夜中に庭から来ないでほしいという初歩的な事をどうして察せられないのか。

もしやあの王子、夜中の訪問でこれまで一度もアルーシャから歓迎されていないことに、気づいていないのだろうか。


経験上、彼の夜中の訪問に大した用件はないので、今日のように疲れている日は来ないでほしいとアルーシャは思う。

しかも、今日はキュリアが部屋にいるのだ。

時刻は普通の人が眠り始める頃。アルーシャの場合は酒を飲み始める時間なのだが、キュリアに帰る気配は全くない。

それどころか、彼女は完全にアルーシャの部屋に泊まる気なようで、大量の夕食を食べ終わると当然のように寝巻きに着替えていた。


一応ここは王子の後宮で、色々規則もあるのだが、キュリアの頭からは完全にそれらが抜け落ちているらしい。

それどころか、キュリアの侍女まで、主を思うあまり色々とやらかしている。

恐らく彼女達は、主が寝てからアルーシャの侍女に嫌味と苦情を言われるだろう。



色々と考えながら、しかしそろそろトイレから出るべきかと思い出したアルーシャは、ふとキュリアの声が聞こえないことに気が付いた。

あの様子だ。諦めるなんて事はなさそうだが、何をするか分からない怖さも少しある。

再度の襲撃に備え、慎重にドアを開けたアルーシャは、静かな応接間に耳を澄ませ、ドアの反対側にある窓辺に控えていたシエラを見つけた。



「アルーシャ様、ここには私しかおりません。ご安心くださいませ」

「シエラ……彼女は?」


「……寝室で、お休みでいらっしゃいます。申し訳ございません」

「ああ……そう。わかったわ。貴方のせいじゃないから、気にしないで。どうもありがとう。私も休むわね」


「おやすみなさいませ」

「おやすみシエラ。そちらは、程ほどにね」


「善処いたします」

「分かっていると思うけど、よその家の侍女よ。いいわね?」


「胸に刻んでおきます」

「頼りにしてるわ」



この騒ぎに加えて、他家と揉める事は避けたい。

見て分かるほど静かに怒っているシエラに、妥当な苦情で留めるよう念を押すと、アルーシャは寝室へ入った。


キュリアは既に休んでいるようで、部屋の灯りは落とされている。

応接テーブルの上に、シエラが用意してくれた灯りと酒、それとつまみを見つけたアルーシャは、ちらりと壁の時計を見る。


今までの王子の訪問時間は、凡そ30分〜1時間後だ。

それまでの間、せいぜい酒でストレスを発散しておこうと考えながら、アルーシャは念のためベッドの中を確認する。


天蓋付きのベッドだが、カーテンは閉められていない。

枕の上に見える黒髪と静かに上下する布団に、もうキュリアは寝ているのだろうと中を覗くと、彼女は人様のベッドの真ん中で、大の字になって寝息を立てていた。


いくら疲れているとはいえ、他人のベッドを占領するその寝姿はどうなのか。

もしシエラがこれを目にしていたのなら……なるほど。確かにあれだけ怒っていたのも納得だ。

しかし、既にあちらに侍女に怒りすぎないよう注意した後だ。

明日、直接キュリアに注意しておこうと考えると、アルーシャは早くも乱れている布団を直してやる。

果たして、今夜自分が寝るスーペースは確保できるのだろうかと少し不安になったが、寝る時に考えることにした。


何はともあれ、今は王子の訪問を待とうと、アルーシャは晩酌セットを手にテラスのテーブルへ移動する。

今夜もどこか落ち着かない後宮の空気を感じながら、アルーシャは早速瓶の封をきると薄緑色の酒をグラスに注ぐ。


今日は緑色の果実にハーブを加えた果実酒らしい。

ほんのりとした甘さにすっきりとした酸味を感じながら飲み込むと、滋養によさそうなハーブの香りが鼻に抜けていく。

つまみも、疲労回復や体温上昇の効果があるハーブが混じったサラダに、アルーシャが好きな魚の塩漬けが添えられていた。


自分の侍女たちの気遣いに深く感謝しながら、アルーシャは魚の塩漬けを口に入れると、グラスの酒も併せて口に入れる。


行儀が悪いし、今世では過去1度しかやらなかった食べ方だが、アルーシャの中の漁師のオッサンが今日だけだからと背中を押してくれる。

本当は果実酒ではなく外国産の穀物の酒を使うし、塩漬けではなく獲れたての生の魚に塩を載せるのだが、酒は酒だし魚は魚だ。


漁師のオッサンの記憶にある味とは大分違うが、それでも口の中に広がる魚の旨味と、飲み込んでから体に染みわたる酒精に、アルーシャはぎゅっと目を閉じて満足げな息を吐いた。

