14話 何で王子が後宮に?
ロウフェイルトから返事が来たのは、翌日の昼だった。
面会は時間の都合がつけられず不可能。
苦情は理解しており、こちらも対処中のため少し待って欲しいという。
側室に対して随分ナメた回答だが、つまり、顔を合わせるより前に解決するということだ。
本当に解決できるのか、正直全く信用出来ないが、目処は立っているということだろう。
ただ、側室達は部屋に閉じこもりがちになるほど気が滅入っているとの訴えに対し、『アルーシャ様は平然としている。気を病んでしまったのは、他の側室方が弱すぎただけ』という趣旨の返答が来たのには、流石のアルーシャも度肝を抜かれた。
スパルタ戦士もびっくりな理論である。インテリメガネな外見をして、中身は体育会系とは驚いた。
だが、彼は文官をしているものの、軍人家系の出なので、根本が脳筋でも納得できるかもしれない。
その後の文書に『冗談です』と書かれていたが、全く冗談に聞こえない。たぶん半分くらいは本音だ。
彼がアルーシャにそんな『冗談』を言ってくる真意はわからないが、軽々しく口外しないと理解されているのと、彼のストレスが大分溜まっているという事は分かる。
後宮の騒ぎも対処しているようだが、だからといって普段の業務が無くなることはないのだ。
先日の夜中の百鬼夜行も、十分余計な仕事だろうに、よく頑張っていると思う。
アルーシャなら、暗闇に乗じて2~3発は王子を殴ってる。
もう一度手紙を見返してみたが、夜中の訪問を示すような文面もないので、しばらく安心して眠れるのは嬉しかった。
冗談にはしているが、側室を軟弱扱いしている文書は危険なため、アルーシャは庭先に出て手紙を完全に燃やす。
一体どんな手紙をやりとりしているのかと、侍女が怪訝な顔をして遠くから見ているが、アルーシャだけの問題ではなくなるのでその視線は完全に無視した。
すぐに意図を組んで普段の業務に戻った侍女たちは、やはり優秀だ。
単に、実家にいる時からの付き合いで、アルーシャの奇行に耐性がついているだけかもしれないが。
「シエラ、図書室に行きたいわ。誰かついてこれる子はいる?」
「では、私がご一緒いたします」
「そう。じゃあ、おねがいね」
先日借りた本をシエラに持たせると、アルーシャは部屋の外に居た護衛の騎士を連れて図書館へ向かう。
昨日からの快晴で、庭に残っていた水たまりは完全に消えていた。
程よい気温と爽やかな風に目を細めたアルーシャは、中庭の緑に目をやり、そこを忙しなくウロついている騎士達を見て視線を廊下へ戻す。
しかし、廊下にも等間隔に警備の騎士達が立っていて、この陽気とは対照に視界は物々しい雰囲気だった。
初日には、静寂さえ感じるほど静かだったのに、それが嘘のようだ。
騎士だらけの後宮にいる日数の方が多いせいか、アルーシャには静かな後宮の方が稀な姿に思えてしまう。
初日、ロウフェイルトからは、後宮に刺激を与えて欲しい旨を伝えられたのだが、どうしたことか、アルーシャが何もしなくても勝手に騒動が起きる。
流石に王宮の警備に関する問題の最中に騒ぎは起こせないので、アルーシャは大人しくしているが、今の騒ぎが解決してから更に事を起こせば側室達のストレスが爆発するだろう。
面会や手紙のやり取りはある程度可能だが、それでも外の世界と切り離された後宮での生活で、他の側室達は既に限界ギリギリだ。
そこで精神的な支えになるはずの王子がアレなのだから、今回の側室達は前回とは違う理由で一斉に後宮を去ることになるかもしれない。
もしかして、それすら王子の意図で、そんな状況に興奮する特殊性癖だったりして……と考えながら歩いていると、渡り廊下に差し掛かったところで、廊下の先からムサ……逞しい騎士を共にした王子が歩いてくる。
今度は何だと思いながら端に寄って頭を下げていると、彼はアルーシャの前で足を止めた。
「第9妃アルーシャ、何処へ行くつもりだ?」
「王子殿下におかれましては、ご機嫌麗しく……は、ないようですが、御健勝そうで何よりでございます。私は部屋にいるばかりで暇を持て余しておりますゆえ、図書室へ本を借りに行くところでございます。殿下はどうして後宮へ?」
「8番目の側室が宿下がりを願い出たと聞き、様子を見に行くところだ」
