18話 ムキムキ補佐官
中庭の中央で頭を突き合わせている集団を見て、アルーシャはロウフェイルトを探して一瞬視線をさ迷わせる。
だが、すぐに彼の癖がある茶髪を見つけられた。
一瞬で気がつかなかったのは、ロウフェイルトが文官服のローブを脱いでいる事と、騎士の中にいても馴染む体つきだったからだろう。
てっきりロウフェイルトは細身だと思っていたのだが、それは背の高さと、裾が踵まである文官のローブのせいだったらしい。
いくら見目の良さも重視される近衛騎士であっても、貧弱な人間は入れない。
なのに、ロウフェイルトの体つきは、近衛騎士に囲まれても馴染んでしまっている。
確か、彼は北方将軍の家の3男だったが、武門の家だからといって文官になっても鍛えることはしないだろう。
筋肉ゴリラな長兄を見慣れているせいで、ロウフェイルトを細身だと思い込む程度に、アルーシャの目は曇っていたらしい。
「ねえ兄様、ロウフェイルト様って、殿下の護衛も兼ねているの?」
「そうだ。補佐官であれば、騎士が付いて行けぬ状況になっても同行できる可能性がある」
「そうなのね。私、騎士様って皆、兄様や第1騎士団の方達みたいに鍛えているかと思っていたから、側室になってから近衛の方達を見て少し驚いたのよ」
「彼らは貴人の相手が多い。ご婦人方に威圧感を与えて怯えられないよう調整している。俺達ほど鍛えているのは、団長殿とイルフェン殿くらいだ」
そんな筋肉ゴリラなイルフェンにドレスを着せて側室に仕立て上げるのだから、やはり王子もロウフェイルトも相当に頭がイカレているし、実行して他の側室に気づかれていなかったイルフェンは異常だと思う。
改めて、どうしてこんなヤバい後宮に来てしまったのだろうと、アルーシャが密かに遠い目をしていると、こちらに気づいたロウフェイルトが近衛騎士を連れて向かってきた。
「アルーシャ様、ご足労いただき、感謝いたします。ヴァイツァー殿も、どうもありがとうございました」
「ごきげんようロウフェイルト様。私でお役に立てるなら、微力ながらお力添えいたしますわ」
「では、私はこれで。……アルーシャ、くれぐれも、気を付けるように」
これ以上騒ぎをややこしくするなという意味の釘を刺すと、ヴァイツァーは同僚達の中に戻っていった。
むしろ、こちらが巻き込まれているというのに、心外もいいところだと思いながら、アルーシャは控えめな笑みを作って兄を見送る。
お仲間に囲まれる兄と違って、アルーシャはここからが勝負だ。
ふわふわの柔らかい茶髪と、口元に浮かべた仄かな笑みで柔和に見せているロウフェイルトだが、眼鏡の奥にある目は意外と鋭い。
アルーシャを呼び出した理由が、本当に意見を当てにして参考のためなら良いが、下手を打てば拉致監禁の容疑者として疑われる可能性があった。
現に、ロウフェイルトは、アルーシャがキュリアを唆した可能性ぐらいは考えているだろう。
誤解もいいところである。解決したら北方産の良い林檎酒を要求しなければならない。
お目出たい席で出る、赤くて発泡しているやつを。大瓶で10本くらい。
「騎士からお話を伺いました。状況から、アルーシャ様が仰った通りの可能性が考えられますが、今の後宮は外部から人間を入れられません。お手数をおかけしますが、ご協力をお願いします」
「承知いたしましたわ。……資料は、既に図書室から持って来ていらっしゃるのですね」
「はい。ですが、調べる範囲が広く、我々だけでは限界があります。先日の一件に絡んだ隠し通路の事もあり、正直我々だけでは手が回りません。今は、猫の手も借りたい状況です。早速ですが、キュリア様のお部屋へ参りましょう。どうぞ、こちらへ」
「ええ」
東屋の中にあるテーブルには昨日側室達と囲んだ書籍が山のように積まれ、騎士達が真剣な顔で中に目を通している。
テーブルには、側室達から借りてきたらしい彼女達のノートも混ざっていたが、端に寄せられているだけだった。
そんな様子を横目に眺めながら、アルーシャは今度はロウフェイルトに手を取られながら歩く。
普通、ここは王子が庭にいてエスコートしてくれる場面ではなかろうかと思ったが、あの王子だと思うと色々な期待は霧のように消えた。
初対面な現場責任者の騎士とかでなく、王子の補佐官なだけマシだと思うことにした。
キュリアの部屋では、既に騎士達が壁や床に触れて室内を調べていた。
現場を維持しならの作業は、家具や敷物を動かせないために捜索が思うように進まないらしい。
その上、本を片手に室内の装飾を一つ一つ調べているのだから、時間がかかるのは仕方がないだろう。
なるほど、確かにこれは落ち着いて手助けできそうな側室がいれば呼び出すだろうと思いながら、アルーシャは部屋の中をぐるりと見まわす。
アルーシャが今朝、騎士に伝えたキュリアの失踪にかかわる予想は、単純かつ簡単なものだった。
第5側室キュリアは、室内にある隠し通路を見つけ、迷い込んだのではないか?