だが、ふと、こういう時こそ、王子達が来てつまみと酒を奪われる可能性が高いと気づいて、アルーシャは慌てて庭を見回す。


奴らがいつも現れる庭の茂みに目をこらし、耳を澄ませて足音を探すが、幸い彼らはまだ来ていないようだった。

むしろ、このままずっと来ないで、そっとしておいてほしいと思いながら、アルーシャはグラスに酒を入れる。

王子の姿をキュリアに見られなければ良いのだが……と少し心配になりながら、アルーシャはちびちび酒を楽しんだ。










「遅いわねぇ……」



酔わないよう時間をかけて飲んでいた酒が瓶の半分になる頃。

庭で待ちぼうけを食らっていたアルーシャは小さく呟いて、最後の魚の切り身を口に入れる。

彼女が庭に出てから1時間は経っているのだが、王子も、その他の百鬼夜行面メンバーも来ていない。


隠し通路で側室が遭難する騒ぎが起きたのだ。

後宮どころか王宮全体での警備に見直しは必要だし、これ以上話を内密にはできないのだろう。

その関係で、急な会議や仕事で忙殺されている可能性は十分あるので、秘密の来訪予定まで連絡ができなくても仕方ない事だった。


今日の疲れもあって少しだけ眠気を感じていたアルーシャは、グラスの中を空にすると部屋に戻ることにした。

結果として無駄に待たされはしたが、一人の時間をゆっくり持てたので、今回だけは王子の誘いに少しだけ感謝する。

そこでふと、王子が来て感謝したことが一度もない事に気が付いてしまい、アルーシャは片付けの手を止める。

だが、これから休もうという時に余計な考え事はやめようと切り替えて、晩酌セットが乗った盆を持った。


寝室に戻ろうと振り向いたところで、視界にあるはずがないものが映る。

それが庭に見えたなら、気づかないふりをして寝室に戻るのだが、あいにくそれが見えたのはアルーシャの部屋の中だ。


丁度応接間と寝室のドアのところ。

小さな明かりを手に立っているのは、侍女のエリスと長兄ヴァイツァー、それに近衛騎士のイルフェンだった。

3人とも一見すると笑顔で、アルーシャは不思議に思いながら暗闇で目をこらし、そこにある本当の空気に気づいて腹の底が一気に冷たくなる。


3人はアルーシャを待っていたわけではなく、訪れたタイミングとアルーシャが振り向いたタイミングが重なっただけのようだが、このおそろしげな雰囲気は何なのか。

目が笑ってない笑顔の侍女エリスは、夜中に男性が訪ねてくる無礼による怒りだと理解できる。

だが、普段表情が乏しい長兄ヴァイツァーは、優しい笑みを浮かべて怒髪天状態になっているし、近衛騎士イルフェンは疲れ切った顔に人形のような作り笑いを張り付けていた。


全く身に覚えがないアルーシャは、彼らの元に行きたくなくて仕方がなかったが、間違ってベッドにいるキュリアを起こされては厄介だ。

本当に、自分に対する扱いは側室へのそれではないと思いながら、アルーシャはお盆を手にテラスのドアを開く。

灯りを持つエリスに代わり、お盆を受け取ってくれたヴァイツァーに目で礼を言うと、アルーシャはベッドのキュリアを指で示し、無言のまま3人を応接間に促した。



「片付けは後でいいから、エリスは傍に控えていてちょうだい。それで、こんな夜中に騎士が二人、一体何の急用かしら?」

「アルーシャ様は、本当に話が早くて助かります」

「王子が補佐官と共に行方不明になった。昼間の第5側室捜索の成果から、お前に捜索協力をしてほしいと騎士団からの要請だ」


「ロウフェイルト様まで……。指揮はどなたが?」

「第1騎士団の団長がとっています。近衛騎士団長は、陛下と共に他国の使者との会議が長引いておりますので」

「うちの団長は効率重視だ。お前の事情も知っている。王妃殿下からも、正妃になる可能性がなければ、現場に連れ出しても問題なしと判断がされた」


「では、既に陛下はお二人の行方が知れない事はご存じなのですね。私はなにをすれば?」

「お二人は、キュリア様が遭難された通路に入った事が確認されていますが、道は恐らく城下まで伸びており、今の騎士の数では捜索が進みません」

