19話 キュリア捜索
頭から行けば死ぬ。
その言葉が思い浮かび、アルーシャは倒れこんだ勢いのまま咄嗟に前転する。
中は緩やかな傾斜になっている上に、ドレスだったのでうまく回れずに布団子状態になった。
背中と頭が少し痛かったが、それより傾斜の先にあった壁に強打した腰の方が痛い。
暗闇の中、逆さまの状態で止まったアルーシャは、ドレスの布の中で痛みに顔を顰めているところをロウフェイルトに助け出される。
尻がすーすーしていたので、パンツは丸見えだったと思うが、何も言われなかったのでアルーシャは気付かないフリをした。
下着が見えたかどうかなんて、聞けるわけが無い。
一体どう問えというのか。
「アルーシャ様、お怪我はありませんか?」
「ええ、少し腰が痛みますが、大したことはないでしょう。助けていただいて、どうもありがとうごうざいます、ロウフェイルト様」
「……そうですか。いえ、大事なければそれで良いのですが、もし痛みが増すようであれば、仰ってください」
「わかりました。それにしても、咄嗟だったでしょうに、明かりを持っていらっしゃるなんて、流石ロウフェイルト様ですね」
「ありがとうございます。ですが、入り口を抑えるのを忘れて閉じ込められてしました。間抜けな話です」
苦笑を作って閉じた入り口を示すロウフェイルトに、アルーシャは曖昧な笑みを返す。
彼が言う通り、通路の入り口はロウフェイルトが入ると同時に閉じてしまい、彼が持つ蝋燭以外に灯りはなかった。
ロウフェイルトが持つ小さな明かりを頼りに調べてみるが、この入り口は内側から開く様子が無い。
壁となった入り口の向こうから騎士達の声が聞こえるが、当の入り口はうんともすんとも言わない。
こちらから、入り口である柱を叩き、大きな声で呼んでみたが、室内の騎士達には聞こえないようだ。
何かしら、音を遮る加工をしているようだ。
もしかすると、一度入り口が開くと、一定時間は開かなくなる細工もしてあるのかもしれない。
「ロウフェイルト様、せっかくですから、ここにキュリア様の痕跡がないか探しませんか?」
「アルーシャ様がよろしいのでしたら、是非そうさせてください」
「では、まず入り口の足跡は……ごめんなさい、私のせいで、判別ができませんね」
「それは仕方がありません。どうぞ、お気になさらず。さあ、先に進みましょう」
二人が踏み荒らした足跡を見て諦め、アルーシャが転んでいた辺りへ戻ると、二人は床を明かりで照らす。
土がついた靴跡ではなく、埃の上を歩いた跡を探すため少し難儀したが、そこには確かに最近人が歩いた跡があった。
壁に沿って進む足跡に、アルーシャは自分の足を並べて大きさを確認する。
キュリアの足の大きさは知らないが、足跡はアルーシャの足と殆ど変わらず、女性か少年のものだと判断できた。
「ここで当たりかもしれませんね。アルーシャ様、キュリア様はこの先にいる可能性が高い。さあ、先へ参りましょう」
「……ええ。キュリア様が無事見つかるよう、願いましょう」
何となく、通路を進もうとするロウフェイルトの声が楽しそうに聞こえて、アルーシャは一瞬視線をやるが、暗闇のせいで上手く表情は読めなかった。
楽しくなっていようと、どうせ『隠し通路探検』で男のロマンが疼くとかそんなもんだろうと、アルーシャは気にせず足跡を見る。
キュリアは随分怯えて動き回ったらしく、足跡の動きは滅茶苦茶だ。
しかも、通路は緩やかに地下へ向かっているため、ひんやりとしている上に、脇道が多い。
夜、灯りも無いまま迷い込んでしまったキュリアの混乱ぶりは、その足跡が教えてくれた。
足跡を追って10分ほど歩いていると、アルーシャ達を追った騎士達が追いついてきた。
彼らも床の足跡を追ったらしく、キュリアがこの通路にいる可能性が大きいと理解していた。
増援するべきだが、この通路がどこへ通じているか不明なため、部屋を調べていた騎士と、王子付の近衛を数人呼ぶくらいしかできないらしい。
これだけ長い通路だ。途中の行き止まりだと思っていた場所が、他の側室の部屋や王族の部屋に繋がっている可能性がある。
つまり、人が足りないので、悪いがアルーシャも手伝えという事だ。
こちらは王子の側近ロウフェイルトと、すでに通路の奥まで来ちゃってる側室様だ。
手伝わせても、問題あるが問題が無い人間なのだろう。
中途半端にして帰る気になれなかったので、アルーシャは二つ返事で捜索の手伝いを引き受けた。
決め手は追ってきた騎士の中に、長兄ヴァイツァーがいたからだが、彼はアルーシャと目を合わせようとはしてくれなかった。
おそらく、帰り道の足にされるのを察したのだろう。それでも、近衛騎士に混じってきてくれたということは、アルーシャの事を心配してくれたのだと思う。
いや、正確にはアルーシャが何かするか心配したのだろうか。
一瞬考えたアルーシャだったが、広義ではアルーシャを心配したと判断して間違いないので、良しとすることにした。
騎士達が持ってきた魔法照明で照らしながら、一行は足跡を辿る。
キュリアが見つかったのは、それから更に15分後だった。
可哀想に、彼女は細い通路の端に蹲って眠っていた。いや、気を失っていたのだろうか?