昨日の講義で習った建築様式。そして、自室にある、一部が不自然に古い様式のままの壁や柱。
アルーシャは、もしや隠し通路か侵入者用の罠ではないかと手をつけなかったが、キュリア様は深い疑問も抱かず、ただ何故という思いで調べたのではないか。
そして、部屋の中にあるどこかへと続く隠し通路を見つけ、足を踏み入れて迷っているか、閉じ込められているのではないか?
部屋から出た姿を誰も見ていないのなら、そういう可能性が高い気がする。
知らぬ存ぜぬばかりの側室の中で、アルーシャだけがこのような事を言い出したのだから、詳しく聞かせろと呼び出されるのは当然だろう。
「朝から騎士達が室内を調べていますが、ご覧の通り、手がかりもつかめておりません。アルーシャ様がご覧になって、気にかかる場所があれば、どうか教えていただきたく……」
「では、まず、天井近くにある壁の彫刻を。妖精たちが揃って同じ方向をみておりますので、その視線の先を調べてくださいませ。次に、そちらの暖炉の奥と底を。外側の彫刻の年代と、中の装飾の年代が違いますので、念のためおねがいします。窓の横にある彫刻と台座も調べてくださいませ。あら、そちらのドアの隣にある棚の4段目ですが、そこだけ金具がありますね。奥の壁と合わせて見ていただけますか?それと、そのベッドサイドの壁……あら、人数が足りないかしら?」
アルーシャの言葉にバタバタと調べる場所を変える騎士達だが、よく見るとそう大人数ではなかったらしい。
大柄な男達ばかりだったし、側室の捜索だから何人もいるかと勘違いしていたが、部屋にいる騎士は片手で足りる程度だ。
普通はもっと規模を大きくするのではと、アルーシャは内心で首を傾げた。
「これ以上室内に騎士を入れては、キュリア様の侍女達が部屋から飛び出してくるでしょう。そちらの壁は、私とアルーシャ様で調査させていただきたいのですが、よろしいでしょうか?」
「かまいませんが、なぜ侍女が?」
「主不在の部屋に、夫でもない男たちを入れるなどとんでもない……だそうです。捜索を妨害される可能性がありましたので、騎士が控え室で落ち着かせているのですよ」
「あらまあ……控え室ではなく牢に入れてはいかがかしら?」
「同意いたしますが、側室様の侍女を独断で牢に入れる方が仕事が増えますので……」
「……同情します。では、そちらの壁を確認いたしましょうか」
心情は理解するが、物事の優先順位を見失う侍女など、少なくともこのナソド王国では即座に解雇だ。
普通は邪魔をしないと約束して、室内の捜索に同席するものだが、騎士に見張られて閉じ込められるとは穏やかじゃない。
実際に行われているのが取り調べでなければ良いと思いながら、アルーシャはベッド横にあるモザイクタイルの壁を見つめた。
アルーシャの腰から下は赤と黄色いタイルで、海と太陽、そして濃い赤で小さな島々に羽を休める竜が描かれている。
上には紫と青のタイルで、徐々に色を変える空と、上空で雲と共に浮かぶ神都イースレイが描かれていた。
一見すると、東方にあるサンファルシア海の朝焼けだが、ナソド王国はその海に面していないし神都も見えない。
そもそも神都が見えるのは陸地が見えない大海の真ん中なので、上下の絵は明らかに実際の景色と噛み合っていなかった。
デザイン重視でも許される小金持ちの家なら良いが、王族の側室の部屋に適当な景色を描くなど普通は許されないだろう。
考えれば、一目で怪しいとわかる壁に、アルーシャは躊躇なく近づくと、上下のタイルの間を見る。
同じことに気づいたらしいロウフェイルトが、神都を描いたタイルに触れているのを横目に、アルーシャはとりあえず下に描かれている竜のタイルを押してみた。
その瞬間、壁からゴトリと音がして、アルーシャは咄嗟にタイルから手を放す。
だが、彼女が触れていたタイルに異常はなく、音の出所を探して動いた視線は同じく壁を探っていたロウフェイルトに向かった。
アルーシャ同様、驚いたように壁から手を離した彼の視線の先は、数ミリほど押し込まれた神都のタイルがある。
邪魔にならないよう、アルーシャがロウフェイルトの後ろに下がると、たった今まで彼女が調べていた壁の下部分が、ゆっくりと開いた。
