16話 大体王子のせい
「それで、殿下、本日はどのような御用でしょうか?」
「うむ。そなたが後宮に来てから、随分と騒がしくなってしまったからな。件の幽霊騒動についても、心労をかけたかと思い、様子を見に来た」
「お気遣い痛み入ります。ですが、私は気にしておりませんので、お気遣いなく」
「ならば良い。が、一連の騒ぎで、私も少し疲れてしまってな。少しそなたの顔を見て話をしたくなった」
そういう用件なら普通に表から来てもらえませんかね?
何で庭から来るのかな?百鬼夜行じゃなくてバッタなのかな?
本か何かで叩き潰せばもう来なくなるだろうかと考えている間に、王子は心底疲れたといった風に大きくため息をついて夜空を見上げる。
露わになった喉仏にビンタを食らわせたいと思いながら酒に口をつけていると、羨ましいそうな顔をするイルフェンと目が合った。
酒はやらんぞ。
とりあえずイルフェンを無視して王子に視線を戻すと、彼は寛いだ様子で庭を眺めている。
人の庭に勝手に来ておいて、何で我が物顔をしているのか。
とっとと用件を済ませて仕事に戻れと思っていると、同じことを考えていたらしいロウフェイルトが持っていた書類をさりげなく王子の前に差し出した。
「ロウフェイルト様、私の庭を殿下の執務室になさらないでください」
「失礼。殿下の手が空いているようでしたので」
「私は休憩に来ているのだ。ロウフェイルト、仕事は少し待ってくれ」
「殿下はお忙しいのですね。ご無理をなさっていらっしゃるのではありませんか?」
「お詫びのしようもございません」
「無理も仕事だ。そうしなければ、書類の山は消えてくれぬ」
遠回しに、忙しいのにわざわざ来なくていいと言ったのだが、やはり王子には通じていなった。
ロウフェイルトも護衛の騎士も気づいて申し訳なさそうな顔をしているが、王子だけは心配されたと思って嬉しそうな顔をしている始末である。
いや、もしかして、分かっていて無視しているのだろうか。
どっちでも良いから、早く帰ってほしい。
流石に野郎4人に囲まれた状況で酔っ払えるほど、アルーシャの危機感は欠如していない。
「此度の幽霊騒ぎは、本当に側室達に悪かったと思っているのだ。よもや、ミナリスとウルーリヤがあれほど怯えているとは……」
夜中に押しかけられて、部屋の中を水浸しにされた当方への詫びはないのかと考えている間に、王子は一人でポツポツと今回の反省を語りだす。
もしかして長くなるのだろうかとロウフェイルトに視線をやると、彼は諦めてくれと言いたげに首を横に振った。
空になってしまった自分のグラスに一瞬だけ目をやったアルーシャは、仕方なく諦めて王子の話に耳を傾ける。
これまでの来訪での話を考えるに、どうせ今回も大した話じゃないだろうと考えて聞いてみると、やはり本当に大した話はしていなかった。
この幽霊騒ぎ、王子は当初、騒がれている幽霊の正体が、自分たちだと気付いていなかったらしい。
そんな気はしていた。
なぜかは、多分無礼だから考えない。
最初に幽霊だと騒がれたのは、4番目側室が間男と捕まった翌日だったので、また誰かが男を連れ込んでいるか、隠し通路からの侵入者だと思ったそうだ。
そこで、更に警備を厳重にし、女官にも側室達の様子をよく見ておくように指示を出していたらしい。
だが、自分たちが密かに後宮を歩いた日に、死霊に扮した不審者が同じ後宮を闊歩していたという事実は、王子と護衛の近衛騎士2人のプライドを傷つけた。
その上、目撃された場所は、自分達が数分前に通った場所と一致する。
王子一行が暢気に歩いている場所で、不審者は息を潜めてそれを見つめていたかもしれないのだ。
そして翌日。
嵐の中、後宮の庭を密かに巡回していると、どこからともなく、女の悲痛な鳴き声のようなものが聞こえてきたそうだ。
それ、8番目の側室だわ。
幽霊の手がかりかと思い、イルフェンを先頭に、王子達は声がする方へ向かい、私の部屋の庭へ着いたらしい。
お隣さんと部屋まちがえてますよ。
そこで、王子は私を疑ったらしい。
ここ数日の騒動は、全てアルーシャ=クアラスが来てから、立て続けに起きた。
「それで、殿下は私を疑ったのですね?」
「そうだ。それに、側室になるに当たり、そなたの情報は報告されている。アルーシャ、そなたは記憶持ちなのだろう?それも、一つではなく、いくつかの前世の記憶を持っているそうだな」
「ええ。殿下がおっしゃる通りですが……今、役に立つような記憶ではございません」
「……そなたの兄達からも、そのように報告を受けている。だが、これまでは大人しくしていても、後宮に上がった事で欲に目覚めた事もありえるのでは?と、一瞬ではあるが、私はそなたを疑ったのだ」
「当然のご判断かと存じます。どうかお気に病まれませぬよう」
「うむ」
同じ報告を読んでいるだろうロウフェイルトはさておき、護衛の二人に聞こえる場所で、稀な複数の前世記憶持ちだと暴露しないでほしい。