「まあ、左様でございましたか。それは宜しゅうございましたわ。幽霊騒動は勿論ですが、侵入者が使っていた隠し通路も、ミナリス様は怖がっていらっしゃいました。安心して眠れる場所がなくなってしまったと、不安に苛まれていらっしゃいました。まだ13才の少女ですから、成人している他の側室達と同じ対応をするわけにはまいりませんものね。他の側室達も心配しておりましたが、殿下がミナリス様をお気にかけてくださっていると分かって、私安心いたしましたわ。殿下、どうぞミナリス様を安心させてあげてくださいませ」
「あ……ああ。そなたの気持ちは、よくわかった。引き留めてすまなかったな。もう行くが良い」
「はい。ミナリス様が後宮から神殿預かりにならぬよう、願っております」
「……覚えておこう」
「私も、覚えておきますわ」
ちゃんと言ったからな。
そう視線で更に念を押すと、王子は僅かに視線を逸らしながら頷き、共を連れて去って行った。
王子への発言に、驚いたり、渋い顔をしたりする騎士がいたが、アルーシャはかなり優しく言っていると思っている。
拳が飛ばなかっただけ良かったと思って欲しいくらいだ。
騎士の中にいたイルフェンが、すれ違いざまにアイコンタクトしてきたのだが、どういう意味か分からなかったので一瞬だけ白目を剥いて返す。
イルフェンと共に見てしまった数人の騎士が、一瞬変な呼吸音を出したが、アルーシャは知らないふりをして目を伏せた。
王子達が視界からいなくなったのを確認すると、アルーシャは気を取り直して図書室に向かう。
前回はこれでメリッサが襲われている現場に行く事になったが、今日は警備の騎士があちこちにいるので、大丈夫だろう。
図書室に着くと、また数日部屋に籠もる可能性を考えて、アルーシャは少し多めに本を選んだ。
「……真面目な本ばっかりねぇ……」
「後宮の図書室に、アルーシャ様がお望みのいかがわしい本が置かれているわけがないかと」
「何言っているのよシエラ。むしろ、後宮だからこそ、そういう本があるべきじゃない。あといかがわしいなんて言うものではないわ。あれは子孫繁栄のための指南書よ」
「……必要な本は以上でよろしいでしょうか?」
「あ、まって。そこの世界神殿画集の13巻ってどの地域かしら?」
「ミジャロからルイオン諸島です」
「追加ね」
「かしこまりました」
その後3冊ほど本を追加すると、アルーシャは図書室を後にする。
部屋に帰ったら、獣人モフモフランキング第56巻を読もうとワクワクしながら渡り廊下を通ると、中庭の前にウルーリヤとミナリス以外の側室達がいた。
また何か起きたのかと思いながら、図書室でやり過ごすか挨拶だけして部屋に帰るか迷っていると、こちらに気づいた第5側室キュリアが侍女と共に駆け寄ってきた。
来なくて良いよとつい口から出そうになったのを抑え、アルーシャは優しげな笑みを浮かべてキュリアを迎える。
「ごきげんようキュリア様」
「アルーシャ様、良いところにいらっしゃったわ!」
「良いところ?」
「さっき、王子殿下がミナリス様の様子を見にいらしたの。私達、丁度ウルーリヤ様のところでお茶してたのだけど、殿下がいらしてるって聞いたウルーリヤ様が『来るのが遅い』って怒ってしまって。私達止めたのたけど、殿下のへ一言いってくるって向かってしまって……。私達も、様子を見に行った方が良いでしょうか…」
「そうでしたか。ウルーリヤ様は昨日もミナリス様を心配して様子を見に行かれましたから……。ですが、止められた上で向かわれたのは、ウルーリヤ様の判断です。私達は、ウルーリヤ様がお困られたり、助けを求めたりした時には力になっても、そうでないなら見守るべきではないでしょうか?」
「……ツァルニ様とノーラ様も、アルーシャ様と同じ事をおっしゃってました。でも、私心配で……」
「見捨てる事と、見守ることは違います。ウルーリヤ様を信じて、いざという時は手を貸せるよう心構えしながらお待ちになるのが良いのではないでしょうか」
「そうですね。はい。そうします」
今すぐ助けに行きたいと言わんばかりのキュリアに、そういえばこの子もまだ14才だったと思い出して、アルーシャは冷静になるよう言葉をかける。
下手に第3者が首を突っ込めば問題がややこしくなるので止めただけだが、他の側室達とも同意見らしい。
ミナリスを除けば一番年が近いアルーシャに言われた事で、キュリアは冷静になったらしく、静かに頷くと他の側室達の元へ戻った。
