17話 消えた第5側室
5番目の側室キュリアが失踪した。
昨夜、入浴を済ませてからベッドに入ったところまでは、侍女がしっかり確認したらしい。
しかし、朝になって寝室に行くと、ベッドはもぬけの殻だったそうだ。
「本当、賑やかな後宮ねえ……」
早朝から侍女に起こされ、着替えながら話を聞いていたアルーシャは、目覚めのハーブティーを飲むと大きくため息をついた。
昨夜は、呼んでもないのに来た王子の話に付き合わされたせいで全く酔えなかったし、変に疲れて寝つきが悪かったせいで寝不足だった。
油断するとつい出てしまうあくびを噛み殺し、新たな騒ぎの情報を聞いてはいるものの、アルーシャの脳は半分ぐらい寝ている。
そんな主の様子を理解していても、侍女は容赦なく着替えと報告を続ける。
他所の家の侍女では考えられない態度だが、アルーシャに関しては父と次兄によってそれらは許可されていた。
何故なら、それぐらいでないと、アルーシャは勝手に二度寝したり、のらりくらりと話を聞かなかったりと、好き放題し始めるからである。
やる気になったときはテキパキ動くが、気が向かなければ全く動こうとしない。それがアルーシャだった。
今回の事は、後宮の安全やキュリアの安否が関わる事なので、アルーシャは続きそうになるあくびを噛み殺す。
侍女に目で先を促すと、今朝の朝の支度を担当しているフレアは語尾に「ね」をつけた独特の地方訛りで報告を続けた。
キュリアの部屋の窓は内側から施錠されており、寝室は応接間を通らなければ出入りが出来ない形だった。
しかし、応接間には王子の来訪に備えた侍女が必ず一人は寝ずの番をしているので、キュリアが寝室から出た時点で見つかるはずである。
しかし、侍女はキュリアが寝室から出た姿を見ていない。
応接間を挟んだ寝室と逆隣には、侍女の控え室があり、数人が仮眠をとったりしている。
控え室にいれば、寝室や応接間の扉が開閉する音は必ず聞こえるが、キュリア様が出歩いた物音は聞いていない。
ベッドには温もりも残っておらず、室内に争った形跡は無かった。そんな物音もなかった。
寝室からは、キュリア様とともに、彼女のルームシューズとガウンが無くなっていた。
まあ、アレだ。
何となく、予想はつくような……うん。
後宮内での失踪という事で、朝早くから騎士達がキュリア様の部屋を中心に後宮内を捜索している。
この数日で静かになったはずの後宮は、また落ち着きがなくなったどころか、現に側室一人が行方不明のため物々しい雰囲気がしていた。
けれどアルーシャは、確信はないものの、事の顛末の予想がついてしまった。
昨日楽しそうに勉強していたキュリアの顔を思い出し、そういえば好奇心旺盛そうな人だったと考えていると、エリスが来客を告げる。
今まさに朝食を口にいれようとしていたところだったのだが、仕方がないのでアルーシャは箸をおく。
きっと騎士か女官による事情聴取と説明だろうと考えていると、扉を開けて入ってきたのは8番目の側室ミナリスだった。
「アルーシャ様、私、怖いです。もしかして、今度こそ本当に幽霊が……。キュリア様は、死霊達に連れ去られてしまったのかも……」
「……大丈夫だと思いますよ?ミナリス様、朝食は召し上がりましたか?よろしければ、ご一緒にいかがですか?」
「食事だなんて…私、怖くて食欲がありません。それにキュリア様が心配で……」
「でしたら、私だけ食べさせていただきますね。お話は、食事をしながら聞かせていただきますわ」
半べそをかいている13歳の少女を椅子に座らせて、アルーシャは黙々と朝食を口に運ぶ。
アルーシャは、キュリアは運がよければ午後には見つかるだろうと思っていたので、あまり心配らしい心配はしていなかった。
だが、普通のか弱い令嬢は、ミナリスのように不安になって誰かに頼ろうとするのだろう。
自分も朝食が終わったら他の側室に同じことをしてみようか。ワンチャン誰かが抱きしめて胸を触らせてくれるかもしれない。
できればウルーリヤあたりのけしからん胸がいいと思ったりしたが、よく考えたら絶対に自分の侍女たちが阻止してくる上に次兄や長兄に報告されるので、あきらめることにした。
仕方なく、アルーシャはフレアが入れたお茶を飲みながら目を潤ませるミナリスをおかずに、お代わりとデザートの林檎を胃袋に収める。
空腹が満たされ、食後のお茶を口にして一息ついたアルーシャは、ようやくミナリスの話を聞く姿勢に入った。