護衛二人はどんな反応をするかと目をやったアルーシャだったが、彼らは既に知っていたらしく、特に反応は見せなかった。
記憶持ちの前世記憶の詳細は、プライバシーの観点から秘匿されているのだが、側室になったために王子たちにはある程度は知られているのだろう。
だが、身分が上の者が、こんないきなり話題に出してくるのは、記憶持ちに対するマナー違反だ。
普通は、過去世について話をしていいか、その際周りに人がいて良いのか、事前に聞くものである。
記憶持ち本人が口にするなら良いが、他人がいきなり言うものではない。
流石にこれはわざとやっているのだろう。
あえて注意するべきか少しだけ迷ったが、今回に限ってはつきあってやる気も起きないくらいには腹が立ったので、アルーシャは何も言わずに微笑むだけにした。
ただ、王子がアルーシャを転生者だからと警戒する気持ちも、分からなくはないのだ。
前世記憶がある者が、権力者や王族になれないという慣例は、それだけ過去の記憶持ちがやらかしてきたからである。
先輩方が国を傾けただとか、村を一つ滅ぼしたとか、ただの好奇心で禁呪に手を出したとか、そんなのは序の口なのだ。
勿論、その記憶と知識を使い人々に尽くした先輩方も多くいるが、洒落にならない事をやっている者がそれ以上に多かった。
そのたびに尻拭いしていた権力者や神殿・竜族が、記憶持ちを権力から遠ざけたがるのは当然の成り行きだったのだ。
そう納得できるだけの歴史を、前世記憶を持つ者たちは『転生者教育』で学んでいる。
アルーシャも、次兄から『転生者教育』を受け、過去世の記憶を持ったまま生きる注意点や、記憶との付き合い方などを学んだ。
異世界で生きていた記憶がある場合は、この世界の在り方や常識との違いに混乱し、部分的に混同する者が多いのでしっかりと教育される。
アルーシャも、最も古い記憶である少女が異世界出身なため、この世界の歴史や成り立ちなどには特にしっかりと教育をされた。
けれど、その少女は意識を向ければ世界を呪う言葉しか吐かないし、その記憶を辿ろうとしても本能的な恐怖が湧いてくる。
何とかアルーシャが受け入れられたのは、元の世界で楽しく学生をしていた風景と、その世界に帰りたいという強烈な思いだけだった。
その代わり……なのだろうか、盗賊だった頃と漁師だった頃の記憶は鮮明にある。
盗賊だった人生では、かなり古い文明で世が酷く乱れた時代。
仲間と共に悪辣な行いをして飢えを凌いでいた。
最後は高額な賞金をかけられ、警邏に追われた末に山中で獣に食われたのだが、その人生で前世を思い出したのは食われている最中。
『今思い出すのかよ!』が最後の言葉だった。
因みに、その時にどんな過去世を思い出したのは、アルーシャにはわからない。
漁師だった人生では、既に今のように神竜がいる平和な時代で、妻も子供もいた。
だが、2人目の息子が生まれた頃に異世界で女の子だった記憶を思い出し、すこし情緒が不安定になった。
その数年後、近所の子犬に甘噛みされたことで盗賊時代を思い出し、動物全般が恐くてダメになったし肉が食べられなくなった。
血を見るのも苦手になったが、幸い魚を捌いたり食べたりするのは平気だったので、仕事を失う事はなかった。
アルーシャが、それらの人生の記憶をはっきりと思い出したのは5歳の頃。
決め手となったのは家の階段にある手すりにまたがって滑り降り、手すりの先に繋がった柱に股間を強打した時の衝撃だ。
そして、たまたま目撃していた次兄が、女の身でありながら股間を抑え『タマが潰れちまう!』と苦しむアルーシャを見て、前世の記憶持ちだと気が付いた。
それ以前からも、アルーシャは色々と奇行に走る子供であったし、言動は過去世の影響が大きく現れており、そんな気はしていたらしい。
同じ記憶持ちの次兄から、アルーシャも記憶持ちだと告げられた家族は、アルーシャの奇行が育て方のせいではなかったと安堵した。
その時、アルーシャは、そんな事より股間の心配をしてほしいと思った事を覚えている。
通常、一気に前世を思い出した記憶持ちは、その前後で人格に変化があるのだが、アルーシャは珍しく殆ど変化がない記憶持ちだった。
人格形成において、漁師の記憶の影響が最も強く、次いで盗賊時代が思考に影響を及ぼした。
だが、それでも貴族の令嬢として無事成長し、人格破綻を起こさなかったのは、次兄からの徹底した転生者教育のおかげだろう。
次兄は、竜族の前世記憶保持者。つまり神殿側で、やらかした転生者の尻拭いをしていた記憶があるので、色々と容赦がなかった。
記憶持ちは過去をどうしても過去の記憶に引きずられる傾向があり、それにより世を乱す事件が多かったため、国の代表等の権力者にさせないのが現代時の常識だ。