まさかこんなに早く隠し通路が見つかるとは……と内心驚きながら、アルーシャは開いた扉から落ちた埃に目をやる。
明らかに暫く人が足を踏み入れた様子はないが、見つけた以上は調査をしなければならない。
勿論、調査はアルーシャではなく、本職である騎士達の仕事だ。
万が一に備え、入り口を足置きで抑えると、数人の騎士が灯りを手に中へ入っていく。
だが、道は途中で封鎖されていたらしく、少しすると戻って来た。
「アルーシャ様、お手数をお掛けしますが、もう暫くお付き合いください」
「わかりました。ただ、できれば騎士の増員をお願いします。キュリア様の侍女は、適当に黙らせておいてくださいまし」
「そのつもりです」
「よかった。では、再開しましょう」
適当に探せばすぐに出てくるだろうと思っていたアルーシャは、ベッドサイドという予想外の場所にあった隠し扉に、少しだけ気を引き締める。
扉の先にあったのは通路ではなく、襲撃時に身を潜めるための空間だったようだが、寝室に知らない扉があるなんて、普通に危機感を抱くものだ。
少しすると、追加の騎士が10人近くやってきて、キュリアの寝室は一気に暑苦しくなった。
侍女をどう説得したのか、衣裳部屋の鍵まで持ってきた彼らは、乙女の衣類を容赦なく箱にぶち込んだかと思うと、大きな箪笥まで次々廊下に出して調べだした。
呆れた顔のロウフェイルトが注意をしたものの、どうやらやっているのは脳筋第1騎士団の騎士らしく、気を使っていてもやっぱりどこか手つきが雑だった。
部屋の主のキュリアに少しだけ同情したアルーシャだったが、自分も捜索要員の一人だったと思い出し、ロウフェイルトと共に衣裳部屋に入った。
捜索要員な事と同時に、本来こんな仕事はしない側室な事も思い出したが、今は考えても無駄だとわかっている。
アルーシャの表情が少し変わった事に気づいたロウフェイルトが、気を紛らわせるために軽い会話を投げかけてくれたが、状況が状況だけに多少気がまぎれる程度だった。
衣裳部屋に入ってすぐ、アルーシャは奥の壁にもう一つ通路を見つける。
しかし、そちらも最近人が出入りした形跡が無い上に、つい先ほどまで箪笥の裏側にあった場所だった。
印はつけられたが、中へ入っての捜索は後回しにされた。
そんな間にも、別の騎士が寝室の床に空間を見つけ、また別の騎士が壁画の中に覗き穴とその奥に空間を見つけた。
天井裏にまで潜り込んだ騎士が壁に1つ、衣裳部屋の床から更に一つ、不審な出入り口を見つける。
あまりに沢山ある隠し通路に、騎士は戸惑い、ロウフェイルト様は口数が少なくなっていた。
アルーシャもまた、一側室の部屋にしては多すぎる通路に、気味の悪さを覚えてつい顔を顰め、慌てて不安げな顔に直す。
自分の寝室にも、同じだけの見知らぬ道があるのだと思うと……困ったことに、前世のオッサン二人がロマンを叫び、乙女アルーシャが激怒するという、ちょっと情緒が混乱した事態になっていた。
ちょっと脳を休めたほうが良いと判断して、アルーシャは思考を振り払いつつ、今後は空いた時間を使って自室の隠し通路を塞いていこうと考える。
傍らのロウフェイルトを見上げると、彼は心底頭が痛いといった顔で、問題の室内を見まわしていた。
騎士達の動きが活発になり始めたからか、アルーシャがあちこち調べる手を止めても気にした様子はない。
ならば、調査の邪魔になってはいけないと考えて部屋の端に移動したアルーシャは、しかし傍にあった柱に違和感を覚えた。
「……アルーシャ様、どうかなさいましたか?」
「ええ、この柱と床に、なんだか違和感が……」
何となく、絨毯と柱の隙間が大きい気がして柱を押してみると、重いはずの柱は簡単に動いた。
しかし奥に向かって押したのに、柱は斜め奥に向かって動き、体重をかけて押したアルーシャは、そのまま前に倒れこむ。
「ふぉア!?」
「アルーシャ様!?」
やばい。
騎士達が大勢いるのに、変な声を出してしまった。
そう思うのと同時に、アルーシャの体は自然に転倒に備えて手を前に出すが、寝室の明かりで一瞬だけ見えたのは下り階段。
勝手に通路を開けて突っ込んだアルーシャに、ロウフェイルトの助けの手は間に合わず、彼女は暗い通路の下に落ちていった。