13話 オラオラァ!伯爵令嬢様だぞー!
アルーシャが侍女を連れて廊下に出ると、庭を挟んだ廊下の向こうに6番目の側室ウルーリヤの姿が見えた。
かなり気落ちした顔に、大丈夫だろうかと見ていると、アルーシャに気づいた彼女はその表情を明るい物に作り替える。
下手をすればウルーリヤの方が8番目の側室より病むかもしれないと思いながら、アルーシャは笑顔で彼女の元へ歩み寄った。
「おはようございます、ウルーリヤ様」
「おはようアルーシャ様。貴方は昨夜の雷は大丈夫だったのかしら?」
「ええ、我が家の領地は雨には必ず雷がついてくる地域ですので、慣れているんです。むしろ、昨日の嵐は里帰りしたような安心感がありましたわ」
「まあ、頼もしいわ。今はお散歩かしら?」
「いえ、少しミナリス様のご様子が気になって。昨夜は随分怯えていらしたようですから」
「あら、アルーシャ様もだったのね。昨夜の悲鳴は私の部屋にも聞こえていたのよ。彼女、以前も雷が鳴った日の後は何日か落ち込んでいたのだけど、今回は幽霊まで見たらしくて、宿下がりを願い出たと聞いて……」
「私も、そのお話を聞いて、心配していたのです。まだ13才ですから、後宮での不安と寂しさはより大きいでしょうし……」
「そうよね。それに、身を守るために後宮に入っているのは、本人が一番理解しているはずなのに、それでも宿下がりしたいなんて……放っておけなくて。アルーシャ様がよければ、一緒にミナリス様を励ましに行きたいわ」
「ええ。私の方こそ、ぜひご一緒させてください。私はまだミナリス様とお会いして日が浅いものですから、正直一人で励ませるか不安だったのです」
「まあ、そんなこと気にしなくていいわよ。同じ側室という立場の人が傍に居てくれるだけでも、励まされるものだわ」
表裏のない笑顔を見せるウルーリヤに、アルーシャが柔らかく微笑み返していると、ウルーリヤの侍女が先触れから戻ってくる。
だが、8番目の側室の様子は芳しくないようで、部屋のカーテンを締め切り、侍女達が声をかけても布団から出てこないそうだ。
「可哀想に、ミナリス様、よっぽど恐かったのね」
「ええ。それに、幽霊が恐いなら、窓を開けて日の光をいれておくべきだと思うのですけれど……」
「え、気にするとことはそこなの?でも、そうよね。暗い方が恐いものよね。けど、面会できないとなると、どうしましょう。今までは、怯えていても対応はしてくれていたのよ」
「今彼女を後宮から出しても、安全とは限りません。せめて宿下がりだけは止めた方が良いでしょう」
「そうね。彼女は神殿の口添えで保護しているのだし、黙ってみている事はできないわ。多少強引でも、何とかしましょう」
「私よりも、ウルーリヤ様の方がミナリス様と信頼関係がございます。実力行使は私がしますので、ウルーリヤ様はミナリス様のケアをおねがいします」
「貴方が?ちょっとイメージじゃないけど……でも、そうね。わかったわ」
「では、参りましょう。エリス、抵抗する侍女は抑えなさい」
「かしこまりました」
アルーシャとエリスのやりとりにギョッとするウルーリヤとその侍女を置き去りにして、アルーシャはミナリスの部屋の扉を叩く。
誰何する声に、9番目と6番目の側室だと告げると、ゆっくりと扉が開いて沈んだ顔の侍女が出てこようとした。
その扉を、素早く手で押さえつけたアルーシャは、驚く侍女を無視して思いっきり扉を開け放つ。
「おじゃましますわ!9番目の側室アルーシャと、6番目の側室ウルーリヤ様が、様子を見に参りました!!」
「ひぇっ!お、おやめください!ミナリス様は今ふさぎ込んでおられて……」
「こんな真っ暗な部屋じゃ恐くて当たり前ですわね!エリス、カーテンを開けるわよ!」
「やめて、やめてくださいませ!誰か!!」
「何か思ってたのと違うけどいいわ!お邪魔するわミナリス様!ウルーリヤよ!心配で様子を見に来たわ!こっちの窓を開けたら寝室に行くわね!!ヒュプテ、邪魔者を抑えて」
「あわわわわわ……わ、私は知りませんからね!ウルーリヤ様の命令だからやるんですからね!!」
突如始まったアルーシャの暴挙に、一瞬混乱しつつも乗っかってきたウルーリヤに、ミナリスの侍女達が慌てて駆け寄ってくる。
側室に触れるわけにはいかず、二人の侍女を抑えようとした彼女は、あっさりエリスに捕まると寝室にいるらしい別の侍女を呼んだ。
その間に、二人の側室は容赦なくカーテンを開け、窓を開けて新鮮な空気を室内に入れる。
「一体何なの?この状況は……え?」
「ごめんなさ~い!ウルーリヤ様の命令なんです!!」