「……なんだか、アルーシャ様のいつも通りの姿を見たら、落ち着いてきました。私、もう部屋に帰りますね。ありがとうございます、アルーシャ様。朝早くにすみませんでした」
「……まあ、そうですか。お役に立てたようで、よかった。どうぞ、お気をつけてお帰りくださいね」
飯食ってただけで落ち着いてくれるなんて、なんてお手軽な女だろうと思いながら、アルーシャは肩透かしをくらいつつミナリスを送り出す。
ちょっとは話を聞く気だったが、8番目の側室は泣くと面倒くさいタイプなので、難を逃れて良かったと思うことにした。
ミナリスが出ていくとほぼ同時に、騎士が聞き取り調査に訪れる。
事は既に王子にも伝わっており、午前の公務が終わり次第、後宮に来るらしい。
役に立つのだろうかとつい口から出そうになるのを抑え、アルーシャは今回の件に関して何も知らない事と、自分の予想を伝えておいた。
とても生真面目そうな印象の騎士は、アルーシャの確証がない予想も細かく聞き、礼を言うと戻っていく。
本当なら、今日も図書室で勉強会をするはずだったが、それは当然中止になり、側室は部屋で待機しなければならなくなった。
こんな事なら、昨日のうちに図書室から本を借りてくれば良かったと思う。
今部屋にある本は殆ど読んでしまっているし、昼間から酒を飲むわけにもいかない。
こんな時は昼寝が一番だろうと、寝不足解消のためにアルーシャはソファに横になった。
食事と来客で少し目が冴えてしまったが、目を閉じれば自然と眠れるくらいには、まだ体が鈍い。
これはもう寝るしかないと決めると、アルーシャはクッションを抱きしめながら瞼を閉じた。
「アルーシャ様、お目覚めください。先ほどの騎士がいらっしゃいました」
「え?まだ寝てないのだけれど?」
「いえ、しっかり3時間お休みになっております」
「嘘でしょう?まあいいわ。それで、さっきの騎士が何の用かしら?もう来ているの?」
「はい。今、扉の前に」
「わかったわ。通してちょうだい」
アルーシャの部屋は応接間、リビングダイニング、寝室の順で繋がっているのだが、彼女が応接間のソファで寝ていたため、騎士は廊下で待たされていたらしい。
忙しいだろうに、悪いことをしてしまったと思いながら騎士を迎え入れると、何と午後からの捜索に同行するよう依頼された。
何でだと思いながら、猫を被って理由を尋ねると、ロウフェイルトからの要請らしい。
予想こそ伝えたが、あくまで予想でしかないので、力になれるか分からないのだけれど……。
邪魔にしかならない気がするが、王子の側近が言うのだから、行かないわけにはいかないだろう。
ロウフェイルトからの指示ではあるが、これは実質王子からの命令だ。
側室が失踪しているのに、同じ側室の立場のアルーシャを現場に駆り出すとはどういう事か。
王子側が、アルーシャの事を側室として見ていないことは予想していたが、表立って側室扱いしないとは思わなかった。
か弱い乙女らしく、半泣きで震えながら集合場所にいってやろうかと思いつつ、アルーシャは身支度を整える。
装飾が少ないドレスに、少し厚手の頑丈な帯を合わせ、髪の毛も動きやすいようまとめた。
大丈夫だとは思いつつ、万が一に備えて帯の中に小刀を隠していると、指示された時間になったらしく騎士が迎えに来た。
「シエラ、どう?おかしいところはないかしら?ちゃんとか弱い妖精に見えてる?」
「ご安心ください。アルーシャ様は頭と言動以外におかしいところは一つもございません」
「よし、なら大丈夫ね。さっきの騎士は応接間かしら?」
「はい。ですが、お迎えにいらしたのは先ほどの騎士ではなく、ヴァイツァー様でいらっしゃいます」
「……は?」
「ヴァイツァー様でいらっしゃいます」
「……え、兄様臭いから嫌なんだけど……」
「ご安心ください。後宮に配置されるに当たり、騎士団の宿舎は強化清掃が行われ、匂いは改善されたとの事です」
「本当?兄様、臭くなかった?」
「はい。むしろ、石鹸と香油の良い香りがしていらっしゃいました」
「待って、それもう兄様じゃないんじゃないの?だって、兄様から臭いをとったら、脳味噌の筋肉しか残らないじゃない」
「顔と体も残っております。物語の中の騎士様のようでいらっしゃいました。さあ、アルーシャ様、ヴァイツァー様がお待ちです」
「そりゃ見た目はそうでしょうけど……。シエラ、私あなたを信じるわよ?臭かったら夜にいい酒出してもらうわよ?」
「アルーシャ様、お早くおねがいします」