次兄のように小国の伯爵やその跡継ぎ程度ならば問題ないが、侯爵以上となると避けられる傾向にある。
そのため、記憶持ちであるアルーシャは、普通なら王子の側室にもなれないし、記憶喪失にでもならないかぎり王妃にはなれない。なる気もないが。
仮にアルーシャが王子の第1子を身ごもり、その子が世継ぎの王太子になっても、立場は側室のまま維持され、別の人間が王妃に据えられることになる。
場合によっては、子を産んだ後始末される。
流石に、彼女の前世が凶悪な盗賊と漁師のオヤジだった事は家族しか知らない。
そうでなければ、見た目は良くても中身が荒くれたオッサンであるアルーシャを、王子の側室になどしないだろう。
記憶持ちは、ほとんどの場合が同姓の記憶を持つので、王子側はアルーシャの前世が女性だと思っているのだろう。
一応女性だった記憶はあるが、それは異世界から渡ってきた時代の僅かなものだけで、残念ながらアルーシャの人格に全く影響を与えていなかった。
怖すぎて触るな危険状態の少女の記憶はずっと触れないままだ。影響を与えようがない。
そのため、絶好調なオッサン二人組のおかげもあり、今も昔も、アルーシャは美女と豊満な胸が大好きである。
苛々する気持ちを、ウルーリヤとフレアの胸を思い出す事で落ち着けている間に、王子は一人でなんか喋ってる。
ちらりと周りに目をやれば、ロウフェイルトはこっそり書類を見ているし、護衛の二人も一応周りを見ていて王子の話なんか聞いちゃいなかった。
流石にここまでほったらかしは可哀想だったので、アルーシャは王子の話に耳を傾ける。
どうやら王子は、後宮に慣れないうちに、様々な事件が起こったアルーシャを心配してくれていたらしい。
嵐の日も、アルーシャを心配して窓から様子を見にきたのだが、当のアルーシャはベッドの上で暢気にゴロゴロしていたので、腹が立ったとか何とか。
知らんがな。
勝手に期待して勝手に幻滅して勝手に怒っただけだろうが。
というか、いくら後宮の主だからって、夜中に人様の部屋を覗くな。しかも部下と一緒に。
「だが、その姿を見て安心もしたのだ。そなたのような、宮に慣れぬ者が平気ならば、他の側室たちも大丈夫であろう、とな」
「……さようでございますか」
側室の中でも唯一平然としている人間のところに来ているのだから、安心もするだろう。
というか、他の側室の様子は報告されているはずなのに、どうしてそちらに足を向けないのか。
平然とベッドでゴロゴロしている時点で、参考にならないと考えるのが普通だろうに、この王子どんな思考回路をしているのか。
アルーシャが王子を見る目は、珍獣を見る目に変わりつつあった。
「そなたの部屋から出た時には、女の泣き声も聞こえなくなっていたからな。嵐の音を聞き間違えたと思ったのだ」
「お……さようでございましたか」
おめでたい奴らだ。と口から出そうになったのを抑えて、アルーシャは恭しく頭を垂れる。
嵐の訪問も、何かの帰り道に理由があってのものだろうし、この会話も本当に息抜きなのかどうか怪しい。
泥酔したら帰ってくれるだろうかと思いながら、アルーシャは空になったグラスに酒を注ぎ、王子の話を聞きながら飲み始める。
幽霊騒動も、一連の事件で神経過敏になった者達による集団ヒステリーじゃないかと言いながら、王子一行は私の庭を経由して帰ろうとしたらいい。
だが、その帰り道で、王子達は見てしまったのだ。
雷鳴と共に響く女の悲鳴。窓の中から恐ろしい形相で王子達を見つめる、髪を振り乱した女の幽霊を。
……それ、8番目の側室だわ。
あまりにも恐ろしいその姿に、王子達は動けなかった。
すると、女の傍に次々と別の顔が浮かび上がり、そして王子達に威嚇の声を上げたそうだ。
早く我に返ったロウフェイルト様が王子達の手を引いて、その場は退散したらしい。
もう私は言葉もなかった。
一人で頑張っていたらしいロウフェイルトに視線をやると、彼は一瞬だけアルーシャに目をやり、疲れ切った笑みを返すと書類に視線を戻した。
「よもや、あれが8番目の側室となったミナリスとその侍女たちだとは、思いもしなかった。ミナリスは、幼くはあるが顔が整っていよう?だから余計に、幽霊かと思ってしまったのだ」
「…………」
どうとも返答ができないアルーシャは、酒を飲みながら頷くだけで返す。
段々と、漁師だった前世で奥さんの愚痴の延々と聞かされていた時の記憶が蘇ってきて、キツい酒がほしくなってきた。
その後も酒を飲みながら、頷いたり、短く相槌を打つアルーシャに、仕事が忙しいだとか、母親がうるさいだとか散々愚痴を吐くと、王子は満足そうに帰っていった。
4人が去っていった庭で、アルーシャは瓶が空になるまで飲むと、体を引きずるように部屋へ戻る。
ベッドへ入る前に机に向かった彼女は、たどたどしい手つきで封筒と便箋を取り出すと、ロウフェイルトに王子の金で酒とつまみを買ってよこせと手紙を書いてから眠りについた。