「団長と妃殿下は、お前の転生者としての力に期待しているらしい。……誰に何を吹き込まれたのやら」


「また一緒に探せということね。でも、盗賊と漁師の記憶が役に立つのかしら?」

「妃殿下の………ん?盗……盗賊?え?」

「少なくとも、普通の令嬢よりは根性が座っている。やれと言ったのも、責任をとるのも向こうだ。程々に、好きにやってしまえ」



アルーシャの口から出た盗賊という言葉に、イルフェンが戸惑っているが、会話を止めて説明してくれる優しさを持った人間はここにはいなかった。

現在の一般常識では、転生者の過去世の記憶は、本人が口にしない限り他人が詮索しない。

一瞬呆けたイルフェンだったが、すぐにそれを思い出すと、軽く咳払いして居住まいを正した。


それを横目で確認したアルーシャは、彼が盗賊という言葉に反応した理由が、月の妖精の過去だからか、彼が騎士だからなのか少し気になった。

が、今は細事にかまけて楽しむ状況ではないので、そのうち、覚えていたら聞く事にしてヴァイツァーとの会話に意識を戻す。


言葉の内容から想像はついていたが、長兄は団長達に対してかなり怒っているようだ。

実際、こんな案件を立て続けに側室に持ってきたら、普通は速攻で実家に帰って王家に猛抗議されている。

アルーシャの性格だから、『仕方ないから手伝ってやる』と腰を上げているだけの事。

兄であるヴァイツァーが怒髪天になるのも、侍女が能面状態になるのも当たり前だった。


元々取扱注意なクアラス家だが、最近は割と温厚な人間が多かったせいで色々忘れられているのかもしれない。

ちょっとここら辺でハッスルして思い出させてあげた方が良のだろうか。

いや、まずは実家からの抗議をして、正式な手順を踏んだという証拠を作った方が良いだろう。

運がよければ、明日の朝辺りに父か次兄が王宮に抗議をしに来てくれるだろう。

ハッスルするのは、その後の方が良い。


それはそれで良しとして、二人の話を聞く限り、王子とロウフェイルトは自ら消息を絶ったように思える。

何か目的があって通路に入ったのではと思うアルーシャだが、それは捜索している騎士団だって考えただろう。

それでいて、側室のアルーシャに捜索の助けを求めた経緯が、彼女には見当がつかなかった。


考えられるのは、ヴァイツァーが言った転生者としての力だが、荒くれオヤジ二人の記憶をどう役立てろというのだろう。

王子の部屋で略奪行為でもすれば良いのだろうか?いや、それは捜索に関係なかった。



「……わかったわ。けれど、困ったわね。私の過去世は山賊寄りの盗賊だったから、どこかに盗みに入るタイプじゃないのよ。隠し通路のヒントになる記憶なんてないわ」

「……………」

「期待されているのは、過去の技能ではなく、『ふらぐ』というものらしい」


「……フグ?魚をさばくの?」

「いえ、アルーシャ様、『ふらぐ』です。私もよくは分かりませんが、一定の条件下の行動によって起こる、その後の出来事の発動条件を満たす行動……とか、何とか……」

「俺もわからん。お前ならば分かると言われたが、その様子では違うようだな。しかし、そうだったとしても、お前を連れてくれば良いと言われた」


「なんだか、別の転生者の知識と一緒くたにされてる気がするけど……とりあえず、わかったわ。一緒に行きましょう」

「感謝いたします」

「では、さっさと終わらせるぞ。家には先ほど使いをやった。明日の朝には王家へ抗議が行くはずだ」



では、もしかすると父と面会できるかもしれないと思いながら、アルーシャは席を立つ。

割と常識人な父の抗議なら、そうおかしな事にはならず、適度な待遇改善が行われるだろう。

とりあえず、今は早く王子を見つけるか、『ふらぐ』とかいう何かをして、早く寝たい。


シエラに留守を任せると、アルーシャは兄とイルフェンに挟まれながら部屋を後にする。

静かだが、いたる所に灯りがともされた後宮は、夜闇の中で息と気配を抑える騎士ばかりで、後宮ではなく騎士団の詰め所のようだった。







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