それを追って他の側室と合流したアルーシャは、軽い挨拶をすると第2側室のツァルニに状況を訪ねる。
内容はキュリアが言っていたものと相違はなく、ただ、キュリアが語る以上に、ウルーリヤは怒髪天状態だったことが分かった。
ウルーリヤは日頃から、側室達の雰囲気を明るくするように振る舞っていたようなので、ストレスも怒りも人一倍なのだろう。
強気に文句を言うウルーリヤに王子がときめいて恋に発展しないだろうか。
もしくはおもしれー女扱いで恋愛に発展しないだろうか。
そんな期待をしていると、廊下の奥から王子が連れてきた騎士に囲まれたウルーリヤが帰ってくる。
プリプリ怒ったままか、冷静になって青くなっているか、はたまた恋の奇跡が起きて頬を染めているか。
期待しながら見ているアルーシャに先駆け、他の側室達がウルーリヤの名を呼んで駆け寄っていく。
しかし、護衛に体を支えられ、他の側室達に心配そうに囲まれているウルーリヤの顔色は、土気色を通り越して死体のような色になっていた。
いつもお洒落な髪飾りをつけて綺麗に波打っていた赤い髪はボサボサで、紫水晶のようだった瞳は光が内どころか『無』である。
これは生きているのだろうかと思いながら、一応歩み寄ったアルーシャだったが、ウルーリヤは誰の呼び声にも首を横に振るだけで、騎士達に連れられて部屋に戻っていった。
残された他の側室達はパニックである。
どうしようとうろたえるキュリアをツァルニは青い顔でなだめ、その横にいるノーラは放心状態。
今度は王子が直に騒ぎを起こすのかと呆れるアルーシャは、頬に手を当てて困った顔を作りながら、自室に帰れるタイミングを計っていた。
何とかキュリアが落ち着くと、ツァルニは彼女を部屋に送るためその場を去る。
残ったノーラを任されたアルーシャは、まあそうなるだろうなと考えながら、未だ呆けたままのノーラの手を引いた。
ここにいては、王子を待ち伏せする形になる。
呆けたまま対面して粗相をするより、部屋にいる方が良いと言うと、ノーラは呆然としたまま頷き、大人しくついてきた。
ノーラの侍女の案内で、彼女の部屋に向かって廊下を歩く。
入り組んだ後宮は、近い数字の側室に宛がわれた部屋でも、あちこち角を曲がらねばならず、案内がなければ簡単に迷ってしまうだろう。
アルーシャの部屋の位置も分かりにくいと思っていたが、ノーラの部屋はその数倍はややこしい場所にある。
第8側室ミナリスの部屋も、アルーシャの部屋からは一度中庭まで行かねばならなかった。
ウルーリヤの部屋は、中庭と渡り廊下からは近いが他の側室の部屋からは微妙に遠い。
けれど、恐らく庭の茂みを超えれば、簡単に他の側室の庭には行けるのだろう。
増改築を繰り返した形跡が随所に見られる後宮は、その弊害も多く、住みよい構造とは言えない。
使用人用の通路は更に分かりにくいのだろうと思いながらノーラを部屋に送り届けると、アルーシャは自室へ戻るために中庭への道を引き返した。
シエラの手から本を半分受け取り、見慣れない廊下を護衛騎士の先導で歩く。
方向感覚が狂い始めた頃、やっと中庭に着いたアルーシャは、見慣れた景色に少しだけ安堵の息を吐いて自室に続く廊下へと足を進めた。
「あら、王子殿下、今戻ってくるの?」
また廊下の先に見えた騎士の集団に、アルーシャは面倒臭そうな顔を伏せて端に寄る。
もう少しゆっくり歩いて戻ってくれば良かったと思いながら、ちらりと王子を横目で見たアルーシャは、彼の疲れ切った顔ではなくその頬にある紅葉に目を見開いた。
どっちだ?ウルーリヤか、ミナリスか……。怒髪天だったというウルーリヤが有力だが、ストレスが限界を超えていたミナリスが犯人という可能性だってある。
できれば指さして笑って根掘り葉掘り聞きたいところだが、王子相手にそれはできないので、アルーシャはとりあえず唇を噛んで笑いそうになるのを堪えた。
アルーシャに気づいた王子の足が一瞬止まるが、来た時とは反対に彼は話しかけてくることなく彼女の前を通り過ぎる。
密かに顔を上げたアルーシャがイルフェンに視線をやると、彼は苦笑いを返すだけでどちらの側室がやったかは教えてくれなかった。
そのうち情報が漏れてくるだろうと考えると、アルーシャは王子達が去ったのを確認して自室に戻る。
休憩したら先程の騒ぎの情報を集めておくようシエラに頼むと、アルーシャは待ちに待った獣人モフモフランキング第56巻を手にソファへ寝転がった。