ピーピー鼻を鳴らしていたので、寝ていた……のかもしれない。
ぱっちりとしていた瞼は腫れていて、可愛らしかったお顔は涙と鼻水の跡、それに埃で酷い有様だった。
怪我をしている様子は見られなかったが、夜着とガウンだけの体はとても冷えている。
他の者への伝令と、医師を呼ぶために騎士が走って行くと、その音でキュリアが目を覚ました。
「……っ……」
「あら、キュリア様、目が覚められましたか?」
「……ア…ルーシャ……様……?」
「ええ、アルーシャです。殿下の御命令で、ロウフェイルト様た……」
「うぇええええぇぇぇん!」
「ヂョヴァァア!?」
「ぬん!」
「アハハハハハ!……っと、違った。ヴァイツァー殿、キュリア様を離してください」
寝ぼけたように視線を向けてきたかと思ったら、叫びながら飛びかかってきたキュリアに、アルーシャは驚きの声を上げ、いつの間にか背後にいたヴァイツァーがキュリアの胸倉を掴み上げる。
その様子を、一人場違いに指さして笑ったロウフェイルトは、すぐに我に返ると慌ててヴァイツァーを抑えた。
今、この男は笑ったのかと目を見開いてロウフェイルトを振り向いたアルーシャは、しかしすぐに開放されたキュリアに再び飛びかかられて、ヴァイツァーの体に背中をぶつける。
女性二人がぶつかっても全くよろめかず、難なく受け止めてくれる長兄を流石と思いながら、アルーシャはキュリアから胸に鼻をゴリゴリ押し付けられて軽い痛みを覚えた。
「ヴェえええぇ!アルッ……アルージャざばっ……うぇっ……ぶぇぇぇぇぇん」
「痛っ……ちょ、腕も痛っ……爪、爪が……誰か」
アルーシャの細腕に爪を立ててしがみつき、胸元を涙と鼻水でデロデロにしながら、キュリアはわんわんと泣く。
必死なのはわかるが、力加減くらいしろと殴りたくなるのを抑えていると、そばにいた騎士達がそっとキュリアを引きはがしてくれた。
だが、彼女がアルーシャから離れたのは一瞬で、すぐに騎士達の手を振り払ってアルーシャに飛びついてくる。
再び彼女を掴み上げようと伸ばされたヴァイツァーの腕は、今度はロウフェイルトと他の騎士に抑えられ、アルーシャはまたキュリアの体当たりを食らってヴァイツァーにぶつかった。
離れる気配がないキュリアに、アルーシャは早々に諦めると、彼女を半ば引きずりながら通路を引き返す事にする。
本当は、医師が来るのを待った方が良いのだろうが、二度も人にタックルを食らわせた上に跡が付くほど腕を握ってくるのだ。キュリアはすこぶる元気だと思う。
騎士達が少し驚いて見ていたが、アルーシャも流石に今日はもう疲れていた。
とっととキュリアを部屋に戻して、自分も部屋に帰らせてほしい。
言葉に出さずとも、行動で察したらしく、ロウフェイルト達は何も言わずアルーシャ達の後を追ってきた。
ヴァイツァーのほかに一人騎士がついてきたが、恐らく彼は護衛ではなくヴァイツァーがキュリアを掴み上げようとした時の止め役だろう。
行きは探索しながらで時間がかかったが、帰り道は10分ほどでキュリアの寝室に着く。
待っていたキュリアの侍女に彼女を引き渡して、アルーシャはロウフェイルトと共に彼女の部屋を後にする。
部屋を出たところで、護衛の一人が長兄から近衛騎士に変わり、兄は特に何も言わず第1騎士団の中に帰っていった。
「アルーシャ様、長時間お疲れさまでした。おかげで、無事キュリア様を発見できました」
「ロウフェイルト様も、お疲れ様でした。お役に立てたようで、何よりです」
「私は、アルーシャ様の後を追っていただけのようなものです。それより、腕は大丈夫ですか?後で医師を送りますが……」
「回復薬をいただければ十分です。医師の手を煩わせるほどではありません。跡が消えるまでは、ショールでも使いますので」
「では、後で殿下から回復薬を送っていただきましょう。今日はこのままお休みください」
「お言葉に甘えさせていただきます。正直、早く着替えたくて仕方がないんです。あの道は、埃が酷くて」
その上、キュリアの涙と鼻水で汚されたアルーシャのドレスは、それはそれは酷い状態だった。
色々な感情を飲み込みつつも、同情は隠さないロウフェイルトの表情に、アルーシャは軽い苦笑いを返して肩を竦めて見せる。
後始末や報告が待っているロウフェイルトに、疲れの色を見せるのは少しだけ気が引けたのだが、医師まで断ったせいで逞しい女認定をされそうな気が少しだけする。
とはいえ、大きな騒ぎも、それに巻き込まれるのも、これで最後だろうと考えると、疲れていた気持ちが少し楽になった。
「アルーシャ様ぁぁぁ!!」
楽になった気持ちが、背後から聞こえた声によってまた沈んでいく。
そう来るかと思いながら、バタバタと近づいてくる足音に振り返ると、また涙と鼻水を垂らしたキュリアがアルーシャに飛びついてきた。
そのまま後ろに倒れたら、色々気づいて飛びかかってこなくなるだろうかと考えていたが、アルーシャの体はキュリアごとロウフェイルトに受け止められる。
予想していた通り、長兄ほどではないものの、彼の体は鍛えられていて、女性二人を難なく支えていた。
ロウフェイルトが思わず漏らしてしまったため息に、アルーシャはつい頷きそうになりながらゆっくりと体勢を整える。
再びアルーシャのドレスを汚しながら泣くキュリアを見下ろし、彼女を追ってくる慌て顔の侍女を見た。
キュリアは部屋の捜査が終わるまで別室で過ごすことになるはずだが、連れて行こうとした侍女たちを振り切ってきたのだろう。
子供のように声を上げて泣くキュリアに、アルーシャは天を仰いで小さく息を吐くと、彼女を引きずって自室へと歩き出した。