騒ぎに気づいてやってきた新たな侍女は、ウルーリヤの侍女にあっさり捕まって目をぱちくりさせている。
その横を通ってミナリスの寝室に入った側室二人は、ベッドの上にある布団の山に顔を見合わせると、先程同様カーテンと窓を開けにかかった。
「さあミナリス様!朝ですよ!」
「そうよ!外はいい天気なんだから、ジメジメしてないで出てきなさい!」
「やめて!放っておいて!!」
「お断りします!布団を引き剥がされたくなかったらご自分で出てきてくださいな!」
「幽霊なんかどこにもいないわよ!いたら私とアルーシャ様がボコボコにして神官を呼んであげるから、出てきてちょうだい」
「嫌です!私、幽霊と目が合ったの!きっと呪われるわ!」
「ちょっと、そこの手が空いてる侍女の方達、椅子とテーブルをベッドの傍に持ってきてくださる?エリスはお酒をもらってきてちょうだい」
「え……お酒?」
「お酒?え、お酒?……私の部屋で何をするんですか?」
「暇だから、出てくるまで飲み続けるんですよ?今日は特に予定はありませんので」
「え?何で?……え?何で?」
「あれ……?お酒って聞き違いかな?」
「この様子では暫く出てきませんし、それまでの間は暇ですから、飲みながら待とうかと思います」
「えぇ……?まあ、それもそうね。なら私も飲もうかしら。ヒュプテ、私の部屋からも何本か持ってきてちょうだい」
「私の部屋で酒盛りするんですか!?何で!?」
「だから、暇だからですよ。いい加減飽きたら引きずり出しますから、それまでに出てきてくださいね」
「ミナリス様にはちゃんとジュースを用意してあげるわ」
「そういう事じゃないですよ!」
人の部屋で完全に飲む気になっている年上の側室2人に、ミナリスは布団を被ったまま混乱して声を上げる。
だが、生まれつき伯爵家な二人は、同じ側室であっても男爵令嬢の言葉を無視する事に抵抗はない。
ガタガタと家具を動かす音に、自分部屋の主導権が奪われていると理解して、ミナリスはしくしくと泣き始める。
アルーシャとウルーリヤは、早く出てこいと言いながら、この部屋の主が隠れている布団をツンツン引っ張ってくる。
まるで、自分達はミナリスに何をしても許されるといっているようだった。
どんなに良くしてくれても、同じ側室の立場でも、二人はただ神殿と王家のお情けで保護されているだけの自分とは違う。
そうと思うと、ミナリスの涙は止まる事なく流れ出てきた。
「あら?泣いていらっしゃるわ」
「え?普通はこの状況なら泣くんじゃないかしら?」
「ミナリス様、泣いても何も解決はしませんよ?むしろほら、貴方が泣いて引きこもった結果、状況は悪化の一途を辿っています。このまま私達にベッドの横で酒盛りをされてもよろしいんですか?」
「……そうよね、アルーシャ様って、クアラス家の人だったものね……。ミナリス様、アルーシャ様の言う通りよ?正直、同じ伯爵家でもアルーシャ様のご実家の方が家格が上だから、私はアルーシャ様に逆らえないのよ」
「あら、散々敬語なしでお話されていたから、ウルーリヤ様はあまりそういう事を気にしない方だと思っていましたわ」
「気にしすぎないというだけよ?嫌なら直すけれど、アルーシャ様はそういう人ではなさそうだったもの」
「そうですね。私は、面白い方なら、それで良いので。ほら、ミナリス様、聞いていらしたでしょう?ウルーリヤ様は共犯になっても命令に逆らえなかったと言って私に責任をとらせると前置きした上で、自分も好き勝手する方のようです。このままでは、ミナリス様の事を思ってと言いながら好き勝手始めるかもしれませんよ?」
「しないわよ。……やっぱりクアラス家の方ね……」
ウルーリヤの呆れた視線を受け流して、アルーシャは用意された椅子に腰を下ろす。
適当にミナリアの布団を引っ張っていると、エリスとヒュプテが戻ってきて、テーブルの上に酒を並べ始めた。
「ミナリス様、宿下がりを願い出たそうですけれど、まだお戻りになるには早いと思いますよ?」
「そうよ。ミナリス様にご執心だった方々、まだ捕まえきれていないらしいもの。残ってるのは大きい商人や伯爵家の人間だから、もう少し証拠固めが必要なの。後宮を出た途端に変態に攫われて嫁入りなんて、嫌でしょう?」
「でも、後宮も嫌なんです」
「あら、では何が不満か具体的に伺ってもよろしいでしょうか?」
「とりあえず、この状況が不満なのはわかるわね」
「そうですけど、それだけじゃありません!」
「では何でしょうか?ウルーリヤ様、できればミナリス様のお口から聞きたいのですけれど」