家族を窮地に陥らせた臭いを思い出して警戒しながら、アルーシャはそっと扉を開く。
先日長兄も会った時もヤバい臭いはしなかったが、刻み込まれた恐怖は簡単に消えない。
もしシエラに騙されただけで長兄が臭いままだったら、シーツを被せて返品しようと決めて、アルーシャは応接間を覗き込んだ。
「いつまで待たせるつもりだ」
「兄様、乙女の私室の扉20cm前に立ちはだかるの、やめていだける?」
「乙女は出合い頭に実兄の股間を殴ろうとはしない。アルーシャ、まずはこの世のすべての乙女に謝罪しろ。それが済んだらすぐ出るぞ。集合時間だ」
「世界中の乙女たちよ、飛びぬけて美しく可憐な私を許して!よし、じゃ、行きましょう」
「シエラ、あとでこいつの酒を減らしておいてくれ」
「そんな事したら兄様も騎士達も汗と男の匂いで気絶するほど臭かったって他の側室達に言ってやるわよ」
「お二人とも、いってらっしゃいませ」
人には見えないようにドツき合いながら、アルーシャはヴァイツァーと部屋を出る。
燦燦と輝く太陽と庭の緑を内心で忌ま忌ましく感じるが、表情にはちゃんと不安をにじませ、兄の腕にそっと手を添えて行く。
無関係の事件に呼び出された可哀そうな側室を演じているのに、彼女の性格を知るヴァイツァーは気にせずズンズン廊下を歩いた。
見えない位置でガッチリと手を捕らえられているせいで、アルーシャは半ば引きずられるような形になる。
歩幅の違いまで無視して歩く兄に対し、アルーシャは普通に頭にきたので、よろけたふりをしながら長兄の腿に膝を入れた。
「っ!お前、今……」
「ヴァイツァー兄さま、ごめんなさい。でも、少し歩くのが早いわ」
「ならば担いでやる」
「まあ兄様ったらこんな時に冗談を言うなんて。……ちょっと兄様、私、一応殿下の側室なのよ?横抱きに決まってるでしょ?」
「気が変わった。歩いて行け」
「…………そうするわ」
いくら兄妹でも、アルーシャは現在、王子の妻の一人なのだ。
荷物のように担げば、普通に騎士であるヴァイツァーが処罰される。
面倒な立場を嫌がっていながら、ここぞとばかりにそれを利用してくる妹に、ヴァイツァーは白けた目を向けると彼女から手を離した。
もはやエスコートでも護衛でもない。ただ一緒に歩いているだけの状態で、二人は指定された中庭まで歩く。
警備に立っていた他の騎士が、その様子に少し驚いた顔をしていたので、アルーシャは顔を伏せて胸の前で手を握りしめ、抜かりなく不安に怯える乙女のフリをしておいた。
それもこれも、すべては後宮から解放された後の縁談先確保のためだ。
徹底して風呂と洗濯を行えば、あの騎士の激臭でも改善されることが証明された。
ならば今のうち、撒ける種は撒いておかなくては、またいつ社交界の変事で婚活が激戦になるかわからない。
兄の同僚だとか一代貴族の騎士爵だとか、そんな条件はどうでも良い。
雨風を凌げて、安心して眠れる家があり、さらに一日2食でも食えるなら天国だと、前世の記憶たちが言っている。
どれだけ家族がアルーシャを嫁がせることに不安を覚えていても、生涯穢れしらずの小姑でいようとは思えなかった。
年寄りだとか醜男だとかを超えた、別意味でパンチが効きまくった男に嫁がされる未来が見えてしまう。
もちろん、それを命令するのは父ではなく、次兄セルダンだ。
「ヴァイツァー兄様、私ね、セルダン兄様が用意した縁談だけは、恐くて結びたくないのよ。だから今のうち、やれることはしたいの。協力してね」
「残念だが、お前の本性の一部は既に騎士団の中に広まりつつある」
「は?何で?」
「騎士の前で、他の側室を本で滅多打ちにしたのを忘れたか?ほかにも、細かな言動で想像とは違うかもしれないと言われている」
「それだけで?だって、まだ後宮に入って1月も経ってないじゃない。判断するには早いわよ」
「最近の騒ぎで、側室が口にするものや量の情報も共有されている。側室の中でお前の酒量だけが飛び抜けて多いのを知っているか?」
「それは他の側室達が飲まないだけだわ。濡れ衣よ」
「毎日果実酒を2瓶も開けておきながら、濡れ衣だと……?」
そんなに飲んでいただろうかと考えながら、アルーシャは騎士が集まる中庭へ着く。
都合が悪い事はさっさと忘れて、アルーシャは並び立つ騎士達に対し、少し怯えながらぎこちなく微笑む様子を見せる。
浮き足立つのを抑えた様子の彼らに内心でほくそ笑んだ彼女は、そんなのお構いなしに歩く兄の後を追って、中央で待つロウフェイルトの元へ向かった。