「あら、ごめんなさいね。それで、ミナリス様は何が嫌なのかしら?」
「全部……全部嫌です!私の部屋なのに、お二人の部屋みたいにして、侍女が私より身分が高いし、家に帰れないし、外は変態ばっかりだし、護衛の騎士も私の顔を見てくるし、アルーシャ様だって同じくらい綺麗なのに変な目で見られてないのに、何で私だけ変な目で見られるの?!」
「私はクアラス伯爵家の娘ですから。よほどの物知らずか変わり者でなければ、不用意に手出ししませんよ」
「この行動でわかると思うけれど、クアラス家って代々変わった方が多いのよ。行動が予想できないところがあるから、関わりたがらない人が多いの。アルーシャ様までそうだとは……私もさっきまで知らなかったけど」
「ああ……それは……」
「侍女の身分は諦めるしかありませんね。王宮で勤めるには、一定以上の知能と教養が必要ですから。裕福ではない平民や下位貴族出身の侍女には、難しいでしょう」
「そうよね。私の侍女も半分は後宮に入るときに、基準に添える子を新しく雇ったもの」
「うぅ……でも、幽霊が……幽霊が出るんです。雷だけなら嵐が収まるまで待てば良いけど、幽霊まで出るなんて……」
「…………」
「そうよね。幽霊の噂は、私も正直恐いわ」
「そうですよ!私、幽霊を見たとき悲鳴をあげちゃって、振り向いた幽霊達と目があったんです!今も……窓の外から幽霊がこの部屋を覗いてる気がして……」
今、奴らがいたら、むしろ笑うわね。
布団の外からでもわかるほどガタガタ震えるミナリスを横目で見ながら、アルーシャ酒を口に含みながらどうしようか考える。
視線を移せば、さきほどまで活力に見て居ていたはずのウルーリヤまで顔色を悪くして口を閉ざしていた。
幽霊騒ぎだけではなく、ここ最近の事件と、交流があったシューリーンが処刑された事で、側室達の心はかなり追い詰められているのだろう。
昨日あった王子の訪問も、第二の幽霊騒ぎのせいで話題にすら登らない有様だ。
せっかく呼んだ側室を放置しているからこういう事になる。
どうすんだよ王子。
やっぱり酒瓶でドツいて少し目を覚ましてやるべきだっただろうかと考えていると、ウルーリヤとミナリスが傷をなめ合うように互いの弱音を吐いている。
適当に聞き流して終わるのを待つが、今の二人は自分達の辛さに囚われているようで、どんどん雰囲気が暗くなっていた。
しかし何故だろう。
二人の口からは、互いを慰め、励ます言葉が時折出るが、『アルーシャ様もお辛いでしょう?』という台詞は一切出てこない。
むしろ、ストレスの度合いで言うなら、慣れない環境に放り込まれて数日で事件が頻発するアルーシャの方が、精神を摩耗していると考えるのが妥当ではないだろうか。
とはいえ、実際アルーシャは辛くないのだが、いや、後宮百鬼夜行の訪問は普通に辛いが、最近の後宮の騒ぎや事件に動揺しているという事はない。
ないのだが、何か一言あっても良いのではとアルーシャは思う。
その後も一応色々励ましてはいたが、ミナリアは『もうお家に帰りたい』の一点張りで、それ以上話にならなかった。
一緒に励ますはずのウルーリヤも、触発されたのかホームシックになり始めたため、アルーシャは早々に引き上げて彼女を部屋まで送っていく。
とりあえず、夜な夜な後宮を練り歩く4馬鹿を何とかしなければ、正妃を決めるどころか側室が殆ど逃げ帰ってしまう。
後宮女官に、ロウフェイルトへの面会を頼むと、アルーシャは大きなため息をついて自室のソファに寝転がった。
本来であれば、側室から後宮について相談するのだから相手は王子が適任なのだが、王子は表向き後宮に無関心だ。
新入側室が、騒動の最中に王子に面会要求したとなれば、何と噂されるか分からない。
あの王子だ。仮に要求通り面会が叶っても、正規の手段ではなく、また夜中にいきなり庭から来る気がする。
そのため、アルーシャはロウフェイルトへの面会を申し込んだ。彼なら、きっとアルーシャの意図は分かってくれるだろう。
多忙で時間が取れないなら、断りの手紙に、深夜に庭から訪れる事を匂わせてくれるはずだ。
王子と警備兵以外の男性は、緊急事態を除き後宮に入れないので、側室が出向くのが普通だ。
そうなれば、同じ王宮内であろうと、その用向きに合わせて警備の変更が必要になる。
後宮の混乱で騎士を多く割いているのに、更に面会のための警備変更などしたくないだろう。
都合がつく日の夜、また庭に4人揃ってやってくるのだろうと考えると、アルーシャはテーブルに盛られている葡萄に手を伸ばした。